表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
値札の向こう側 ―新人古物買取査定員 神谷悠真の記録―  作者: 神谷 悠真


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/21

第十六話 雨の前 千葉支店編⑪

# 第十六話 雨の前 千葉支店編⑪


六月五日 朝。


空は厚い雲に覆われていた。

梅雨入り前の重たい空気。

今にも雨が降り出しそうだった。


神谷悠真は支店の駐車場で空を見上げる。

昨日の出来事が頭から離れない。


クーリングオフ…紹介案件。

佐伯の信用。

ホワイトボードから消えた一千万円。


どれだけ考えても答えは出なかった。


朝礼後、佐伯が立ち上がる。


佐伯隼人:神谷。

神谷悠真:はい。


佐伯隼人:行くぞ。

神谷悠真:どこへですか?


佐伯隼人:井上様宅だ。


神谷の胃が重くなる。

車内、しばらく沈黙が続いた。


神谷悠真:佐伯さん。

佐伯隼人:なんだ。


神谷悠真:やっぱり安すぎたんですかね……。


佐伯は前を見たまま答えた。


佐伯隼人:まだ分かってないな。


それ以上は何も言わなかった。


午前十時 井上家。


インターホンを押す。

玄関が開く。


井上和代:わざわざすいませんね…お越しくださってありがとうございます。

     どうぞこちらへ。

佐伯隼人:ありがとうございます。

     失礼致します。


昨日とは違う。

少し申し訳なさそうな表情だった。


井上和代:ごめんなさいね。


神谷は胸が痛む。


神谷悠真:いえ……。


リビングへ案内される。

そこには井上健二もいた。


井上健二:昨日はすみません。

     電話、少し感情的になってしまって。


昨日の勢いは無かった。

冷静だった。


神谷悠真:いえ……。


テーブルには契約書が置かれる。

そして、佐伯が口を開いた。


佐伯隼人:健二さん。

井上健二:はい。


佐伯隼人:まずはこの度はこちらの不手際申し訳ございませんでした。

     一点確認ですが…今回一番気になったのは金額ですか?


