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拾壱話 心を強くするには傷つくこと

「貴様ァ!宿木を焼き払うつもりかッ!?」

 胸ぐらを掴み返したテトは、声を荒げて乱暴にエインに詰め寄った。

「僕ゥ!?おいおい常識で考えろよ!僕がこんな事をすると思うか!?」

「思うから言ってるんだろうがァ!自分がしでかした事を考えてみろ!!」

「分かんね」

「貴ッ様ァァアアアッ!!」


 紅く照らされた二人のじゃれ合いが突然、衝撃波でかき消された。

 天地を轟かせる大爆発が、宿木の辺り一帯を吹き飛ばすかのように空間を蹂躙した。割れんばかりの破裂音と広範囲を激震させる爆風の破壊力で、一瞬で雲が生まれて、また消えた。

 

 尋常ならざる、この明らかな異常事態。


 噴き出した猛火はとぐろを巻いた渦となり、宿木全体を締め殺すように覆い尽くした。飢えと渇きを満たした火炎は、まだまだ足りないと欲深く次へと手を伸ばし、勢いを増して猛り爆ぜ猛り狂う赤熱の業火が、宿木からあちこちへ飛び火してのたうち回り、近くの木々へと燃え広がる。


 まるで計算されたかのような正確無比な火の移り具合に、エインは疑念を抱く。

 異常な熱量を横暴に振り撒く壮絶な火災が、極めて無駄のない作品のような美しさと、それでいて子供の遊びのような幼稚な単純さを併せ持った、火遊びであると、そんな印象を受けた。


「――っと、ふざけている場合じゃないぞ。テトちゃんよぉ」


 高所から事態を俯瞰する二人は、ことの深刻さに誰よりも早く気がついた。


 こうしている間にも導火線に火が付いたように爆発が連続的かつ縦横無尽に続き、事態がより深刻さを増していく。

 そして、熱波を振りかざす火の手はこちらにまで迫り来ていた。宿木と志合会場の周りの木々が、まるでドミノ倒しのように連鎖反応を起こして薙ぎ倒れ、炎の円でカラフル達を囲い込んだ。

 さながら生贄の祭壇。包囲されたカラフルの人たちの逃げ場は、もはや上空にしか無い。


 しかし、火の粉が舞い散る観客席にいたカラフルの人達は、パニックを起こして、火事だァ!?逃げろ!?どこへ!?うわぁああ!?どうしよう!?ダメだ!?――と、阿鼻叫喚の大混乱。 


 慌ただしく騒ぐ人に混ざり、族長アルフレッドの声も届かない。それを志合場から見て、声を上げるかどうか焦る巫女姫のリナ。


 それも仕方ないだろう。この光景を、一体、誰が冷たく静かに見れようか?

「問題解決は、理想と現実の違いを分析し、原因に応じた対策を実行することで至る」

 それを可能な男が口を開いた。

「火が出る条件は三つ。酸素、着火点、可燃物だ。酸素はそこら中にあるし着火点は何かの拍子の摩擦熱か静電気だろう。が、何より可燃物が分からん。この膨大な火は、何を燃やしてるんだ?」


 少年が不気味に燃え盛る炎を訝しむように見下ろしていると、その時、「お待たせしましたァ!」と、ぐしゃぐしゃな髪の毛を靡かせたパルが走ってきた。

「間に合ったかぁ!」

「パル!?今まで……どこにいたんだ!?」

「あの中さ」

 エインが示す方向に、高く積み上げられた竹樽があった。

 テトがリナの荷物だと勘違いしていたそれらの外から見えない奥底に、一際大きな竹筒が隠されていた。

 その中にあるのはパルの緊急用の小型出張研究所。とはいえ、魔法で空間を拡張しているため、三十畳ほどの十分な体積を確保している。

 パルはそこでエインに頼まれた作業を徹夜しても間に合わず、志合の最中にまで持ってきて進めていたのだ。


 そして今、それが完了した。パルの参戦によって、流れが大きく変わった。


「こちらの準備も整った。雑談は終わりだ!守備隊長殿、一瞬で実行された宿木の爆発炎上に計算された連続倒木の包囲網……これは明らかに人為的だ――パルゥ!」

「はい!風上を確認――標準は宿木上方へ。竹筒水鉄砲、用意――」

 テトが荷物だと思い込んだ竹樽の山が、木材を操るパルの魔法、折紙付によって操作され、その正体を現した。

 細長く筒状に伸びた竹と、別の樽から水を押し出す為の棒が連結されて、先端を炎上する宿木の方へと向けた。

「撃てェッ!」

 何十個もの竹の水鉄砲を指揮するパルは、激しく燃える宿木の消火活動を開始した。


「竹筒の中に……何で、あんなに大量の水が!?」

「あれは竹水だ。若い竹が水分を吸い上げた時に溜まる水を、密かにリナが保管していたんだ。それを消火に用いた」

 付け加えるなら、この中も空間をいじっており、見た目以上の水が確保されている。

 一本だけで、カラフルの消費する水の一年分はあるだろう。

「……な、なんで……」

「手際が良いのは、予め昨夜のうちにパルと話し合って準備させていた。こうなる事を考えてな」

 目を丸くするテトをよそに、エインは炎の真下を睨んだ。

「さて……これで終わりなら、苦も無く収束は可能なのだが……うっ!?」


 ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォンンンンンッ!!!!


 地の底より吼える破滅の咆哮。 

 耳をつんざく猛烈な炸裂音、膨れ上がった破裂音を伴って、またもや超絶な破壊を生じる大爆発を起こした。

 今度は、糖の大地が割れ、巨大な破片を空へ打ち出す超破壊規模で、一度目よりも遥かに大きい規模だった。 


「なっ……んだとっ!?」

 寸前、エインは恐ろしき爆炎を呼び込んだ原因を垣間見た。

 じわじわと、宿木の真下にある糖の地盤から黒い粘性のある液体がじわりと染み出してきた。


 爆発の瞬間、それは炎上する宿木の火が下から這い上がってきた黒い水に触れたその時だった。


 驚きに誰もが身をすくませている間、放水されて宿木から零れ落ちていった水が、黒い水に触れると、噴水のように激しく反応して爆発、爆炎が飛散してさらに火勢を増して強まった。


 エインとパルとリナが用意したとっておきの竹水消火も、解決の糸口には至らなかった。


 その一部始終を見てエインは思い出した――宿木の火のつき方は、まるでガス爆発のようだった。


「天然ガスで着火、足元を掬う油のような黒い水……決定的だな」

 エインの確信は、あの黒い泥が空気中に放つ独特の匂いで裏付けた。

「なぜ、こんなピンポイントでと疑問は残るが、あの黒い水。もしかしなくても草生水か?」

「くそうず?」

「言っても分からんと思うけど、これは原油。天然の石油で色々混ざった油の鉱物資源だよ。だが妙なんだ。ところどころ分離、精錬されているのが、あまりに不自然だ」


 だが、それは置いておいて、エインが注目したのが、無駄なくカラフルたちへの包囲網が完成しつつある事だ。

 これで二度目、もはや疑う余地はない。


「だからこれは明確な敵意だ!自然災害ではない!悪意による人災、彼らが対応出来ないのも無理はない。僕らは今、戦禍のただなかにいるんだ!」

 

