拾伍話 生きる辛苦から逃げたい
ぞわりとした悪寒が走る。
あまりに衝撃的すぎてパルに告げられた事が理解できなかったエインだが、「最後の目撃者は!?」と、無意識が自然に言葉を口にした。
「エインさんですッ!他は誰もっ――」
ぼやけた脳裏に、玄関を出ていくか細い背中が映し出される。
「過去に前例はあったか!?」
「ありません!こんな事、初めてでっ!?」
「コルトはまだか。じゃあ、アルフレッドは何と?」
慌てた様子から次第に冷静を取り戻すエインは、深く椅子に腰かけた。
「宿木内を徹底的に捜索しろとだけ――気になるところが、リナちゃんの天魔護風陣の反応がないんです。だから位置情報が掴めず……」
「わかった。パルは下層を全部調べてくれ。あと備えとして、神楽の一式を持ってきて」
「え……あ……はい。エインさんは?」
「僕は夜明かしの準備さ」
その意味を理解したパルは頷き、すぐさまリナの家を飛び出した。
しんと静まり返った静寂、エインは神妙な面持ちで階下へ戻り、目的の方を見る。
「…………」
確かめていない場所があった。
必ずや情報を秘めながら、罪悪感で打ちのめされる部屋。
彼の胸に抵抗や遠慮も勿論あるが、四の五の言っていられない。
エインは、リナの自室の前にいた。
「万が一があるから……何か掴めるかもしれないから……後で謝るから――」
頑なに冷たく閉ざされた部屋の扉を開けると、凍てつく空気が中から吹き込み、内部を見た瞬間、固まった。
「…………はっ?」
――何にもなかった。
必要最低限の生活必需品と道具があるだけ。個人的な趣味の類いも家族との思い出の品も、個性を感じられる物はなにひとつなかった。点在する道具の色彩を白に統一され、彩度は最低を下回る。
窓のない四方を囲む白い壁は、独房のそれだった。
絶句するエインは、ただ息をのんだ。
真っ白い部屋の空間に、どす黒い真っ暗闇で満たされている事を思い知らされた。
彼女は何を思い、ここで何を考えて生きていたのだろうか?
無情ともいえる心の内を投影した有様に、エインは身震いを止められなかった。
「……なにもない、君は………………なにもっ――」
無垢な祈りのカタチを隠れ蓑にした彼女の本性の片鱗に、衝撃が鳴りやまなかった。
リナの人生は完全に途切れている。過去から現在へ繋がらず、人としての心は、すべて、遠い過去に置き去りにされて断絶している。
怒り、悲しみ、憐憫、そのどれともつかない感情が湧き起こり、思わず拳に力が入った。
怒涛の勢いで部屋を飛び出して、ひたすらに明るく駆け抜ける彼女は、偽。
リナは自分の色が無かった。無色透明ですら無い、彼女の意志はどこにもない、欠片さえ残っていない。
それを押し黙り続けたことに、頼られなかった自分自身に――とぐろをまいて暴れる感情を抑えながら、彼は異様な部屋で思考を回す。
なぜ、リナが行方不明になったのか?
