拾参話 世界とは主観である
重力軽減と風見鶏を駆使して宙を駆ける二人は、全速力で極彩社へ赴いた。
急ぎ屋内に入る前から、辺りには尋常じゃない空気が漂っていた。極彩社の様子は地震以上の大騒ぎ、先日の火事騒動を上回る混乱と危機に瀕していた。
カラフル全員が避難所として開放された大広間に集められ、顔面蒼白でぎっしりと身を寄せ合っていた。
呆然と立ち尽くしている人はマシな方で、ある者はガクガクと身を震わせ、言葉にならぬ声を発して涙を流して発狂するものもいた。
「退いて下さい!通ります!」
大声で群衆を割って走ってくるのは、帰還した調査班や守備隊の人たちだ。
エインとリナは彼らに便乗して後に続くと、怒声にも似た大声を響かせる会議室へと飛び込んだ。
「新たに十二本もの倒木を確認!これはもう尋常じゃありません!」
緊急会議では、まるで戦場にいるかのような喧騒の中、最新の情報が絶え間なく次々と送られてくる。
内容を見聞きする度、往来が激しい人々の顔には恐怖と絶望と、様々な面貌を浮かべていた。
「異常事態が急に、しかも連続に重なって、こんな規模の異変、前回にだって無かったのに――」
「昨日の今日で、まるで狙ったかのようだ……ついにこの時がやってきたか」
報告を受ける守備隊長のテトを見かけたエインとリナは、側に近づいた。
「テト!いったい何が起きた!?」
「いきなり各所で異変が観測され始めたんだ!――以前にも無い、前代未聞だ!」
その時、奥からカラフル族長のアルフレッドが三人の隣を走り抜けた。なにか大きくて重たい物体を運びながら――それは、独特の紋様を描かれた白い紙に包まれていた。
「あれは?」
「神札。呪法を使ったものとか、瘴気汚染の拡大を防ぐためのものだよ――つまり……」
エインの疑問に答えたリナの表情は神妙だった。
「オレ達は忘れもしない……あの痕跡、十年ぶりだ。またこれを見る事になるとは……な」
リナとテト以外にも気づいた者たちが、異常事態の中でも飛び切りの深刻さを知らせる証拠を見て、恐怖と混乱と、様々な表情で驚愕する。
「瘴気による汚染だ!?まさか、もう復活したの!?」
大事に抱えられて運ばれてきたのは、形はごく普通の世界樹の一部。
しかし、御札が剝がれた箇所を見ると、どす黒い。その異様は、ジュクジュクと焼き付くように侵食を推し進めて止まらない黒い染みが、不気味に付着していたこと。
それは、エインがパルの立ち入り禁止の場所で見たものと一致していた。
「あれが、呪鬼の周囲に漂う瘴気汚染とかいうやつか……」
黒い部分を見た瞬間、リナとテトは、目を見開いて驚いていた。
「っ……!?呪鬼め、まだ神楽前だというのに……リナちゃんッ!?」
テトに寄りかかる形で倒れるリナは、口をパクパクさせて何とか呼吸しているといった感じだった。
「だ……だいじょう……ぶ。それより、早く、今の話を……みんなにも!言わなくちゃっ!」
独り蚊帳の外の少年は、先日の火事騒動の深刻さを軽く超える雰囲気に、不愉快さを覚える。
「呪鬼ってやつは、そんなにやばいのか」
全ての情報が集められる中央会議室は、まるで言葉を交えた戦場だった。
「報告!慰霊碑の一部の断面から黒色の偏食痕を僅かながら確認!恐らくですが、瘴気汚染かと!」
「気象班より報告!!異常な水位の減少を確認!さらに異常な旱魃が発生。湿度が限りなく零に近く、あれだけの水が蒸発して、二日後には森の様子も元に戻るとのこと。蓄えられた貯水量を考慮した結果、もってあと数日ですっ!」
「生命草マフアが一斉に枯れ始めました!前回よりも、かなり大規模です!これはとんでもない生命の危機が訪れる前触れです!」
「これまで確認された物だけで百三十七本の世界樹が倒木!まだまだ増える見通しです!」
「小鳥たちが震えて、その、何かに怯えている様子で――一羽も外に出たがりません」
「ツムギが一斉に卵を産み死にました。本日孵化予定のモノも休眠または乾眠状態になったと思われます。この異変は、過去の事例と一致しています」
「報告!――昼夜の生物たちが一斉に姿を消しました。調べたところ、神楽場から逃げるように大移動を開始している模様!」
「虹鳥イーリスフォーゲルが夕暮れを過ぎているにも関わらず、乱雑に飛行して森を巡回しています。これは明らかな異常行動です!過去と比較して、神楽が行われる二日前の特徴と一致します!」
「まだ陽も昇る青空に、虹色に染まる月を確認。不吉の予兆と――」
