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拾弐話 調和主義

 雨は、降り続いた。


 天上に腰を据えた雨雲が地表に恵みを与え、日が昇る頃には水で覆われていた。景色が一変するほどの急激な環境変化から半日余りで、世界樹は恐るべき適応力を示した。

 なんと、焼けた針葉樹林から、湖の森へと生まれ変わり、水面から細長い幹が多数生えているマングローブの植物群体が形成されていた。 


 唯一残った針葉樹である宿木の周りは、足がつく程度の泳ぎやすい水深で、遊び場に適していた。

 外出許可の時間になった瞬間、大人も子供も入り乱れて水遊びを行い、みるみる泳ぎをマスターして潜水もお手のものとなっていた。


 昨日の窮地を忘れて、誰もかれもが歓喜と共に水浸しを楽しんでいた。

 その愉快な様子を宿木の幹の上から眺めていたエインは、ひとり呟いた。


「結局……奴の思い通りか」

 火災による宿木の被害は、見かけによらず最小限だった。

 黒焦げと化した見た目ほど甚大な被害はなく、パルの研究所や重要な資材置き場など、失って困るものはすべて無傷だった。


 理由は単純明解。あの傀儡の仕掛けた魔法が、主要施設の空間を真空状態にしたのだ。

 炎も爆発も、自然発火する高温の伝導さえ空気を伝う現象。どうしても空気を必要としている。固体や気体を介する事ができず、別の物に伝わる事ができなかった。


 聖賢竜コルトネリウスの完璧な火災対策は、宿木内に誰もいない状況を作り出して、その他一切の存在を遮断することで、火の手を全て払い、変素の枯渇も起こさなかった。

 それだけではなく、復興の準備も予め用意されていたかのように、一時間後には元通りになっていた。 

 まるでこうなると分かっていたみたいに――。


「きっと自力解決できなければ、僕らごと真空にして消火して終わりだった。けどそれだと、テトの確執は解けないから、あの状況を利用した」

 エインは、極彩社の最上階がある方を睨む。

「その態度も気に入らないが……何よりも、あの言動……」


 それは昨夜のことだ。

 エインは静寂が満ちる極彩社の最上階まで上り、ズカズカ神聖な部屋に入ると、あの傀儡が鎮座する祠の扉を豪快に開けた。


「失礼。夜分遅くに邪魔するよ。僕のべきを成す為に、この上着の裏にあの魔法を刻め!」

 強気な語調と態度で、少年は脱いだ上着を祠のお供え物の場所に置いた。

「衣服の裏なら別に問題ないだろ。手短にやれ」

 しかし、しばらくしても傀儡は無言の無反応だ。

 不在時もあると聞き及んでいるので、これも彼が予想した展開の一つだった。

 しかし、少年は不快感を露わに表情を歪めた。

 いざ緊急事態ともなれば、すぐに応答できるはず。あの傀儡の有能さを鑑みれば、それは間違いようもない確かな事実だ。

 わざと沈黙を続ける傀儡を前にして、一息ついた少年は、足を踏み鳴らして怒気を示す。


「早くしろ時間が無いんだっ!その見窄(みすぼ)らしい木偶人形(でくにんぎょう)――バラバラにするぞォッ!」

「生き物の生き方に定義――」突如した声に思わず「んむっ!?」と驚く少年――「定めがあるとする。……なんだと思う?」

 一拍置いて、我に返った少年は、問われた内容に僅かに逡巡(しゅんじゅん)――い、いきなり禅問答か!?正解しなくばしてやらない……とかって流れか?……まぁ別に拒否る道理もない。

「あぁー……へぇぇ?そうだなぁー、ん〜……生存に……奮闘する……とか?」

「喜怒哀楽のうち、どの顔を見る?」

 言われるがまま考えて出した応えを、傀儡は是非を待たずに次の問いかけに乗り換えた。

 少し苛立ちを覚えるものの、また少年は考える。

「っ……普通、喜楽じゃね?」

 ――いや、注目度合いだけなら、怒哀の方か?もし、表情を浮かべるのが自分とするなら、きっと無表情なのかな。

 少年が思考を終えたあたりで、コルトが動く。


人世(ひとよ)楕円也(だえんなり)(おのれ)と相手の焦点(しょうてん)()()(じく)()す」

「んぁ?」

 首をかしげる少年。 

「人に迷惑はかけて良い――正しき(まこと)の善意なら。()の方を傷付けたくない――(しか)るべきに背を向けるは自心を守る虚偽。さもありなん、心の歪みの本質は、思い通りにならぬ事――故に――」

