4.辺境の町エグモ
「兄さん、助けて!」
「エル!」
近衛兵が剣を構え、背後からエルに追いつく。
私は何もできなかった。体は一歩も動かず、声も出ない。「献身」のスキルを使いたい。しかし、「献身」は忠誠を誓った主に対してのみ発動できるものである。
「汝の弟が国王であればよかったのにな。汝が代わりに死んでやれたであろうに」
どこから発せられたか分からぬ女の声が、そう言った。
近衛兵がエルの首を撥ねる。頭部がコロコロと私の足元まで転がってきた。
一つ、二つ、三つ。頭部が次々と、私の前に転がってくる。
「おれの家族は皆死んだ! おまえが殺したんだ!」
どこから発せられたか分からぬ男の声が、そう言った。
頭部だけではない。断たれた腕や足、人間のあらゆる死体の部位が私の周囲に現れた。
「憎い――」
女の声と男の声が、唱和するように重なった。
同じ言葉を口にしながらも、両者は互いに対抗し合っているような気配を放っていた。
私は死体に埋もれて――。
◇◇◇
悪夢から目が覚めた。
目の前に居間の暖炉がある。体の下に敷物が敷かれ、体の上に毛布が掛けられ、私は床の上に横になっている。
窓の外の空は青灰色で、まだ完全には明けきっていない。
私は起き上がり、寝室の方へ視線を向けた。寝室の扉は閉まったままだ。中から物音は聞こえなかった。
ローズ様はまだ眠っておられるようで、私のせいで目を覚ますことはなかった。
今の夢は、おそらく血の呪いが引き起こした悪夢であろう。
私は、自分が知っている血の呪いについての知識を思い返した。
血の呪いとは、絶大な苦痛を受けた人間が変じた魔物である。天災のような大きなものから、体に吹き出物ができるような小さなものまで、あらゆる異常現象を引き起こす。
通常の方法で消滅させることはできず、せいぜい女神の加護によって抑制することしかできない。
その「絶大な苦痛」が、通常、死者の出た流血事件に関連していることから、「血の呪い」と称されている。
血の呪いに憑かれた者が、幻影や悪夢を見るのはよくあることだ。
それはまるで、呪いと化した者が何かを語りたいかのようである。
私の身には、二つの呪いがある。一つは国王からの致死の呪い、一つはローズ様からの不死の呪い。
今の夢に現れた女と男は、それぞれ二つの呪いなのであろうか。
階下から人の声が聞こえてきた。同じ建物に住む者たちが起き出し、活動を始めたのだ。
私も仕事へ行かねばならない。
◇◇◇
辺境の町エグモに到着してから、十日が過ぎた。
ここは有名な「罪悪の街」であり、悪名高い冒険者ギルド支部の所在地だ。
私はてっきり、ここは至る所に危険が潜み、衛生状態も劣悪な場所なのだろうと思い込んでいた。
だが、実際は全く違う。この町は石壁に囲まれ、通りは整えられている。冒険者ギルドが派遣した警備兵が至る所を巡回し、治安を維持する。
「『罪悪の街』だって? ああ、それはもう過去の話だ。密輸人だけだった頃は確かに相当物騒だったがな、冒険者ギルドが来てからは連中が町を接収して、行儀の悪い奴らを叩き出したのさ。今じゃあ、腰を据えて暮らすにはいい場所だぜ」
エグモへ向かう道中で、ハンクさんはそう言っていた。
信じがたいことだが、それは私自身がこの目で確かめた事実である。
この町の治安の良さは、あるいは王都を超えているかもしれない。
隣国との貿易や良好な生活環境に惹かれ、人口の流入は続いており、町の規模は拡張の一途を辿っている。石壁の内でも外でも、数多くの建設工事が進められている。
建設には人手が必要であり、経験がなくても雇ってもらえる。そのおかげで、私は職を得ることができた。
また、ハンクさんの紹介で今の家主と知り合い、二人で暮らすには十分な住まいを借りることもできた。生活は安定し始めている。
