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第3節(第6教場 16:25~17:55):第3限目 講義名:「極低温物理学および機材凍結対策論」&「ヒューマンファクターと危機管理心理学」

 16:25、第3限目の開始を告げるチャイムが冷たく鳴り響いた。

 ガンドウ教官やトドロキ教官から受けた容赦ないペナルティーと、直前のコンドウの凄惨な退場劇を目の当たりにした第A班の訓練生たちは、「次は自分が名指しで狙われるかもしれない」「一歩でも間違えば連帯責任で全員が破滅する」という逃れられない恐怖に支配されていた。

教室の空調は故障しているのか、あるいは極低温実習の前段階として意図的に落とされているのか、室内は吐く息が白く白濁するほどの凍てつく寒さに包まれている。

(ここでミスをすれば、今度こそ終わる……!)

 シムラを含めた学生たちは、先ほどまでの圧倒的な疲労と空腹で手足の感覚が麻痺しかけていながらも、ガンドウ教官とトドロキ教官の教訓を身に刻み、必死に極限の緊迫感にしがみついていた。お互いのわずかな挙動さえ見逃さない「相互監視」の空気が漂う中、誰もが自分の太ももを爪で強く引っ掻いて痛みを頼りに眠気を飛ばし、教官のひと声ひと声に全神経を集中させている。

 教壇に立ったのは、「極低温物理学および機材凍結対策論」および「ヒューマンファクターと危機管理心理学」の担当であるアイゼン教官(藍染 玲二郎あいぜん れいじろう)だった。

 教官が冷徹な視線を巡らせるより早く、訓練生たちは恐怖心に突き動かされるように自発的に背筋を伸ばした。

「――起立!」

「「「……っ、礼!!」」」

恐怖心が極限に達していたため、号令と同時に全員の動きが完璧にシンクロし、一発で綺麗に揃った一礼が決まった。アイゼン教官も無言でそれを肯定し、「着席」の合図を下す。

 青ざめた顔で冷え切った席につき、冷や汗を拭う暇もないまま第3限目の授業がスタートした。

壁面の巨大ホログラムディスプレイには、マイナス数十度における超伝導回路の電気抵抗変動、極低温下での配管および電磁弁(ソレノイドバルブ)の金属収縮と微小クラック発生予測に関する「非線形偏微分方程式」、さらに極限状態のストレス下におけるカオス理論的パラメータエラーの数理モデルが青白く映し出された。

極低温物理と人工心肺の流体制御アルゴリズムを刻んだその数式群は、現場のエンジニアや医療従事者が見れば「うっ、ここまでリアルに描くか……」と絶句するほど高度で緻密なものだった。

睡眠不足と飢餓状態で脳が焼き切れている訓練生たちにとって、それは文字通り難解を極める拷問の光景であり、何が何だかさっぱり頭に入らない。それでも生徒たちは「ここで脱落者を出せば全員の罰が増幅する」という恐怖に突き動かされ、必死に食らいつき、過酷な講義についていこうと必死に端末にかじりついていた。

 そんな中、アイゼン教官は鋭い眼光で教室内を舐め回すように見渡した。

――ふと、教壇から見える一角で、激しく肩を揺らす生徒の異変を察知する。直前の1限目でのガンドウ教官の尋問や、2限目のコンドウの脱落劇の際、シムラは極度の恐怖から過呼吸気味になり、周囲の生徒たちの中で最も激しく呼吸の乱れや動揺を露呈していた。教官陣の冷徹なプロファイリングにおいて、「最も精神的耐性が低く、いつ崩壊してもおかしくない脆弱な個体」として、シムラの席の位置と生体センサーの数値がすでにマークされていたのだ。

 アイゼン教官は冷え切った教室の空気を切り裂くように、ゆっくりとシムラのデスクのほうへと歩み寄り、その場で足を止めた。

「――そこだな、45番シムラ、一番怯えているのは」

 アイゼン教官の冷徹な低音に、教室中の視線が一斉にシムラへと突き刺さる。周囲の訓練生たちの目が「またこいつのせいで連帯責任が……」と凍りついた殺気を帯びた。

 アイゼン教官は冷酷な笑みを浮かべ、容赦のない宣告を叩きつけた。

「罰としてシムラに問う、極低温環境下における人工心肺回路の心拍出量低下モデル、その非線形微分方程式の第2項における収束パラメータを答えろ。制限時間は60秒だ。これに答えられなかったら退場命令と連帯責任出すぞ」

 シムラの脳裏が真っ白になる。極度の睡眠不足と認知バイアス、そして「ここで自分が答えられなければ、今夜の過酷なペナルティーと退場処分が教室の全員に襲いかかる」という強烈なプレッシャーが、思考の回路を完全に塞ぐ。指先が微かに震え、ペンを持つ手が凍りついたように動かない。

しかしそんな中でも制限時間内にシムラは一生懸命に計算して辛うじて定義値の近似解を弾き出した。

「……っ、第2項の粘性係数補正値は、マイナス……3.4フォークト……!」

その答えを聞いたアイゼン教官は、わずかに目を細めると、意外だと言わばかりに低い声で告げた。

「……正解だ。よくやった。今回は見逃してやろう」

その言葉に、シムラはドッと全身の力を抜いてデスクに突っ伏しそうになる。しかし、アイゼン教官はすぐさま冷ややかな視線を向けたまま、低い声でさらに言い放った。

「……かろうじてセーフだ。だが、次にその弛んだ反応を見せたら容赦はせん」

 なぜ、シムラはわずか60秒という絶望的な制限時間の中でこの難解な方程式を解くことができたのか。

それは、シムラがかつて高校時代に独学で深くのめり込み、狂気的なまでの情熱を注いで研究・シミュレーションを重ねていた専門分野の領域だったからだ。極限の極低温物理や流体制御モデルの基礎が、恐怖で麻痺しかけた脳の深層に眠る「かつての記憶の引き出し」と奇跡的に直結したのである。恐怖とアドレナリンが限界突破でシナプスを焼き付け、かつて培った知識の本能を呼び覚ましたのだ。

 その場に崩れそうになるのを必死にこらえ、シムラは荒い息を整えた。この3限目では、シムラをはじめとする学生たちの必死の抵抗と相互監視のプレッシャーにより、奇跡的に脱落者は一人も出なかった。しかし、誰もが精神的にすり減り、教室の空気は限界まで張り詰めていた。

 90分にわたる地獄のような講義が終わり、17:55――終了のチャイムが鳴り響く。

恐怖心から今度は一発で綺麗に揃った「起立・礼」を決めると、アイゼン教官は冷徹に告げた。

「いいか、よく聞け。次は地下訓練場B3階、地下ドームでの『荒天・嵐の教場』だ。暴風雨の中での精密作業および機材凍結対応訓練を行う!

地下の準備室で再び防護服スーツに着替えて、定刻の18時05分までに地下ドームへ集まれ! B班からD班も定刻までに整列しろ。1年生は、次からは合同訓練だぞ!

1秒でも遅れたら、次の授業でもスーツと訓練環境をさらに過酷にする罰を与える! わかったか?」

「「「はいっ!!」」」

「声が小さいぞ!!」

「「「はいっ!!!」」」

「よろしい。解散!」

 その瞬間、重苦しい緊張が解けたが、シムラを含めた学生たちに残されていたのは過酷な体力消耗と絶望的な疲労感だけだった。

「早く着替えなければ罰が倍増する……!」

すでに限界を迎えている肉体を引きずりながら、学生たちは凍える廊下を急ぎ、次の戦場である地下の準備室へと走り出すのだった。


挿絵(By みてみん)

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