第3節:第二教場スーツ適応・感覚遮断訓練(09:00~10:30)
冷徹な蛍光灯が照りつける学校地下の「防護服着替え室」。そこに漂う空気は、先ほどの雪山とは違う種類の、逃げ場のない密室のプレッシャーに満ちていた。
黒崎教官が腕を組み、冷ややかな視線を訓練生たちに向けている。その傍らでは、スーツの整備・維持管理を司る厳格な専任教官――ガモウが、タブレット端末を片手に冷徹な目を光らせていた。
「ここから第2教場、スーツ適応および感覚遮断訓練を開始する」
クロサキ教官の低い声が、地下のコンクリート壁に反響した。 前方のモニターに映し出されたのは、白く重厚な全身防護服――「AGB Biohazard Maintenance Suit」の構造図だった。それは単なる防護服ではない。極低温、火災、毒ガス、火山性ガス、化学物質、バイオハザードなど、通常の装備では人間が長時間活動できない危険区域へ人間を送り込むために開発された汎用の極限環境用防護装置である。 倒壊した建物の内部、放射線が飛び交う事故現場、猛威を振るう感染症の隔離区域など、世界中のあらゆる災害・救助の現場で、この防護服は人命を守るための「絶対的な殻」として使われてきた。
「この絶対の殻を、貴様らは一切の補助なしで、正しい順序と制限時間内に一人で纏い上げなければならない。装着のわずかな不備、気密の甘さは即座の死を意味する。もたもたしている暇はない、始めッ!」
号令とともに、シムラたち学生は一斉に動き出した。 専用インナーの上に密閉防護スーツを通し、脚部からブーツ、胴体, 腕、そして二重防護手袋へとパーツを組み上げていく。手首、足首、首の各接合部をミリ単位で確実におのおの密閉しなければならない。
しかし、焦りから冷や汗が噴き出し、冷え切った指先は思うように動かない。
隣のレーンではスズキが歯を鳴らしながら、
「っ……くそ、グローブが引っかかって嵌まらない……!」
と息を荒げ、サトウも青ざめた顔でコネクタの噛み合わせに悪戦苦闘していた。
その醜態を見逃さず、黒崎の鋭い怒号が瞬時に飛ぶ。
「おい、31番・スズキ! 貴様のその雑な手つきは何だ! 現場でそのグローブの嵌め損じがあれば、一秒で毒素が体内を駆け巡り、内側から溶けて死ぬぞ! もたもたしている暇があるなら、頭を使えッ!」
「ひっ……!」
とスズキが引きつった声をあげ、恐怖でさらに震える手で無理やりコネクタをねじ込もうとする。
「サトウ、お前もだ! 泣き言を吐く暇があったら指を動かせ! そんな有様で誰の命が救える!」
さらに、スーツ管理主任のガモウがタブレットから目を離さず、冷ややかに言い放つ。
「おい42番、シムラ。お前の右手側の配線コネクタ、ロックの嵌め込みが0.5ミリ甘いぞ。私の端末にはお前の生体データと回路の微弱なズレが完全に表示されている。そんな状態で動けば、次の瞬間には気密が破綻して窒息死する。自分の命をゴミのように扱いたいのか?」
ガモウの容赦ない指摘に、シムラは冷や汗を拭うことも忘れ、
「っ……修正します!」
と焦燥に駆られながら指先を動かした。自分の震える指先を強引に抑え込み、呼吸を整えて手順を遂行する。最後に胸部へ、生命維持システムを統括する重量のある「胸部環境制御ユニット」を接続した。
内部加温、空気循環、呼吸管理、湿度調整、グローブとブーツの加温、バイザー防曇・防霜、スーツ内圧、生体監視、非常用生命維持系までを統括する心臓部だ。
「生命維持ユニット、起動――」
低い機械音が胸元から響き、暖められた空気がスーツ内部へ循環し始める。しかし、装着が完了した瞬間に息をつく間も与えず、黒崎教官の冷酷な罠が発動した。
「――全スーツ、緊急事態発生。気密低下アラームおよび酸素供給系統の異常をシミュレートする。トラブルシューティングを開始しろ!」
突如、学生たち全員のスーツ内部の警告音がけたたましく鳴り響き、バイザーの数値が急激に低下し始める。突然のエラー発生に、周囲の生徒の間から動揺の悲鳴が漏れた。
「嘘だろ、なんで急に気密が……!」
「パージバルブはどこだ、見えないっ!」