自殺?――ありえない。リナの性格からして神楽の巫女姫をやらずには終えられないはずだ。
他殺?これは有り得るが、その場合はもう終わりだ。捜索が遺体回収へと変わるだけ。誰がやったか?呪鬼、謎の黒い球、二体目の傀儡?どんな目的が?神楽の妨害、呪鬼の強化パーツ?代償の肩代わり?なんにせよ情報が足らず、行方不明者捜索の手がかりになりそうにはなかった。
拉致?無くはないが、信じられない。他殺と同様の状況だが、問題はどこへ?それが分からないから困っているのだ。
事故?――僅かにありえる。天魔護風陣がある限り存命は確実だ。これなら別に問題ない。
残業?これは無理だ。天魔護風陣がなぜ、どうやって破壊された?天魔護風陣の不具合?コルト製だから不具合もないはず。その場合は、きっと自ら破壊した。プラズ魔砲を使えるリナならば一撃で可能だ。
家出?これが一番自然かつ最善な答えだ。神楽で死ぬつもりなら、世界樹の森の見納めのため、なんてことなら苦労はないが、天魔護風陣が壊れている時点でありえない。もう会いたくないとか、彼女の闇に関係する事なのだろう。
「エイン!」
切迫した焦燥感、この状況への憤懣たる思いの嵐の中、家の外からテトの声が耳に届いた。
思考を中断して、エインは屋上へと上がる。
「ムトーから厳命が下された。お前も緊急会議に参加せよだと」
「あの老い耄れからだと?」
「聖賢竜不在時には、代わりにムトーが厳命を下せる立場になる。みな招集を受けて社にあがっている。アルフレッドも渋々ながら苦々しく了承した。行くぞ、乗れ!」
「……いや駄目だ。拒否する」
少し黙ったエインは、首を横に振った。
「え?……だが、それだとエインが……」
テトは困惑し、声色が弱まる。
「無駄話に使う暇はない。喋る時間も惜しい」
「なので遠隔で参加させていただきますね~」
突然彼の背後からパルが予期していたかのように、エインの天魔護風陣を展開させて、指先でくるくると特定の仕草をした。
「おっ?おかえり」
「一式ご用意しましたので、どうぞ~。そして――」
エインが見ている二人の様子が、見る見るうちに薄れていく。
「これが緊急回線です~。魔法同士の通話は逆探知されるかもしれないので~、普段は禁止されているのですけど~緊急時なので~」
自身を護る球体に、会議室の映像と音声が映し出された。
「そうだった。天魔護風陣には意思疎通の伝話があったな。これでこちらの音も姿も向こうへ届く。厳命は破ってないな」
緊急会議――映し出された族長アルフレッドと、意見番のムト―が真正面から対立していた。
危機的状況かつ聖賢竜コルトネリウスが不在のとき、厳命を下す権利がムトーへと移る。そのため、相克する彼らだけだと最終意思決定を行うことが困難になる。そこで巫女姫の厳命で決着をつけるのがカラフルの指揮系統だったのだが……ここへきて脆弱性が露呈した。
「巫女姫が消息不明になりました。リナさんは必ず見つけなければなりません。夜だろうがコルトさんの厳命だろうが関係ない、総出で捜索します――これは……絶対だッ!」
「愚策な愚作よ!神楽を明日に控える大事じゃぞ!?呪鬼の痕跡たる瘴気汚染の影響もすでに出始めておる。そもそも、呪鬼が神楽でしか現れぬ保証もない!どうしてもと言うなら、夜間外出者は追放処分!二度とここへ戻ってくるな!――これが条件じゃッ!」
鬼気迫る両者の言い争いは、留まることを知らなかった。
ムト―も本気だった。いつもの悪態をかなぐり捨てて、鋭い反論を展開する。
ブレーキのない車は必ず事故る。イエスマンしかいない組織は必ず暴走する。カラフルの調和の整合性のため、老体もまた、忌み嫌われようともべきを成す。
その様子を、守備隊長のテトも何でも屋のパルも、今回ばかりは押し黙る。
だがエインは白熱する議論を小耳に挟むだけで、神楽の神役の衣装を念入りに手入れをしていた。
「巫女姫の安否は最優先事項だ!厳命よりも人命の方が優先されるべきでしょう!」
「そんなことよりもじゃ、リナの行方の話より、はるかに大事なことを決めなければならんじゃろう――神楽の奉納演舞の代役じゃ!」
「なんだと……」
族長アルフレッドに怒りが滲む。
