拾肆話 嫌好第一
なにもかもが静止したかのような、しんと張り詰めた無音の空気。
「そう……自殺願望――」
ある少女は、心待ちにしていたに違いない。
待望の時を祈るように、危険に飛び込みながらその身を捧げるように、終わりを必死で望む悲しき姿が、少年の脳裏に浮かぶ。
「ただね……本当の意で、死にたい人なんて、結局のところ……ひとりだって…………いないんだよ」
重厚な声が聞こえた時、不意に、手に持っていた硬貨が滑り落ち、キーンという音をたてた。
少年は、傀儡を射貫く。繊細に掘られた梟のような傀儡の造形の足元に、硬貨がグルグル回って、力尽きて地に伏した。
「望みの本質は、より良いだ。欲も願いも、今より良いから希う」
傀儡は、静かでありながら力強く言い放つ。
「それはリナも同様。だが、リナはまだ生きている。なぜだろうか?」
そこから数分間もの長い沈黙を置いた。
少年は何も言わなかった。否、何も言えなかった。
死を望むリナが、まだ亡くならない理由があるはず。
果たすべき責務があるからと、まず考えた。しかし燃え盛る宿木に突っ込んでいった。神楽の巫女姫は他者を見殺しにしても死んではいけないはず。もっと別の、内在的な要因を探さねばならない。
しかし、いくら考えてみたものの、情報不足が原因で、ついぞ彼には辿り着けなかった。
負けを認めるようで非常に癪に障るが、リナの顔を思い浮かべた少年は、怒りに震える手を抑え、恥を忍んで食い縛る口を開いた。
「……何で……?」
「自分で考えなさい」
うわっ、こいつぅ……、と少年は心の中で悪態をついた。
「君にも可きができたようだが、少年が神楽の神役を担う、その決め手は?」
急展開する話題の変化に追いつけず、エインの頭はついて行くのがやっとだった。
「えっ?……と……リナに……頼まれたから」
「ムトーの頼みなら、請け負ったか?」
「絶対に無いッ!」
「その違いは?」
「……あぅ……」
答えにくい事を的確に設問されて、怯む少年は口ごもり尻込みした。
「健康第一。永く自由に生きる為に正常な身体は不可欠。では、自分の心が正常に生きる為に必要なものは何だろうか?」
傀儡は間髪入れずに話した。
「嫌好第一。一番嫌いなものは忌避せよ。一番好きなものは大事にせよ――リナを好いてくれてありがとう」
なぁァっ!?――と叫ぶ少年の動揺など意に返さず、傀儡は更に続ける。
「リナが己に課すは従事。心砕くは謝罪と贖罪。だが、どれだけ尽くしても、リナは永久に許されないだろう」
「…………」
感情の起伏が激しかった少年も、これについては同意見だった。こいつの語る端的な言は殆ど理解不能だが、会った時からずっと一緒にいた彼は、リナの事ならよくわかる。
「……」
少年、と子供に言うかのような柔和な声で傀儡は締めにこういった。
「リナを……頼む」
その後の沈黙で話は終わりだとエインはすぐに理解した。それは矜持か体裁か、意地でも頭を下げず踵を返して部屋を出たエインは、足早に階下へ降りていった。
人気のない社の一階に戻ってくると、囲炉裏の前でウトウトしているリナが待っていた。
近づいてくる人の気配に気がつくと、「あっ」と目を擦りながら駆け寄ってきた。
「おかえり!意外と短かったね。それで、どんなことを話したの?」
純粋無垢な瞳に、エインの困り顔が映り込む。
「あ、いや~。ちょっと難し過ぎてすぐにはまとめられないな。頭も痛いし、ひどく疲れたよ」
あそこまで露骨に言われて意識するなというのは無理がある――エインは恥じらい、目を合わせ辛かった。
「だよね~。コルトさんと話すとそうなるよ。でも重要なことだから、エインもよく考えてね。じゃあ、帰ろっか!」
ぴょんと元気に跳ねるリナをゆっくりと追いかける。エインは帰路の途中、一度だけコルトがいる社を振り返った。
「頼む……か……」
コルトの別れ際の言葉。それはどこまでを指しているのだろうか?エインには分からなかった。
神楽前日の深夜。
エインは、リナの家に帰ると、屋上へ出て椅子に座って物思いにふけっていた。
待ち受ける運命が目前に迫り、早朝から神楽の準備が佳境に入るだろう。
誰もが準備を急ぐのには理由があった。神楽の開催日は、極めて特別な天気となるらしく、人の意志どうこうで時間変更できないという話だ。
間に合わないことだけは、何としてでも避けなければならない。
したがって、明日は話せる相手も限られてくるだろう。
「……」
このままでは、敗ける。ひとり、静寂に取り残されたエインは困っていた。神楽とやらで現れるであろう呪鬼によってカラフルは壊滅させられる。――しかし、何の情報もない。
真夜中でも森を脅かす異変は増すばかり。
一人悶々としながら、今日の朝を迎えるのだろうと、少年が思っていた矢先のことだった。
「エイン……ちょっといいかな?」
音を消した足取りで、リナが屋上にやってきた。
「あれ?どうしたの?」
「なんか、目が覚めちゃったの……となり、座るね」
当然のように自然に隣に座ると、リナは何気なく聞いてきた。
「ねえ……エインは、神楽が終わったらどうするの?」