「最新情報。方法は不明ですが、エインが金属であしらった本物の御神刀を入手しました!大至急、対処の判断を仰ぎたい。直ちに封印するのか、清めて奉納すべきか。神事として神楽に使うべきか。ぜひに裁可を!」
異常を知らせる人も、その話を聞いていた誰もが予感した。
間違いなく――この世界樹の森で、何かが起ころうとしていると――。
「以上を考慮しての総合的な見解を述べます。これはもう、可能性ではありません。二日後、確実に神楽の日が訪れます!」
「他には?……現状の報告は以上ですね」
報告事項をまとめた族長アルフレッドは、一息つく。
「そうですか、分かりました。みな、集まっていますね」
族長アルフレッドの真剣な顔が緊張感で満たされていた。
「厳命!万事、宿木から避難できるよう準備を!終わり次第、各自、悔いが残らぬよう、翌日までに別れを済ませておいて下さい!守備隊及び調査班の方々は残り、早急な事態の解明に全力を尽くしてください。今より――緊急事態を宣言します!」
重大発表に震撼する張り詰めた空気を揺らす杖の音が、等間隔で近づいてきた。
「やれやれ。前座如きで狼狽えおってからに~……それで?かの偉大なる聖賢竜殿はなんと言ったのじゃ?」
ふてぶてしい態度で現れたムト―の質問に対し、アルフレッドは静かに答える。
「解答を拒否しました。来たるべきときに備えているものと思われ――」
「この状況で不介入じゃと!?やはりコルトネリウス殿こそが真の黒幕やもしれぬな……」
相変わらずの文句に辟易しながら嘆息し、族長は重たい口を開く。
「この忙しい時に、まだ同じ話を繰り返す気ですか?」
「なら違う話をしようか?たとえば、もう一つの傀儡の話は?……のう、リナや?」
ムトーの含みを持たせた声に、びくっと体を震わせて、リナは過剰に反応を示した。
そして隣のエインもまた、眉間にしわを寄せる。
「儂が知らぬと思うとったか?あの傀儡、一つだけではあるまい?」
ムトーはリナの眼前にまで迫ると、顔を覗き込む。
「児戯にも飽いたじゃろ?仮初は終わりを告げ、咎を償う時が訪れたのじゃ。巫女姫よ」
追い詰めるような高圧的な物言いに、族長が激しい怒気を放つ。
「ムトォッ!貴方は息子さんの恨みを晴らしたいだけでしょうッ!!可能性だけのみで未来を奪うなっ!」
「これだけ起きてまだ世迷言かッ!?過去から学ばぬは腐葉な愚者ぞ!?」
「厳命ッ!事態を混乱させる発言は控えよ!思っても口にせず、己がやるべきを遂行せよ!」
老婆のムトーは、ギリギリと口を紡ぐものの、さしもの厳命には逆らえなかった。
ただ、族長を睨みつける目は反意に満ちて、鋭く冷たい光を放っていた。
緊急会議終了後、続けて上の階で開かれる重役会議にテトとリナが参加するとのことで、ぞろぞろと退室する人たちを見送るエインとパルは、二人きりで部屋に残った。
「あの~……その~……」
「ちょっと気になることがあってさ。ここで二人の帰りを待とう」
そう言って壁に耳を押し当てるエイン。狙いは当然、三人の会話の盗み聞きだ。
露骨過ぎる様子からパルも苦笑するが、見逃してくれるようだ。
「虹鳥イーリスフォーゲルが夜に飛ぶ行動は、神楽の二日前の行動です。きっと翌日は、泳牛リーフシードが日中に漂う姿を目撃するでしょう。神楽の前日の特徴、森中の願いの残滓を集約して、この世界に神を迎える総仕上げの時です」
アルフレッドは二人の反応を見てから、話を始めた。
「それでは、二日後の神楽について相談したいと思います」
先ほどよりは穏やかな口調のアルフレッドが話し始める。
「神楽を行う三人、巫女姫、神役、進行役であるリナさんエインさんと族長の私は絶対参加ですが――そもそもの前提として、神楽を行うか否かも決めましょう。念頭に入れておくべきは、災厄の再来。もし、またそうなれば、今度こそ全滅しますが……それでもやりますか?」
アルフレッドは一番偉い立場である巫女姫リナの方を向いた。
「はい。そうするしかないです。しない選択肢はありません。必要とあらば、巫女姫として厳命をします」
「そうですか。そうですね。はい。問題は、その他の方々の参加の是非ですが――」
「避難か待機か参じるか。その三択だな」
護衛の責任者たる守備隊長のテトが、すかさず声を上げる。
「前回と同じように、避難した方が良いと思いますが……」
リナの言葉に、アルフレッドが答える。
「聖賢竜コルトネリウスがその件については言及されました。全員、参加せよ――と」
