拾陸話 辛いときほど笑いなさい
「んあ?んぅ〜……ってあれ?リナは?……ユキちゃんは!?」
寝ぼけたエインが目を覚ますと、そこは白一色の霧だった。
近くにいたはずのリナとユキの姿はなく、彼ひとりだけ残された。
「いったい何が起きたっ!?上手くいっていれば過去のはずだが……あれ……は?」
分厚い白煙の中から、上下に揺らめく謎の黒い影が、だんだんこちらへ近づいてくるのが見えた。
「こっちへ向かってくる――まさか、呪鬼か!?」
咄嗟にエインは身構えるが、対象の身の丈はエインの腰にも届かぬ小柄な体格で、とにかく身のこなしが軽く、今にもぶつかる直前になって真横へと軌道を変えた。
「やったぁ!ついに異物を見つけたぞォい!キャッハ~!」
見覚えのある木像を抱えた金髪の少女が、輝く笑顔を浮かべながら少年の目の前を走り抜けていった。
「あらぁ〜……、あのおチビちゃんが持っていたのは……傀儡か?コルトを持ち出してどこへ……あっ!?」
ハッと目を見開くエイン。
「金髪ッ!?」
元気ハツラツで天真爛漫な女の子は、数十メートルの幅を一度で飛び跳ねる驚くべき跳躍を見せた。重力軽減の魔法に違いない。
「えちょマジで昔のリナだ!?……んとに過去に来ちゃったよ……どうしよう~……」
遠ざかり小さくなっていく少女を、放心しながら少年は頭を掻いた。
「だとしてこれは記憶の追体験?それともタイムスリップか?恐るべきは下手に介入して全滅エンドを迎えることか。むぅ~ん、情報収集に徹するか阻止に動くか悩ましい……あっ!?ちょっと、待ってェ!」
考え事をしている間に、少年はリナを見失った。
「ちょっ、速ッ!これがリナの本気か!」
エインは急いで追いかけるが、足が痺れたように上手く感覚が伝わらず、妙に走れなかった。
無駄のない流麗な走りに対して、霧の合間から現れる巨大な木々に邪魔されながらの鈍重な足取りでは、当然距離を離されてしまう。
「樹を迂回してちゃ追いつけん!すり抜けでもしなけれ――ばァ!?」
その時、エインはリナとの距離を一気に詰めた。
「なっ?」
進路を邪魔していた樹が、今では後方に立っていた。
「……ん、だとェ!?」
何が起きたか不明だが、少年は一瞬で何の手応えもなく、彼は世界樹の中をすり抜けた。
「これ……俗に言う、幽体離脱かァ!?」
ちょうど近くにあった水たまりを覗き込むと、反射して見えるはずの顔は無く、水面には何も映っていなかった。
「リナの無反応も、道理で――」
エインは過去にやってきた。
しかし、物理的な肉体を宿さずに、精神のみであった。
「ついでにリナを見失った。本来なら焦る所だが……」
風に揺蕩う羽毛をイメージすると、視界が前より高くなって、自由自在に移動した。
「よしこりゃ便利!思った通り、幽霊ならリナより速い!よし……見つけた!」
物理法則を無視できる浮遊を手にしたエインは、あの虹鳥イーリスフォーゲルのように上空から滑空し、リナを捕捉した。
「意識すればその通りに動く。風と一体化しろとか抜かす飛扇の練習も、あながち無駄ではなかった」
移動問題を解決できたと喜ぶエインだが、それは同時に一憂が確定した。
「だが一切手出しできないから、未来を変えることは無理かぁ……まあいい」
あらゆる物を通り抜けるエインは、触れることもできない以上、この世界に干渉する事ができないだろう。
しかし今回の彼の目的は、鑑賞しさえすれば良い。
「ともかくこれでやっと知れる。血塗られた、呪鬼との邂逅を――」
幼少期のリナの後を背後霊のように追って森を抜けると、霧が晴れて一気に情景が変わった。
「え……?」
彼が見た景色は、まさしく虹源郷。