そんなリナを視界の端で捉えながら、エインは一拍置いて、慎重に探りを入れる。
「わからないな。でもそれでいい。そういうのは無理やり当てはめるモノでもない。そうだろ?」
「じゃあエインの次は、願いを探すことだね!」
難儀だな――とエインは別の意味で愚痴をもらす。
「きっと大丈夫。貴方を見ていると、不思議とそう思えるんだ」
穏やかな笑顔を向けてくるリナを見ていると、エインはじわじわと腹正しさを覚えた。
「では参考がてら、巫女姫をあの子らに継承させた後、リナはどうするつもりだい?」
予想外とでもいう表情で、リナは目を見つめ返す。
「う〜ん、とにかく神楽を成功させたい!その後は……え〜と?どうしようかな?」
「ほ~ら同じだ!意外と困るでしょ?」
ほんとだ。リナは軽い口調でそう言った。
「ところで役作りの一環で聞くけどさ、神ってどんな心の持ち主なんだろう?」
露骨にならぬ様、話が逸れぬ様に――必死に頭を回転させて、エインはリナの心に問いかける。
「後世に伝わって無いから未知だけど、わたしはエインが神様だったらって思うよ。ね、もしそうなら、エインはどんな世界を作りたいの?」
今度はエインが予想外な質問を受け取った。
「んン〜!?あぁ……、いや〜具体的じゃないけど、幸せと不幸が七対三の割合となるようにするかな?人は失う事に強く印象を受けるからね。後は適当〜」
「エインらしいな……。ならわたしの願いは、そんな世界で、生きてみたいなぁ……」
リナの笑顔は、間違いなく本物だった。
なら、偽の笑顔との違いは何だ!?そうだ、リナの笑顔はニ種類ある。今見ている本物ではなく、他人を気遣って作られた笑顔の裏側が、エインは知りたかった。
エインはここで勝負をかけた。予感があったからだ。これが、この家で二人で過ごす最後の夜だと。
「……不幸なのか?リナはいつも笑っているのに、嫌なことがあるの?」
エインはリナの問題に切り込む。
「……でも、誰にでもあるよ……そんなの当たり前。それでもやめられないのは……いい事あるから!」
一瞬の暗い苦笑の後、リナはエインの手を掴み、大事そうに握りしめた。
「わたしのお家に貴方がいる。ひとりじゃないって証明できる。ほら、探せばすぐにいい事あった!だから……わたしの不幸は、他よりちっぽけなのが取り柄なの!」
他よりちっぽけ――その言葉にエインは引っかかりを覚えた。
「あ~あ~、もっとゆっくりできたらなぁ~。あなたが昔からここに居てくれていたら、たくさんいっぱい話せていたら、わたしも……もしかしたら別の……ううん。そうならなかったからって、今を否定しちゃいけないよね」
エインは、リナの手を握り返す。言葉以上の、深い心情を訴えるかのように。
「あのふたりにね、夫婦になれと言われたよ――ぼくたち」
「……ふーん。なんて、答えたの?」
「ないしょ」
「……そっか」
表情を変えないリナに、エインは聞いた。
「リナは、どう思う?」
「…………ないしょ」
「ふーん」
少しの沈黙、それはとても居心地が良かった。ずっと昔からこうだったかのように、二人にとってそれは、ありふれた、なんてことない瞬間の連続だ。
「嫌なら、巫女姫なんかやめたらいいのに……」
「誰が代わりになるの」
即答。
リナは、エインの言葉を即座に否定した。しかし、怯む気が無いエインは続ける。
「苦しみを感じない心が良かった。好きなことを望み、幸せを願う気持ちなんかいらなかった。無垢な子供のように、無知のままでいたかった。傷つく痛みを知らないままで終わりたかった……。難しいよね、人の心っていうのはさ」
小さく頷くリナ。
「ねぇ、好きなことはないの?」
「むかし……世界の果てに行ってみようとして、無茶な探検とかしたことあるよ。でも、もう大人だから」
「他にもたくさんあるだろ?」
「選べないし、作れないよ。そんな時間、残されてないもん」
リナは立ち上がると、エインの真正面で真っすぐにその眼を見据えた。
「巫女姫としてエインに言うね――どうか貴方は、好きにしてください。明日の神楽、役なんか捨てて逃げていいし、何もしなくてもいい。私が――なんとかするから!」
朗らかな破顔一笑の後、リナはおやすみと手を振りながら、そそくさと戻っていった。
扉の閉まる音が聞こえて、リナが部屋に戻ったことを確認してから、エインは未だ温もりが残った手を見つめて呟く。
「幸不幸は、他人と比べる物じゃ無い。やれやれ……気になるのは優しい嘘の件かな。難儀な上に猶予も無いとか、ほんっとに、困ったちゃんだな〜」
あれからエインは、数時間もの間、あっちこっちと行ったり来たり歩き回ったり、神楽の演舞の練習をした。
神楽の演舞では、神様役は巫女姫と息を合わせて舞い踊る。たとえリナが完璧でも、相方が降神術をぶち壊した結果、禍が降りかかれば、申し開きようがない。僅かなタイミングのズレも許されないが、エインの心中は凪のように静かだった。無我夢中で行えば、完璧な成果を出せた事実が、彼を安心させた。
だから、暇さえあればリナの事を考えた。
死にたい人が、なぜ生きているのか?