「ぇ……理由を……聞いても?」
少し動揺を見せたリナが問う。
「前回と異なる――だそうです」
毅然と言い放つアルフレッド。
「エインか。確かにあの発想と行動力にはオレも驚かされたが……」
「呪鬼は理を超えた存在、いくらエインでも……難しいよ?……きっと……」
二人は、エインを信じているものの、相手が悪過ぎるとあまり浮かない顔だった。
「同感ですが時間がありません。十分に思慮を深めたくありますが、いかがしましょう?」
族長は最終決定をリナに促す。
「オレは賛成だ。バラければ前回と同じように各個撃破されるだけ。守り避難するにも、連携、統率が取れた全体行動ができない。いずれにしろ――」
「同じ結末を迎えるだけ。同意見です――苦渋の決断ですが……巫女姫の厳命であれば、皆が従います」
リナは、目を閉じて考えた後、一度頷いた。
「はい。わかりました――此度の神楽は、全員参加としましょう――不参加は許さないと、条件付きで厳命しておいてください」
「承知致しました。では次に、確認事項がいくつかあります。まず当日の具体的な手順を再確認します」
三人の会話から聞きたい内容を知れて満足したエインは、その時になって、やっと社を出た。
エインの後に歩くパルは、極彩社の扉をくぐってから、急に立ち止まった。
エインも足が止まった。袖をグイっと後ろに引っ張られ、振り向く少年の前で、パルが深々と頭を下げた。
「エインさん。いつも役立たせてくれて……ありがとうございました」
「ん?どうしたの?急に」
「いえ……二日後の神楽が失敗したら、きっとお別れでしょうから〜。今を逃せば、二度とゆっくり話せませんので〜」
エインは、「あ~」と言いながら、楽し気に笑った。
「そっか~。ありがとね!何もかもパルがいなければ、今日を迎えられなかったさ!」
「こちらこそ、また三人が一緒にいられるだなんて思ってもみませんでした~」
笑い合いながら談笑する二人だったが、エインが表情を変えた。
「じゃあお別れの前にさ、最後にひとつだけ大事なことを聞いていいかな?」
「え?……パルに、聞きたいことですか~?」
「うん。昔の、君たちの、呪鬼との邂逅について教えてくれ」
エインの言葉を聞いたパルは、静かに目を閉じて数秒、静かに語り始めた――。
「十年前、あの日を境にみんな、変化させられた。何もかも無くなって、パルは何もしなかった。何もできなかった。そんな自分が嫌いでした」
いつものゆったりとした口調は消え、パルは儚げに語る。
「でもどうしようもなく、全てを恐れて引きこもりました。変化が怖かったんです。静止した時間の中で、ずっと変わりたくないと、じっと考えない事を必死に考えて耐えてました。今にして思えば、あの時期は必要な手順で、でも当時は怖くて、恐怖と不安で押し潰されそうで、パルも自分を見失いました」
パルは、過去の自分を思い出しながら、身を震わせる。
「そんな日々を過ごしていた時、コルトさんは言いました。何もしなかったのなら、何かすれば良い。自分探しに有効なのは未体験の挑戦等による新しい景色の開拓。無理に好きになる必要は無いし、嫌ならいつでもやめていいから、先ずやってみなさい。と、百の課題を出されました」
「ほう……外を見て内を知る……か」
コルトの言動を瞬時に分析したエインは、さっと自分なりに要約した。
「特に断る理由も意味もなく、他にやることもなかったので、パルはやってみたのですが、どれもこれも、何もかも、思うように上手くいかず、何度も投げ捨てました」
パル・ム・カラフルは、かつての自身の弱みを惜しげもなくエインに語って見せた。
「しかし、リナちゃんが諦めずに教えてくれた。毎日少しずつ、できるようになってきた頃、思いもよらぬ事が起きました。それって、どうやるの?いいね。すごいね。教えてって、みんなが興味を持って声をかけてくれたのです」
パルの瞳に、明るい兆しが見えてきた。
「退屈凌ぎのつまらないことが、いつしか、誰かの役に立ったんです。その刻、勝手ながら、なぜか、報われた気がしました。やっと、パルは生きていいんだって……心に……思いが響いた。それから変わったんです。新しい事への挑戦が……夢中になって遊ぶように楽しくて、心踊るようになりました。どれだけ探しても見つからなかったのは当然です。外じゃない、心の中に、自分がいたんです」
パルは、ようやくエインの方に視線を向けた。
