2.ローズ
私は、あまりの痛みで意識を失っていたに違いない。
目を開けると、三つの小さな光球が頭上に漂っていた。
少し離れた場所にある突き出た岩の上に、一人の女が座っている。
光球の光は極めて微弱である。洞窟内のものは、ほとんどが暗闇に隠れ、輪郭しか見えない。彼女の体も同様だ。
黒い長髪が白い肌をわずかに覆っている。それ以外に彼女が着ているのは闇だけであった。
光球がもたらす白い輝きと黒い陰影、明るい面と暗い面によって、その起伏が描き出されている。
それは、花が咲き誇る時期にある女であった。
どういうわけか、人ならぬ美しさを湛える。
体を動かそうとすると、腕が何かに触れた。その何かは傍らへとゴロゴロと二回転がっていった。
手元を見る。弟の首であった。
すべては夢ではなかったのだ。
陛下が血の呪いに憑かれる直前、騎士である私は「献身」のスキルを用い、その呪いを自らへと移した。
血の呪いは宿主が死ぬ際に周囲の者へ乗り移る可能性があるため、私は王都を離れ、この地で死を待っていた。
陛下は、私の家族に報いると約束した。しかし――。
絶望と怒りの中で、私はこの洞窟に棲む魔王に忠誠を誓った。魔王の騎士となった後、私は「献身」のスキルによって魔王の身にある「不死」の呪いを受け取った。
不死の呪いで、私の身にある致死の呪いを相殺する。そうすれば、私は生き長らえることができる。
生き延びる。国王に復讐するために。
もはや、体を引き裂くような痛みは感じなかった。裂けた皮膚も癒えている。喉から血がせり上がってくることもない。
これは計画が成功したことを意味しているのだろう。二つの呪いは、相殺されたのだ。
「汝、目が覚めたか? ならば、呪いを少しばかりわらわに返してはくれぬか」
私はその女に目を向けた。
「それもまた、わらわの魔力の源よ。それなしでは、わらわは身を包む衣すら作れん」
周りを見渡したが、魔王の異形の巨体はどこにも見当たらなかった。
その女こそが魔王だ。彼女は薄らと笑みを浮かべ、落ち着いた様子で私を見つめている。
「まだ完全には覚醒しておらぬか。ならば、わらわが分かりやすく説明してやろう」
女は組んでいた足を解き、立ち上がって私の方へと歩み寄る。
私は慌てて彼女を覆うものを探したが、ここには何もない。
揺らめき流れる白い輝きが、私の目の前まで迫る。
彼女は身を乗り出し、私の顎を指先で掴んだ。私は顔を上げさせられ、彼女と視線が合った。
三つの光球の輝きが、彼女の夜のような黒い瞳の中で、幾千の星屑へと変わった。
「汝はわらわの身から『不死』の呪いを奪い去った。それはわらわの呪いであり、わらわの魔力の源でもあり、同時にわらわが異形の姿を取る必須条件の一つである。
汝ゆえに、わらわは脆い人の身となった。
さて、汝が目覚めたということは、致死の呪いによる損傷はすべて修復されたということじゃ。ならば、わらわの呪いをいくらか返すがよい。致死の呪いを抑え込む分だけ残しておけば、十分であろう」
「どうすればいいのか、私は……」
「構わぬ。どのみち汝の同意など必要ない。わらわが自ら行う」
体の奥底で、血の呪いが再発したかのような疼きを感じた。だが、痛みは長くは続かず、すぐに収まった。
彼女は満足げに微笑み、私を解放した。それから、彼女は背筋を伸ばして、指を鳴らした。
黒のドレスがどこからともなく現れ、彼女の身を包む。髪もまた、一つに結ばれた。
私は宮廷で、彼女以上に優れた貴族の令嬢を見たことがあるか。
ない。あるはずがないのだ。
ただの一着の黒いドレスを、王袍のごとく着こなせる者は他にいない。素朴な真珠の髪留めも、まるで王冠のように見えた。
「汝、魔法には疎いようじゃな。おそらくは呪いについても詳しくはあるまい。ならば、わらわが丁寧に講義してやろう。
今、汝の身には二つの呪いがある。一つは汝を殺すもの、一つは汝を守るもの。二つの呪いは相殺され、ゆえにどちらも効果がない。わらわの身にも呪いがある。わらわを死なせぬ呪いじゃな。
