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値札の向こう側 ―新人古物買取査定員 神谷悠真の記録―  作者: 神谷 悠真


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第二十話 人を見た先に 千葉支店編⑮

# 第二十話 人を見た先に 千葉支店編⑮


六月二十日 午後一時。

神谷は二件目の依頼先へ向かっていた。


遺品整理案件。

午前中の案件を終えたばかりだった。


粗利は二十万円。

決して大きな数字ではない。

だが、不思議と気分は悪くなかった。


車を停める。

ボイレコの録音を開始し、インターホンを押す。


玄関を開けたのは七十代前半くらいの男性だった。


田村正雄:はーい。


神谷悠真:本日担当させて頂きます神谷です。

     よろしくお願いします。

田村正雄:どうぞ。


家へ上がる。

リビングへ案内される。


机の上には査定希望品が並んでいた。


着物数点、バッグ、アクセサリー。


神谷は席へ座る。

そして一目見て大体察した。


神谷悠真(心の声):着物は量産品か。バッグもノーブランド…アクセもメッキっぽいな。


おそらく買取できる粗利品はない。

以前の神谷ならそう判断した時点で査定を始めて、あれないかこれないかを聞いていた。


だが今日は違った。


神谷悠真:奥様のお品物ですか?


田村は少し驚いた顔をした。


田村正雄:そうだよ。全部妻の物だ。

     亡くなって三年になる。


静かな口調だった。

少しだけ間が空く。


神谷悠真:そうだったんですね。


田村は少し笑った。


田村正雄:三年経ったのに整理できてないんだから困ったもんだ。


そう言いながらも。

どこか嬉しそうだった。


神谷悠真:仲良かったんですね。


田村は少しだけ笑う。


田村正雄:五十年一緒にいたからな。

     喧嘩もしたし…腹立つこともあった。

     でも、いなくなると静かすぎる。


神谷は何も言わない。

ただ聞いていた。


奥様との出会い。

結婚した頃の話。

子供が生まれた時の話。

仕事で忙しかった頃の話。


定年後の話。

病気の話。

介護の話。


神谷はほとんど相槌しか打たなかった。


田村正雄:今思えばもっと旅行連れてってやれば良かったな。

神谷悠真:旅行はお好きだったんですか?


田村正雄:好きだったなぁ。

     京都とかよく行ったよ。


話は次から次へと続いた。

神谷はふと時計を見る。


午後二時十分。


神谷悠真(心の声):あれ…いつの間にこんな時間に…。


査定は全然進んでない。

だが不思議と焦りは無かった。


以前なら「時間の無駄だ」と思っていたかもしれない。

だが今は違う。


神谷悠真(心の声):これが佐伯さんの言ってたことなのかな。


その時だった。


田村正雄:そういえば妻は花ばっかりやってたな。


神谷が顔を上げる。


神谷悠真:花ですか?

田村正雄:華道を四十年近くやってた。


神谷は頷く。


田村正雄:家中花だらけだったよ。

     俺は全然興味無かったけどな。


何気なく部屋を見回す。


床の間。

棚。

ガラスケース。

木箱。


神谷の視線が止まる。


神谷悠真(心の声):ん?あれは…。


今まで気付かなかった。

部屋の隅。

花器が並んでいる。


さらに…木箱、茶碗、掛軸。


神谷は少し身を乗り出した。


神谷悠真:失礼ですが。

     あちらも奥様のお品物ですか?


田村が振り返る。


田村正雄:ああ。

     全部そうだよ。


神谷悠真:見せて頂いても大丈夫ですか?


田村正雄:もちろん。

     どうせ俺には価値なんて分からんしな。


神谷は慎重に木箱を手に取る。


箱書き。

作家銘。


神谷悠真(心の声):あれ…もしかしてこれって…。


嫌な予感ではない。

良い予感だった。


問い合わせを入れる。


写真を送る。

数分後。

返答が返ってくる。


花器。

先付二十五万円。


茶碗。

先付八万円。


その他数点。

合わせて十数万円。


神谷は思わず息を吐いた。


神谷悠真(心の声):話聞いてなかったら完全に帰ってたな……。


もし最初の机の上だけ見ていたら。

この品物には辿り着かなかった。


神谷悠真:田村様。

田村正雄:ん?


神谷は花器を見せる。


神谷悠真:こちら、かなりお値段付きそうです。


田村の目が丸くなる。


田村正雄:え、これが?


神谷悠真:はい!作家物です。

     華道具や茶道具は確かに今はあまり需要が多くないですが

     作者によって価値はかなり大きく変わるんです。


田村はしばらく花器を見つめていた。


田村正雄:そうか……。


小さく笑う。


田村正雄:妻が大事にしてた理由、今更分かった気がするな。


神谷は何も言わない。


田村正雄:捨てなくて良かった。


静かな声だった。


田村正雄:必要としてくれる人の所へ行くなら。

     それもいいかもしれないな。


神谷はゆっくり頷いた。

査定はその後も続いた。


契約成立。

粗利二十万円超え。


決して派手な数字ではない。

それでも、田村の表情は明るかった。


帰り際、玄関。


田村正雄:神谷さん。

神谷悠真:はい。


田村は少し照れくさそうに笑った。


田村正雄:ありがとう。


神谷は首を傾げる。


田村正雄:最初はな。

     こういう出張買取って、ただアクセサリーとかだけ持っていく人だと思ってた。


少し笑う。


田村正雄:でも違った。

     妻の話も聞いてくれた。

     ちゃんと見てくれた。

     そして、しっかり価値を見出してくれた。


深く頭を下げた。


田村正雄:ありがとう。


神谷は思わず背筋を伸ばした。


神谷悠真:こちらこそ。

     ありがとうございました。


車へ戻る。

ボイレコを切って、エンジンをかける。


そして気付く。

いつもなら。


粗利はいくらだった。

先付はいくらだった。


そればかり考えていた。


だが今、頭に残っているのは数字ではない。


「ありがとう」


その言葉だった。


神谷悠真(心の声):物を見る前に人を見る。


九条社長が入社初日に言った言葉。

鷹野さんが教えてくれた言葉。


佐伯さんが何度も伝えてきた言葉。


その意味が、ようやく少しだけ分かった気がした。


六月の曇り空。


だが神谷の視界は

少しずつ晴れ始めていた。

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