「聞いて見て感じて知った感情と記憶が重なり合って、何でもやって結果を出せて、何でも屋になってからのパルは、パルらしかった。だからもう、自分のことが嫌いじゃありませんよ〜」
「それは良かったね。それで悪いけど――」
後日談が聞きたい訳じゃ無いと、エインは言おうとしたが――
「禁止事項ですのでパルの口からは言えません。前回の神楽で何が起きたのか。然るべき人がエインさんに教えてくれますよ」
エインとパルの話が一段落すると、社の方からテトが歩いてきた。
「リナはもう少し時間がかかるぞ。お前らもやり残したことがないようにしておけ」
エインとパルの前にまでくると、テトは真剣な眼差しを向けた。
「先の調査は、結果的に無駄になってしまったな。考える間もなく、本命が来てしまったから」
「相手に時間を与えないのは、戦術の基本。鈍い鬼とやらには、どうやら知性がありそうだね」
テトはパルの顔を窺った後、エインの正面に立った。
「来てくれるのがお前でよかった。お前には礼をしても足りない。返し切れる恩ではないが、全霊を懸けてお前らを守るから――だから、どんなお前がなんだろうと、あたしらは相変わらずだよ。エインも……お前らしさを抱いて走れよ」
テトからの別れの言葉は、清々しく爽やかだった。
「ところで――話は変わるが。エイン、頼みがある。おまえ、リナと結婚しないか?」
その言葉を聞いた少年は、思わず足の力が抜けて膝をつきそうになった。
「ん?んンンっ!?と、突然。何を言い出すんですかァ!?」
いきなり思わぬ質問に、見事なまでの動揺を見せたエイン。
「神楽を終えたら巫女姫の継承がなされる。きっとライゼンとアンナのいずれか、または両方か。そうなるとリナは暇になる。だからエインが、リナの新たな志すべき事になってやってほしいんだ」
テトの真剣な顔を凝視した後、何とか熱暴走しかける思考回路を宥めた。
「パルからもお願いします!リナちゃんを貰ってあげて下さい!」
「なんなら、あたしとパルも付けるぞ?」
「ちょ、二人してなんでそうなる!?いきなり話が飛躍しすぎだ!」
「ところが、そうでもないんだ。カラフルは長命種。寿命は千年に迫るがな。あれから十年と経つが、一度も出産はない。たった百人のカラフルは、災厄が無くても絶滅の危機に瀕している。それだけ切迫している種族存亡の危機に、倫理観は無意味だ」
「ん〜、あまり愉快な冗談じゃないね」
「ははっ。まぁそういう話が自然と上がる事態だということを、エインにも知っていてほしくてな」
何を馬鹿なことをと思ったが、二人の目は真剣そのものだった。
「まったく……生きる術を選べるってのは、贅沢なことだよな……」
三人の後ろに、ある背の低い人物が接近していた。
「いやはや、正気を疑うのう。その目、その髪の色。どうにも闇が見え隠れしとるわい」
極彩社の奥から、口にパイプを咥えたムトーがやってきた。
「エインはコルトネリウスが認めた男だ。悪い口は厳命に反するぞ!貴様は邪魔だ。疾く去れ!」
老婆を睨みつけるテトは、鋭利な刃物を向けるように怒気を振りかざした。
「本物の邪魔者は、いったい誰であろうなぁ〜?」
不機嫌さを露骨に表すムトーは、テトを無視して少年を見据える。
「忌子の人形、狐の化生、神気取りの鬼、お前はなんじゃ?……気障な狩人……かのう?」
「あ?何が言いたい?老いさらばえた腐葉の分際で、まだ無駄な時間を過ごしたいのか?」
眉間に皺を寄せるテトの目が、どんどん鋭く、冷酷さを帯びていく。
「私怨を並べるな小娘が……お前とて元は同じ立場だったであろうが。あ?情が移った途端に、愛玩しおってからに〜。あやつの先代が務めを果たさぬばかりに、あの悲劇が起きたのではないかの?過去から学ばぬとは、カラフルの色も落ちたものよのぉ〜」
テトの放つ気が敵意を超えた。その手には圧縮された風の刃を用意して、今にも放つ寸前だ。
「なぁ、もう一度言うてくれぬか?お前の口から、命を捧げて疾く往ねとなぁ〜?」
「死に損ないの老耄がァッ!今すぐ真っ二つにしてやァヒィンっ!?」
テトが強烈な魔法を放つ直前、エインはテトの首から腰までを指で軽くなぞった。
「エインッ!こんな時に茶々を入れるなァ!」
とんでもない迫力で胸ぐらを掴むが、エインは飄々と受け流す。
「言い過ぎ。落ち着け」
テトの剣幕を宥めるエインは、ムトーの目をじっと見る。
「ムトー……お前…………わざとか?」
その時、ムトーが瞬きをした。