 二度目の大爆発は、火山の大噴火と表すべき圧巻の光景だった。

 爆発の白い光が、一面の花畑のように咲き乱れ、猛烈な爆発で高く噴き上がる噴煙と、放物線を描いて噴出した巨大な糖の塊が凶器と化して降ってくる。

 溶岩に似た紅蓮の原油が、火を灯しながら怒涛の如く飛び出し、可燃性の天然ガスが床を這うような爆発炎上を起こす。

 それによって糖の地面全てがドロドロに流れる石油の火砕流で沈み、火の湖を生み出さんとしていた。

 それだけでは済まない。その炎熱で宿木周辺の気温が急上昇し、すでに体感温度は五十度に近い。

 今はまだ平気でも、いずれ生命を保つ天魔護風陣が損傷して限界に達した時、確実に犠牲者が出てくるだろう。


 汲めどもつきぬ燃料の濁流が押し寄せて、死の暗雲が頭上を覆い、落下物に襲われながら、烈火の熱波に全身を焼かれるという、多方面から命の危険が無数に迫り、全滅の可能性すらある最悪の状況だった。

 

 事態は悪化するばかり、収束の見通しなど全くなく希望すら皆無だった。


 二度目の爆発の後、カラフルの人たちの様子は、もうダメかとパニック状態の群衆を制御できない族長の様子から、突発的な対応力の無さが見て取れた。


「しかしコルト無しだと、いざって時には烏合の衆か。仕方ないとはいえ、いささか期待外れだな」

 誰もが等しく同じ反応で、事前の準備や対策が何の意味も無く、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「リナちゃん!砕けた琥珀の板を組み上げて足場を作りますから!その下に風輝球で空気の層を作って下さい!断熱材になりますので!」

 いつものおっとりとした口調は消え去り、皆の危機を払おうと必死の形相を浮かべるパルが叫ぶ。

「守備隊の方たちは、みんなの誘導をお願いして下さい!防火包囲網、展開!最優先は試合会場の皆さんの安全です!全員、天魔護風陣の確認をして下さい!損傷がある人はアルフレッドさんに報告を!」

 エインに対策の手順を教えられていたパルだけが、火の脅威に備え、適切な指示を出して対応していた。

 なにより驚くべきは、不測の事態の即時対応力だ。

 水で消火できる普通火災の宿木とは異なり、地を埋め尽くす油火災は、水をかけると水蒸気爆発を起こして、被害が拡大する逆効果となり、更に事態が悪化することを即座に理解して、エインの指示を受けるまでもなく、消火を宿木のみにした。


 しかし、現状、この大規模火災に対してこれといった打開策はなく、観客席と舞台を守るだけで精一杯だった。

 パルの健闘も空しく、火勢は宿木の高さを超えた。


 できる限りを遂行したパルは見切りをつけて、少年の方へ顔を上げた。


「エインさん!指示通り、世界樹に危機を伝える合成化学物質を打ち込み、投与しました!」

「うん。これで気休めにはなりそう」

「……おい、何のことだ?」

「植物も僕らみたいに会話するんだよ。ただ言葉では無く化学物質を反応させてだけどね。世界樹に火事を知らせてみた。まぁ~どうなるかは、知らんが――」

 パルが世界樹に投与した化学物質は、こういう時に備えて、聖賢竜コルトネリウスが精製したものだ。感覚器官のない植物は化学物質で周りの植物と情報伝達して、直面する問題を周りと協力して解決へ導こうとする。

 つまり、この巨大過ぎる世界樹そのものに、火災の解決に尽力してもらう為の作だった。

 もちろん適量など誰も知らないので、遠慮なくぜんぶ利用させてもらった。


 ここで一息つくと、エインは大きく息を吸った。


「鎮火まで志合は中断だ!全員、自分の身の安全を第一として動けッ!」

 エインが号令を発した。

「リナは無駄な事をするな!安全な場所で待機!全力で休め!」

 パルの頼みを終えたリナは、風見鶏と重力軽減を駆使して消火を試みようとしていたが、手を止めた。

「アルフレッドォ!宿木は一時放棄する!避難場所の確保だ!族長の務めを果たせ!守備隊は舞台に上がり、護風陣を盾にして円陣を組んでみんなを守れ!パルは例の物が必要になったから少量でいい!すぐ作れ!」 

 少年から指示を受けて、各自が迅速な対応を見せて、彼らの思考が状況に追いついてきた。

 一足先に竹樽に戻ったパルは、また何かを作るつもりのようだ。 


「テトも下がれ。その破損した護風陣では煙を防げない。あと肝に銘じろ、守備隊長なら、何があっても冷静さは常に維持せよ!」

 エインはテトの肩を引っ張り、自身の後ろまで移動させた。

「あ、ああ――それで、オレはどうすればいい!?」

「お前も待機だ。いざという時に動けるよう――死ぬ気で休め」


 命令遂行を待つ少しの猶予を観察に使って、エインは全体を見回して状況を確認した。


 火に包まれる宿木は、表面こそ黒焦げになっているが、まだまだ凛然と立っていた。

 宿木の真下が、ぽっかりと穴が空いたように窪みができていた。まるで噴火した火山の火口のような有り様だった。溶岩にも似た黒い油が、じわじわと彼らの生命を蝕もうと、迫ってくる。


「傀儡の化け物は、アレは燃えた所で平気だろう。無視だな」

 エインは火の勢いが、収まるどころか益々燃え上がる様を見て取った。

「しかし火の勢いが強い。それに燃料は下から補充され続ける。鎮火しきるには、空気を遮断すれば消せるが……どうしたものか……」

 目線を上に向けると、空は見えず、黒煙が雲のようにモクモクと滞留していた。

「炎に囲まれ、上空は即死の黒煙が充満。気温上昇に変素枯渇状態の護風陣がどこまで保つか分からない、どこかに安全な場所への活路はないかなぁ~」

 呑気なエインは、他人事のように呟く。

 異常事態において、パニックを起こす事が最大の危険。助かる命すら、容易に奪いかねない。いざという時に冷静な判断力を維持できるか、それが緊急時の生存率に直結する。

「彼らが各自、飛扇を飛ばせばいいが、あの黒雲をどう切り抜けるか。退路の最短距離を知るには、まず周囲の炎上範囲と風向きを調べないと……ん?」

 などとエインが考えていると……下から言い争いのような声が聞こえてきた。


「宿木の枝の中には、いくつも緊急時の物資が保管されている。せめて一本は持っていくべきじゃ!」

「いえ、命を最優先とし、速やかな避難を行います」

「愚か者がっ!住処から追い出して、疲弊した時を狙う、狩りの常套手段じゃ!」

 今まで黙していたムトーも普通ではない事を理解していたのだろう、いよいよ我慢できず喚き出した。 

「いたずらに護風陣を損傷させおってからに――最初から真空砲で、最優先の人材を逃がす!次いで、魔法使い!最後に残りを飛ばしておけば、こんなことにならなんだ!飛扇の飛行魔法は、大量の変素が用いられる。この状況では、不安定が過ぎるのじゃ!」

 族長アルフレッドへ弾劾をするムト―も、必死だった。

「気づいておらぬ訳でもあるまい、この地を埋め尽くす火炎の影響で、変素が枯渇して魔法の効きが明確に落ちておる。飛扇による飛翔避難は困難じゃ。このままでは、最悪の場合、皆死ぬぞ!」

「だからといって、人命より物資を優先させると!?論外ですっ!」

 老公のムトーは、避難した後に予想される次の襲撃に備えて、最低限の物資と最優先の人材を先に確保しようと考えた。族長のアルフレッドは、最優先を人命とし、即刻、みんな全員で避難した後で対応しようという考え。