 心の歪み……ってのはストレスのことか――こいつ、僕のやろうとしている事が判っているな。いやはやなんとも恐ろしいことで……。


()真円(しんえん)調和(ちょうわ)する」


 ――要は人が自由にできる唯一は自分の行動だけ。コミュニケーションの調和において、自分を中心とした真円は描くな。さもなくば誰もいなくなる。そして多数ならではの調和の形は、互いの意見と立場を尊重し合う対等な関係、焦点二つに中心点一つの楕円形。と、言いたい訳だ。なるほど、悔しいが一理ある。が――虚しいな。


「つまり貴様は調和主義か。確かにそれは万能の解答者だ。一つの到達点であり、それ以上の崇高な理念は無いかもしれんね。だが、それは理想のこじつけだ。聞こえは良いだけのご高説だな。この世に、そんなものは無い!」

 少年は力強く断言する。


 すると、風がふわり(なび)く。

 

「どれだけ願っても……心から望んでも――到達が絶対にできぬ領域がある――その(とき)……どうする?」

 聖賢竜は、次の言葉を彼に贈った。

「……っ」

 返答に詰まった。思考すらままならず、身動きひとつ出来ない。

 拒絶に近い硬直は、諦めるとか盲目的に信じるといった、言葉の上部だけをなぞった返事もはるかに遠く、まるで及びがつかない。


 動けなくなったままの少年が、気づいたら、ふと、傀儡から気配が消えていた。


 エインは服の裏を見ると、目的の天魔護風陣が刻まれていた。

 確認してから即座に踵を返した。

 まるで逃げるように足早に階段を下りていく最中、思い出したように流れ落ちる冷や汗を拭いながらエインは思った――コイツは本物の化け物だ――言葉で競えば、勝てる気がしない。

 