「素晴らしいその態度と言動――息子を代償に……何を叶えた?」
ピクリと眉が反応する。
「っ……もはや、叶わぬ願いに未練なし。未来と繁栄の為ならば、やむなしかたなし仕方なし」
案の定、息子関連は言及されたくないらしい。
エインの言葉で撃退されたムトーは、大人しく下層へと降りていく。
「待てェ貴様ァ!その腐った頭を下げて謝れよ!でないと――許さっ……なっ!?」
なおもムトーを追いかけようとするテトが、社の方を見て固まった。
立ち去るムトーと入れ替わるように、ひょっこりとリナが痛々しく笑っていた。
「あはは、ちょっと間が悪かったかな?会議が終わってさ、カラフル神話の『木こりと』をエインに話すように決まったんだけど……」
先ほどの張り詰めた空気が、別の方向へシフトした。
「テトちゃんいいよ気にしないで。言っていることは間違ってない。むしろ、ムトー様の正直さには救われる部分もあるから。分かっていても、優しい嘘はね、ちょっと堪えるんだ」
「だが、リナ!?あいつは――」
「ダメだよ。恨みに連なる感情は御法度。怨嗟は呪鬼を強くするだけ。でも、怒ってくれてありがとう」
リナはテトの背をさすって落ち着かせた。
「あとで、ムトー様に謝ろ?わたしも一緒に頭を下げるから」
「ふざけるなッ!そんな必要がどこにあんだよ!?」
「あるのっ!今度は本当に全滅するかもしれない!一番しちゃいけない事が分かるんだから、これ以上はダメェ!」
絶叫に近い啖呵を切り、テトを完全に言い負かしたリナは、いつもの調子に戻った。
「私は恨みません。誰の事も憎みません。だって、それが正しいんだから……」
「なんで、そう思うの?」
エインは沈黙を破ってリナに聞いた。
「それだけのことをしたから。ーーごめん、まだエインには知られたくない。貴方とは、まだこの関係でいたいから」
リナは、どこでもない一点を見つめて後ろを向いた後、この話をしなかった。
夜の帳が下りる森の中、かつて煌めいていた優雅な光景が嘘のように暗く静かで、微かに仄かな虹の道が散見された。二人が向かう先には、世界樹の中心。リナがエインと名付けたポイエインの泉がある。
「すごいね!もうその場飛行ができるようになるなんて!」
「リナとちびっ子達のおかげさ。これで神楽の神様役も、なんとか形になりそうだよ。ところで――」
飛扇のエインは、話を切り出す。
「呪鬼について、君に聞けと言われた」
「……うん」
「…………」
無言。
風を切る音だけがする中、彼は返事を待つ。
「…………」
無言で返すリナ。
それは、エインは知らなくていいという返事だ。
呪鬼は現れない。前回とは違うから。リナの虹色に輝く右目は、前だけを向いていた。
「…………」
もし出てきたら?エインは、やや凄んだ目で訴える。
「…………」
その時はその時だよ。にっこりと彼に笑いかけるリナ。
「…………」
全滅するよ?眉を寄せて訴えるエイン。
「…………」
リナは、エインの視線を切った。
エインとリナは、言葉いらず、視線だけで意思疎通をした。
リナが見せた、エインへの拒絶。
呪鬼のことも過去についても、リナは頑なに言うつもりがない。それは意地悪とかではない、理由はきっと、呪鬼がどうしようもない存在なのだ――自然の摂理と同じように……。
白い湯気が腰を下ろす二人を温かく包み込む秘湯温泉ポイエイン。
すやすやと寝息を立てるフェルネを挟んで、エインとリナは足湯に浸かり、一時の安息を満喫した。
「とってもいい湯加減~……神楽が一段落したら、また一緒に入ろうね!」
バシャバシャと音を立てて足を動かすエインは、顔を顰めてリナを見る。
「ところでさ、コルトっていつもこんな強引なのか?昔話を聞かせるだけに夜の森へ行けだなんてさ」
「ううん、すっごく稀だよ。けどそういう時は……決まって重要だから」
朗らかだったリナの顔が、神妙に移り変わり緊張に染まる。
「木こりと――古くからカラフルに伝わる神話で、一生に一度だけ聞いて、一生に一度だけ話していいことになっているの」
「それ、一度だけで覚えきれるの?」
「不思議だよね。わたしもそう思ったの。だけどバッチリ忘れなかったんだ」
「ふーん。リナは誰に聞いたの?」
お母さんだよ、と言ったリナの横顔が一瞬だけ、昔の面影を思うモノだった。
足首で波紋を作りながら、リナはこちらを見やり、話して良いかと少年に伺った。