「最悪の場合、リナ不在でも神楽を行えるようにせねばならん。そこで、ライゼンとアンナを推挙する」
「彼女らはまだ子供です。正気かムトー」
ムトーの提案にアルフは全力で否定するが、ムトーは更に勢いづく。
「あの子らは次の巫女姫と神役候補じゃ。やる事は知っておるし少し出番が早まっただけ――」
「神役は既にエイン君がいます。代役を立てるとしても一人でしょう」
「だそうだが……どうかのう……童!」
老体のムトーが、杖の先を魔法越しのエインへと向けて問いかける。
「僕はリナ以外と踊る気はない、代役は不要だ――僕らで必ずやり遂げる」
そう言い放つエインは、衣装のポケットを念入りに調べ、眉間に皺を寄せていた。
「何の確証もない戯言を……信じろと?」
「僕は夜でも外出できる――じゃ失礼」
首をかしげながら、片手間の話し相手に別れを告げるエイン。
「厳命じゃ!――エイン、貴様は宿木に残れっ!そして代役と神楽の練習をせよ!」
しかし、逃がさぬとでも言いたげに、ムトーは権力を行使した。
「はっ……知るかボケ」
エインはパルに目線を送り、速やかにパルは指示通りに、伝話を切った。
テトとパルも伝話を止めて、じっとエインを見つめる。
「外は夕暮れ、じき夜か……探しに行くのは僕だけだ」
本物の刀である御神刀を腰に帯びたエインは、宿木の外の方を見上げた。
「ダメだ私達も行くぞ!守備隊長としても親友としても、見捨てるなんて絶対できん!」
震える手を抑えながらも、意を決したテトがエインに食い下がる。
「どうか、お願いします――」
パルも頭を深く下げていた。
「いや。コルトが許可していない以上、二人は残るべきだ。僕が必ず見つけるから、明日の準備を頼む」
しかし淡々と答えるエインは、衣装を腰に巻き付けて、出発の準備を終えた。
「だが――」
「僕を信じられないか?」
散々焦り散らかしている二人だったが、その言葉を聞いてようやく我に返ったらしい。
「厳命に逆らったら追放。もう二度と宿木に戻らない。次に会うのは神楽でだ」
「……わかった。エインがそう言うなら――」
「エインさん、リナちゃんをどうかお願いします!」
話が付いたエインは、およそ二晩を過ごした家を出る。
世話になった――二度と戻らぬリナとエインの家に軽く一礼し、外へと向かう為に疾走する。
だが、巨大な宿り木は中央へ行くにも数キロメートルは離れている。荷物が無くても数分はかかるだろう。
「ぜぇ、はぁ――キツイ……刀マジ邪魔、重いし走りにくいし、外に出る前に僕が死ぬぅ……」
がしゃがちゃと音を立てながら非常に遅い足運びをするエインの両隣を、パルが飛扇で、テトは自前の魔法で飛行しながら並走する。
「二人とも手を出すなよ!?僕は厳命に逆らったんだから……部外者だぁ……」
二人はすっと見合って目くばせする。
「はい、もちろんです~」
「勘違いするな、これはただ職務を全うするだけだ」
二人はエインの両脇を抱えてつるし上げると、空を滑るように上昇し、あっという間に玄関口まで連れ去った。
「……」
まるで荷物のように運ばれた玄関口の先には、エイン専用に作られた飛扇と、幻獣のフェルネが待機していた。
「直ちに追放者を宿木から追い出すのは、守備隊長の役目だ」
「これは独り言なのですが~、飛扇には意識を失った人用に、自動飛行機構を備えております。リナちゃんと仲の良いフェルネなら、きっと誘導してくれます~。またあしたお会いしましょう~」
最低限の言葉を残して送ってくれた二人は、宿木の出入り口を閉ざした。
初めて来たときと同じ、ただの針葉樹の幹に戻った宿木の枝の上で、リナが作ってくれた飛扇に乗った。
「すでに深夜の暗がりか……頼むフェルネ。僕を……リナの元へ」
フェルネは一声鳴くと、それを合図に飛扇が飛び上がり、夜の暗闇のど真ん中を疾風のように突っ切る。
飛扇の自動運転は非常に安定した飛行で、角度の微調整だけで見事な旋回や上昇下降を実現、渇いた風を受けながら、木々の隙間をくぐり抜ける。
完全な暗闇は、視界を殺す。自身の姿も場所がどこかも分からない。何もかもが光を失い、感覚が不安をあおり、恐怖によって身も心もすくませる。
リナはどこにいるのか?