 エインの鼻先に落ちる一雫の水滴。


「調和を掲げるくせに、まるで妥協は許さぬとでも言いたげな物言い、その程度の挑発で僕は泳がされないよ」

「なんだ〜、エインは泳がないのか?」

 ぬるっと斜め上からエインの視界に入ってきたのは、際どい紺色ビキニ姿のテトだった。

「えっ!?いや違くて。んー、ここ男性って二人だけじゃん。そりゃ大手を振って行けないでしょうよ」

「誰も気にしないだろ?水臭い奴だな〜」

 呆れる表情で、テトは水が滴る髪をかき上げる。

「僕がするんです!ったく、配慮してほしいもんだね。んで?リナは監視対象を置いてどこ行った?」

「なんでも〜緊急の報告を受けているそうで〜」 

 テトの背後から、花柄のフリルが付いた可愛らしい水着姿のパルがエインの隣にやってきていた。

「お!?昨日の最優秀じゃん!可愛い格好だね!」

「どうも~。それと~エインさんはもう監視対象じゃありませんよ〜」

「コルトさんと同じ扱いになった。エインはもうオレ達の同胞だよ。これからは自由だ」

「あ、でも〜エインさんは誰かと一緒でないと飛べないので〜、あまり変わり無いですね〜」

「へぇ~……そりゃあいいご身分じゃないか?え?色男さんよぉ」

 テトは無理やりエインと肩を組んで、小さな声で凄む。

「なんだかんだと有耶無耶になっていたが、日記の内容は、誰にも話すなよ?もし破れば、オレの頼みを一つ聞いてもらうぞ?わかったンニャ~~~!?」

「首から腰へフェザータッチ、本当に弱点なんだね〜」

 あまりにも無防備な弱点がまる出しだったので、エインはつい出来心でやってみた。

 指先一本により、一瞬で形成逆転されたテトは、必死で抵抗するも、水着を掴まれて逃げられなかった。

「やめっ、やめろぉ!せめて人目がある内はやめてくれ~!」

「あ、わかったごめん。嫌だったよね?すみません、申し訳ない!金輪際、もう二度としないよ!神に誓う!」

 イタズラ心に火がついたエインは、今度は思い切り引いてみた。

「あっ……たし、そ、そこまで言ってないから……やめ……ないで……くれ」

 昨日を境に、テトは弱みを見せるようになった。初めて会った時とはまるで別人で、未熟なしおらしさが可愛いらしくて微笑ましい。


 その時、両手がピンと引っ張られ、エインは目線を落とした。

「兄様ご機嫌よう!ライゼンが参りました」

「来たな兄ちゃん!今度は泳ぎで決闘だ!」

 エインに話しかけるふたりは、いつもの格好だが、普段と違う空気だった。

「あれ?二人とも建前はどこいったの?」

 本性を曝け出した二人の変化に、エインは思わず瞠目してしまう。

「え〜!?自分の名言も忘れたのですか!?」

「自分らしさから逃げるな!くぅ~痺れたぜェ!」

 今度はエインが半ば呆れながら、二人に聞いた。

「それより、二人のご両親はなんて言ってるの?」

 ライゼンとアンナが、にやけながら答える。

「無茶な無理が限界ギリギリ持ってた親子関係がよ、九死に一生だったからな〜!」

「兄さまのお言葉と昨日の火事の一件を境に、自分を大切にして欲しいと言われましたの」

 キラキラと輝く瞳を向けられるエイン。

「あ〜……アレねぇ、ただそれっぽい事を言っただけなんだが~……」

 そう言って、エインはチラリとテトを見やる。

 あの台詞は、テトへの精神攻撃の切り札としてエインが用意したものだ。彼女の抱える心の問題を見せつけて、運が良ければ解決へ導く為の一石だ。たとえ有効でなくとも、少なくとも耳障りになり精神の揺さぶりにはなった。

 実際は大成功を収めただけでなく、その影響力は予想以上で、観戦者にも感染してしまっていた。

「お暇でしょう!?お暇ですよね!?ライゼンは兄様と遊びたいです〜!」

「ほら一緒に潜ろうぜ〜!風輝球の乗り方を教えてやっただろ~!」

 右へ左へあっちこっち引っ張られる少年。

「君たちさぁ、潜るったってどこへだよぉ〜」

「あの黒い水の出所だよ!さっき行ってきた」

「ええっ!?」

「でも途中から光が無くて暗くなったから、引き返してきたのです」

「いやダメだよおいおい!?それに光が届かないって、深海二百メートル付近まで行ったの!?その調査の話し合いを上役はしてたのでは?その前に行ってちゃいけないでしょうが!もう~……」

「「だって自分らしさじゃん!」」

「何事も程度ってのがあるんですぅっ!――ったく……」 

 早速あの傀儡の言葉を思い出して、エインは少し不機嫌になった。

「お邪魔はしませんからぁ〜」

「連れてけェ〜」


 そんなエインの手を掴んでブンブンと振りだした二人がギャ~ギャ~と喚いていると、上から風を切る音がした。


「あれぇ~?両手に花だね!」

 微笑でからかうリナに、エインは顔をしかめる。

「んー……でもこれ、毒と棘があるよ」

「おいっ!どっちがどっちだぁ!?ゴラァ~!」

「酷い!?ムトーさんに言いつけてやるんだから!」

 ギャ~ギャ~怒鳴り散らす二人を指さして、ほらね?とエインがジェスチャーする。


 苦笑で返したリナは、すぐに真剣な眼差しで口を開いた。


「コルトさんから許可を得ました。これから黒い水の出どころを調査します。エインも来て!」



 石油が湧いた場所。宿木の最下層の更に下に位置する根本部分には、世界樹の幹に接続する箇所がある。その中を通れば、世界樹の内部に入ることができる。


 この世界樹の下に何かがある。その仮説の解明を目的とした調査に参加したのは、巫女姫のリナ、族長のアルフレッド、その補佐のパトラ、守備隊長テト、研究者のパル、――そしてエインの主要メンバーが集まった。