人払いの為に、ここまで来る本気さ。一生に一度の機会を彼に使う覚悟、真剣な眼差しを向けるリナの思いに応えなければならないと、エインは姿勢を正して、こくんと頷いた。
「むかしむかし、うんと太古の物語――神が世界となる木を植えた。その樹はみるみる成長して、あらゆる変化と様々な命を産みだした」
最初の一文が、世界樹の名の由来となったことを示していた。
「神は、樹が育ち過ぎる前に未来を止めた。進化の果てには滅びのみ――」
なんでだろうね?と、リナは朗らかな口調でエインに言った。
「永きに渡る月日を経て、世界樹の果実から生まれたヒトビトは、天災に晒され苦しんでいました。このままでは、せっかく生まれた変化も途絶えてしまいます」
リナは、清澄な声で先を続ける。
「ヒトと関わることを控える神は、特別な人形を作り、落としました」
エインは、リナの肩る物語を必死に頭に刻み込んだ。降神術である神楽の原典。それはこの時にできたのだろう。この世界の人類史に当たる重要な部分だ。
「人形はヒトに神からの言葉を伝え、天災を一夜で祓いました。役目を終えた人形が力尽きる寸前、神からある使命を与えられました――世界の変化に抗えと」
リナはここで、一区切りついた。
珍獣のフェルネが、いつの間にか起きていて、エインの膝の上で丸まっていた。
「人形は傀儡のコルトさんだと思うでしょ?でも違うよ。これから語る木こりが、そのお人形さんのことなんだ。エイン……ここから本気で聞いてね」
エインが素直に頷くと、リナは目を閉じた。
「月日が流れ幾星霜――ある森の奥に、ひとりの男がいました――」
リナは子供に言い聞かせるように優しく、呟くように話し始めた。
男は神の言葉を聞きました。
十一年と三ヶ月を与えよう。
十年、川へ命を流せ。褒美に良いメゼスを与う。
一年、事を納めよ。物を語れるように。
三ヶ月、別れに備えよ。追われるように。
最期の日、我が身を返還せよ。
男は日が昇ると埃塗れの鉈を手に山へ入り、木を切りました。
川へ転げ落ちる木は流されて消えていきました。
男は日を生きるだけの恵みを頂いて帰路につき、日が沈むと眠りにつきました。
十年が経とうとしたある日、男の前に狐がいました。
付かず離れずの狐に目もくれず、男は気にしませんでした。
男は木を切りました。
翌日も外へ出てみると、狐は男の前にいました。その翌日もまた翌日も、やがて狐は見る見るうちにやせ細り、今にも息絶えそうでした。
男は木を切りました。
木を川へ流すと、不思議なことに天から光が差しました。
家に帰ると、そこには刀が一本とご馳走が並んでいました。
男は刀を手に取って振り下ろしました。
男と狐は恵みを有難く頂きました。
やがて狐は男の後をついてくるようになりました。
穏やかな日も、汗が流れる日も、葉が落ちる日も、雪の降る日も木を切りました。
いつしか狐は、いつも男の隣にいました。
一年が経ったある日、狐がいなくなりました。
気になって探してみると、山奥へ続く血痕がありました。
使い慣れた鉈を持ち、男は狐を探しに行きました。
赤い血をたどっていくと敵が狐を捕まえていました。
男は鉈を振りかざして敵に襲い掛かりました。
驚いた敵は狐を放して逃げました。
狐は辛くも命はありました。
男と狐は一緒に暮らしました。
山奥の木が無くなり、男はそのまた奥の木を切りました。
一つまた一つと山を越え、男は宝石を見つけました。
宝石を手にした男は、心が二つになりました。
一方は頷いた。一方は動きませんでした。
悩む男は、狐の為に切りました。
錆びた鉈に、刃こぼれが一つできました。
三ヶ月後のある朝に、男は声が聞こえました。
七日やろう。狐を捧げよ。
しかし、男は断りました。
すると、いくら木を流しても何も起こらなくなりました。
恵みが無くとも男は気にしません。日が昇り沈んでも狐と一緒にいられます。
七つ数えて、天から光が山の向こうに差しました。
男は深く穴を掘り、狐に出るなと言いました。
しかし狐は男の後を追いかけます。
悩んだ男は鉈と刀を持ち、狐を連れて行きました。
山を越えて、男と狐は光を浴びました。
しかし、何も起こりませんでした。
男と狐が家に帰ると、穴の中から敵が出ました。
男が振るう鉈は二つに壊れた。その隙に刀を奪われてしまいました。
狐は敵に切られて死にました。
男は叫びます。何で殺した!?
敵は言います。狐に襲われた。男にも襲われた。お前らが悪い。
男は叫びます。狐は何も悪くない!