 平行線を辿る二人の言い争いで、避難の進捗が止まった。

「おい、こんな時に何やってんだあいつら!?」

「いざという時、人の本性は現れる。しょうがないよ。でも変素枯渇による魔法の弱体化なんてあるのか。これも敵の狙い……なのだろうね」

 そんな中、喉が裂かれそうなほどの絶叫が響く。


「いやああああッ!?」

「どこ?どこにいるのおおおおおッ!?」


 今にも泣き出しそうな形相の二人が、議論を無理やり中断させて族長に掴み掛かり叫ぶ。


「ライゼンがいないのォ!?」

「アンナがさっきまでいたのよ!でも、どこにも見当たらないのよォっ!」


 ライゼンとアンナの母親二人の切羽詰まった声から、ライゼンとアンナが行方不明になったとその場にいる全員が知った。


「何ッ!?あの子ら……まさか宿木か!?――待てェリナッ!?」


 エインの視界の端で、とんでもない速さで移動する物体があった。


 呼び止める声も届ない程、リナは直情的になっていた。

 エインと同じ結論へ至ったリナは反射で駆けだし、重力軽減からの三羽の風見鳥に連れられて、目の前しか映らなかった。


 耳飾りの糖結晶を一つ取って握りつぶし、生み出された豊富な変素を魔力へと変換しながら、猛々しい面構えに変貌して、リナは手をかざした。


惟神(かんながら)、ここに捧げ奉る――≪プラズ魔砲(まほう)≫ッ!!!!」


 放射状の黒い波動が、燃え盛る炎を消し去りながら、諸共に何重にも天魔護風陣が施された宿木を一撃で貫通した。

 その威力は、アルフレッドが振るった呪法の木刀に負けるとも劣らない絶大な威力だった。


 テトが警戒していたのは、コレのことだったのだ。

 リナはエインの策略で、神前志合の最中でも自分を守っていただけで万全に近い状態だったこともあり、天魔護風陣も全くの無傷だった。


 一瞬だけ空いた炎上する宿木内部への突入口に躊躇なく突入したリナは、直後の爆発で噴き出る炎で見えなくなった。


「あれは……初めて虹鳥に襲われた時の黒い波動……やはリナ……」


 それは少年が虹鳥イーリスフォーゲルに襲われて死んだと思った最初のアタックを、見事に防いだ力の奔流だった。

 エインは、リナが出会う前から少年を護っていた事をこの時に知った。


「あの……変木(へんぼく)がァ!」

 続けて突っ込もうとするテトの腕を、エインは咄嗟に掴まえた。

「待てェッ!自宅だァ!二人は兄姉の遺品を取りに行ったんだ!火煙はリナの護風陣で防げる!リナが二人の安全を確保する!だから――」

 ぐいっと引き寄せて、テトを真正面に向けさせる。

「僕らは三人の脱出路を作りながら突入するのが理想的だ!僕の服の()()に仕込んだ護風陣でお前を守るから、テトはさっきの溜めるやつを準備しろッ!」

 テトに指示を出すと、エインは早々に穴を開ける座標を探る。

「裏地に!?そうか!?確かにそれならカラフルの許可が要らないっ!あぁ……いや……はいっ!」


 この窮地にも冷静な判断を下すエインに、テトは信を置く事と決めた。

 そしてエインはリナならばあの子たちを救い出すと信じていた。

 普段の朗らかな表情を脱ぎ捨てたリナは、カラフル一の魔法火力を誇る激情家だ。

 どういう経緯でそうなったのかは不明だが、今は彼女に任せるべきだろう。


「待ちおれェ!テトは守備隊長じゃ!皆を残して勝手に動かすなぁっ!」

 老公のムトーが何やら叫んでいるが、エインの耳に入らなかった。


「僕らは三人の救出をする!」

 エインは、アルフレッドへ目線を送った。目が合った族長は、一度深く頷いて三人の救出を託した。「こちらは請け負います!」


 エインはテトの手を引っ張り、宿木の方へ向かった。


「おし――行くぞテト!」

「はい!」


 そして、宿木の枝の中や付近にある、針葉樹の中に隠した緊急脱出用の物を、取り出す。

 エインとテトは、三人がいるはずの場所から、高い場所で宿木の前に立つ。


 宿木の防御力は、通常では二人が何をしても破壊できなかっただろう。


 しかし、炎上中の宿木の外壁は激しく破損しており、中から炎が這い出ている程に、穴が空いている。

 これなら数人が通れるくらいの穴を作れるはずだ。


「二人の家は上層居住区の左際、三人の退避場所は、壁際と中央を避けた付近のはず。密閉空間ではない事を確認、突入角度と最短距離を考慮して……うん、よし。僕が先に傷つけるから、風穴を開けろ!」

「任せろ!」


 テトは、溜めを終えて、待機。


断空破(だんくうは)!からの――木刀牙(ぼくとうが)!」


 本気で競い、思いをぶつけ合い戦った二人なら、即興でも息を合わせることが可能だ。


 エインの振りかぶる風切乃太刀から生じた強烈な突風が、宿木に充満する火災旋風を一時的に吹き飛ばした。

 視界を確保したエインは、思い切り、木刀を投げた。

 呪怨乃木刀で幾重もの魔法で守られていた宿木の幹面に突き刺さる目印を狙って、テトは瞬時に応じてみせる。


()(すさ)べ――【双天威】≪渦戔流舞(かぜんりゅうまい)≫!!!!」


 僅かに入った綻びを、テトの両手に圧縮された空気の爆発的な威力で宿木に風穴を開け、一点突破した。

 それだけではない、周囲の風を吸い込んで目にも止まらぬ早さで渦を巻くテトの強烈な魔法は、通り過ぎたすぐ後ろに、僅かながらの真空を作り出す。

 その後、周囲の大気が巻き込まれる形で、空気抵抗を減らせる特別な空間に、テトはエインを押し込んだ。すぐ後を追う、その吸引する空気の渦たる気流こそ、吹き抜ける疾風の追い風――スリップストリーム。先行物体の後ろにできる流れに入ると、空気抵抗が減る走行テクニックである。


 その頼りがいのあるテトの背中に、一瞬だけエインは微笑した。

 風に吸い込まれて接近する敵を強力な一撃で仕留め、遠距離は螺旋波動、中距離は古風切斬で倒す。遠中近距離と戦闘範囲に弱点は無かった。最初から全力を出されていれば、エインはテトと勝負にすらならなかっただろう。だからこそ、テトはリナを本気で追放させる気は無かったと理解した。

 

 粉々に飛び散る破片と共に炎上する宿木の内部へ突入できた二人は、安堵も束の間、赤の光と黒い煙で視界が奪われた。


「三人は!?」

 テトが揺らめく火の壁の向こう側を、しきりに探す。


 宿木の中は、火と黒煙で満たされており、辛うじて見えるのは中央からは火柱が天井まで伸びて、壁際は火の壁。あとはそこら中が煤まみれだということくらいだった。


 もはや別の場所かと思われる宿木の中だが、エインは、半分以上の刀身を失った木刀の回収をしながら、床をペタペタと触っていた。


「火と煙が充満してて、コレじゃ……探せないぞ!?」

「あつっ――待て。えっと〜、確か……こっちだっけ?」

「もういい下がれエイン!オレの風で吹き飛ばす!」

「駄目だやめろォ!危険過ぎるッ!まず伏せろ!家の位置は床の小さな溝を辿れば問題ない!屈んで僕について来い!」

「え?その溝って、装飾じゃなかったのか!?」

 これは、彼らなりの点字ブロックだ。

 視覚で探せなくても触覚で位置を探せるよう、コルトネリウスの入れ知恵だろう。


 昨夜、協力を頼むべく二人の家に忍び込んだ時に利用した侵入経路を朧げに思い出そうとするエインは、手探り状態でなんとか一定の歩幅で何歩歩けばたどり着いたのか、再現しながら可能な限り走った。