 そう考えた調査隊一行は、大量の石油が通ったであろう黒い染みの痕跡を辿り、ついに亀裂を発見した。

「世界樹の下部組織が変異を起こし、石油となった仮説の検証。はやくも手がかりが見つかりましたか」

 目的地までやってくると、雨の影響か、水没した亀裂の奥に黒い穴がぽっかりと開いていた。


「あれか。思ったより小さい。空間でもいじったか」

 テトが接近を試みるも、エインが前に進み出た。

「ちょい止まって。まずは、確認が先だ」

 エインは試に、手ごろな木の枝を近くで拾って穴に投げ入れてみた。

 水しぶきが上がり、音もなく沈んでいた。

「とりあえず……何の変哲もない水のようだね」

 エインがそう言うと、一行は緊張を解いて準備を始めた。

「では早速、取り掛かりましょう」

「なんだか~……ワクワクしますね~」

「オレには不吉に見えるがな」

「だよね~!ここ暗くて陰気だも~ん!はやく帰ってお菓子食~べ~た~い~!」


 彼らの魔法を結集させた最高傑作の探査機。

 パルが折紙付(おりがみつき)で世界樹から作った紙飛行機に、リナの風見鳥(かざみどり)、テトの渦戔流舞(かぜんりゅうまい)で遠隔操作での潜航が可能となり、そしてアルフレッドの千影夢幻(せんえいむげん)とパトラの音頭殷賑(おんどいんしん)で、紙飛行機の前方の映像を映せる様になった。

「ここまで魔法を重ねると、無人航空機が作れるとは……魔法、恐るべし!」


 大雨によって水没した世界樹の幹の内部へ探査機が潜水を開始すると、パトラが声を弾ませる。


「はいは~い!映像を見るには~目をぎゅ~っと閉じてね~!」

「ちゃんと見回すことも可能なので、僅かな違和感でも構いません。遠慮なく発言をしてください」


 エインは眼を閉じると、暗闇の中の水中を突き進むような感覚が伝わってきた。

 慎重に、ゆっくりと自重で沈む紙飛行機。


「真っ暗で何も見えないね」

「ご心配なく~。そんなこともあろうかと、コルトさんがしてくれました~」


 パルが指をパチンと鳴らすと、光が前方を照らした。


「ほう……どこをどう見ても樹の中だな」

「でもでも~!油の痕跡は全くないよね~!」

「妙ですね。この穴から黒い水が出てきたはず」

「水と油の関係ですから~、上部に黒い染みが残っていてもよいはずなんですけどね~……」


 探査機は巨大な道菅を下へ、更に下へと降っていく。

「この大穴、まだ奥へ続いていますね」


 アルフレッドがそう言うと、黒く巨大な植物が闇の奥からうっすらと浮かび上がった。


「あっ!?アレって――リナ!」

「うん……先代の……第一世代の、黒い世界樹」

 エインとリナを除けば、初めて見るであろう神聖な存在に、彼らは言葉を失っていた。

「存在は聞いたことがありますが~……これが世界樹の中心なのですね~」

「この黒い世界樹から滲み出てきたという仮説を調べるには、サンプルが欲しいが、どうだ?」

「それはできません――とても神聖なモノです。それに今回、物を運搬する魔法までは用意してません」

「今回は行って見て帰ることが重要ですから~。標本はまた次の機会にしましょう~」


 探査機は、水没した禍々しい黒い世界樹を横目に、更なる深みへと沈んでいく。

 既に水深は千メートルを超えて、強烈な水圧に押しつぶされているはずだった。それでも無傷の探査機には当然の様に、天魔護風陣が仕掛けられており、難なく潜航を続けていた。


「この世界は平面。それが私達の常識だし、誰も疑いすらしなかった」

「……そうですね~。疑問を感じてもどうせ確かめる術がなく意味もないため、誰も気にしませんから~」

 黙って聞いているエインも同感だった。宇宙の外側に何があるのか?考えても時間の無駄だから、止めてしまうのだと。

「うん。けど、エインは球だと言ったよね」

 リナが突然、エインに声を掛ける。

「もしエインの言うとおりなら、この平面世界の土台、境界線があるはずだよね。カラフルの誰もが一度も触れたことが無い前人未到の底からやってきた。聖賢竜コルトネリウスさんがそうなら、私達は新しい世界の片鱗に触れているんだ」

 リナは眼を開けて、エインをじっと見つめた。

「ねぇ、エインは……どう思う?」


 問われたエインは、少し考えてから俯いた。

 かねてより危惧していた事実を言うかどうか、しかし、この状況なら問題ないと思い、決めた。


「今更なんだけどさ、聞いてくれる?……ひとつだけ、ずっと隠していたことがあるんだ」

 この場にいる人たちに、エインはあの黒い霧について話すことにした。


「僕は触れたことがある。リナと出会って少し歩いた後、あの古い結界付近で、黒い霧を見たんだ」

 その場の人たちが全員、目を開けてエインの話を聞いていた。


「嫌な気配のモヤモヤは僕を包囲して逃げられなくしたんだ。仕方なくて触れてみたら、電気が走ったみたいになって、いつの間にか消えていた。もしかしたら、黒い光の粒子の集合体が瘴気、最悪の場合は、呪鬼(じゅき)に関わることなのかもしれない――すぐ言わなくて……今更になってごめん。あの時点では、保身を優先させるしかなかったんだ。それ以降も、それどころじゃなかったし……」