敵は言います。木は何も悪くない。敵が悪い。
敵は赤く染まる刀で男を切りました。
男と狐はかえらぬ物になりました。
しかし、死んだ男の骸から零れ落ちた一方が言いました。
お前も死ね――
怨みと憎しみに染まりし黒は、たちどころに世界を飲み込み、全て無くなってしまいました。
やがて時が経ち、天から光がさしました。
再び、神は木を植えると、風と水で命が芽吹き、世界は大きな森となりました。
しかしその森に、男と狐はいませんでした。
リナは少しの間を置いた後、口を開いた。
「終わりこそ悲惨な末路を辿ったけれど、木こりと一緒にいる間、狐は幸せだったよ」
妙に清々しい表情のリナは、すっと立ち上がり、腰を下ろしたエインの手を引いて立ち上がらせて、歩き出した。
「それだけは……ぜったい」
しかし、リナの言葉にエインは引っかかった。
種の進化は、ある意味では絶望や窮地から生まれいづるもの。彼らは生きようとした結果、ついぞ叶わなかったのだ。適者生存。変化に負けたならば、甘んじて死を受け入れよ――死んで当然だろうに。
エインとリナの心中は、恐ろしいほどに対極だった。
巫女姫のリナは重々しく頭を下げ、礼儀正しく挨拶をする。
「聖賢竜コルトネリウス様。エインに『木こりと』を伝えてまいりました」
前回の重々しい空気はすっかり抜けており、傀儡の部屋は清涼感のある温和な雰囲気だった。
「リナ……いい名前を付けてあげたね」
前の時とは違って、傀儡は流暢に話し始めた。穏やかな風に揺れる陽だまりの新芽のように、家族団欒のような平穏な時間。
「あ……いえ、ちょっとした思い付きだったのですが、意外と似合うというか……その雰囲気が似てるようなって思っ――」
「二人で話す」
一転。リナが話している最中に割り込む端的な言葉は、続く少女の言葉を摘み取った。
無情に我に返り、一瞬で跪かせた後、コルトは早々に巫女姫のリナを追い出した。
まさに鶴の一声。やはりコイツは別格だ。
極彩社の最上階へ至る階段から音が消えて、静寂が横たわる。
立ちすくむ少年と傀儡が向かい合わせの空間で、時が過ぎていくばかりだった。
え~っと……――これは何の時間だ?まぁいいや、考え事はしたかったからね――傀儡は何も言わずの無反応で、暇になった少年は、先ほど聞いた『木こりと』の考察をすることにした。
あの昔話は予想以上に情報の宝庫だった。神楽は降神術。世界樹の森、滅びた前の世界と今は違う?
人形、傀儡、呪鬼は木こりの恨みそのもの?夜を喰った黒い世界樹は木こりが振り撒いた呪いの遺物か? 御神刀、あれが昔話の刀と同一?
そういえば、信じちゃいなかったが、天使のユキちゃんが僕に言った言葉、ワールドメイカー・
――ようこそ!不死身最強大繁栄、何でもありのワンダーワールド!思惑煮詰めた貴方のフェチズム御覧じろ!これでどんな愚人もチートで無敵なワールドメイカー!貴方好みの唯一がお出迎え!今度こそ……生前の望みを個の世界で叶えましょう!……お分かり頂けたかしら?造り手がいれば当然、壊す側もいる。既に始まりは告げられたわ。今の貴方がやるべきは私への熱烈インタビューかしら?それより、今後の事を考えれば?――
壊す側、それが呪鬼か?あれが木こりとに出てきた神と一致するなら、神とは誰だ?たとえば、僕がその神ってことになる?つうか……このコルトネリウスは一体、誰なんだ?