 手を引くエインに従うテトだったが、やはり炎の中を進む異常な体験に動悸が高まり、頭を上げて三人を見回す。それを見たエインは、無造作にガシっと頭を掴んで下げさせた。

「頭が高い!火なんぞより煙に気をつけろ!ひと吸いで即死するぞ!?」

「っ……わかった」

 恐れを見せるも、一瞬でテトは引き締めた――相変わらず、優秀な人材だ。

「煙は速いスピードで上に向かうから下には溜まりにくい。混ぜないよう慎重にしゃがみながら、視界を確保して速やかに移動するぞ!ついてこい!」

「はい」

 テトはすでに、エインを認めていた。

 先の戦闘を通じてから、エインの動きは速かった。速度ではない。

 動き出すタイミングが、攻撃する前に起こるとか、こいつならこうするだろうという人読みと言うべきか、そんな判断能力がずば抜けている。視線や僅かな感覚の機微で状況を見切る達人の成せる技だ。

 この窮地でも動じない精神力と優れた判断能力を持つ彼は、魔法とは無縁の領域、無関係の凄技を取得しているテトが憧れた本物の強い人だ――もし自分の身に何があっても、守備隊長は空席にならない。

 密かにテトは胸中で納得した。


 喉も焼けただれる灼熱の業火の中、黒煙の中にうっすらと伸びた影が浮かび上がる。


 エインとテトは二人の家に到着すると、弧を描いた不思議な球体を発見した。


 天魔護風陣の内と外に風輝球を何十にも重ねて、耐熱性を僅かに向上させていた。

 こんな芸当ができるのは、今の宿木には一人だけ。


「エインッ!?テトちゃんまで!?」


 リナと二人の子供は半壊した住宅の一部の隙間で縮こまり、それぞれの護風陣を重ね合わせて、辛くもギリギリで命を保っていた。


 なぜリナは、脱出をしなかったのだろう?

 否、できなかった。それほど宿木の状況は悪かったのだ。宿木の中央は吹き抜け構造となっており、煙の充満が異常に早く、伸ばした自分の手のひらすら途中で見えなくなった。

 しかし、三人が身を寄せて一時避難ができていたのは、パルが送り込んだ水溜まりが、火の侵略を少なからず妨げていたからだった。


「リナ!あれはあと何発撃てる!?」

「あ、あと一回!」

 エインの緊張が一気に高まる。彼らの立っている土台そのものが小刻みに震えて、節々で悲鳴を上げていた。間もなくこの階層は焼け落ちる。

 背後にある巨大な黒い影が、天井から崩落した上層階の足場だったからだ。

 この階層も、数秒後に崩れ落ちても何ら不思議ではなかった。

「すぐ準備しろォッ!」

 大声でリナに命令するエインの頭上に、天井から落ちてきた瓦礫が落ちてきた。大きさは三十メートルはあるだろうか――しかし、恐るべき脅威は跳躍無しで舞い上がったテトの渦戔流舞がそれを破砕した。

「オレが守る!余所見するな!」

 テトの渦戔流舞は、圧縮する風の方向と量を調節するだけで急加速急停止も自由自在な飛行が可能でありながら、吸収した風を一点に集めて解き放つと、恐るべき破壊力を有していた。

「用は済んだな!?外へ出るぞ!」

 ライゼンとアンナの飛扇を持ち上げて、外の方を向くエインは、リナの左右で完全に怯えきったライゼンとアンナが大事そうに何かを抱えていたのを見つけた。

「ライゼンとアンナはエインを飛扇に乗せて逃げろ!リナが先頭!オレがしんがりだ!いいな!?」

 テトの号令に合わせて、四人は心を決めた。

「あそこだ!僕らが開けた穴のちょこっと下を狙えッ!火煙は上に行く!僕が撃てッ!と言ったら脱出だ!準備はっ――」


 ドオオオオオン!――と、リナの強烈な黒い魔法が目の前を通り過ぎた。


「えぇっ!?今のは違っ――もういい突っ込めェッ!!」

 狼狽えたエインを挟むライゼンとアンナが、勇敢なリナの後を追った。


「……っ、会えて――よかっ……」


 火が燃え瓦礫が落ちる騒音の中、消え入りそうなか細い声が聞こえた気がした。


 凄まじい慣性に振り落とされそうになりながら、燃え盛る宿木からやっとのことで脱出したエインは、ふぅ……と一息ついた。

 そしてエインの両手を握っていた二人が大事そうに胸に抱きかかえて持っている物を見た。


「取りに戻ったのって、それ?」

「うん。これはシュゼンお兄さまの、たったひとつの形見……なのです」

「んでこっちは礼儀正しかったソンヌ姉ちゃんの……どうしても失いたくなかったから……」


 二人は、見たこともない程に落ち込んでいた。

 最初は怒鳴ろうと思っていたエインも、唯一の家族の形見なら無理もないと観念した。


「そっか、そりゃ持ってこられて良かったね。――ねぇリ……あれ?いねェ!?テトも!?」

 後方を確認したエインは、誰もいない事に気が付いた。

 宿木から無事に脱出したのは三人を乗せる飛扇だけ。辺りを見回してみても誰もいなかった。


「え――嘘ッ!?先ほどまではいましたよ!?」

「すぐ戻る!お前らは降りろォッ!」

「だけどよ兄ちゃん!?もう道がねェぞ!?」


 三人が脱出した宿木の壁面は、二つの穴を煙突代わりにして大河に流れる水のように炎と黒煙の濁流で激しく覆われていた。

 これはバックドラフトと呼ばれる現象。瓦礫が降り注いだことで密閉空間となり、燃えるための酸素が少なくなり燻っていた所、脱出口となった穴から空気が入り、爆発的な燃焼を引き起こした。

 エインの天魔護風陣もかなりの損傷が見られる。二度目の往復を耐えるとは思えなかった。


「ちッ、魔力切れでテトが逃げれず、リナが気づいて戻ったか――くそっ……パルゥ!切り札だ!」

 引き返す道は無いと判断したエインは、苦悶の表情で最後の手段に訴える。

「待って下さい!その前にお伝えする事がありますぅ!」


 ライゼンとアンナを泣き腫らした両親の元へと帰したエイン。


「ごめんなさい~母さまぁ~」

「悪かった……二度としねぇから――あんまり、抱き着くなよぉ……」

「ライゼン~ッ!良かったぁ!生きてて……ほんとに……」

「駄目な母ですみませんでした……、アンナ……ずっと我慢させてたのね……」


 その後、大至急、全身から汗を流すパルの話を聞いた。


 パルは折紙付を派遣して辺りを調べた結果、既に針葉樹林は火の海、上は黒煙で覆われた雲の中、既にカラフルの逃げ場は無くなっており、全滅秒読みという窮地に立たさせていた。

 すでに宿木周辺の気温は三百度を超え、植物が自然発火を起こし、琥珀の足場が溶けだしていた。

 天魔護風陣がなければ、誰ひとり生きてはいられない環境だった。


「石油の埋蔵量を見くびった。針葉樹林一帯を全て燃やして……一人も逃さないつもりか」

 しかしエインは怯まず、大急ぎで宿木の正面に浮かぶ船を目の前にした。


「それで……これが君らの切り札か」

「はい!これぞカラフルの緊急避難船マークツー。そしてある時は絡繰変形型、真空砲式カタパルト!何の変哲もない木の枝が、これほど素晴らしい船へと変貌するだけではなく、防御力もあり、パルさんがいれば自動修復すら可能!特筆すべきはあらゆるエネルギーを吸収して浮力を発生させる自動浮遊式であることで――ありまして――それから――」

 こんな時にも関わらず、目を輝かせて勝手に語り出すアルフレッド。

「え〜……装填した竹樽が発射可能の大砲を備えておりまして~、中に人を入れれば避難船。物を入れれば輸送船になります」

 アルフレッドを放置したパルが、平静に説明の続きを述べる。

「爆弾仕込めばミサイルか……乗り心地は悪そうだね」

 