空まで広がる巨大な虹の壁を通り抜けると、二重三重といくつも並んだアーチ状の虹が架かり、丸い虹が生まれては消えて、波のように寄せては返す鮮やかな虹と、あちらこちらにも彩り豊かな虹が溢れていた。
その背後には大きな滝が轟と音を立てながら、舞い上がる水煙が雲を作り、離れた場所から飛び散る水飛沫が、自然の壮大さと迫力を物語っていた。
薄く伸びた雲の中を波のような虹が流れて彩りを豊かにしていた。
「ほへー、カラフルの由来はここからかー」
二人を迎え入れるアーチ状の虹が、手に届きそうな距離で出迎えてくれた。
陽の光を反射して煌めく大きな川が広がり、辺りに風通しの良い家がいくつも点在し、一つの集落を形成していた。
「水は貴重のはず……環境が違いすぎる」
水の少ない宿木の暮らしはどこへやら、村の中には小川が幾つも見られて、水不足の片鱗も無かった。
カラフルの村の中に入るエインは、穏やかに暮らす住人たちを目にした。
「永遠に変わらない、とっても可愛い~ライゼンちゃんだぜ!」
「最高の煌めく美しさ……アンナは虹の落とし子ですわ」
赤子のライゼンを抱きしめる男性と、赤ん坊のアンナを愛でる女性がいた。
「……ぉ」
「我らは皆でひとり。いつ、いかなる時も集団行動じゃ!仲間外れなど言語道断!くれぐれも忘れず、覚えておくようにのう!」
元気よく「はーい」と返事をする子供たちを引き連れて歩いていく老人。
通りを進むと、川のほとりでくつろぐ二人を見かけた。
「あの子らもついに結婚か、感慨深いな」
「子供ってのはぁ~あっちいう間に成長しちまいやがるしな」
「幸せに現を抜かしてると、気が付きゃ俺達ぁ爺ィだな」
「そりゃ結構だが、孫の顔を見るまでは死に切れんからな~」
おっさん二人が川辺で仲良く話している。
「なんだか、笑っちまうほど平和だな」
彼らの世界は平和そのものだった。
誰もが言葉は知れど不幸の意味を知らない
平穏な暮らしだった。
「おっと危ない、忘れてた。リナはどうやらこっちじゃないな……他を探そう」
穏やかな空気を見限って、少年は反対側へと向かうと、荒げた声が耳に届き始めた。
「あっ、泣いてる!?どうした!?」
号泣する幼少のリナを気に掛けて声を掛けるが――当然のことに無意味だった。
「ごめんなさい。――でも、どうしても欲しかったの……っ」
無力なエインの隣ですすり泣くリナの前に、腰まで届く金色の髪をした美しい女性が木の影から駆け寄ってきた。
彼女の周りには、何もないところから水が噴き出していた。
「危険な事をしない。戒律を破るのはいけないことよ。だけどリナ、それが分かったあなたはいい子なのよ」
優しい気持ちで娘を慰める女性は、リナをぎゅっと抱きしめた。
「そうか、リナの母ちゃん。水源を作れるとかスゲェな、この人のおかげで昔は水不足じゃなかったんだな」
水源のほとりで、膨大な水を生成する女性は、リナに負けず劣らずの美人だ。この村の色彩は、彼女が作り出していた。
女性は、傀儡を入念に調べた後、深くため息をついた。
「これを虹鳥イーリスフォーゲルの巣で見つけたのね?わかったわ。お父さんにも見せてあげましょう。いこ?」
「うん!」と、手を繋いで集落へと仲良く歩く親子の後ろ姿を、感慨深く少年は見届ける。
「いくらなんでも過去の追体験はやり過ぎだ。魔法や呪法すら上回るこの異能は一体……まあユキちゃんの仕業だし、気にすまいが」
これまでの経験を重ねて、考えても無駄な事には気にしなくなる癖がエインにつき始めていた。
二人の姿が見えなくなるほどに目が眩みそうな、色鮮やかで煌びやかな極彩社の前にやってきた。
「ほぇ~……こりゃ名前に恥じぬ極彩色」
社の前に並ぶ柱が水で作られて、デザインされた虹のアーチを幾つも装飾された美しきカラフルだった。