無言の時間が、少年に傀儡への警戒心を芽生えさせた頃――。
「コルトネリウス。意見指南役を仰せつかっている。では、空虚な少年よ。君は――」
「待てェ!その前に応えろ!――なぜ僕を信じた!?」
いきなり話し始めたこの怪しげな人物は、一瞥の間も無く少年を受け入れた。
動いた瞬間、空気が変わるこの強烈な印象を与える理知の化け物が、なぜ?何の確証もなく記憶喪失の怪しい男を認めたのか?その理由が知りたかった。
「今の言の葉で信ずるに足る証拠、では不満かな?傀儡に世界は見えないが、音は聞こえる。君の響かせた心が、とても健やかだったからだよ」
小綺麗な返答に、少年は不信感を募らせる。
「君には――」
だがコルトは、リナの時と同様、返事を封じるように先に重ねて言い放ち、続けて話を続ける。
「この虚構が解るだろう」
後ろから甲高い物音が鳴り、一枚の丸い物が一直線に少年の元へ転がってきた。
「ふん……世界共通の価値基準……代償の概念……お金だ」
瞬時に察した少年は、足元で動かなくなった古びた小銭を苦々しく拾った。
「それは時に紙より軽く、命より重い。即ち、価値は変化する。定めるのは、その人次第という事」
コインを弄ぶ少年は、傀儡を前に不思議と落ち着き払っていた。
「ここには誰もいない。何も言わない。遠慮はいらない。加減気遣い一切不要、心のまま思ったままの本当の音を言って良い。『木こりと』を聞いて――誰が悪いと思った?」
その問いを聞くや否や、少年の目つきが急激に鋭く変化した。
それはテトがムトーに向けたものより数段上の殺意だったが、傀儡相手に全く無意味だ。
少年は不快感が全身をグルグル回っていた。リナの言う通り、いや、それ以上の洞察力を目の当たりにして、本心を隠す無意味さを思い知らされているような、強い敵愾心にも似た挑みたくなる気にさせられていた。
これが独り言――なら、悪いのは……。
「…………木こりと……敵だ」
その答えに、傀儡は無言のままだった。
「木こりは狐を死なせた。狩人は狐と木こりを殺したからだ――殺されるくらいなら……殺せばよかった、でなきゃ逃げるべきだった……神も世界樹も元凶だ。ヒトビトも無能で何もできなかったが故に原因を作った。結局、何もかも奪われたじゃないか」
「少年は正しい。故に――間違えている」
まるで寝言でも言うように、コルトの声は静かで淡白な音だったが、少年は眉間に力が入る。
「狐を守ろうとした木こりは悪いのか?戦って勝てたのか?逃げれば永らえたのか?狩人が狐と木こりを斬り殺したのが悪いなら、木こりが切り殺してきた木々は植物だから悪くないのか?大切な命を守る為の殺しが良いなら、人類もまた同じではないのか?神も樹も環境を提供しただけだ」
「ならァ、誰が悪いィッッ!!!!」
怒りを混ぜた絶叫を吐く少年。
「世界が違えば悪さも変わる。……これは持論だけどね。たとえば、私と少年の見ている世界は、寸分違わず同じだろうか?」
コルトは少年が口を挟もうとする前に喋り始める。
「違うね。私たちは同じ場所同じ時間に存在しているが、同じ解釈、同じ答えを持ち合わせていない。即ち、同じ世界に生きてはいない。では、世界とは何だろうか?」
コルトはここで喋るのを一旦止めた。
無音が三十秒近く経ってから、どうやら答えさせるつもりだと少年は気づいた。
「ちっ――宇宙……星?……環境……価値観…………いや……世界観?」
「世界とは主観だ」
目の錯覚か、傀儡が少し上を見上げたような気がした。
「それぞれに己が心に基づく世界が必ずあり、各々の様々な善悪と価値基準が存在する中で、一概に何が悪いとは言えない。たった二人、私と君とで既に違うのだからね」
傀儡の諭す真実に追いつけず、少年は頭が痛くなってきた。
「人それぞれに正しき解がある。故に解無し。だけど私はね、誰も悪くないと思ったよ。ただ……悲しい――」
悲しい――だと?
その言葉を咎める言葉を持ち合わせておらず、残虐の限りを尽くした敵すらも悪と断じなかったコルトの世界は、彼にはとても理解できず首を傾げる少年。
その態度が結果的に、コルトの持論に同意せざるを得なかった。
「リナのミフィタが、切れたそうだね」
「え?あ……うん」
話が急展開して反応が遅れてしまい、返事がおろそかになった少年。
「リナは……どんな願いを込めた?」
「っ!?……それは……っ……その……」
的確に急所を突く洞察力を認め、彼は同時に末恐ろしい者と対峙している事と理解した。
コルトは既に少年が答えに至った事を洞察だけで把握していたのだ。しかもその確信をおくびにも出さなかった。口調は優しいけれど、無言の圧迫感は泣き喚く赤子すら黙らせるような有無を言わせない迫力と威圧感があった。
「リナの………願いは…………ぃ………」
彼は言葉として出す事に躊躇した。
自分勝手な妄想だと、事実無根の出鱈目な邪推に過ぎないと――そう信じて真実から目を背けようとしていたからだ。
でも、思い浮かんでしまった。否定しようとリナを見るたびに、確信が増えていくばかりだった。
初めてそうだと思ったのは初めて彼女と話した時で、確定したのは……燃える宿木に平気で突入し、テトを逃がすために取った行動だ。
そして何より、『木こりと』を話し終えた後に言った言葉が証明した。
「……死に……たい」
それは自他の二択しかない。
リナの性格上、他者である可能性は零に等しかった。
初めて少年が少女と出会った時の言葉――貴方が殺してくれるの?
あれは、リナの心からの叫びだった。