 少年を除けばカラフルで唯一の男性であるアルフレッドのテンションも、エインには共感できた。

 初めて実戦投入された大型船マークツーは族長の魔法、千影夢幻によって宿木の枝という偽りの姿から変形させて、精巧な絡繰仕組みで三十メートルもの巨大な大筒を放てる大船が姿を現した。

 これがカラフルが用意した緊急時の避難船。

 先端部の細長い管状の筒の中を、コルトネリウスが記した魔法で真空状態にして、一気に空気を入れて解き放つ世界最大の真空砲が発射の瞬間を待っていた。

 

「わかった。それじゃ、あとよろしく!」

「待って!本気ですかエインさん!?コルトさんの許可も無しに乗り込むなんて……それにこんな急拵えでは安全が保証できませんよ!?」

 エインは、再び宿木へ戻る手段として選んだのは、この弾頭の中に乗り込みカタパルトから射出されることだった。反対意見を口にするパルは、脅威のニメートル口径を誇る太くて長い砲身に詰める弾丸に大量の糸玉を詰め込む手を止めなかった。この繊維は衝突時の負荷を軽減させるためのクッションの役割を担う。しかしよく燃える素材なため、危険性が跳ね上がっている。


「リナとテトの救出の為にやるしかないんだよっ!その為にわざわざ持って来させたんだ!」

 エインは当然、天魔護風陣が掛けられている真空砲の弾丸である竹樽に入った。

 弾丸として使用される竹樽は、槍のような鋭利な先端を持ち、緩衝材の糸玉のせいで身動きが取れなかった。

「でも……」

「こっちの心配はいいから、むしろ問題はそっちだ!僕はもう手を貸せない」

「分かりました。ご無事で」

 苦虫を噛み潰すかのような表情のパルは、エインの覚悟に負けて、竹筒と弾頭を繋ぎ合わせて密閉した。

 中は決して快適とは言えず、密閉されて非常に暗かった。


 装填完了の合図を確認した族長は、魔法陣化された天魔真空断というコルトネリウスの最上位魔法を発動した。


 弾を除いた竹管内が、一気に真空状態となる。そして、外から聞こえていた音が消えた。

「真空を隔てると音が聞こえなくなるのか。いつ発射されるか分からんな」

 あとは後方にある板を外せば、戻ろうとする空気の圧力で弾丸が発射される仕組みだ。


「画角良し。標準良し!出力最大――真空砲発射用意……どうか、お願いッ!」


 強烈な破裂音と同時に、全身が一気に後方へ引っ張られた。

「もぺっ――」

 ほんの一瞬の出来事だった。激しい衝撃が弾頭を粉々に粉砕した。更に連続する激しい衝撃と縦横無尽に跳ね回りながら回転すると、エインは四方八方への衝突時の慣性を何度も全身で受けて。


 中のエインは何が起きているのか不明だが、側転していることと、空気が戻ったことにより、火に炙られているパチパチとした音が聞こえた。


「宿木に戻ってこれたのか……?」


 しかし、外にいたアルフレッドとパルは顔面蒼白になっていた。

「失敗!?」

「うそ……なんで、そんなはずは……」


 作戦は見事に失敗。打ち出された竹樽は、燃える石油の上で横たわり、火に炙られていた。

 

 目を細めて思考するアルフレッドは、一つの結論へと至った。

「そうか……魔法の効力低下で、護風陣の強度が足りなかったかもしれません。兎にも角にも、黒い水の中に落ちた彼を救出せねば!」

「脱出装置は絡繰なので魔法がなくても使えるはずです!中からも発動できますが、時間経過で自動で起動しますから大丈夫!」

「それにしては……その……何にも起きませんね」

 宿木の壁に弾かれた弾は、緊急脱出装置が組み込まれ、勢いよく、射出されるはずだった。

 しかし、実際は焼かれて黒ずんでいく竹樽が転がっている。


「えぇ!?故障!?不具合が!?くぅ……――わたしの責任です!」

 パルは自身の安全をかなぐり捨てて、炎の中へ飛び込もうとした――その時だった。


「止まって!?――黒煙の中に……虹が見えます!?」


 パルを寸前で止めたのは、あまりにも巨大な動くものだった。

 それはどこからともなく現れて、火も煙も熱さえも追いつかない速度で駆け抜けて、燃え盛る竹樽を炎から掬い出した。


「なっ!?」

 炎を隔てる虹を纏った巨大な翼が羽ばたき、巨大な爪が、エインの竹樽を鷲掴みにしていた。

「なぜここへ!?」

 虹鳥イーリスフォーゲル。翼開長は百メートルを超える超巨大な猛禽だ。

 魔法の虹の道を通って音を置き去りにしてやってきた猛獣は、出会ったころと変わらずの殺気を込めてエインを睨みつける。

 対する焼けて割れた竹樽から這い出てきたエインは、しかし全く動じる様子もなく、鋭利な視線を切り捨てる勢いで、睨み返す。


 エインの側に飛び、掴んでくれた。

 膨れ上がる黒煙を背にした虹が見える。


「おいっ――邪魔するなら消えろォッ!」


 ほんの数秒――虹鳥は少年の目をじっと見つめた後、虹の道を再展開して、エインを収納した竹樽をアルフレッドとパルの前でそっと置いた。

 そして熱される空気で生まれた上昇気流で、翼を広げてその場で滑空する虹鳥が、彼らの次の行動を待っていた。


「虹鳥は昼の王、世界樹の守り主と呼ばれますが……こ、こんな事があるとは……」

「もしかして……世界樹が、虹鳥を遣わせたのでしょうか?」

「分かりませんが僥倖です!あの虹鳥が協力してくれる。少しずつですが事態は好転しています。これなら――」

「いや……まだ足りない――僕はこの鳥を使って宿木に入る!君たちは作戦通りに動けばいい。後はまぁ……なんとかなるさ」

 エインは虹鳥で再突入を敢行しようとした。


「待て!二人は見捨てるべきじゃ!無駄な時間を使うな!皆の避難が最優先じゃ!虹鳥の協力さえあれば、この気球とやらで全員を安全にここから逃がせる!」

 だが老婆の声が、三人の救出を引き止めた。

「ですが……このままじゃリナとテトが死んじゃいますぅ!?」

「ここに集まった百人の命はどうするのじゃ?すでにここには安全な場所など無い!この高温と変素枯渇で天魔護風陣を損傷した人たちの生命は危機に瀕しておる。ここにいれば全滅じゃが、パルはそれでもええのか!?」

 琥珀の舞台はすでに融解して消失。足場を失った百人近いカラフルの人たちは、エインが構想しパルが作った即席の気球に乗って、離陸の瞬間を待っていた。気球は魔法を使わず、空を飛ぶ乗り物だ。しかし乗れる場所は大きくはない。一つでは乗車人数に合わず、合計五つもの気球を飛ばして、浮遊を維持していた。

 下に行けば炎の中、上に行けば黒煙の中、このままいれば全滅。

 依然、彼らは絶望的な状況下にいた。 


「厳命です――その煩い口を今すぐ閉じろォ!ムトォッ!」

「犠牲は憑き物じゃァ!一番してはならぬ事は、いたずらに犠牲を増やす事!貴様らも馬鹿ではあるまいがッ!いい加減――理解せいッ!生きている確証もない二人の為に、それ以上を失う判断は――断固としてならぬわっ!」