周りには、七色の生命草マフアの花畑が咲き誇り、綺麗に風に揺れていた。
門構えが既に一級の芸術品に昇華されており、職人達の暇つぶしの結晶をまざまざと見せつけられた。
「たとえ死すとも貫く覚悟。これが護り手の大切な精神だよ。テト」
「ぁ……はい……」
小さくリナに手を振る幼いテトと社から出ていく男性が、エインの隣を素通りした。
ふと気がつくと、陽光の刺す向きが逆になっていた。
「いま、時間が飛んだな」
どうやら時間が一瞬で経過したらしい。しかしエインは独特な時間の過ぎ方にも慣れてきた。
美しい社の玄関から慌ただしく出てきたのは、白髪交じりの金髪の男性と、若い赤い髪の少年だ。
「アルフ!みんなを大至急招集してくれ!」
「お師匠!?、もしかして、リナさんの持ってきた塊ですか?」
「その傀儡が喋ったんだ!しかも、内容が重大すぎるんだ!」
「え!?あれは生き物だったのですか!?」
「違う、魔法で遠隔操作されている傀儡だ。彼はコルトネリウスと名乗り、神楽を中止しろと言っている。無理ならせめて三人だけでやれと」
「なっ、それは一体どうして!?」
「理由は言わなかったが、彼の言葉は真に迫る。見ろ!マフアの色の変化を!」
金髪の男性が指をさすと、社の周りに生えていた生命草マフアの花の色が、真っ黒に変わっていた。
「これは……」
「不吉の前触れと言われる竹の花も咲いたと複数人から聞いた――なにか、嫌な予感がする」
焦りを浮かべた二人は社に備え付けられた魔法で、招集命令の音を混ぜて出していた。
「若いアルフレッドと一緒にいたあのイケメンが先代族長……リナの父親か」
見学するエインは思案を巡らせながら数歩歩くと、突然場面が切り替わり、身覚えのある間取りの通路に立っていた。
「む?景色が飛んだ。この構造は覚えがある、リナの家だ」
両親の趣味だろうか、たくさんの観葉植物や工作物が置いてある通路の棚の上に、写真と見紛う絵の中で両親に挟まれて和かに笑うリナがいた。
ここはかつてのリナの家。形こそ同じだが、空気がまるで異なっていた。暖かく穏やかな陽気で、孤独感が微塵もなかった。
「どうしてリナは見れないのッ!?」
家中に響く怒声が玄関から轟く。
エインが視線を向けると、どうやらリナが怒りに任せて母親に詰め寄っている状況のようだ。
「会議で決まったの。私とお父さんとカムラの三人で神楽をするって。コルトさんの意見を聞いて」
「何で!?そんな余所者の言うこと聞いちゃうの!?」
激しい慟哭に、子供ながら迫力ある怒声を響かせる。
「その人がとても聡明だったからよ。重大な危険が迫っていると真摯に教えてくれた。そんな忠告を無視はできません。リナ、ごめんね」
「いやだぁ〜!リナも一緒に行く〜の〜!絶対にリナも行くの~!」
幼いリナは憤りを爆発させた。
外では、扉越しでも伝わる小さい体にすごい迫力で恐れをなしたテトが腰を抜かして涙を流し、パルが隣で慰めていた。
「これはみんなの命が懸かった問題です。リナが何を言おうと神楽へは連れて行けません。お願い。いい子だから」
「何が起きたってどうせ平気でしょ!約束したのに、みんな嘘だったんだぁ!」
「違うわ!?ほんとうに、何が起こるか分からないの!だから、リナが安全だと、わたしたち安心できるの。ね、リナ?」
「もう嫌だ!お父さんもお母さんも――大嫌いっ!!」
走り出したリナは勢い余って幾度となく壁と激突しながら、自室に篭ってしまった。
悲しげに独り立ち尽くすリナの母を、その時、トントンと肩をたたく者がいた。
テトとパルに帰るように指示をした老婆のムトーが訪ねてきた。
「ちょいとええかいな。三人だけでやるそうじゃのう……」
