第二十一話 初めての千万円 千葉支店編⑯
# 第二十一話 初めての千万円 千葉支店編⑯
六月二十七日 午前八時四十分。
千葉支店。
神谷はいつものようにホワイトボードの前で足を止めた。
六月粗利実績
中村拓海 3,620万円
佐伯隼人 3,080万円
神谷悠真 1,040万円
神谷悠真(心の声):一千万円……。
思わず二度見した。
間違いない。
自分の名前の横には、一千万円を超える数字が並んでいた。
入社して約二ヶ月。
ずっと目標にしていた数字だった。
神谷悠真(心の声):やった……。
自然と口元が緩む。
その時だった。
中村拓海:おー!ついにいったな。
神谷悠真:おはようございます。
中村拓海:初千万円おめでとう。
新人なら十分すごいよ。
神谷悠真:ありがとうございます。
中村拓海:どうだ?
世界変わったか?
神谷悠真:いや……。
あんまり変わらないですね。
中村は笑った。
中村拓海:だろ?一千万超えても明日も仕事だからな。
神谷も少し笑う。
そして視線は自然と上へ向く。
中村拓海 3,620万円
佐伯隼人 3,080万円
神谷悠真(心の声):全然追いついてないな。
少し前なら…一千万円という数字だけ見て喜んでいたと思う。
だが今は違った。
数字だけではない。
その数字の積み上げ方。
信用。
紹介。
再訪。
人との関係。
少しだけ見えるものが増えていた。
神谷悠真(心の声):それでも遠いな。
三千万円。
改めて見ると異常な数字だった。
その時、佐伯が出社してくる。
佐伯隼人:おはよう。
神谷悠真:おはようございます。
佐伯隼人:見たか。
神谷悠真:はい。一応達成しました。
佐伯隼人:一応じゃない。
達成は達成だ。
神谷は少しだけ嬉しくなった。
佐伯隼人:だが油断するなよ。
神谷悠真:はい。
佐伯隼人:一千万円は通過点だ。
神谷悠真:……はい。
中村が笑う。
中村拓海:佐伯さんらしいなー。
褒めてるのか厳しいのか分かんねぇ。
佐伯隼人:両方だ。
事務所に少し笑いが起きた。
―――
午前十一時。
神谷は一件の再訪案件へ向かっていた。
依頼主は山口美智子。
先日、時計を保留にした女性だった。
ボイレコの録音を開始し、インターホンを押す。
玄関が開く。
山口美智子:あら神谷さん。
神谷悠真:こんにちは。
山口美智子:待ってたわ。
家へ上がる。
リビングには以前見た時計が置かれていた。
山口美智子:娘と相談したの。
神谷悠真:はい。
山口美智子:やっぱり手放そうと思う。
神谷は黙って聞く。
山口美智子:でもね。
前回神谷さんが止めてくれたから。
ちゃんと考える時間ができたの。
少し笑う。
山口美智子:だから後悔はないわ。
神谷は少しだけ胸が熱くなる。
山口美智子:売るなら神谷さんにお願いしようって決めてたの。
神谷悠真:ありがとうございます。
査定はスムーズに終わった。
契約成立。
粗利は三十万円ほど。
大きな数字ではない。
だが帰り道。
神谷の気持ちは妙に軽かった。
神谷悠真(心の声):また呼んでもらえたな。
以前なら…「粗利三十万円」その数字しか見ていなかったと思う。
だが今は違う。
少しだけ。
本当に少しだけ。
佐伯や中村の見ている景色が分かり始めていた。
―――
午後七時 千葉支店。
帰社した神谷は資料をまとめていた。
その時、事務員が一枚の紙を配り始める。
事務員:来週の予定表です。
神谷悠真:ありがとうございます。
何気なく目を通す。
そして首を傾げた。
神谷悠真:あれ?
事務員:気付きました?
神谷悠真:案件少なくないですか?
六月と比べて明らかに少ない。
神谷は思わず予定表を見直した。
事務員:七月は毎年こんな感じです。
神谷悠真:そうなんですか?
中村が後ろから覗き込む。
中村拓海:来たなー。
神谷悠真:何がです?
中村拓海:アポ枯れ。
神谷悠真:アポ枯れ?
佐伯も資料を見ながら頷く。
佐伯隼人:毎年ある。
神谷悠真:そんなに減るんですか?
中村拓海:減る。かなり減る。
神谷悠真:えぇ……。
中村はニヤニヤしていた。
嫌な予感しかしない。
神谷悠真:なんですかその顔。
中村拓海:いやー。新人はみんな同じリアクションだなーと思って。
中村は笑う。
そして言った。
中村拓海:始まるぞ。
神谷悠真:何がです?
中村拓海:人形祭り。
神谷悠真:え?人形祭り…?
中村拓海:日本人形。
雛人形。
五月人形。
こけし。
木彫りの熊。
こういったアポを不足部分に割り当てられるんだよね~。
神谷悠真:いや売れないものじゃないですか!
中村拓海:そう。売れないものなんだよねー。
神谷悠真:なんでそんなアポ取るんですか。
中村拓海:行かなきゃ始まらないからだよ。
佐伯が静かに補足する。
佐伯隼人:人形を見る仕事じゃない。
人を見る仕事だ。
神谷は一瞬固まった。
どこかで聞いた言葉だった。
中村拓海:まあ安心しろー。
全員通る道だ!
神谷悠真:全然安心できないんですけど…
事務所に笑いが起きる。
七月。
神谷にとって次の試練が。
すぐそこまで来ていた。