 ムトーも命が懸かっているからか、族長の厳命を無視して真剣に説得する。


「ふぅん……お前如きにも志とやらはあったのか」

 ムトーは、小数を犠牲に多数を取った。ライゼンとアンナの時にも声を上げ、次はリナとテトを犠牲にしようとしている。

 エインも一貫性がある事だけは関心した。でも、それは次善手である。


「なるほど賢明な判断だがしかし、最善ではない。余所者の僕なら、君らの犠牲にあたらない。今度こそ僕が二人を連れ戻す!さっきと同じさ。なんにも大変じゃない」

「エインさんひとりでは無謀だ!私も!」

「いや、アルフレッドには他にやってもらいたい事があるんだ」

「しかし……」

「パル!さっき作った例のものをアルフレッドに渡せ!あとは気球を操作して可能なら避難しろ!どうあれ、この窮地を脱さねば、外も中も同じだ!各々がべきを成せッ!!」

 エインは言い捨てると、新しい竹樽に入る直前で「あの木の中へ!」と宿木へ突入するよう虹鳥に合図を送った。エインを乗せた竹樽を足で掴むと、


 目くばせを受けて少年が入った竹樽を咥えた虹鳥は宿木の方へ飛んで、黒煙の渦へ飛び去った。


 姿が見えなくなると、パルがアルフレッドに向き直り、ある物を取り出した。

「アルフレッドさん。これがドライアイスというものです。取り扱いが難しいので、気をつけてください」

 族長アルフレッドは、初めて見る異様な物体に目を見開いていた。

「これは極低温の負の八十度と冷たいので、気温上昇を邪魔します。でも直に触れると凍傷になります。そして二酸化炭素が酸素より重たいので、酸化現象である燃焼を阻害します。しかし高濃度を直に吸うと酸素欠乏症になって即座に死にますので、お気を付けて」

「は……はい」

 アルフレッドに渡された白い塊は、白煙がふよふよと漂っていた。


「エインさんから頼まれた指示は三つ。まずあの黒い水をアルフレッドさんの魔法、千影夢幻でドライアイスへ変えてください!それができたら、可能な限り大量生産してください!とにかくありったけお願いします!そして最後に、生成したドライアイスを、雲の上で散布してほしいそうです!」

「え……雲の上?それは……どうやって……?」

「それは……その……おっしゃいませんでした」

 二人の間に沈黙が流れる。

 割って入ってきたのが、アルフレッドの嫁であるパトラだった。

「アルフが残るなら、降りちゃお~っと!」

 彼女は臨時の守備隊としての役目を終えて、自分らしい行動とすべきと族長の隣にやって来た。

「……っ……この状況でどうしろと……いや待て……そういうことですか。パトラ!頼みたいことがあります!」

「え……チュウする~?いいよ~!」

「ちがいます――ある想像図を見せて欲しいのです」


 族長アルフレッドは、エインが油火災対策用に用意したドライアイス作戦を開始した。 

 元の原料は、世界樹の中心部に湧いた温泉の中に溶けだしている炭酸ガスだった。

 圧縮放出して作ったドライアイスは、二酸化炭素の固体の状態の呼称であり、溶けても液体にならず、気体となる昇華を行う。だから、油に付いても飛び散る事がない。さらに、冷却効果で温度を下げ、酸素欠乏状態にして燃焼を阻害する窒息消火が可能。何より火と接しても既に酸化された状態で燃えないのだ。

 だが、圧倒的に量が足りない。

 そこで、白羽の矢が立ったのが本質を替えられるアルフレッドの魔法、本来ならあり得ない物質の変換を行うことができる千影夢幻だ。際限なく湧いてくる石油をドライアイスの材料にして変換するのだ。

 そしてエインが期待する最後の効果は……果たしてうまくいくかは賭けだった。



「全く呆れてものも言えぬわい、あの小僧にいい様に騙されるとはのう。己で考えぬ、愚か者めらが……」

 ムトーは独り、別の宿木の枝を持って来ては、真空砲を撃てる状態にしていた。

「族長や、儂の護風陣は無傷。落下の衝撃も防げる。抜けがけするようで悪いがの、先に安全圏までお暇するよ――あの傀儡めがおれば、陣をかけ直して全員を飛ばせたのじゃが……それとも今から、あの炎に満たされた極彩社に突っ込むか?」

 呵呵と笑うムトーは、他の人たちを盾にしたおかげで、損傷が見られない護風陣を備えていた。

 老婆は余裕綽々で真空砲に装填した竹樽の中へと入る。

「もし生き延びれば、また会おうぞ」

 ムトーは、命の危険を犯さない。真空砲の緊急避難装置を自分で勝手に起動して、老獪な老婆は、誰よりもひと足先に安全な場所へ脱出した。


 見向きもしないアルフレッドは、パトラと一緒に飛扇に乗って爆発炎上する地面付近へと下降していった。

「こちらも始めます。ですが、いいのですか?パトラ、最悪の場合、私と死ぬことになりますが?」

「いいよ〜ん、アルフが死にかけたら、引きずってでも絶対に連れて帰りますから」

「そうですか」

 二人は、あまり語らない。

 炎の下に流れる黒い液体の水面すれすれで、アルフレッドは魔法を行使した。

 実物をじっくり観察したことで、なんとか石油をドライアイスへと変換できたアルフレッドは、白煙と黒煙が混ざり合う光景を、美しいと感じていた。



 黒煙を虹の光で切り裂く虹鳥イーリスフォーゲルは、螺旋状に虹を纏った。

 かつて少年を仕留めようとした時に見せた世界樹を打ち抜いた御業で、今度は宿木をぶち抜くつもりのようだ。


 虹鳥イーリスフォーゲルに掴まれた竹樽の中――クッションとなる綿を敷き詰められてはいるが、衝撃の全ては防ぎきれず、少年は首から鳴ってはいけない音がしたり、背中を強打して呼吸困難になったりしたが、しばらくすると竹樽は動きを止めた。


「着いたな」


 腰にした二本の刀を取り出して、エインは竹樽を破壊した。

 その時、いよいよ酷使していた呪いの木刀が、刃を失い柄だけになった。

 そんなことをまるで気にせず、そこでエインが目にした光景は、ライゼンとアンナを救出した先ほどよりも一層、悪化していた。

 まず、足の踏み場が無くなっていた。およそ全ての階層が崩落して、煙突のような状態だった。

 燃え立つ炎と黒煙で、目の前が全く視認できない。


「二人はどこだ!?もう上の階は無くなっているから、下に落ちたはずだが……瓦礫の山の下だったら、最悪だな」

 エインの身を守る天魔護風陣が、徐々に焼けて剥がされているのが見て取れた。


 とにかく、捜索するには見えなければ始まらない。

 エインは、柄だけの呪いの木刀を合わせた風切乃太刀を振り抜いた。


 一瞬だけ、火も煙も断つことができたが、虹鳥の羽根に火が付いて、ものの僅かに焼失してしまった。 

 風切乃太刀を失った代わりに、二人が近くにはいないことが見て分かった。


「二人とも、陣が壊れていると仮定して――無くても存命可能な場所を探すしかない」

 

 エインは、アルフレッドが込めた呪いを最後の一滴まで振り絞り、木刀の柄を振り回して瓦礫を破壊して、突き進んだ。


 ひゅうと風を切る。煙炎の中。柄しかなかった木刀はいよいよ、粉々になり、手のひらにこびりついた欠片しかのこっていなかった。


「いよいよ手詰まりだな……だが、諦めてたまるもんか!」

 木刀の欠片をポケットへ入れると、エインは上着を脱いで天魔護風陣を前面に押し出して、大火災の中をひたすら走った。

  


 血と同じ色の紅蓮が舞い踊り、何もかもが焼け落ちていく廃墟と化した宿木の瓦礫の下で、微かに声が聞こえた。


「ははっ。魔力切れ……か。恵まれた幼少期だったが、それからはつまらなかったなぁ。まあオレのせいか……だが、守備隊長の役目は半ば果たせた。最後になってようやく、らしさってやつ?を思い出せた。なあエイン、これで……笑ってくれるかなァ?」