アルフレッドの厳命で宿木内にはいない事は確認している。
少年が思い出せる候補は、ユグの木、ポイエインの泉、神楽場、テトの林業、竹林のリナの志事場、個性的で様々な環境の森、エインとリナが初めて出会った場所。
またはエインが知らない秘密の場所――特定の場所ではなく適当な場所か、世界樹の最深部。探索を打ち切った黒い世界樹の付近は可能性があるが、帰還が困難だ。もし探すとしたら最後の最後。もしやるなら、コルトの判断を待ってからがいいだろう。
夜闇のリナの捜索は、いくつもの可能性を混ぜた途方もない難題だった。
だが、少年と小動物を乗せた扇は、一度も指針を変えなかった。
「不思議だ……根拠なぞ無いのに……わかる。きっと――あそこだ」
何となくと言う他ない。
ただエインはリナを思うと、無意識に流れ込んできた。
鼓動が、少しずつ高なりを早めていく。
闇の奥に佇む一点を見据えるエインは気が付いていない。生い茂る世界樹の枝葉が、彼らを避けるようにしなり、道を開けていることに……。
カサカサと音を立てるしめ縄で仕切られた結界を越えた途端――ブチッと何かが切れたような音が聞こえ、飛扇にかけられた魔法の安定性が著しく乱れ始めた。
「ん……降りようか」
エインの声は、その空間では響かず聞こえない。この空間内に音は存在しない。
だが、フェルネの尻尾がふわりとエインの手を撫でる。
少年と幻獣を無事に地表へと降ろした飛扇は、魔法の効力を失っていた。
この特殊な結界内では、音が聞こえないだけでなく、魔法を保てないのだ。
「ありがとう。フェルネは少し離れてついておいで」
エインは、フェルネの頭を優しく撫でた後、目的地へ向かった。
歩くたびに緑色の光が波紋のように広がっていく太古の森――動物のいない清浄な聖域では、異物がよく目立つ。
それは雪のように白い大きな扇子が広げられていた。
「……」
静寂に沈む空気感。
旧都、十年前には活気で満ちていたカラフルの街の成れの果て。
跡形もなくなったかつての家の前で、一人の少女が座り込んでいた。
かつて、話せる空気じゃないと背を向けた少年、近づくこの一歩がとてつもなく重く距離が遠い、「ふぅ……」小さな吐息を一つして、エインは歩み寄った。
両手を顔にうずめている少女。
「ふぇ……エイン?」
背後から近づく足音に気づいたリナは、振り向き様にエインを見るや、ごしごしと目元を拭って何事も無かったかのように立ち上がる。
そんな態度に、エインは内心、湯立つ程に怒りが沸き起こる。
「なんで?……あっ……探して、くれたの?ごめんね……実は、神楽の本番が、その……ちょこっと怖く
て……えへへ」
貼り付けられたこの笑顔は、気に入らなかった。
「…………」
エインはリナの眼をじっと見つめたまま押し黙る。
重く冷たい沈黙に震えて耐えかねたリナは、エインの顔色を窺いながら恐る恐るに声を上げる。
「……何で、なにも言わないの?っ、怒って……るの?そうだよね……。何も言わず……勝手に出てって、ごめっ――」
パァンッ――
エインの右手は、微かな痺れを残して振り抜かれた。
「……ぁ……」
表情を剥がされたリナは、頬に伝わる熱と痛みを、理解しきれていなかった。
「なんで……死にたいなんだよォォッ!」
沈痛に訴えるエインの絞り出した声は、夜の森深くに吸い込まれた。
いまだ呆然と立ち尽くすリナのポケットに無理やり手を入れて、強引にそれを掴み取った。
「ずっと頑張ってきたんだろ!精神を病んで眠れなくなっても、ひとりでみんなの飛扇を作り続けたんだろッ!」
エインは丁寧に折り畳まれた一枚の紙を乱雑に広げた。神楽の衣装に隠されていた遺書。
「僕を何度も助けていただろ。試合に負けたら全てを捨ててでもついて来るつもりだっただろ!?」
エインは言い終えるより早く、リナの前で烈火の如く紙を破り捨てた。
細切れにされた紙片は、冷たい風に乗ってバラバラに飛び散った。
