第九話 相場を知る客 千葉支店 佐伯同行編④
#第九話 相場を知る客 千葉支店編④
午後四時。
本日最後の訪問先。
佐伯の運転する車は古い住宅街へ入っていた。
依頼主は七十代後半の男性。
査定依頼品は古銭と切手。
電話の段階からかなり詳しい印象だったらしい。
到着。
佐伯はいつものようにボイスレコーダーを取り出した。
カチッ。
佐伯隼人:「午後三時五十七分。
田中様宅。査定開始します。」
二人は玄関へ向かった。
田中正雄:待ってたよ。
佐伯隼人:佐伯と申します。本日はよろしくお願いいたします。
本日は新人も同席させて頂きます。
神谷悠真:神谷です。よろしくお願いいたします。
通されたのは書斎だった。
棚には古銭の本。
切手カタログ。
収集雑誌。
整然と並んでいる。
神谷悠真(心の声):なんか雰囲気が違うな……。
田中正雄:五十年以上集めてきたんだ。
神谷悠真:五十年……。
田中正雄:もう足も悪くなってね。
整理しようと思ってる。
テーブルの上にはアルバムやケースが並んでいた。
佐伯隼人:かなり本格的ですね。
田中正雄:それなりにな。
査定が始まった。
最初は古銭。
記念硬貨。
銀貨。
貨幣セット。
そして。
ケースの中央に一枚だけ別格の存在感を放つ金貨があった。
神谷悠真:これって……。
田中正雄:天皇陛下御在位六十年記念 十万円金貨。
有名だろ?
神谷は思わず頷く。
神谷悠真:十万円金貨って凄い高そうですね。
田中正雄:みんなそう思う。
田中は少し笑った。
佐伯隼人:でも額面が十万円なだけだ。
金相場で決まるほど単純でもない。
神谷は驚いた。
佐伯隼人:最近は偽物も多い。
比重検査も通る。エックス線検査も通る。
そんな偽物まで出てきてる。
神谷悠真:そんなのあるんですか?
佐伯が頷く。
佐伯隼人:だから金貨は昔より慎重に見ます。
比重もエックス線も通るような精巧な偽物でも
菊の柄は若干異なる。出張の現場ではここを見る。
田中正雄:若いのによく知ってるな。
佐伯は軽く頭を下げた。
続いて切手。
田中はアルバムを開いた。
田中正雄:これは龍文切手。
明治時代の切手だ。
神谷悠真:そんな昔の物なんですか。
佐伯隼人:欲しい人は多くない。
だが残っている数が圧倒的に少ない。
だから価値がある。
神谷は食い入るように見つめた。
さらに別のページが開かれる。
田中正雄:こっちは中国切手。
鮮やかな赤色の切手だった。
神谷悠真:中国切手って高いんですか?
田中正雄:全部じゃない。
高いのは一部だ。
佐伯が続ける。
佐伯隼人:高いのは文化大革命時代の物ですね。
一九六六年から一九七六年。
政治情勢が不安定な時代だったから発行数が少なくて現存数も少ない。
最近だと、中国の急激な経済成長により、富裕層が歴史的な実物資産を買い集める流行りもある。
だから今でも人気があります。
田中正雄:その通り。よく勉強してるな。
優秀な査定員だ。
神谷は少し驚いた。
前回までの依頼人とは違う。
知識で圧倒するでもなく。
知識で会話している。
神谷悠真(心の声):こういう客もいるのか……。
査定は一時間ほど続いた。
金貨。
切手。
古銭。
そして佐伯は周囲を見回した。
佐伯隼人:田中様。
他にも収集品やアクセサリー類はございますか?