 追及は覚悟の上だった。せっかく積み上げた信頼を損なうことになったとしても、彼らのためになら構わないという、エインの気持ちだった。


 この場にいる者たちは、エインに目を向けることを止めた。 

「結界から抜け出したあの時だね。なんだか、もう懐かしいや」

 リナは、なんの変りもなくエインに返事をした。

「構わないさ、生きてりゃ隠し事くらいあるもんだろ」

「ですね~。こちらこそ、呪鬼の話や御伽噺(おとぎばなし)はまだしていませんし~」

 後に続くように、テトとパルは柔和に応える。  

「瘴気が人に触れると汚染され、心身を蝕み、やがて取り込まれてしまうそうです」

「だから~!別にいいじゃん~!気にしちゃメッ!だよ~!」

 残り二人も、エインを咎める様子を一切見せなかった。 

「不義理と……言わなくていいの?」

 エインは、目を閉じながら聞いた。

「構いません。それより重要な話を聞かせて下さり、ありがとうございました。その黒い霧の詳細も不明ですね」

「過去の事例でも、類似するものは知りませんから未知ですね~」

「触れると消えるだけなら恐るるに足らない。オレには瘴気や石油の方が危険だな」

「眠くなってきちゃった~!もう帰ろ?ダメ?そっか~」

 いつも通りのみんなが目を閉じて探査機の映像を見ていると確認したリナは、こっそりとエインの隣に移動した。

「心丈夫だよ――何があっても、わたしが側にいるから」

 


 調査を始めて一時間が経過。調査機のいる深度が一万メートルを超えた。

 それでも黒い世界樹が相変わらず存在し、真っ暗闇の穴はどこまでも深く沈みこんでいた。

 長時間による強烈な水圧によって、あらゆる環境から守ってくれるコルトの最上位魔法、天魔護風陣がミシミシと音を立て始めた時だった。


「ん!?何か見えるぞ!?」

「これは……粉?」

「むぅ……なんでしょう……黒い水とは無関係のように見えますが……」

 灰のような、白い粉のようなものが水中に舞っているのが見えた。

「あぁ……この砂みたいなやつね――僕は知ってる……たぶんね」

 彼らと違う態度のエインは、雪のように降りる白い物からマリンスノーという言葉が浮かんだ。

「いささか関与しているかもしれないよ?共通点がある。この白い粒は、生き物の名残りの沈殿物。だとしたら、石油もまた生き物の死骸から作られる。どちらも生物の死が由来だ」

 それは極めて神秘的な光景だった。まるで時が止まった世界を土足で踏み入るような、場違い感はあるものの、感覚を突き抜けるナニカを思わせる神々しさだった。

「そうですか――これは、とんでもなく貴重な情報ですね」

「はい……まさか黒い世界樹のお膝元に、こんなものが溜まっていたなんて……」

「つまり、過去にそれだけの生き物が繫栄していたという証拠なのだな?」

「そんなことより、すっごく綺麗じゃない?暗い所でキラキラと……参考にしよ~っと!」

「第一世代の世界樹、もしかして……あれが黒いのは……ううん、考え過ぎかな」

「燃えた時の灰かもしれないって?それはあるかもね。灰は植物の成長に役立つから――でもいつどこで何を燃やしたらこんな残骸が積もるんだ?――あっ!?映像が消えたっ!?」