死ぬ時、痛いのが嫌だからとか、死後がどうなるか不安だから。など陳腐な回答しか湧いてこない。コルトが言った謝罪と贖罪と言うが、罪滅ぼし、自己犠牲、責任を果たすなどだが、どうもリナを見ているとしっくりこない。
「参ったな、やはり情報が足りない」
テトの日記も漠然としか書かれていなかった過去の出来事。ここまで強固な情報規制が為されている以上、聞いて答えてくれる訳も無い。
そんな苦境に立たされて無理難題に繰り返し深いため息をつくエインは、苛立ち始めた。
ずっと考え込んでも煮詰まってきた憂さ晴らしが、次第に激しさを見せ始めて、地に着く足音が鳴るようになった。
さすがにリナを起こすわけにはいかず、エインは思い切って宿木の外に出た。
『木こりと』を聞いた時と同様、世界樹の森は真っ暗闇だと思いきや、妙に明るかった。エインが夜空を見上げてみると、天上に光る一点の灯り、月が虹の円環を伴って昇っていたことに気が付いた。
「あれ?月の光って、虹を作れるものだっけ?」
月虹と呼ばれる月光の虹。それは日中のものより淡く、薄い白みがかった虹だった。
「きれいだな~……」
虹は不吉の凶兆とも呼ばれるが、エインにとっては見ようとしても見られない幸運の象徴だった。
「牛歩とはいえ……成長しているのね、少しは」
途方に暮れていると、月の光の中から舞い降りる声の主、本物の天使であるユキちゃんが来てくれた。
「おっ!やぁユキちゃん!テトとの志合前夜の忠告、マジありがとね!これ、お礼のチョコレートだよ!」
エインはポケットから特注サイズの包みを手のひらに置いた。身長十センチの天使の適量であると良いのだが――。
「昨夜は来てくれなくて心配したよ~。何してたの?」
「アンタにばかり時間をかけるほど暇ではなくてよ」
天使のユキは、身動きせず重力に従って下降した。
「ねぇ、木こりとの話に出てくる神とワールドメイカーってのは、同一か?」
もはやなりふり構わず、エインはユキに訊ねる。
「眉唾を鵜呑みにするのは、良くないわね」
「僕じゃない――ただそう感じるだけなんだけど、きっと、この世界を創った神は――別な気がする」
「呪鬼、今はそちらを考えるのが先決ではなくて?」
「そりゃ、そうだけど……誰も話してくれないんだよ~。相手の素性も知らずに勝てとかマジで無理――ユキちゃん様、どうか哀れな愚物に、ちょこっとだけでもヒントを教えてください!」
臆面もなく、エインはユキちゃんに恭しく頭を下げる。
「――時に、心に耳を傾けるのはお嫌かしら?」
しかし、天使は差し出された包みを素通りして、エインの手のひらの縁に座った。
「んっ?なにそれ……ん〜……あっ、恥か!?まぁ……できれば敬遠したいね」
天使ユキは、エインの耳元で「よくお聞き」と言ってから語り始めた。
「二元性。裏表の様に正反対の性質を持つ場合があるわ。優しい人が冷酷だったり、強い人が弱い心だったり、金持ちが貧乏性だったりねぇ。なら、人の役に立ちたがる逆はなぁに?」
「……自分に無益なら……しないってこと?いや、何か……違う気がする……」
検討外れでは無さそうだが、エインは頭を抱えた。
「例外もあるけれど、他人への理解に務める上での考え方の一つよ」
「つまり~……どういうこと?」
「自分で考えてくださらない?」
……またか――苦笑するエインを一瞥してニヤリと笑うユキちゃん。
「健全な人間関係を築くなら、他人の課題に踏み込むべからず。なのだけれど……、無礼者には無駄な問答のようね」
エインの頭を軽く小突くと、天使ユキは包みを持って、颯爽と飛び去った。
「エイン、おはよう。いよいよ神楽前日だね――」
時計の針が、幾度も目を回した頃だった。
屋上に迎えに来たリナ。
「おはよう、リナ」
いよいよ神楽を明日に控えた。
その事実が、エインを焦らせる。彼はすでに演舞の完成度は度外視した。
それよりも、何より大きな問題を二つも抱えたままだ。まだリナの願いの真意が分かっていない。呪鬼についても、呪法に関与しており、かつて村を蹂躙したくらいしか知らない。
だが、どちらも紐付けされた関係であることは間違いない。どちらか一方を知ることができれば――。
大きく開かれた宿木の中腹にある玄関口の大門。光のカーテンを通って、森を見ると、生き物の気配がしなかった。鳥のさえずりがまったく聞こえず、枝葉が宙に浮かび上がって、ふわりと漂っていた。
この光景はエインも覚えがある。無重力の流れを作るリーフシードだ。夜にしか姿を見せないはずの夜の王が、明るい場に姿を現した証拠である。
その理由は、神楽を行う世界の中心から残留する動植物が避難するための誘導経路の確保だと考えられている。泳牛リーフシードが作る無重力海流に乗り、世界樹の森に生息する生物たちが、宙に浮かんで流されていった。大型の巨大生物やふんぞり返る動物、身を寄せ合っている鳥たちの大移動。彼らを最後に、ここ周辺に自然の動植物はいない――カラフルという種族を除いては。
「それじゃあ私は、巫女姫の衣装に袖を通しにパルのところに行ってから、神楽場の水張りをしてくるね。神楽の調整には、時間がかかるから、帰りは遅くなると思うけど心配しないで。必ず戻るから」