健二は少し考える。

スマホを取り出した。


井上健二:ロレックスも調べました。

     ホビーも少し。


画面を見せる。


フリマサイト。

オークションサイト。


表示される金額はバラバラだった。


神谷悠真(心の声):全然ちゃんと調べられてないな……


型番も違う。

状態も違う。

比較対象にもなっていない。


井上健二:正直、調べ方も分からず本当の相場は分かりません。

     母にも、プロが言う値段だから間違いはないはずよと言われ

     確かに買取金額と販売金額は違うし、品物が同じもの、同じ状態かは分からないなと。


佐伯は静かに頷いた。


佐伯隼人:そうですよね。


そして続けた。


佐伯隼人:今回の件、本来は息子様のお品物は案内のみで

     確認を取るまで買取は保留するべきでした。


健二も和代も黙って聞いている。


佐伯隼人:その上で、旦那様の品物の中で

     相場変動が大きい物。

     早めに売った方が良い物。

     まずはそういったお品物だけご提案させて頂き

     残りは同様に息子様にご確認の流れが本来の進め方でした。


少し頭を下げる。


佐伯隼人:私の指導不足です。

     申し訳ございませんでした。


神谷は顔を上げた。

まさか佐伯が頭を下げるとは思っていなかった。


井上健二:いや……。

     そこまで言って頂かなくても。


佐伯は続ける。


佐伯隼人:ですので今回は。お電話で頂いた通り

     全てクーリングオフ処理し、全品ご返却致します。


神谷は思わず顔を上げる。


井上健二:そのほうが助かります。


少し間。


佐伯隼人:お電話を頂いた後、私でも品物を確認したのですが、

     ……正直に申し上げると、このままお持ち頂いた方が

     高く売れる可能性があるお品物もございます。


神谷の目が開く。


ホビー…ロレックス…小判。


神谷なら絶対に言わなかった言葉だった。

値段を上げるから引き続き買わせてくれと懇願したことだろう。

だが、佐伯は違った。

売ったことに対してのデメリット、こちら側の非をしっかり伝えた。


佐伯隼人:改めて、息子様へ聞いた方が良いかもという奥様のご意向

     蔑ろにしてしまい申し訳ございませんでした。


健二が少しだけ表情を緩める。


井上健二:……。

佐伯隼人:ですので一度、お母様とゆっくりお話してください。


佐伯隼人:残すのか、売るのか。

     それを決めてからで構いません。

沈黙。


佐伯隼人:もちろん。弊社に売る必要もありません。

     先ほどお伝えした通り、早いほうが良いお品物、残しておいた方が良いお品物など

     改めて私のほうからご説明させて頂きます。

     それを踏まえた上で、お二人でご相談頂ければと思います。     


健二が驚いた顔をした。


井上健二:いいんですか?

佐伯隼人:はい。もちろんです。


名刺を差し出す。


佐伯隼人:その上で、もしまた弊社にご依頼頂けるのであれば

     私のほうで再度一点一点しっかり査定しお買取りさせて頂きます。


しばらく沈黙が続いた。

そして。


井上健二:分かりました。

     ご丁寧にありがとうございます。


少しだけ笑った。

昨日の警戒心は消えていた。


帰りの車。

神谷はずっと考えていた。


神谷悠真:佐伯さん。

佐伯隼人:なんだ。


神谷悠真:あれで良かったんですか。

佐伯隼人:何がだ。


神谷悠真:説得して再度買い取らなくて…粗利、全部飛びました。


粗利一千万円。

頭に浮かぶ。


佐伯は少し笑った。


佐伯隼人:そうだな。

神谷悠真:あれだけ利益があったのに。


佐伯は前を見たまま答える。


佐伯隼人:紹介案件だからな。


少し間。


佐伯隼人:目先の利益より。

     次も呼ばれる方が大事だ。

     前にも言っただろ?一度目より、二度目。


神谷は黙る。


神谷悠真:でも……中村さんなら買ってた気がします。


佐伯は少し笑った。


佐伯隼人:中村か。

神谷悠真:はい。中村さんなら、ああいう案件でも僕より上手くまとめてたような気がして。


少し沈黙。


佐伯隼人:あいつは買わないよ。

神谷悠真:え?


佐伯隼人:むしろ俺より慎重だ。


神谷は思わず顔を上げる。


神谷悠真:そんな風には見えませんけど。

佐伯隼人:だろうな。


少し笑う。


佐伯隼人:あいつは相手の懐に入るのが上手い。

     だからそう見えるだけだ。

     お前は表面しか見てない。


神谷は黙る。


佐伯隼人:中村はな、相手が何を大事にしてるか聞く。

     誰の物か確認する。

     家族の話も聞く。

     売る理由も聞く。

     信用を作る為の判断材料部分は、ちゃんとやってるんだよ。


神谷悠真:……。


佐伯隼人:その上で、あいつは応用が利く。

     相手に合わせて話し方を変えれる。

     空気も読める。

     引くところも押すところの見極め方もちゃんと分かってる。

     だから人一倍数字が出るし、クーリングオフも一度もない。

     もちろん数字がどれだけ上がっても慢心しない。


神谷は黙った。


佐伯隼人:信用だけなら俺でも作れる。

     数字だけなら出せる奴もいる。


窓の外を見る。

空はさらに暗くなっていた。


佐伯隼人:両方できるから、あいつは千葉支店のナンバーワンなんだ。


神谷悠真:……。


佐伯隼人:だから皆認めてる。


神谷は窓の外を見る。

今まで見ていたのは数字だった。


月間五千万円。

圧倒的な粗利。

誰も追いつけない結果。


だが…その数字の土台にあるものを

自分は何も見ていなかったのかもしれない。


神谷悠真(心の声):俺はずっと……。


中村さんの結果だけ見てたのかもしれない。


フロントガラスに小さな雨粒が落ちる。

ポツ。

また一粒。

ポツ。


やがて雨は静かに降り始めた。


朝から空を覆っていた雲が、

ようやく崩れた。


神谷は流れていく雨粒を眺める。


昨日まで当たり前だった価値観が、

少しずつ揺らぎ始めていた。


六月の雨は、まだしばらく続きそうだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