このまま平穏に暮らしていける。そんな気がした。
◇◇◇
石壁の外側にある建設現場で、私と仲間たちは地下室になる予定の空間を掘り進めている。
土石が穴から絶え間なく運び出されていった。
「ん? 何か変なもんがあるぞ?」
仲間の一人がシャベルを止め、土の中に埋まった一枚の石板を不審そうに眺めていた。
石板は水平に横たわっており、表面に掴むための鉄の環が付いている。
地下へと続く扉のように見えた。
「下になんかあんのか、これ?」
仲間はそう言いながら、石板の上にのしかかる土を取り除いた。そして鉄の環を掴んで、引き上げた。
石板の下には、暗い地下室への入り口があった。そこから階段が下へと伸びている。
「親方を呼んでこい!」
「おい、勝手に入るなよ!」
「お宝でもあんのか?」
人々が口々に騒ぎ立てる。この時、私は地下から響いてくる不吉な音を耳にした。
特殊な金属の衝突音。それは全身鎧を着た兵士が歩いているようであったが、より明瞭で、より大きく反響していた。まるで鎧の内部が完全な虚空であり、音が自由に行き来できるようであった。
ゴーレム・ガードが移動する音だ。
「すぐに離れろ、敵だ!」私は叫んだ。
戦場を知らぬ仲間たちは、ただ呆然と立ち尽くす。
金属がぶつかり合うリズムが、猛然と速まった。
ゴーレムが階段を駆け上がり、入り口に最も近い者へと襲いかかる。
私は手にしたシャベルを投げつけ、ゴーレムに命中させた。
ゴーレムは倒れた。だが、そう簡単に壊れるはずもないと分かっている。
「逃げろ! 兵士を呼べ!」ゴーレムが起き上がる前に、私はもう一本のシャベルを手に取った。
このゴーレムは成人男性ほどの大きさである。さっきの音の通り、一揃いの全身鎧で構成されており、手に剣を握っている。
「一揃い」とはいえ、「揃い」の品ではない。複数の異なる鎧から一、二部位ずつ寄せ集めたものだ。
彫金が施されたものもあれば、縞模様の装飾があるものもある。表面が滑らかで新品に近いものもあれば、古い傷跡に満ちたものもあった。
ゴーレムが起き上がる動作は非常に遅鈍だ。人間の兵士より、立ち上がるのに何倍もの時間がかかった。
しかし、さっき地上へ駆け上がった時の動きは、極めて迅速だった。
これは粗悪な造りのゴーレムだ。材料はあり合わせであり、作りに斑がある。
仲間たちはすでに逃げ出している。彼らは助けを呼びに行くはずだ。
私はゴーレムを足止めし、兵士が到着するまで持ちこたえればいい。
地下室から他の物音は聞こえなかった。ゴーレムは一体のみであろう。
よし。やれる。
まずは、剣を持つ右腕を外す!
ゴーレムは体勢を立て直し、こちらへ突進してきた。
この動きは、もう見た。どの程度の速さで移動するか、標的からどれほどの距離で腕を振り上げるか、私は分かっている。
ゴーレムが腕を振り上げた瞬間、私はシャベルの先端をその脇の下へと突き立て、力任せに捻った。
シャベルを捨て、側方へと回避する。ゴーレムの右腕は胴体から離脱し、私が今しがたまで立っていた場所に剣と共に落ちた。
やはり質の低いゴーレムだ。
腕を再接合しようとする様子はない。おそらく修復機能が備わっていないのであろう。
ゴーレムは左の拳を振り回し、私に突っ込んできた。
私は容易くかわした。そして位置を変え、地面に落ちた剣を拾い上げる。
剣の質もまた、劣悪であった。その上、長期間地下に埋もれて、手入れされていなかった。この剣でゴーレムを斬りつければ、折れてしまうかもしれない。
だが、構わない。剣身を直接ゴーレムに接触させるつもりはない。
私は構えを取った。一ヶ月にも満たない前まで、これは毎日欠かさず練習していた技術だった。
剣技・嵐!