リナはエインを乗せずに飛扇を広げた。
「はいよ。気をつけてね~」
いつもの調子で出かけるリナを玄関まで見送りに来たエインは、出て行く後ろ姿を見送った。
「リナの方は少なくとも本番前までは安心だな」
彼女の健やかな笑顔に安心するエインは、リナの問題は今晩に対応するとした。
「さて、僕も行くかな。今日の日没までに命運が分かれるだろう。ったく、なんでこんな短期間に生命の危機が連続するのかねぇ」
むしろ心配すべきなのは、自分の方だ。
「情報戦が九割。いかにどんな最強でも、知らぬ間に事が終われば、なんの意味も成さない」
これからの行動によって、明日を生き延びられるか否かが決まるのだ。
「とりあえず呪鬼が先だ。知らねば何も始まらない。なんとしても対抗策を聞き出さなくちゃならない」
決意を新たにする少年の両腕が、突然後ろに引っ張られた。
「おうっ!やっと見つけたぜ!アニキ、暇だろ。ちょっと来いって」
「神楽前日ともなると、暇なのは、私達とあと一人くらい。そこへ行きましょう!」
髪の乱れ具合から、わざわざ少年を探していたライゼンとアンナ。
「やった!ちょうど君らに会いたかったんだよ~」
二人に遊びに誘われて、半ば強引に連れ去られたエインは、宿木の中腹から上へと昇る間、カラフル全員が、避難準備をしている様子を見た。
二人の話によると、不安に駆られた者達の反対意見も見られたが、巫女姫、族長、聖賢竜による三重の厳命が下されて、神楽の開催は絶対となった。
彼らの表情は穏やかとは程遠く、怯えや恐れが入り混じる複雑な感情を窺わせた。
「ここです。兄さま」
ライゼンとアンナの目的地。それは、階層を隔てる大きな節の間に作られた横穴だった。
「こりゃま、アリの巣だな」
「奥は枝分かれしてるから、迷うと危ないぜ?」
二人は離れ離れにならない様にとエインと手を繋いで入っていった。
道中を歩いていると、エインは妙に違和感を覚えた。
「これ……静電気?」
「兄ちゃん、そりゃいい傾向なんだぜ」
「ここは宿木の中で最も変素が溜まる場所なんです。私たちの移動による刺激で、電気が溜まるんです」
「へぇ……」
髪の毛先が浮き上がるような感覚に意識を向けていた少年は、視界の端に捉えた異様な部屋を見逃さなかった。
特殊な模様をあしらったお札が、びっしりと貼られた不思議な一室。
きっと、アルフレッドが呪法を使った際に生成された残留物を後始末するための保管庫だ。本来ならば、エインが使った木刀も、ここに保管されていたはず。
だが、エインが疑問に思ったのは、扉が開いていて、中に家が何棟も置けそうな大きな空間が広がっていたにも関わらず、もぬけの殻だったことだ。
逃亡に必要とは思えない。中にあったであろう呪法を除染する大量のお札は、果たしてどこへ……。
「いらっしゃ〜い!待ってたんだぞ!」
本人の気質に沿ったピンクで揃えられた可愛らしさ爆発の一室に通されたエイン。
中には家具や仮眠をとるための蓑もあり、ここが彼女の居住スペースなのだろう。
「族長アルフレッドの妻、パトラ・リン・カラフルさんか。族長を手伝わなくていいの?」
「もうする事ないのよ~。だからね~志事納めに、最後の使用者を待ってましたぁ〜!」
両手を開いて歓迎してくれる彼女。
「はいはい、挨拶はこれくらいでいいだろ!はやく行こうぜ!」
「時間が無いかもしれないので、兄さま!こっちですよ~!」
その隣を二人の子供が冷たくあしらいながら、急ぐように足早に先へ進んだ。
エインも二人について行こうとすると、美女は小声でエインに耳打ちする。
「エイン君。黒い水について、ほんとうにありがとう。アルフね、発狂してたわ~」
「あぁ、プラスチックか。新素材だものね〜そりゃ楽しいよ」
「徹夜までしてブイブイ遊んでたわ〜。もっとやりたいからって、神楽の日を超えていく気も満々!あれはもう執念ね〜。プンプン」
夫を盗られてプラスチックに嫉妬するパトラが案内してくれた最奥の大広間には、びっしりと整列する人形たちが出迎えてくれた。
細かな造形だけでなく、その衣装が何よりも綺麗で、美しさが魅力的だった。
「うわぁっ……すごいね」
「この衣装は、ミフィタと同じ繊維で作られているの。人形の見本は生前の人たち」
パトラは人形師だった。人形はすべてパルが作ったのだが、それを操るのが彼女の好きな事だった。
人形。かれらは使われる為にある。捨てられる事を何より恐れて、過ぎていく時を嫌い、いずれ摩耗して擦り切れて、最後には役目を果たせなくなって消える。その運命を、形代は否定することはできない。
だから人形師は、丹念に手入れを加えて、その時を可能な限り遠くへ離す。思いを込めて丁寧に。
「むかし……まだみんながいた頃ね、パトラは『木こりと』の話がちょっぴり怖かったの。だから、親しみやすい人形劇でもしようとしたのがはじまり――それから、いくつも人形で遊んで、どこまでいっても一人遊びだってことに気が付いたのよ。そして、いつの間にかこう願っていた。人形にヒトの心を宿したいって。けれど、それは魔法でも不可能。なら、その背景くらいはできないかな~って、そしたら使えるようになってた」