田中正雄:うーん……。
ああ。ネクタイピンなら少しあるな。
引き出しから数本取り出す。
銀色のもの。
金色のもの。
箱入りのものもあった。
神谷悠真(心の声):また追加だ。
佐伯は一本ずつ確認する。
裏側。
刻印。
重量感。
数分後。
佐伯隼人:申し訳ありません。
こちらは全てメッキですね。お値段が付かないです。
お返しします。
田中正雄:そうか…。昔金持ちの友人からもらった物だからな。
てっきり高いものかと思ってた。
佐伯隼人:お気持ちは分かります。
ただ貴金属としてのお値段は難しいですね。
田中は頷いた。
神谷悠真(心の声):今回は保留せず返すんだ…。
佐伯は計算用紙へ視線を戻す。
そして金額をまとめた。
佐伯隼人:田中様。
こちらで○○万円になります。
田中は腕を組んだ。
田中正雄:うーん……。
すぐには返事をしない。
アルバムへ目を落とす。
田中正雄:正直な。
思ってたよりは出てる。
神谷悠真(心の声):あれ?なんか雲行き怪しいな……。
田中正雄:でもなぁ……。
五十年集めてきた物だからな。
佐伯隼人:そうですよね。
田中正雄:売るつもりで呼んだんだが、いざとなると悩むな。
神谷悠真(心の声):引っかかっているのは、値段じゃないんだ…。ここからどうやって買い取るんだろう。
そこからだった。
佐伯は金額の話をしなかった。
なぜ集め始めたのか。
どの切手がお気に入りだったのか。
どの金貨を手に入れるのに苦労したのか。
ただ話を聞いた。
そして。
佐伯隼人:田中様。
失礼ですが、整理しようと思った理由は何ですか?
田中は少し黙った。
田中正雄:子供たちは興味ない。孫も同じだ。
俺が死んだらたぶん売るだろうな。
佐伯は静かに頷く。
佐伯隼人:そうかもしれませんね。
田中正雄:寂しい話だけどな。
佐伯隼人:でしたら、ご自身で使われても良いんじゃないですか?
田中正雄:使う?
佐伯隼人:温泉でも。旅行でも。美味しい物でも。
田中は黙って聞いている。
佐伯隼人:五十年かけて集めた物です。
最後くらい。ご自身のために使っても罰は当たりませんよ。
しばらく沈黙が続いた。
やがて田中は小さく笑った。
田中正雄:確かにな。
孫に残してもゲーム代になるだけかもしれん。
神谷は言葉を飲み込んだ。
冗談のように聞こえた。
だが田中は本気でそう思っているのだろう。
五十年集めた物の行き先。
それを考えた末の言葉だった。
田中正雄:分かった。売ろう。
成約だった。
契約書を記入する。
そして車へ戻る。
佐伯はボイスレコーダーを取り出した。
佐伯隼人:「午後五時二十八分。
田中様宅。査定終了。」
カチッ。
録音停止。
車が走り出した。
神谷悠真:さっきまでと違って、すごい詳しいお客様でしたね。
あんなにお金払って良かったんですか?
佐伯は少し笑った。
佐伯隼人:ああいうコレクターのお客様は、自分の物しか出てこないと結構厳しい。
神谷悠真:どういうことです?
佐伯隼人:本人が相場を知ってるからな。
もちろん誤った相場感や知ったかぶり、ふっかけの場合もあるが
大体は利益が薄くなる。
神谷悠真:なるほど。
佐伯隼人:逆に楽なのは奥様のアクセサリーとか、遺品とか。
遺品でもらったけど使ってない時計とか。
そういうその人の守備範囲外の品物。
神谷悠真:今日は聞かなかったですね。
佐伯隼人:奥様が不在だったからな。
神谷は首を傾げた。
佐伯隼人:本人がいないのに深掘りすると警戒される。
今日は無理に取る日じゃない。
神谷悠真:じゃあ最初から狙ってなかったんですか?
佐伯隼人:もちろん、行く前から頭にはあったさ。
少しだけ笑う。
佐伯隼人:でもあのお客様の場合は、信頼を取る方が優先だ。
信頼している相手にはとことん心を開くタイプだっただろう?
成約後、あんなことやこんなことまで。
神谷悠真:確かに人が変わったように饒舌になりましたよね。
信頼……。
佐伯隼人:また呼ばれる可能性が残る。
営業電話をするときも、好印象のままだからしっかりお話ができる。
それだけで十分価値がある。
神谷は窓の外を見る。
ライカ。
帯留め。
そして今日の古銭と切手。
利益だけではない。
だが利益も必要だ。
その境界線を。
神谷はまだ見つけられずにいた。
夕暮れの道路を。
車は静かに走っていた。