「リナは悪くないじゃないか!なのに、なんだよあの部屋はッ!何で、心のひと欠片さえ残って無いんだよォ!」
じわりと赤く染まる頬に手を添えて、リナは痛みを噛み締めて愛でるように、慈しんでいた。
「うれしい……うれしいなぁ。エインはわたしの為に怒ってくれるんだね。叱られるなんて、子供のころ以来だよ……ふふ」
儚げな笑みの後、リナは俯いて表情を曇らせて影に隠した。
「私だって昔はこうじゃなかったよ?でも、仕方ないんだよ」
リナの全てを諦めて未来を投げ出す態度に、エインは憤懣たる思いが募る。
「なら新しい仕方を作ればいい。なのに、何で好き好んでまで、自分を蔑ろにする?」
「狐さえ……最初からいなければ、木こりは死なずに済んだ。悪い事を起こすなら……生まれてこなければ――良かったんだ」
弱々しく手を握りうつむくリナは、消え入りそうな声で言う。
「自分を殺して、この世から消えていなくなりたい。それを願うのは、悪い事なの?」
「時と場合によるだろうね。自殺と言われる物には二つ方向性がある。死ぬ権利の行使か、生きる権利を行使できなくなって放棄したパターンだ。例えば安楽死は医療行為の一つで、助かる見込みがなく、痛みが死ぬまで続き、将来に希望が無いとき、初めて条件を満たして了承されるというものがある。だがっ――」
エインは少女に強く詰め寄る。
「リナはダメだな。だってリナのそれは違うからだ。本物の死にたい奴が考えるのは手段であって、即準備をして実行するんだ」
エインが考える一番分かりやすい例えは、手のひらを火に近づけた時、最初は熱さを感じるが、いずれは突き刺すような激痛へと変わる。すると反射的に勢いよく手を離す。ソレこそが自殺だ。生きる権利を手放さざるを得ない状態である。
「言ってることがわかるか?過去の遺恨も現在を取り巻く環境も未来への絶望すらも関係ない」
上目遣いで見つめる少女に、必死なエインは心を込めた言葉で伝える。その命を繋ぎ止める為に。
「死にたいは死にたいでしか無い。そこに理由もありはしない。でも、リナには理由があるんだろ?過去に何があったか知らないがテトは許してくれたろ。人生は生きてさえいれば、やり直せる」
少しだけ腰を落として同じ目線となって、少年は優しく訊ねる。
「リナは……なんで死にたいの?」
「……ゆるされないことぉ……した……から」
聞いたことのない低い声色――エインはここへ来てやっと、リナの心の底にある思いを引き出せた。つまり、ここからが正念場だ――
「赦さないのは誰だ?ムトー?それとも死んだ人達か?違う、たとえ全ての他人が許しても、君は決して赦されない。なぜなら――許しとは自己満足だからだ。たとえば大切な人を悪意を以って奪われたら、そんな奴を赦せるか?どれだけ償わせたとしても無理だよ、それだけ大切だったんだ……」
初めて出会った日の出来事を、七色の花を添えて手を合わせていたリナの姿を、エインは思い出していた。
「でも、相手が自分なら話は違う。過ちを犯したら次に繋げればいい。未来の為にとそう割り切れば良い。自分を許さない道に光は無いよ?リナ、もういいんじゃないか?もうそろそろ、自分を赦してあげようよ?ね?」
「むりだよ。わたしのせいなんだよ?私はわたしが赦せない、わたしは私が一番嫌いっ!だから……」
頬を伝う涙が一つ、二つと零れ落ちた。
「まだ、できない、私にはやる事が残ってる。巫女姫が何の役にも立たずに死んだら、みんなに……申し訳ない。だから……」
「べきを成さねば皆の迷惑か?つまり、生きる理由は自分の外にある……と?」
無反応だったリナを見て、やっとエインはひと安心した。
「自分のしたい事に他人が介在する余地は無い。リナ、君の間違いを正すよ。リナは自殺を望んでいない、君のほんとの願いは――」
あらん限りを全身に叩きつけるように、心に届けと喉を潰す勢いで思いきり叫んだ!