それを語る彼女の顔は、エインが初めて見たパトラの無表情だった。
「過去の人たちがいなくなっても、その記憶を忘れないよう次へ伝える、語り部になる。それがパトラちゃんの志すことなんだ~!テヘっ!」
可愛い仕草をする彼女に、エインは少し微笑んだ。
「ここはな兄貴、未開拓の魔法を作り育てるための体験施設なんだ!」
「私たちも、ここで魔法を学びました。兄さまもやってみてくださいませんか?」
ライゼンとアンナは、口調こそいつも通りだったが、その眼が真剣そのものだった。
「なるほどね……確かにパトラの魔法なら、問答無用で体験できるもんね」
エインは、メゼスと呼ばれるお菓子を食べる催しの際、水の中にいる映像と触覚を再現された時のことを思い出す。
パトラの魔法、音頭殷賑。それは想像の感覚を再現する魔法。
目を閉じると、好きなイメージ映像を自由に視認できる上、その触覚すら影響下に入る。
テトの螺旋波動やリナの重力軽減を、本人がいなくても投影できる優れものだ。
「でもでも、かな~り使う場所とか制限を付けられているけどね~コルトっちにィ!」
パトラの軽口の内容に、エインは「そりゃそうだ」と、ゆっくり頷いた。
聖賢竜から使用制限を受けた唯一の魔法であるコレには、ガチ目にヤバイ負の側面がある。
それは、拷問のような精神攻撃に非常に有用なことだ。
「だから~コルトさんに性格の一部を調整されたりしててね~。その影響でこんなにも、キラリンな可愛さになったんだぞ!それまではね、もうちょい静かでお淑やかだつたんだぞ~!」
「そりゃ嘘だろ」「嘘ですね」
「…………」
眉間に皺を寄せるエインは、三人の言葉が聞こえなくなるほど集中した。
パトラに頼み込めば、この魔法で呪鬼を呼び起こし、過去の再現を確認できるのでは?と考えたが、頭を左右に振った。
ダメだ、リスクが高すぎるし、何より不正確だ。恐怖に基づくイメージだけだと誇張され正確な情報を得られない。
ではライゼンとアンナに君らの兄姉はどうやって死んだ?と問うのは、さすがにありえない。
十年前のこの子らは幼童、知っていても聞かされた話。無意味に違いない。
テトやパルになら聞けるが、すでに忙しくて宿木にいない。そもそも彼女らには既に聞いている。
断腸の思いで、エインは思考を断念した。
胸の奥に焼き付くように痛む焦燥感。
あの火事の不自然さ、得体の知れない嫌な予感を払拭させる適切な方法が何もない。
そもそも呪鬼に対する情報が、未だにほぼ皆無。致命的。勝ち目が無い。諦めるばかりか神頼み。肩にのしかかる重圧感がみるみる募る。
そんな臓腑が捩れるエインの苦痛の心境を知らず、子供らは気さくに話しかける。
「じゃあ兄貴、魔法のおさらいしとくぜ!」
「ご存知でしょうが、魔法は大きく分けて三種あります」
「攻防、幻想、付加。通称を攻幻付って言われるよん!魔法を使えないエインさんはぁ〜どの方向性なんですぅ〜かぁ〜?」
「ん?……あれ、リナに聞いたときには、戦闘、創造、支援って聞いたと思うんだけど、違うの?」
「あはっ、そうよね~ごめんちゃい!あれ、実は規制版なのよ~本当はこっち~。でもエイン君には、言っても平気だよ~んって、コルトっちに言われたからいいけど~。攻防はテトちゃんを思い出せばいいよね~。幻想はパルと、アルフとパトラちゃん!付加はリナとコルトっちが得意かな」
「ほう……攻撃は、相手に危害を加える戦闘系魔法。幻想は、この世にない物事を表す創造系。付加は、様々な影響を他に付け加える支援か――嘘は言ってないね」
そう言いながら、エインはコルトの入れ知恵が随所にちりばめられていることに戦慄した。戦闘、支援、創造は、思想を制限する為の偽の説明であり、カラフルの人たちの思考に寄り添った表現だ。
言論統制の本当の理由は、殺傷魔法の誕生を阻止するため。攻防を戦闘と呼んだのは、騙しを教えないためだ。付加を支援としたのは、支配や弾圧が可能な制限を強いる物を想像させないため。幻想を創造にさせたのは、破壊や消滅などの方向性を誘発させないためだ。
「本人の気質に沿うように、それぞれの得意分野が異なるんだぜ」
「興味関心がなく、思いの起こりが少ない方面は、魔法として発現しにくいんです」
ライゼンとアンナの説明を補足するため、パトラは大きな文字が書かれた紙を広げて見せた。
「とはいえね、より上位にもなると全部加わるけどね~」
「コルトの天魔護風陣が、攻幻付持ちだもんね」
風の魔法陣を作り出して受け攻めに影響する効果を付け加える。
「この部屋は、魔法を発現していない人にきっかけを作る為の、魔法体験施設。だけど、本質は興味不足の解消――知らなきゃ始まらない、興味関心があるものは好きになれる、好き楽しいが増えるとより良い、理解を深めると位が上がる。これが魔法開発の四箇条!」
「……ふむ……」
「魔法の伝授は、一般的には親から子へ継がれる一子相伝形式が安定するわん。けれど、先天的な魔法は個性豊かな傾向が強く、そして位も高くなるわん」
「たとえば、リナのプラズ魔砲のこと?」