あの国王――汝に呪いを負わせた奴は――奴が憑かれる前に、汝が呪いを移したのじゃろ? ゆえに奴の身には呪いは無い。致死の呪いはすべて汝の身にある。
だが、わらわの呪いはすでに長くわらわと共にあった。ゆえに汝はわらわと呪いを分かち合うことしかできず、すべてを移し替えることはできぬのじゃ。
さて、わらわは汝からいくらか呪いを取り戻した。魔力を回復させ、身なりを整えた」
彼女は再び指を鳴らした。私の血に汚れた騎士服が、平凡な使用人の服へと変わった。
光球の輝きが大きく増す。
今や周囲がはっきりと見渡せた。かつて生命力に溢れていた黒い蔦は、今ではすべて枯れ果てている。
気温も下がり、空気は湿り気を帯びていた。
「呪いをすべて取り戻さぬ限り、わらわは異形の姿に戻ることはできぬ。しかし、すべてを取り戻せば、汝は呪いに殺される。
ゆえに、わらわはこの姿を維持せざるを得ぬのじゃ。
これについて、汝はどうするつもりじゃ?」
「え?」
唐突な問いに、私はすぐには言葉を返せなかった。
彼女は再び、私に迫った。
「このような姿で、洞窟の中で暮らせるはずもなかろう? 不死の呪いはほとんどなくなり、魔力もない。今のわらわは腹が減る、寒さを感じる。食べ物も飲み水も必要じゃ。住む場所もよ。汝、責任を取ってくれるのじゃろ?」
私は一瞬呆然としたが、すぐに彼女の言う通りだと理解した。これらすべては私が招いたことなのだ。もし私の命を繋ぎ止めるためでなければ、彼女は魔王の姿のまま死の深淵に棲み、永遠に不滅でいられたはずだ。
今、彼女が人間になったのは、私の責任である。
このことは復讐と同等――いや、それ以上に重要かもしれない。なぜなら、これは恩返しなのだから。
彼女は私を救ってくださった。このことを、私は決して忘れはしない。
「責任は果たします。私のお姫様」
「ふふっ」
彼女は幼い少女のように、頬を赤らめてお笑いになった。
「そういえば、騎士殿の名をまだ聞いておらんな。わらわはローズじゃ。汝は?」
「美しいお名前ですね。私はユーリと申します」
「汝の名も、良い響きじゃ」
「ありふれた名に過ぎません」
「よろしく頼むな、ユーリ」
「はい、ローズ様」
◇◇◇
「次に汝はどこへ向かうつもりじゃ? もはや戻ることはできまい?」
「分かりません。ですが、王都からは遠ざかる必要があります。今の私は死んだも同然です。近衛隊が王都の警戒を担っていて、戻れば私が生きていると露見してしまいます」
「つまり、王都に背を向けて旅をするということか。して、弟をどこに安置するつもりじゃ?」
私は沈黙した。
死者の頭部を携えて旅をすることなど不可能だ。もし見つかれば、どこの平民であっても、すぐさま私を警備兵に突き出すだろう。
「葬ってやりたいが、シャベルがない……」
死者を葬るには深い穴が必要だ。さもなくば遺体は野獣に掘り返され、貪り食われてしまう。道具がない状況では、あまりにも困難である。
「ローズ様、魔法で弟のために墓穴を掘ってはいただけませんか?」
ローズ様は首を横に振られた。
「そんなことをすれば、わらわたちは二人とも、たちまち全裸になってしまうぞ?」
「え?」
「魔法で創り出した物体は一時的な存在に過ぎぬ。魔力が引き抜かれれば、即座に消えてしまうのじゃ。
今のわらわにとって、魔法は極力使うのを避けるべきものなのじゃよ」
なるほど。つまり、一刻も早く「本物」の服を手に入れることが最優先事項だ。
「弟は、この洞窟に残していくがよい。この洞窟は魔法によって創り出された一時的な空間じゃ。あと数日もすれば崩落し、大地へと還る。汝の弟もまた、大地の抱擁の中で眠りにつくであろう」
「分かりました。そうしましょう」
私は、ある不可解な点に気づいた。
「ところで、ローズ様。もし魔法が消えたとしても、全裸になるのはローズ様だけで、私は制服を着ているはずではありませんか?」
「それなのだがな、汝を着替えさせる際に、汝の元の服は消滅させてしまったのじゃ。壊れたものは、魔法が消えても元に戻らぬぞ」
「……次からは、そうする前に一言声をかけてください」