 声の主はテトだった。それもかなり温和で幼さを感じさせる弱々しい声だ。

 力を使い果たして、意識が朦朧としており、魔法の行使などできない程に弱り切っていた。


「いつまでも仲良くできたらって、昔の頃は、そんなのあたりまえだって思ってた」

 彼女はすでに未来を諦めていた。

「強い人たちを見てきて、そうなれたらって、どんなにいいかなって、でもずうっとうじうじメソメソしてて……でもいつまで経っても変わらずに……だから強がって、少しでもなれたらいいなって」

 唸りを上げる炎熱に焼かれて、死を待つだけだった。

「どんなに願っても、そうはならなかったんだよ……だから泣きながらでも頑張ってんだよ、でももう……全部終わりだ……」

 頭を下げて打ちひしがれて、静かに眠りにつこうかと目を閉じる。


 すると、また別の声が耳に届いた。

「いたァ~ッ!良かったぁ!まだ生きてたァ!逃げるよ!テトちゃん!」

 息も絶え絶えに滝汗を流しながら、ひび割れている天魔護風陣を宿したリナがそこにいた。

「リッ……なァっ、引き返せっ!何してんだお前!?まだ間に合う、オレはもう意識が保てない、から、リナだけでも……早くゥ!」

 魔力切れとは、変素を魔法へ起こす願素の枯渇。詰まるところ、疲労や精神力の枯渇による意志力の消失を指している。今では思考することすら困難で、テトはいつ気絶してもおかしくない状態だった。


「友達を見捨てられる訳ないでしょおォッ!!」

 激昂したリナは、話も聞かずテトの肩を力ずくで引っ張り、強引に連れて行こうとした。

「リナ!後ろっ!?」

 しかし限界を超えた天井が完全に崩れ落ちた。

 桁違いの重量の塊による落下の衝撃は並大抵ではない。


 場を埋め尽くす衝突音と衝撃の破壊力が暴れまわり、弾かれた空気を補おうと火炎が押し寄せる。


「熱っ……大丈夫!?」

 二人は辛くも命を取り留めた。

 しかし、テトを庇ったリナの護風陣も崩壊寸前――致命的な黒煙を防ぐ術が無くなった。


「リナ!?護風陣がぁ……これじゃもう、なんてことを、なんで、ぉ……れ、なんかを……」

 打ちひしがれるテトを尻目に、リナは妙に晴れやかな表情をしていた。


「そっか。うん……けど……テトちゃんは必ず――わたしが懸けられるものは、あとひとつ……。惟神、ここに――……」


 リナは魔法の触媒を使い切っていたにも関わらず、再びあの構えを見せる。

 しかし、その腕が急に後ろへ引かれた。

「え……?」

「ごめんッ!リナ!聴いて……ください!今まで――本当にごめんなさいッ!」


 呆気に取られたリナの足元に、一本の紐がポトリと落ちた。


「謝って許される事じゃないのはわかってる!でもあの時、何かを言い訳にしないと、もたなかったんだ。リナはひとりでも進んでいたのに……オレ……あたしは、全然ダメだった……おかしくならなきゃ生きられなかったんだ」

 テトの手首に繋がれたミフィタがなくなった。

 代わりとばかりに、縋り付くように、テトはリナの手を掴んで離さない。 

「ずぅっと自分の弱さから逃げていた。エインに背を蹴飛ばされて無ければ、きっとこの期に及んでも言えずに終わってた。あたしは臆病者だ。リナは悪くなかったのに、いっぱい傷つけた!ここで謝れなければ自分を許せない……それが嫌だから――」


 絶体絶命の窮地をどこ吹く風と、今の二人には、互いに相手しか見えていなかった。


「あたしこそ惨めで滑稽などうしようもない奴だが、心からの言葉だ。リナちゃん、本当にごめん!」

 号泣しながら額を床に押し付けるテトは、リナに誠心誠意で謝った。


 そんなテトの手を、リナはもう一つの手で優しく握る。

 

「テトちゃん。また昔みたいに……わたしと仲良くしてくれますか?」

「……ああ、あたしで良ければ。ありがとう!死ぬ前に仲直りできて……本当に良かったよ」

 リナは「ううん」と首を振り、震えるテトの手を慎重かつ丁重に離した。

「テトは死なないよ。死なせないよ!その為にわたしはいるんだから。惟神、ここに全てを――」

「おい待て、糖結晶はどこだ!?まさか……リナちゃんダメぇっ!」

 テトの静止を振り切り、リナはプラズ魔砲を撃とうとしている。


 エインは天魔護風陣の力を最後まで解放し、大小の瓦礫を押しのけて二人の元までやってきた。


「やぁ!取り込み中だったかな~?」

 動揺を見せた二人が、エインの登場を凝視した。


「「エイン!?どうしてここに!?」」

 姿を見るや否や、二人は同時に同じ事を言った。


「いやなに、虹鳥がちょこ~っと手を貸してくれてね。まあ、片道なんだけどさ」

「何で来たの!?」

「お前まで死ぬ事は無いだろ!?なのに、何を考えているんだッ!?」

 激しい剣幕で詰められるエインは、まるで日常茶飯事とばかりに朗らかな笑みを浮かべた。

「そんなことより君たちさ、てるてる坊主って知ってる?晴れになる()()()()()の一種だが、それを逆にすると……どうなるかな~?」

 エインは「ジャーン」と言いながら真っ白なマントをひっくり返した。

「ふざけんなァっ!」

「今がどんな状況か分かってるのっ!?」

 非難轟々の二人だが、負けじとエインも声を張る。

「針葉樹林一帯が火の海だ!黒煙が上空を埋め尽くし、地面全て油の火の海。気温は五百度を超えたと聞く!ここも外も大差ない!逃げ場が無いんだ!このままじゃみんな焼け死ぬ――全滅だ!」

 二人の表情が、急速に青ざめていくのが見てとれた。


「だけどね、生き汚なさも一つの美学。生きている限り、最後まで足掻こうじゃないか!」

 エインは二人を置いて、背を向けた。


「重力軽減。リナ、君がくれた願いは、まだ僕の中で絶えてはいない!」

 リナの重力軽減を発動させたエインは、斜めに横たわる天井だった足場に足を差し込んで、上下逆さまに着地した。


 エインが二人を見つけることができた最大の要因は、この重力軽減だった。

 リナの願いと望みによって生まれた変化は、本人に近づくとほんの僅かに反応を示した。


 変素と願素を合わせて魔素になり、望力でコントロールできる魔法の仕組みは、ココロの純粋な思いによってその色彩を変える。

 その時、エインは最後の手段を手に入れたのだ。


 無駄な思考の一切を払うため、自然な所作で無意識のうちに右手の甲に口づけをしながら、エインはただ一つを念じる――


「もう――やめろ、これ以上……彼らから奪うな……」


 願いを断てるならその逆も然り――願いの限界を遥かに超える望みなら、重力の軛から力を解放し、軽減どころか浮力を与えることも可能ではないか?そして炎や煙などというちっぽけな物でなく、世界を満たす大気そのものを浮き上がらせれば……何が起きる?


 エインは知っていた――膨大な水のありかを。火の海すらも沈み飲み込む程の天の恵みを!