「ぶー!あれは限定条件付きの魔法技術の極致、魔法と呪法を組み合わせた技巧の賜物よん。触媒、贄や代償を用いる奇跡を、大魔法って呼ばれるけど、別に覚えなくてもいいよん。極稀だからねん!」
エインは、パトラをじっと見つめた。
「聞きたい。リナのアレ……呪法とどっちが強い?」
「そりゃ乗加するから当然、呪法だよん。でも大魔法は条件を護れば負荷がないから便利なのだ!」
パトラが次のページを開いてエインに見せる。
「そんなことより、エイン君には考えてもらいますよん!魔法が使えない一番の原因は、調査不足が定番の落とし穴!興味関心、希望志望が分からないなら話になんないのよん~!自分の好き嫌いに適正、理想をまずは知らないとね!」
「記憶喪失なのに自己分析なんてできるわけない……ってのはナシ?」
「「ナシ」」
ライゼンとアンナは同時に言った。
「得意、希望、使命――没頭したのはどんな方向性か?何で暇つぶしするのか?やり甲斐や生き甲斐は?なんでも叶うとしたときの理想の自分は?我慢できる最低限はなんですか?」
「他には、苦楽、損得、好き嫌い……取捨選択の優先度っていう……こういう思考法もあるよ」
「好きなら、損して苦しくてもやる――ってことね」
魔法の授業を受けているエインは、三人にも分かるほどに不満を露わにしていた――どうせ無理だと。
それを見越したライゼンとアンナは、エインの個性に合うような特別室を、パトラに用意させていた。
相当の変素を蓄えているらしく、エインの髪の毛から産毛に至るまで浮き上がっている。
「ここはね~感性を表現する特別な部屋なのよ~。これで攻幻付くらいは判明するかも?」
「はぁ……まぁ……付き合うけど……できれば手短にね」
パトラは魔法を自身に込めて、エイン自身も気づいていない秘めたるイメージを作り出そうとした。
「は~い!じゃあ~嫌かもだけど~ちょ~ぴりっと我慢しててね~」
麗しい容姿のパトラが、エインの後ろから隙間を作らないほど密接に抱きしめる。
「…………っ」
――これ、ちょっと……居心地がなぁ~……。
「あらあら~?意外といい身体してるのね~エイン君~。なんちゃって!」
冷めた子供たちに凝視されながら、美女に抱きしめられる図が、どうにも落ち着かないエイン。
「は~い。じゃあ眠ってもいいから……何も考えないでくださいね~」
「いやぁ――しかし……僕には、そういうのは無さそうだけど……なぁー……」
「いいの!願い望む発見の場だーかーらー。それに、心ある限り、魂は動くものなのよ〜」
パトラの魔法をかけられているエインは、目を賭してじっとしながら、想いを馳せる。
エインはとうに気づいていた。
普通に生きられる最後の日となるかもしれないのに、三人がエインと過ごす理由――未だ未覚醒のエインが、万が一にも魔法を発現してくれれば、呪鬼に対抗できる可能性に懸けているということを。
無茶苦茶だけど、他に打開策なんて無い。
彼らなりに考えた結果――エインに魔法を発現させる事。そして神楽の呪鬼を攻略する。そんな作戦を企んでいたのだ。
嬉しさと、申し訳なさが心に湧き立つ。
それは、どうしても魔法の発動ができない。エインの思考と価値観は物理法則が染み込んで離れない。
無欲と無望は、魔法を作れない
何がしたいか分からず何もしないまま、その場の空気に流されて、苦労がない代わりに新しい事もない。風に吹かれる葉のように、小雨の降る午後のように、静かにただ夜を待つだけの、受動的で、時が経ち枯れて落ちればお終いだ
変わり映えのしない日々が続いて、夢や希望や憧憬のような大きな事に繋がらない
自分は何がしたいのか、考えてもわからないままだった
空っぽのまま生まれて、虚のまま死ぬだけ
少し寂しい
生きる意味もまた虚構だ
人だけが価値だの甲斐だの叫ぶ
無心、何も感じない、
でも、自分以外の事なら、気が変わるんだ
「んな難しく考えることないって」
「無ければ無いでいいんだよ」
「魔法が無くても生きていける」
「それでもイイなら、良いんだよ」
二人の子供は、無慾な少年の手を片方ずつ掴んで、ぎゅっと力を込めた。
「「生き物は――ただ生きているだけでいいんだよ」」
「死ねば嫌だとか後悔すらできない」
「それが嫌なら、無理とか苦しいなら、一緒にやろう」
「焦らなくていい、迷って当然だ」
「そう、考えること自体が間違いですから」
「今いる場所と、過去に置かれた事実と未来への希望。この三点を結ぶのが人生」
「願って望んで得たどんな魔法も、目的や夢や理想とかって辿り着く場所に向かうための、方法と手段に過ぎなくて……」
「大切なのは――過去から今まで生きた自分が、次へ行きたい場所への過程で道中で、歩みこそ人生の全て――」
「……ようは、道草のプロになれ!ってこと?」
エインの言葉に、子供たちは満面の笑みで返した。
「難題だねぇ……何が魅力的――か……」
魅とは未だ鬼と書く。もののけ、化け物の意。まるで魔性に化かされているような、異様に招かれている感覚、絵も言えぬ迫力、それなしには生きられぬほど、それしか考えられぬほど心を奪われる、ナニカ、それしか見えず、音が消えて、目に残る影響力を表している。
――怖気が走る。
