第三話 あの日の記憶
空は、いつの間にか夜の色に近づいていた。
夕焼けは溶け、群青色がゆっくりと広がっていく。
人のざわめきが、少しずつ大きくなる。
無事焼きそばを買った私たちは、花火を見る場所を探すが、どこも人がいっぱいだった。
「まあ、仕方ないか。去年と同じところにしよ。」
心臓がドクンと鳴る。
できれば違う場所で見たかった。
だけど、どこを見ても人だかりで他の場所なんて無かった。
運命が絶対に去年と同じ場所に行かせようとしている。
そんな捻くれた考えが浮かび、そんなわけないと振り払う。
「……うん、そうだね。」
結局他の案は思いつかず、肯定するしかなかった。
「まもなく花火大会を開始します——」
遠くの方から聞こえるスピーカー越しの声が、夜空に響いた。
あぁ、始まってしまった。
このまま、終わらなければいいのに。
「まだ始まったばかりだろ?」
「え、あれ……声に出てた?」
「顔に出てた。それに、去年も同じようなこと言ってたから。」
「そう…だっけ?まあ去年のことはいいじゃん。」
まただ。喉がひどく渇く。
何か言わなきゃ。
話を逸らさなくちゃ。
笑わなきゃ。
去年の話題は避けなくては。
蓮が気づく前に。
「あ、思い出した。」
駄目。思い出さないで。
胸の奥が、嫌な音を立てる。
「俺とすいの志望校が違うっていう話で揉めたんだよな。」
私が、これから蓮と会えなくなるし花火大会も一緒に行けなくなるって泣き出したのだ。
「もう!そんなこと思い出さないでよ。恥ずかしい。あの時は受験でぴりぴりしてたの!もうこの話おしまいっ!」
お願い。話題を変えて。
「……っ、はは、すい…泣きすぎだろ。靴擦れじゃなかった……結構真面目な話だったわ……」
蓮は堪えきれないみたいに笑いながら話す。
「……ん?でもその後にも泣いてたような……」
それ以上、先には触れないで。
蓮の「その後」という言葉が、頭の中で何度も反響する。
——思い出したら、終わってしまう。
今年も。
この時間も。
きっと、全部。
花火はまだ上がっているはずなのに私の耳には入らなかった。
「私の話聞いてる?もうこの話はやめてよ。」
「……なんで逸らすの?」
どうして。いつもだったら触れてこないのに。
なんで今に限って。
「それは、恥ずかしいからに決まってるじゃん。」
「本当に……それだけ?」
なんでこんなこと言うの。
いつもの蓮だったらそんなこと言わない。
本当の蓮だったらそんなこと言わない。
「何が、言いたいの?」
聞きたくもないのに、自然と口から出ていた。
「去年の話、避けてる。何で?」
「そんなことないよ。」
「あるだろ。すいは全部知ってる。知ってて何かを隠してる。」
「本当にそんなんじゃ……」
「すいと何年一緒にいると思ってんの?」
蓮は真っ直ぐにこちらを見ている。
私は咄嗟に目を逸らした。
目を見たら蓮には全て見透かされるような気がした。
沈黙が流れる。
何か話そうと口を開くけれど、声は出なかった。
「何で教えてくれないんだ?」
もう戻れない。
多分、蓮は思い出してきている。
もう止められない。
でも私は、やっぱり言えない。諦められない。
「……思い出せないなら、無理に思い出そうとする必要ないんじゃないかな?ほら、花火もう終わっちゃうよ?とりあえず今は花火見よっ。」
私が言った瞬間、蓮の目が見開く。
「それ、俺が去年すいに言った言葉だ……」
蓮は独り言のように呟いた。
あ、間違えた。
心臓が、ひどく音を立てた。
蓮が気づいてしまった。
指先の感覚が、すっと遠のいていく。
喉の奥がひどく詰まって、
何も言葉が出てこない。
目の前が、少しだけ滲んだ。
——終わる。
この時間が。
蓮と並んで歩ける、この時間が。
「すいが泣いてるから、話を変えようと思ったんだ。花火見よって。」
「ち、違う。私は、別に……そんなつもりじゃ……」
「……花火が終わっても、何も話さないまま帰った。」
やめて。
「帰り道、すいが後ろで立ち止まってたのに、
気づかなくて。」
お願い。
「靴擦れしたって言われて、やっと振り返った。」
これ以上、思い出さないで。
蓮はもう全て思い出している。
でも私は、願わずにはいられなかった。
「……振り向いたら、すいが、何か言いたそうにこっち見てて。」
蓮は、記憶の断片を繋ぎ合わせるようにぽつりぽつりと呟く。
「俺に、何か言ったんだ。」
「それから——」
「……車が、来て。」
「やめてよっ!」
私は覆い被せるように叫んだ。
「俺は、死んだ。」
その瞬間、さっきまで遠かったはずの音が、一気に現実に引き戻されるみたいに耳に流れ込んできた。
——ドン。
花火の音が、今度はやけに鮮明に聞こえた。
胸が、ひどく苦しい。
うまく、息が吸えない。
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
吸っても、吸っても、空気が肺に届かない。
思い出してしまった。
蓮が。全部。