 この世界に降り立った時に知っている。 


「あがれ……あがれ、あがれ!あがれェ!」

 執念。その一念に憑りつかれた狂気に染まるまで研ぎ澄まされた一点のココロが、少年の感覚の全てとなって、己の存在が虚ろに溶けて思念と混ぜ合わされる。


「上がり上がりて……上り、あがれぇええええええええええッ!」

 髪の毛先、衣服の先端が静電気のように引っ張られるのをエインは感じた。

 足場にしていた天井が微かにぐらつき、内臓が浮き上がるような感覚が伝わる。

 自由だった火炎の動きが、不自由なほどに一点を目指して纏まり、激しく波打ち吸い込まれていく。

 火災を巻き上げた風の濁流が昇り、黒焦げの木々の破片を次々に空へと飲み込んでいく。

 

 メキメキと音を立てて動き出した瓦礫の塊が、エインを空へと導いた。

 針葉樹林を燃やして熱された空気による上昇気流が、エインによって限界を超えたリナの重力軽減が、そして世界樹を守る虹鳥が描く虹の架け橋が、万物を天へと続く風を起こした。


 世界を揺るがすエインは宿木の中を通り、大地の底から燃える黒い水を、大小様々な瓦礫と焼けた木材を、雲のような黒煙を連れ立って、針葉樹林の上空にまで舞い上がった。


 全ての感覚を失っていたエインは、少しずつ凍てつく空気の気配を察知した。


 火柱を逆巻いて昇る炎の渦が、空気の薄さによってしだいに焼失を始めていた。

 黒い水が、流動性を失い始めて、凍り付く。


 エインがふと我に返った。

「言わずもがな――さすがといったところか」


 天に駆ける虹のように――悠然と空を飛んでいる虹鳥イーリスフォーゲルは、アルフレッドが作った大量のドライアイスを運搬魔法の風輝球であるシャボン玉の中に蓄えて、雲の上で散布するよう、螺旋階段のような天へと昇る虹の道を作った。

 虹の架け橋を渡り音速を越えて運ばれたドライアイスは、キラキラと煌めきながら舞い散る雪の様に降り注いだ。

「パトラの映像を見せたおかげで、虹鳥にしてほしい事を理解していただきました」

「うん。きれいね……すっごく」


 エインの周りに細長く伸びる一筋の光が差し込んだ。光芒(こうぼう)が現れた。

 いや、エインの周りに成長した入道雲が生じたのだ。


 エインにとっては二度目の光景である。

 ふわふわと浮かぶ木片に、ポツポツとシミがつき、やがてそれはいくつもの雫となって降り始めた。


 ドライアイスを雲の上に散布させた理由は、周囲を急激に冷やすことで氷の粒を作り、雨粒の成長を促すことで起こる――人工降雨だった。


「信じられん……あたしは夢でも見てるのか?水滴が、水が空から降ってくる……なんだソレは?まるで……神話の出来事じゃないか」

 カラフルの人たちにとって、雨は神話に出てくるおとぎ話だ。

「うん――エインて、すごいなぁ……」


 気球に乗っているカラフルの人たちは、降雨という神々しい光景に言葉を失っていた。

「ねぇアンナ、もう演じるの、止めにしましょう」

「あぁライゼン。兄ちゃんに呆れられちまうもんな」

 

 雨粒がだんだん大きくなり、次第に滝のような大量の雨が降り、炎上する針葉樹林を鎮め、黒い水が起こした火災はとめどない豪雨によって完全に鎮火された。


「色々あったが……これで解決だな」

 上空で事の終わりを見下ろすエインは、やっと安心した。

「たかが雨だというのに、時と場合が違えば有難いものだな。ふん、これだから人生って奴は面白い――あっ……」

 その時、リナの魔法が役目を終えて、エインの浮遊感が力尽きた。

「またこれか――」

 少年はまたしても高所から落下した。しかし、突然の落下に慣れたエインは、顔色一つ変えずになすがままにしている。


 それは最初の時と同じ境遇だが、全く違うのは、彼の胸には妙な暖かみがあった。


 すると、華麗に飛んでくる白い物が光に照らされて煌めいた。


「エイン!――手を伸ばしてェッ!」

 乱れた髪を靡かせたリナが、飛扇に乗ってエインの手をしっかりと拾ってくれた。

 固く握られた手と手が、しっかりと繋がる。

「もうッ!ちゃんと後先考えてよォ!あんな高さから落ちたら死んじゃうよ!?」

「大丈夫さ。だって――リナが来てくれるって信じてたからさ!」

 ニィ、とエインは和かに笑った。絶対にリナが来てくれる――そんな信頼があった。


 もう、と言って呆れるリナを見ながら、エインはポケットに残った木刀の欠片を手中に収めた。


「望外――過剰な願素で元の魔法効果を逸脱して次の段階へ昇華する超高等魔法技術だ。重力軽減を浮力に変えて上昇気流を作り、世界初の雨を降らせるとは……。ったく、誰が何もできないんだかな~」

 すっかり回復したテトも、心配してエインの元まで来てくれた。


「あっ……そうだ!テトごめん!ちょっと来てくれないか?」

 エインは繋いでいたリナの手を離して、テトの方へと近づいた。

「ん?どうしたエイン?」

 すっかり従順になった相手を前にしたエインは、ちょっぴり悪い笑みをこぼした。


「火災は鎮火できたよね?――ってことで再開!」

 エインは隠し持った木刀の欠片を指で弾き飛ばした。

 完全な不意打ちによる攻撃は、間抜け面のテトの壊れかけた天魔護風陣を完全に破壊した。


「――そして終わりだ。後で何言われるか分かったもんじゃないから、取り敢えず志合には勝っとくね。再戦なんて話になったら、絶対に勝てる気しないしさ~」

 抜け目ないエインの強かさにまんまと嵌められたテトは、しかしとても嬉しそうだった。


「……ふ、あっはははは!あぁ負けた負けた!あたしの完敗だ!こんなに晴れやかな気持ちは初めてだよ!再戦でも無効になろうとも勝ちは譲るさ。リナ!エイン!君たちの勝利だ!」

 ハァ~と大きなため息をして、何とか肩の荷が降りたエイン。

 

「みんな!大丈夫ですかァ〜!?下の人達は全員無事ですぅ!火も完全に消し止められましたぁ~!」

 今回一番の功労者であるパルが、飛扇にのって三人のいる上空までやってきた。

 

 微かに笑うエインは、パルに向けて二人を見るよう指を差した。

 パルの視線が横に移ると、今までずっと確執があったリナとテトが、仲良く手を繋いでいるのを見た。


 瞬間、パァっと晴れやかな満面の笑みのパルが、泣きながら二人に飛びついた。

 

 その後の彼が見た光景は、パルの研究室に飾られた一枚の写真と同じだった。

 自然に生まれた半円の虹の内側に、リナ、テト、パルの三人の娘が仲良く笑い合っていた。

 

 今、エインが見ているそれは、写真と同じ、いや、それ以上の、なんて事ない普通の光景だ。


「二人とも良かったですぅ〜!ほんどによがっだぁ〜!」

「パルちゃんもぉ心配かけてごめんね。リナァ〜ありがとうぅ~!」

「終わりよければってあるじゃない。だからふたりとも笑おうよ。ほら!ねっ!」


 パルのミフィタが解れて落ちていく。

 それはパル・ム・カラフルの大願が彼女らの仲直りだった事を雄弁に語っていた。



 昔から仲良しの三人を見守るエインは……物思いに耽るように語る。


「心を強くするには、傷つくことだよ。筋肉と同じで、傷つき治ると強くなる。死ぬ一歩手前から這い上がってきた奴のメンタルがめちゃくちゃ強いのは、そういう事だよ。テトは、今より進めたのなら、弱さを受け入れ認めた証だ。それは他人の弱さを見守れるほんとうに強い人。弱さを語れるその気持ちは、命の色だよ」


 そして少年は、無表情で誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。





「にしても……これでもリナは揺るがないのか……」

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