鬼は、目に見えないもの、この世ならざるもの、死を匂わすものであり、安寧などない。
それなのに――みな、心に鬼を宿してる。惑わす化け物にいずれも時間を奪われて、身も心も明け渡すほど奪われて、まともではいられないのだ。
人ではないナニカに、雁字搦めに縛り付け、弾かれて、完膚なきまでに打ちのめされて、負けて敗けて、逃げて、諦めることもできなくて、死ぬまで離さない。
より良い望みのカタチは……唐突に――憧憬に導きを示す。
それは肌寒さと潮風だった。
パトラが魔法で呼び出したエインが無意識に映す光景――金色の空、黄金色の大地は砂浜、そして見渡しきれない大海原。
ザァーザァーと波の音を初めて聞く子供らは声も出せない。
この世界樹の森では珍しい湿度が高く低温な環境で全身に吹く潮風は、子供らに浸透し突き抜ける。
それはあまりにも綺麗で美しい、別世界的なあまりの感動に言葉を失う二人は、涙を流した。
「ねえアンナ。いつか大人になったら、こんな世界を渡り歩いて見たい」
「だなライゼン。その時はもちろん、アニキも一緒に三人でな!」
この一生の思い出となる景色を宝物に二人は誓う。
「「もし、みんなが神楽の日を超えて、もし、生き延びていられたのなら――この夢を未来を託す」」
ライゼンとアンナは、エインに深く深く頭を下げた。
「ほんとうに……ありがとう。兄さまが、生きて、いてくれて本当によかった――貴方がくれた時間が、楽しかった。不幸の中にも輝く幸せがあると、大切なことを教わりました」
「もう二度と……失わねぇ!何があっても、永遠に、命尽きても忘れない!自分の心に深く刻み込むよ。自分らは何があっても、心丈夫だから。どうなったとしても、アニキはこれっぽっちも気にすんなよ」
別れの言葉を口にするライゼンとアンナを見守ったパトラが、そっと二人の涙を拭った。
「できるだけ遠く、できる限り近くで、その人の、その心が、どんな道を選び生きていくのか。分かったより、分かりみたい――最後にいい物が見れました……素敵な、いい夢でしたね」
結論。エインは魔法を取得できなかった。しかし、幻想系が近いという結果を示せた。
エインは、パトラに連れられたライゼンとアンナを見送った。そして、見えなくなると一気に表情を固くする。
「さて、正直あまり会いたくないが、こればかりは致し方ない」
エインは一人で極彩社へと向かい、ある人物のところへ足を運んだ。
迷いなく歩調を緩めない少年は、神楽の準備と大忙しの皆とは違って、極彩社の囲炉裏の椅子にじっと座っていた一人佇む老人の前で立ち止まった。
「はて、運命が定まる大事の前に、余所者が儂に何を訊ねる気かのう?」
天涯孤独の高齢者は、迫る死すら恐れることなく、少年の生意気な態度に文句をつける。
エインは相手の口上を無視して、つとめて冷静に観察した。長い時を過ごしてきた皺を刻んだ顔面、筋肉が削がれて骨が浮き出る細い手足に、使い古された杖は、引っ掻いたような爪痕がびっしり付いていた。
「どのような結末であろうと、どうせお前とは最後だ。少し話そう、他にする事もあるまい?」
前口上も抜きにして、口火を切る。
「我が物顔か、偉そうに――」
エインは僅かに黒い感情を滲ませる――こいつ相手なら気を使わず加減もいらない。
呪鬼について聞かせろ、と言っても無駄だろうが、ならば逆に、浮かび上がらせるまで。
まず、呪鬼とはどんなやつなのか?
「アンタは怖がらないんだね、明日再会するのにさ。呪法を使いこなせず手も足も出せなかった腐葉共が必死に生き延びようとしているのに……お前だけ、諦観か?」
「…………」
懐疑的な視線を向けるだけで、ムトーはエインの言葉に返事をしなかった。
やはり物理も魔法でも呪鬼には通用せず、現状残された手段では敵わない存在であることは間違いなさそうだ。
「そんなにも僕と類似するかい?」
「たわけが……貴様如きじゃ鳥一羽にも殺されようが」
どんな姿形をしていたのか?ヒトではなさそうだ。
では、どれほどの強さで、四百人余りがどうやって襲われたのか?被害はどの程度なのか?
「御伽噺は、誇張されるのが常だ。世界を滅ぼすだなんて、お前が生きている時点で嘘っぱちの証明だ」
「呵々……呪鬼について知りたいのうじゃが、無駄じゃ。お前如きで何とかなるなら過去の犠牲が浮かばれんわい」
木こりとの神話に出てくる世界を滅ぼす被害は、一歩間違えればそうなっていた。暗に語る呪鬼と神話の比較は、非常に近しいとエインは印象を受けた。
この問答の真意も筒抜けとのことで、エインは言葉選びを止めた。
呪鬼は、どうやって生まれた?
「手順を間違えたのか?神楽は降神術と聞いたが……何をしたんだ!?」
金属が軋むような耳障りな含み笑いが、聞こえた。
「何の関わりもない小僧が、何の理由があっての言動じゃ!?」
強く握った杖をドンと床にたたきつける。
「疑わぬ他の者らは、狂っておる。記憶喪失の素性の知れぬ小僧、無条件で信じて、裏切られて文句も言えぬ――儂だけがまともなのじゃよ」
それは仰天する新事実だ。
――信じて裏切られた事があるっ!?まだ知らないナニカがいるッ!?まさか、二つ目の傀儡か!?