 それぞれが反応する中、眼を閉じるエインが声を荒げた。


 ブツっ――と、探査機からの映像が、突然途絶えてしまったからだ。


「ナニッ!?この魔法の断ち切れ方……覚えがあるっ!」

「はい……どうやら~これより下には、変素が存在しないのですね~」

「そのようです。変素の枯渇に伴う魔法の弱体化、正式名称は、魔力喪失現象と言いますが、火災の時と異なり、一瞬で完全に断たれてしまいましたね」

「あのぉ〜気になる事があるんですけど〜。世界樹の下には、根本を支える膨大な土があって、底から黒い水がくみ上げられたのではないでしょうか〜」

「さすがにないって!?だってそれは、昔話の出来事だろう!?」

「いえ、全ての可能性を考えるべきです。エインさんが知らなかった魔法や呪法が存在しているのですから、無い事と証明するのは――至難の業ですよ」


 皆が思い思いの考察を語る間、黙っていたエインは、真っ暗になった映像をじっと見続けた。


 ――魔法の燃料が切れて映像が途絶えただけなら、変素が溜まっている場所が僅かに残っていれば、紙飛行機と魔法がある限り、一時的に再開する可能性がある。



 すると……幻覚かどうかすら定かではないが、少年の瞳の奥に反射される光が、うっすらと明るく見えて来た……気がした。


 それは目を閉じた時の、うっすらと残る白い模様のように、脳の内側に投影された青い空に、そこだけぽっかりと孔があいたかのような、真っ黒い染みが一滴。


 その一点だけが、不思議と夜になっていた。


 水溜りのように、空に広がる孤独な夜へと伸びるのが、木の根の様な、黒くて細い糸状のもの。


 黒い世界樹だ。黒い世界樹の根っこが、空へと縋りつくように伸びていた。


 ――空を……いや……夜を……喰っている!?


 少年は、身を乗り出した。


 天と地が入れ替わるように、黒い世界樹の上部に枝葉の代わりとなるかのように夥しい数が根を張り、水溜りのように集まる夜を、美味しそうに取り込む様子が映し出されていた。

 

 少年は、居ても立っても居られず、存在しない肉体を動かそうとした。


 すると歪な黒い世界樹が、少年の気配に気づいたのか、ゆっくりとこちらの方へ近づいてくる。


 いや違う――少年から近づいている。否、捕食目的で、吸い込まれているのだ。


 彼は手も足も出せず、何の抵抗もできずに――闇の孔に飲み込まれるのを待つばかりだった。



「エイン……エイン!?」


 リナに肩を揺すぶられて、エインは元の世界へ返ってきた。


「あ、あぁ……何でもない」

「ほんと?すごい汗だよ――どうしたの?」

「いや。さっきの光景で興奮してたんだよ。それより、みんなは?もう戻ったの?」

 その場にはエインとリナしかいなかった。

 激しい頭痛に苛まれて、意識が朦朧とするエイン。

「うん。急にコルトさんから招集の厳命が下ったから――でもエインが眠ったように動かないから、みんな先に行っちゃったよ」

「なら急がなくちゃ――っと?」

 それを聞いて立ちあがろうとしたら、エインは自分とは別の重さを感じて、バランスを崩した。


「あれ?……エイン、その腰の物は……何?」

「んあ?あれ?何だこれ?白鞘(しろさや)の――刀?」

「うそ――そんなっ……ありえない!?」

 それを見るやリナは、今日一番の驚愕を魅せながら手で口を塞ぐ。

「もしかして……それ、御神刀(ごしんとう)?本物?エイン、それはね、神楽で使う本物の神具(しんぐ)だよ――初めて見た」

 それは、白鞘に納められた一振りの刀だった。

 何の特別感もなかったが、さすがに捨てていく気にはならなかった。

「そうなの?じゃあついでに持っていこうか」

「う――うん……」

「そだ。コレ、一番偉い巫女姫のリナが持つ?」

「ダメッ!それは……エインが持ってた方が……いいかも」


 恐怖の色を見せながら、沈黙するリナはエインを連れてぎこちない飛行で宿木への帰路につく。

 リナの背を掴んだエインは、先程の黒い世界樹があった場所をチラリとみやる。


 今回の調査結果は、良かったのだろう――だがそれは、果たして開いても良いものだったのか?

 石油が噴出した原因が判然(はんぜん)としない中、なんとか日が暮れる前に世界樹の幹と宿木の繋ぎ目に戻った。

 が、しかし、なにやら不穏な空気が漂い、宿木はいつもの雰囲気ではなかった。


「あれ?……誰もいないね」


 宿木の中層にまで上がっても、誰もいない。朝からずっと水遊びをしていた人たちがいなくなっていた。


 代わりに迎えてくれたのは、バサバサと騒ぎ立てる赤い鳥だ。魔法で作られた赤い鳥が羽ばたきながら、エインとリナの頭上をグルグルと回っていた。


「赤い鳥!?厳命は私たちだけじゃなかった!?一人残らず、みんなが社に緊急招集されている!?エイン、これは()()()()()か、()()()()()()()()()だよ!?」

 

 その時、まるで鮮血をぶちまけたような夕暮れの光が、リナとエインの全身を染め上げていた。

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