筋肉と剣に「意念」を込め、「気」を伸ばした刃と化す。
ゴーレムから四メートル離れた位置で、私は剣を振るった。
本来ならば決して届くはずのない間合いだが、「嵐」が風の刃を生み出した。圧縮された空気の刃が、ゴーレムを真っ向から斬り下ろす。
ゴーレムを構築した魔法の連結が断たれた。
ゴーレムは普通の鎧となって地面に散らばった。もはや脅威ではない。
「警備兵の旦那! あっちだ!」
「ユーリ! 無事か?」
「えっ? お前が倒したのか? マジかよ?」
◇◇◇
あの地下室は密輸人の倉庫であったらしい。ゴーレムは密輸人が設置した守衛であったのだ。
冒険者ギルドがエグモに進駐した後、密輸人はこの場所を放棄したが、ゴーレムを連れて行くことはなかった。
私たちはその事実を知らぬまま土地の開発を進め、結果として危うく死傷者が出るところであった。
工事は一時中断となった。専門家によってその土地の安全が確認された後、再開される予定である。
親方は私たちの気持ちを落ち着かせるため、酒場へ連れて行ってくれた。
「なあユーリ。それだけの腕があるのに、どうして冒険者にならないんだ?」
酒場で、仲間の一人が私にそう尋ねた。
仲間たちが兵士と共に駆けつけた時、私はちょうど剣技・嵐を繰り出し、ゴーレムを倒したところであった。数人がその光景を目撃していたのだ。
冒険者など、まともな職に就けない者たちが冒険の名の下に兵士の手を焼かせるだけの集団じゃないですか……
と、私が口にする前に、仲間は言葉を続けた。
「冒険者は格好いいし、尊敬されるし、稼ぎも良い。おれたちが何年も働いて、親方になってようやく手に入るような待遇が、冒険者ならすぐに手に入るんだ。おれも冒険者になりてえなあ!」
……エグモでは、冒険者に対する見方が少し異なるようだ。
親方が私たちのテーブルに二杯のビールを置いた。
「そんな夢を見てる暇があったら、技術を磨きやがれ。お前はまだ、鋸の引き方がなってねえんだよ!」
「お、親方!」仲間は首をすくめた。
「聞いてるぞ。ゴーレムを見て腰を抜かしたそうじゃないか。それどころか、人に背負われて逃げたらしいな。そんなんで冒険者になりたいだと? 死にに行くようなもんだ。あの稼業が、おれたちの仕事より楽だなんて思うなよ!」
「……面目ありません」仲間は頭を垂れた。
続いて、親方は私の方へ向き直った。
「ユーリ、お前、兵士が来る前にゴーレムを倒したそうだな?」
「はい」
親方は、私が自分の分をわきまえずに冒険者になる夢を見ないよう、釘を刺しておこうとしているのであろう。
「私は冒険者に向いているような人間ではありません。ご安心ください……」
「お前は、遅かれ早かれここを去る人間だと、おれは思っている。冒険者とは限らねえ、どこぞの軍隊か何かかもしれねえが……いや、お前は結局、冒険者になるような類の人間なんだろう」
「えっ?」
「ある年の事、マドの街に一頭のドラゴンがきた話を知ってるか? まさにあんな感じだよ。ドラゴンが街に来て何をする? そこはあいつの居場所じゃねえだろ。やっぱり、鐘楼で数日眠っただけで飛んでいっちまった。
お前もそんな感じがするんだ。ここでお前は何をしてるんだ? お前が家を建てる人間だとは、どうしても思えねえんだ。
エグモに来る奴には、それぞれ物語がある。お前の物語がどんなものかは知らねえ。だが、お前の物語の結末は、建築家になることじゃねえんだろう」
親方は一呼吸置くと、笑い声を上げた。
「ちょっと話が硬すぎたな。みんなが無事だったお祝いの席というのに! 野郎ども、ユーリに乾杯だ!」
「おおー!」
何か重要なことを聞いたような気がしたが、それがどういう意味なのか、私は今ひとつ分からなかった。




