第1節:最高学年黒スカーフの実感(進級式)
あれから二年。
シムラは二十歳を迎え、地下深くにある無機質なコンクリートの講堂で、第3学年の進級式に臨んでいた。
足元に広がるのは、体育館や講堂によく見られる武骨なフローリングの床だ。その広大なフロアに並ぶパイプ椅子は、かつて入学式で200人もの同期で埋め尽くされていたはずだった。しかし、その光景は今や見る影もない。
思い返せば、この養成学校の過酷さは入学の瞬間から始まっていた。不意を突くシステムエラーに怯え、極限の酸欠や理不尽なペナルティー、そして教官たちの冷酷な心理的尋問の前で悔し涙を流したり、恐怖に呑まれそうになったりしながら、文字通り「必死に食らいついて生き延びるのがやっと」の少年だった――そんな1年時の泥臭い日々から、シムラは幾多の地獄をくぐり抜けてきた。
さらに、1年から2年へと進級する際にも厳格な進級試験と容赦ない選別が待ち受けており、そこで基準に満たなかった者たちは容赦なく切り捨てられた。そして2年次を迎えてからも、より高度化したエラーインジェクション、極限環境下での実習、教官たちの怒号が飛び交う極限のプレッシャーの中で脱落者は後を絶たず、じわじわと人数を削り取られていった。
そうした3年間にわたる無数の脱落と、2年次末の進級試験――完全密閉シミュレーター内での酸欠、通信障害、人工心肺のシステムエラー、仲間の救命処置を同時にこなすマルチタスクの極限実技と筆記をすべて潜り抜けて生き残った者は、今やわずか50人ほどしか残っていなかった。
最初から割り振られたA班からD班までの枠組みこそ変わらないものの、どの列も座席がスカスカになり、広範な「空席」が目立っている。この学校の生存率の低さを、その光景が冷酷に物語っていた。
ステージの右端には、クロサキ、イオウダニ、ガンドウ、キトウなどといった、これまでシムラたちに怒号を浴びせ、容赦ない罰を与えてきた鬼教官陣が並び、ギラリと冷徹な目で進級する学生たちを見張っている。
シムラたちの首元には、もう2年次の「灰色のスカーフ」はない。進級式の直前、全員が自らの手でそれを外し、無防備な首を露わにしていた。
「――起立」
ヤマタ二教頭がステージ上に上がり、冷徹に鋭い目を光らせて号令をかけた。
ガタリ、と。
ステージ下の広場に並ぶパイプ椅子から、生き残った学生たちが一斉に立ち上がり、一糸乱れず礼をした。
その動きは、かつての姿とはまるで変わり果てていた。思い返せば、シムラたちが1年から2年に進級する時も、この進級式が行われた。だが当時は、恐怖や焦りから立ち上がるタイミングや礼の角度がバラバラで、返事の声も小さく、教官たちの激しい怒号と「やり直し」のペナルティーが何度も講堂に響き渡っていた。当時の進級宣誓代表だった第B班のカワノなども、声が小さくて何度もやり直させられるという泥臭い苦難があったのだ。
しかし、今やその面影はない。なぜこれほど一発で完璧に揃うようになったのか――それは、2年間にわたる地獄のようなシステムエラー、夜間の過酷なペナルティー、そして「一瞬の遅れやズレが患者の死=自分の脱落に直結する」という極限の恐怖と訓練を骨の髄まで叩き込まれ、無駄な感情や迷いが削ぎ落とされたからに他ならない。それはあたかも、感情を失った精巧な機械の同期のようだった。
「これより、第3学年の進級式を行う」
ヤマタ二教頭の冷徹な声に続き、全員が一度の号令で完璧に礼をして着席した。
続いてヤマタ二教頭がそのまま司会進行を続け、ステージの演説台へと向かう。ヤマタ二教頭に代わって、今度はマカべ校長が、片手に進級する学生の名簿リストが載ったファイルを持ってステージの演説台へと立った。
ヤマタ二教頭がマカべ校長の立つ演説台の隣に立ち、司会進行を引き継ぎながら「一同、起立」「着席」の号令をかける。学生たちも教官陣も、かつての1年時のように乱れることは一切なく、誰一人として音を立てず、教官たちが怒号を飛ばす隙すら与えずに一発で完璧に同期して起立・着席をこなした。
「これより、第3学年に進級する者の進級授与式――スカーフ授与式を始める」
マカべ校長の低く重い宣言とともに、授与が始まった。
「第3学年に進級する者。第A班、学生番号20番、スガノ・ノリアキ」