「慌てるな! わずかなエラーにパニックを起こす奴は、現場ですべての物資とともに見殺しにする! 諦めてその場で蹲れッ!」
クロサキ教官の容赦ない怒号が叩きつける中、シムラは厚い防護グローブのまま計器を凝視し、必死にバルブ操作と配線の見直しを行う。冷や汗が額を伝い、酸欠による吐き気が喉まで突き上げるが、ここで手を止めれば脱落の烙印を押される。
「シムラ、そっちは違う、二次バルブを先に切れ!」
隣でスズキが必死に声を張り上げる中、シムラは震える指先で正確にスイッチを叩き、間一髪でエラーの解除に成功した。
トラブルを辛うじて乗り越えた者から、続いて「回転チェアによる平衡感覚破壊状態での計器読解」や、厚いグローブでのミリ単位のねじ回し、生命維持ポンプの交換試験へと移行する。患者への供給を一瞬も途切れさせず、予備系へ切り替えてから主系を交換する高度な手技が求められる中、極度の緊張と感覚遮断により体調を崩しかける者や、酸欠で意識を遠のかせる者が続出した。
「ぐっ……頭が, 回らない……目が……!」
隣でサトウが崩れかけ、誰かが呻き声をあげる。
「その程度の平衡感覚で命を救えると思うな! 動け、止まるなッ!」
クロサキ教官の終わりのない叱責と、ガモウ教官の「おい、45番の心拍数が跳ね上がっているぞ。その調子ではポンプ交換の手が狂うぞ」
という冷徹なデータ監視の目が飛び交う中、奇跡的に一人も脱落者こそ出なかったものの、生徒たちの精神と肉体は極限まで摩耗させられていく。
しかし、訓練の終了間際、クロサキ教官は冷酷に言い放った。
「全員が脱落しなかったご褒美だ。スーツ内部の冷却ファンおよびサーマル制御系にさらなる負荷エラーを追加する。その重みを背負ったまま、次の教場へ移動しろ」
ガモウ教官もタブレットを操作しながら冷ややかに告げる。
「私からも追加だ。サーマル制御の許容量を強制的に15パーセント引き下げる。熱がこもる不快感を味わいながら、自力で歩いてみせろ」
「そんな……嘘だろ……っ! こんな熱じゃ、中にこもって焼かれる……!」
スズキが絶望的な声をあげる中、故意に引き起こされた追加のシステム負荷により、スーツ内は急激な温度上昇と圧迫感に見舞われた。生徒たちは再び息も絶え絶えになりながら過酷な苦悶を強いられた。
やがて終了のチャイムが地下の空間に鳴り響く。息を潜め、重く冷たい白い殻を纏ったまま立ち尽くすシムラたちに向け、黒崎は容赦なく言い放った。
「終業チャイムが鳴った! 次の教場は地上の特設シミュレーター棟だ。このスーツを脱ぐことは許さん。着用したまま、定刻通り遅れず整列しろ! 一秒でも遅れたら、ただでは置かん。走れッ!」
ガモウ教官も冷たく追い討ちをかける。
「私の管理するスーツの稼働ログに遅延が記録された瞬間、連帯責任で追加の負荷テスト刑だ。一歩も遅れるなよ」
その指示に、生徒たちは慌てて通路へと雪崩れ込んだ。
「うわっ、重い……! 足がもつれる……!」
制限された視界と過剰な重量のせいで、通路の曲がり角でスズキが派手にバランスを崩してよろめく。
「落ち着け、慌てて転倒したらその場でスーツの装甲が割れるぞ!」
シムラが低く叫びながら、前のめりに倒れかけたスズキの腕を辛うじて掴んで支え起こした。
周囲でも、重い防護服を引きずるようにして廊下を走る足音がバタバタと乱雑に響き渡る。酸欠と熱のこもったスーツの中で、誰もが息を荒げ、将棋倒しになりそうになりながら必死に地上の特設シミュレーター棟の扉を目指した。
「おい、声が小さいぞ! 気合が入っているのか貴様ら!」
廊下の角から響く黒崎の容赦ない怒号が背中を突き刺す。さらにその後方で、ガモウ教官が時計を確認しながら冷徹に声を飛ばす。
「残り30秒だ。這いずってでも定刻に間に合わせろ」
「は、はいっ……!」
酸欠で掠れ、震えたような小さな声で全員が応じる。
「聞こえん! もう一度言え、その場で這いつくばりたいのか!」
「は、はいっ――!!」
シムラたちは肺の空気を絞り出すように絶叫しながら、熱と重圧に喘ぐ身体を無理やり動かし、制限時間ギリギリの地上シミュレーター棟へと突入していくのだった。