「生きる辛苦から逃げたいだけだろうがァァッ!!!!」
リナの抱く願いの真実をぶち撒けて、エインは異を叫ぶ。
「お前は死んで楽になりたいだけだッ!死にたいとは似ているようで全然違うぞ!?耐えられないなら、自分ではなく、その辛苦の方をぶち殺せばいいだろ!逃げるのに死を使うな!命を使えェッ!!!!」
「違う、違うよ!わたしは――」
「人の役に立つのも罪悪感から逃げる為だ!リナ、逃げるって事は死にたくないんだよ。死にたい奴は逃げない。もういい、もういいよ。リナはもう一人じゃない。だって、僕はもう、家族なんだろ?」
「違う、ちがうちがうゥッ!!私は死にたい!しにたいのぉ!もう、わたしの事なんて放っておいてよォ!」
今までお首にも出さなかった本音を晒して、頭を大きく振りながら、リナは頑として考えを変えようとしなかった。
「自分に嘘をつくなよ、願いはそんな不自由じゃない。純粋に、リナのより良いを望めばいい。子どもの頃に思う夢や希望はあっただろ?」
弾かれたように顔を上げたリナは、泣き腫らした瞳でエインを睨んだ。
「知った風な口を聞くなァアアアアアアアアアアッ!!!」
それは、痛々しい怒りと深い悲しみを帯びた拒絶の言葉だった。
心の底から突き放すという意志を本気で叫び、涙を零したリナは、叫び慣れておらず二、三咳き込んだ後、髪をかき毟りながら虹色の右目をエインに晒した。
「エインはそうだよねっ!心が強いからっ!でもわたしは弱いの!もう耐えられないのっ!わたしのせいで四百人が死んだんだよッ!お父さんとお母さんも、それなのに、わたしは……何もせず泣いているだけだった」
赤裸々にエインを阻む気持ちを語ったリナの口から、今度はうめき声が零れて、次第に両手が震えて、涙がポタポタと落ちてきた。
「なんで……わたしは生きているの?死んだ方がマシだって何百回も思った!わたしが悪いのに、それなのにね、家族を喪った人達がみんなして言うの。リナのせいじゃない、リナは悪くないんだよって。泣きはらした瞳で笑って言うの。その裏にね、怒りがあるの、悲しみで満ちているの。そんな、脆くて鋭利な優しさが……わたしの心をどれほど深く抉ったか……貴方にわかるの?」
言いながら、リナは弱々しくひざをついた。
「むしろ怒鳴りつけてほしかった。お前なんか死んでしまえって本音をぶち撒けてほしかった。全てを懸けて役に立つ。それしか、過ちの代償がないんだよ……」
地についた足を引きずって、リナはエインの方へすり寄った。
「エイン、貴方はそれでも……わたしに生きろって言うの?」
そして縋り付くように足を掴んだリナは、潤んだ瞳でエインを見上げる。
「もう……わたしらしさなんて無くしちゃったよ……ねぇ、わたしは、どうすれば良いの?」
泣きじゃくるこの子を優しく抱きしめて慰めてやりたい、その衝動をぐっと堪えたエインは、ここで静かに心を手放した。
今、ここで止めないと、リナは向こう側へ行ってしまう。決して逃さない。その為に必要ならと――少年は心を鬼にした。
「そんなこと俺が知るかよ――バァ〜カ!」
切実な思いを軽く一蹴されたリナは、言葉の意味を理解しきれず、ただエインを見たまま動かなくなった。
その間抜け顔に微笑を浮かべるエインは、震える小さな手を取って更に続けた。
「ねぇ、僕と一緒に生きてみないか?」
とびきり優しい声を取り繕ってまで、エインはリナの心を闇から引っ張り上げようと必死だった。
「僕といて別世界を見たのなら、新しい仕方だってあるかもしれない。その可能性を僕と一緒に探してみないか?」
「ど……うっ……し……て?」
それは、聞こえるか否かの小さな声だった。
愚問だな――口元を小さく歪めた後、エインは我が子をあやす様に言った。
「人を助けるのに理由がいるのか?――教えて。過去の神楽で……何があったのか……」
泣きじゃくって声を出せずにいたリナは、嗚咽を漏らすだけで話をするどころではなかった。
――あ、やべ!?話の持って行き方を間違えた!?
このままでは泣き止むまで待つ必要があるし、心変わりされたら話が頓挫する可能性もありうる。
急遽、脳内で緊急会議を始めたエインは、ふと、頭に物理的な重さを感じた。
「まったく……不器用な男ね。いい?手を貸すのはこれっきりよ?」
生意気な天使ユキは、知らぬ間にエインの頭の上にいた。
「えっ……ユキちゃん?……一体なにを?」
頭にちいさな両手をかざした。
「思い込みで念じなさい。一念、ただ一念、望むべくを――復唱なさい」
指示はそう難しくはない。雨乞いの時と同様に目を閉じて、右手の甲に口を付けながら思った。
リナの過去、リナの過去……リナの過去リナの過去――
「そう――すべて意のまま揺れ動く……それがワールドメイカーだけが使える神業――それすなわち”権能”よ」
言われるがままに念じると――エインはいつしか眠りにつくように、闇の中に沈んでゆくように、意識が薄れて、消えていった。