エインは、辛くも情報を得られた。
同時に、ムトーがあれだけ反論を繰り返す理由も推察できた。
盟神探湯だ。いわゆる神明裁判、なるほどムトーは常に議論をしていたのだ。輪から外され孤独に苛まれても、死ぬまでべきを成そうとしている。それがムトーの志だった。
「僕は呪鬼を殺す。誰が何と言おうとも僕は負けを許さない。その腐った瞳で今に見ていろ、下らぬ運命なぞ、ひっくり返してやる!」
「腐葉如きが……呪鬼は言わば理不尽な不条理、自然の摂理の体現者に近い、現実そのものだ。テトにすら助力なくては勝てぬ弱者めが……」
「そもそも勝ち負け強弱は話が違う。現実という強大な環境に挑み抗おうとするのは、無謀の極みを越して、自殺行為に等しい。生物の競争は勝ち負けではなく適者生存。だからコルトは逃げて隠れてを選んだ。真実を見抜くのは疑う目でなく、信じる目だ。コルトのようにな」
エインはそこで止めたが、続きがある。従順の内は体よく利用して、不要となれば使い捨てれば良い。
「これが最後だ。リナの本分――命は最上位の代償だ。しかしなぜ贄が正しいと思い込むんだ?神が望んだという証拠でもあるのか?」
しかし、目を閉ざしたムト―は、古く傷ついた年代物のパイプを取り出して、火を点けず口にくわえた。
「童、昨夜に木こりとを聞いたな?追い詰められると人は秘めた本性が出てくる。このカラフルも、さぞかし色が落ちたものよ」
気だるく煙を吐いたムトーは、吐き捨てるように言った。
「ならば分かるはず。悲劇を回避する手段を提示されながら、私欲で台無しにした愚直の極みをな。神の言いつけを守っておれば、狐を捧げておれば、より善い方へと流れたものを……」
どうやらこれが裏付けらしい……何の参考にもなりそうになく時間の無駄だと、エインはすぐに見切りをつけた。
「そっかありがとうじゃあね」
早口で端的に一方的な別れを告げたエインは、社の階段へと足を向けた。
――呪鬼とは誰だ?木こりか?神とは誰だ?ワールドメイカーか?僕は誰だ?何でここへ来たのか?
結局、過去の出来事を聞き出しても不明のままで、不明瞭のままで対決となる。既に情報戦という呪鬼との初戦は完全敗北を期している。コルトに泣きついて聞いてみるか?無駄だろうがやらないよりは良い。
エインは半ばやぶれかぶれで、コルトのいる社の最上階に行ってみようとした。
するとすぐ後ろから、パイプが勢いよく落ちる音が耳に届いた。
「小僧、救いをもたらす真の神なぞ――どこにもおらぬッ!神が望むは絶望じゃ!」
杖を勢いよくたたきつけて、激昂を露わにしたムトーが叫ぶ。
「時が過ぎるほど、否が応にも伝聞は移り変わる!儂が聞いた伝承ではな、自らの手で狐を鮮血で赤く染め上げよじゃッ!」
ムトーは息も絶え絶えに何度も咳き込んでもなお、猛り狂う怒りを露わにした。
「神は一存で人を救い、気分一つで命を奪う!神こそが悪辣の極みじゃが……誰も……奴には……勝てぬのじゃ……」
耳障りな音が何やら通り過ぎたようだが、エインは気にせず歩き出した。
結果として、エインはコルトに反応を示してもらえなかった。最上階の扉を開き、傀儡にデコピンを喰らわせても無反応。これがコルトの不在時の沈黙状態なのだろう。
どこに行っても作業中だったり会議だったりで、族長アルフレッドも守備隊長テトも何でも屋のパルも出会うことが叶わず、無駄足を踏んだエインは自宅へと引き返した。
「手がかり足掛かりはありそうだったが、結局は無為な一日を過ごしてしまった。リナの方はどうしよう〜……帰宅して即寝られたら詰みか?寝込みを襲うわけにもいかないし〜。翌朝に問い詰めるも、何を言えばいいか。つかその前にタイムリミットが。ん〜」
エインは思考回路を熱を帯びるまで激しく回した。
呪鬼とやらは呪法を使う。魔法じゃ呪法に勝てない。呪法のヤバさは、使った僕も知ってる。
片鱗だけで戦局を左右した程の実績。それを使い放題とすれば、現時点で呪鬼に抗う術はない。
カラフルに勝ち目はない。
呪鬼に抗するには、戦闘攻防は必須だ。しかし、決定打にならない。なるなら過去に四百人も殺されていない。
では残りの、幻想と付加が突破口になるか?呪法を封じ込めるお札があるなら、呪鬼に貼りまくればあるいは……?パトラの魔法で痛覚に訴えてみるか?
「リナはどこですかァッ!?」
飛扇を叩きつけて、パルが乱暴にリナの家の屋上へ不時着した。
「エェッ!?け、今朝、衣装を試着して神楽場の水張りをするって出ていったけど――」
驚きで飛び上がったエインを完全に無視して、全身から汗を流すパルムカラフルが大声で言った。
「行方不明ですッ!――リナちゃんが……いなくなりましたァッ!」
そのとき、エインの思考が、真っ白になり抜け落ちた。