ヤマタ二教頭の呼名に合わせ、スガノがこれまで以上に鋭く力強い「はい!」という返事を上げ、緊迫した空気の中を厳格な足取りでステージへと進む。卒業式の卒業証書授与のように壇上に上がり、マカべ校長から手渡しで「黒いスカーフ」を受け取る。規律正しく厳格に、怒号など一切ない静寂の中で真面目に礼をし、ステージを降りて自席へと着席する――その一連の動作が、一人ずつ淀みなく繰り返されていった。
そして――。
「第A班、学生番号42番、シムラ・レン」
「はい!」
呼ばれた瞬間、シムラは一切の迷いなく返をし、厳格な足取りでステージへと歩み出た。
マカべ校長から、いよいよ「黒いスカーフ」を手渡された瞬間、手のひらにずしりとした重みが伝わってくる。
――これが、最高学年の黒スカーフ。
かつて1年次の頃、不意を突くシステムエラーに怯え、極限の酸欠や冷酷な尋問の前で悔し涙を流していた少年は、もうどこにもいなかった。工業高校時代に培った機械や配線への基礎的知見をベースにしつつ、3年間にわたる無数の脱落者たちとの別れや夜間教練の地獄をくぐり抜け、彼の表情や佇まいから無駄な怯えは完全に消え失せていた。どんなパニック状況や偽装アラームが目の前で鳴り響こうとも、工業高校時代から通じるメカニズムの直感と、極限の訓練で研ぎ澄まされた冷徹な判断力によって、氷のように正確なタスクを遂行する「百戦錬磨のベテラン・候補生」へと変貌を遂げていたのだ。泥水をすすり、死の淵をいくつも越えて感情を削ぎ落としたからこそ行き着いたこの漆黒は、他者の生を奪還するための冷徹なプロフェッショナルとしての誇りであり、二度と引き返せない極限の世界へと身を投じた者の揺るぎない覚悟そのものだった。
シムラは厳格に礼をし、黒スカーフをしっかりと握りしめて自席へと戻った。
その後も同じ手順が厳格に繰り返され、最後の第D班、学生番号185番のタキザワ・レイカ(滝沢麗香)がステージに上がり、スカーフを受け取って席に戻り、着席し終えた。
「第3学年に進級する者、以上、総勢50名――!」
マカべ校長の宣言のあと、ヤマタ二教頭が演説台の隣から「一同、起立」と号令をかけると、再び全員が怒号なく一発で綺麗に同じタイミングで立ち上がった。
「――学生全員、スカーフを首元に巻け!」
マカべ校長の号令とともに、50人の手が同時に動き、一斉にタイミングよく黒いスカーフを首元へと巻きつけた。長さも、結び目の大きさも、身だしなみの美しさも、寸分の狂いもなく一度で完璧に揃い、ここでも怒号は一切飛ばない。 思い返せば、シムラたちが2年に進級し、灰色のスカーフを首元に巻く儀式を行った時とはまるで対照的だった。あの時は、焦りから巻き方がモタついたり、長さや結び目の大きさがバラバラだったりして、教官たちの「やり直し!」「甘いッ!」という激しい怒号と罵声が講堂の天井を震わせ、何度も何度もスカーフ巻きの再統制を命じられたものだった。
しかし、今の彼らにそんな乱れはない。無駄な動作は一切削ぎ落とされ、完璧な同調のもとで漆黒のスカーフが首元に収まった。
「一同、着席」
ヤマタ二教頭の合図で、これまた全員がタイミングよく綺麗に席へと着いた。
続いて、ヤマタ二教頭がマカべ校長の話の司会を受け持ち、自らもマイクの前に立って話し始めた。
教頭の口から語られたのは、よくぞここまで生き残れたという冷徹な祝いの言葉と、第3学年としての重い覚悟、そしてこの秋以降に待ち受ける最大の関門についての警告だった。
「お前たちがここまで生き残ったのは、単なる偶然ではない。だが、勘違いするな。ここからが本当の地獄だ。第3学年で待ち受ける『IALRT資格試験』は、生半可な覚悟では絶対に突破できん。一次の筆記、二次のAGB Biohazard Maintenance Suit着用による過酷な実技、そして最終選考……すべてを通過しなければ、これまでの3年間はすべて水泡に帰し、即座に脱落となる。――この過酷な試練のスケジュールと基準に、お前たちはついてこられるかな。いや、這いつくばってでもついてこい。途中で脱落するような甘ったれた奴は、最初から存在しないものとみなす」
ヤマタ二教頭の長々とした冷徹な訓示が終わり、再びヤマタ二教頭の「起立」「着席」の合図で、学生たちは一度で淀みなく動作を終えた。
「――学生宣誓。第3学年進級代表、第A班、学生番号42番、シムラ・レン」
ヤマタ二教頭がステージから呼び上げると、シムラは「はい!」と力強く叫び、起立してステージへと上がり、マカべ校長の前に立った。
シムラが代表に選ばれたのは、3年間を通じて工業高校で培った実技の基礎とトラブルシューティング能力を極限まで昇華させ、システムエラーのリカバリー率、実技の正確性において同期の中で圧倒的な成績を叩き出していたからだった。どんな絶望的環境でも感情を一切表に出さず淡々とタスクを遂行するその姿は、全教官の採点で「最も機械的かつ完璧」と評価されていた。
マカべ校長の前に立ったシムラは、3年間で極限まで鍛え上げられた冷徹かつ鋭い眼光を放ち、一切緊張することなく、厳格で真面目な声で宣誓を始めた。
「宣誓――! 我ら第3学年一同は、過酷な訓練と選抜の試練を乗り越え、最高学年としての確かな自覚を胸に、この場に立つ。世界中の養成学校に掲げられた共通教訓――『地獄の淵に立て。暗闇に怯えよ、されど退くな。己の死を恐れず、光なき暗闇やどん底より、最後の息吹を刻んで他者の生を奪還せよ』。この首元に巻かれた黒スカーフに込められた意味と重みを深く自覚し、我々は一歩も引かない。これまでの3年間で我々は、数多のシステムエラーや極限環境の絶望をくぐり抜け、感情を捨て、生存と救命のための計算機として自己をアップデートしてきた。我々に与えられた使命は、いかなる死地、いかなる過酷な環境にあろうとも、決して諦めず、技術と頭脳の限りを尽くしてすべての生還を成し遂げることにある。これより迎えるIALRTの資格試験、そしてその先にある実戦の荒波に至るまで、一切の迷いを断ち切り、冷徹かつ確実に任務を完遂することをここに誓う――!」
その声は大きく、講堂のコンクリート壁を鋭く震わせた。かつての未熟な少年はもうどこにもおらず、厳格で慎重な、まるで計算し尽くされたプロフェッショナルそのものの宣誓だった。3年間を生き抜いた経験から、宣誓の最中に教官から怒号が飛ぶ余地など微塵も存在しなかった。
下級生や周囲の人間から見れば、かつての怯えた工業高校出身の少年は完全に消え去り、今のシムラは「声をかけたら死ぬ」と噂されるほど近寄りがたい絶対的模範であり、無表情のまま冷徹にタスクをこなす「冷徹な修羅」として圧倒的な恐怖と畏怖の対象となっていた。少しでも緩みを見せれば教官並みの低く重い一言で場の空気を凍りつかせるその姿は、いつの間にか「教官の側に立っている」かのような凄みを放ち、「あそこまで狂わなければ生き残れない」という極北の存在として周囲を圧倒していた。教官たちから見ても、彼はすでにいつ最前線に立っても完璧に任務を遂行する「若き修羅」そのものだった。
「――学生代表、第A班、学生番号42番、シムラ・レン!」
最後に力強く名を名乗ると、シムラは一礼し、厳格な足取りでステージから降りて自席へと着席した。
シムラの着席が終わると同時に、ヤマタ二教頭が再び「一度起立」と号令をかけ、全員が怒号を一切浴びることなく一発で起立・着席を完了させた。
そして、ヤマタ二教頭が閉式の言葉を告げた。
「これをもって、第3学年進級授与式を終える。一同、起立」
教官も学生も再び完璧なタイミングで起立し、ヤマタ二教頭が告げた。
「進級学生、第A班より順に――退場!」
その号令とともに、シムラがいる第A班を先頭にして、まるで精強な軍隊のように規律正しく、一糸乱れぬ美しい行進で、生き残った50人の学生たちは講堂を後にした。
こうして第3学年の幕が上がったが、彼らを待ち受けていたのはさらなる地獄のような日々だった。
3年になると教官たちの怒号こそ1年時より少なくなったものの、その代わりにより高度で容赦のないエラーインジェクションが日常となり、依然として脱落者は後を絶たなかった。極限環境での過酷なマルチタスクや、コンマ一秒を争う生命維持管理のシミュレーションについていけず精神が崩壊する者、わずかな判断ミスや数値の読み違えで基準値を割る者が、静かに姿を消していく。
日々の過酷な訓練授業に加え、シムラたちの頭上には、秋以降に控える国際総合新鋭救命救助部隊(IALRT / アイアラート)の資格試験という、一発勝負の断頭台が重くのしかかっていたのだった。