「えぇ……今回は普通じゃない。きっと降神術が上手くいく。けど、何が降臨されるかまでは……」
「二人はなんと?」
「御伽噺の、木こりとの再現を恐れています――過ぎた杞憂でしょうけど」
「リナは次の巫女姫、わしも実物を見たほうがよいと思うが?」
「傀儡のコルトさんが言いました。連れていきたければ好きにすれば良いが、その者の命の保証はしない――と」
老婆はその言葉を聞くや否や、狼狽を見せた。
「なッ!?死の危険があるなら即刻、やめるべきではないか!?傀儡はそう言ってはおらなんだのか!?」
「言及しましたが、伝統を途絶えさせる訳にはいきません。大丈夫、リナには私が手取り足取り教えます。今は無理でも、きっと分かってくれる」
女性の力強い意志を宿す眼に導かれて、老婆もゆっくりと頷く。
「ふむ。そうじゃな。守備隊長のカムラが何があっても守ってくれるじゃろう。わかった。留守中のリナの事は任せておきんさい。わしが見守っておこう」
「ムトー。いつもリナを気をかけてくれてありがとう」
「なぁに。最後に取り上げた子ともなると、どうしても可愛いくてのう、つい甘やかしてしまうのじゃ」
「誰だ……コイツ、僕の知ってるムトーじゃないぞ……っ」
ムトーの気取らぬ笑顔に、エインは半ば戦慄した。こんな優しい人があそこまで歪むような、人が変わり果てる何かが起きようとしている。
それを予感させるように、静かに亀裂が走るように恐ろしく静かに脅威が忍び寄っている。窓から伸びる一筋の影が不気味な弧を描いて、閉め切られたリナの部屋を飲み込まんとしていた。
運命の日を迎えた。
時間が一瞬で日を跨ぐほど駆け抜けて、神楽当日の夕暮れ時となった。
リナは夜通し泣いていたようで、両親が忍び込んでも気付かずにぐっすり寝入っていた。赤い頬を濡らした跡を拭かれても起きない程に。
「愛おしいな。あと十年もすれば、リルに似た素敵な女性になるだろう」
「ええ。巫女姫になって舞う姿は、とっても綺麗なのでしょうね」
「リル、本当は君にも残って欲しかった。叶うなら今からでも――」
「神楽に巫女姫不在はありえません。アーサー、むしろ族長の貴方が残るべきよ」
互いに同じ主張を聞いて、二人は笑い合った。
「後任はアルフに任せた。それにどんな奴が相手でもカムラがいる!むしろ終わった後のリナと仲直りが心配だよ」
リナの両親は、溢れんばかりの慈しみを込めて愛娘を撫でた。
「泣き疲れて可哀想に。無事に帰ってくるから、次の機会には立派な姿を見せておくれ」
「リナは私たちの命を繋ぐ希望、貴方がいるからどんな辛苦も乗り越えられるの」
リナの両親は一方な別れを告げて、二度と帰らぬ家から出て行った。
「いいご両親じゃないか……」
二人が見えなくなるまで玄関を通り抜けて見送ったエインは、感じた事の無い異様な雰囲気に気がついた。
「あれ?夕暮れにしては……なんか暗過ぎじゃね?」
違和感を醸し出す異変の正体は、顔を見上げた瞬間に見つかった。
「あっ、太陽が、欠けている!?そうか、特別な日っていうのは、日食かァッ!?」
神楽は、太陽が闇に覆われた時に行う神事、人々が願いを叶える為に行う降神術だった。
陽が闇に覆われる直前、巫女王と族長による外出禁止命が出されて、カラフルの集落は恐ろしく静かだった。
エインは、このあと呪鬼が現れるであろう神楽場に今すぐ行きたい衝動に耐えながら、寝息を立てるリナのそばにいた。
「どうなってる……何も起きない。時刻は午後六時前、もうすぐ神楽が始まる、神楽場に行くべきだったか……。でも行こうにも、リナの近くから離れられない――幽霊ってのも不便だな」
幽霊状態のエインは、何度も神楽場へと向かおうとしたが、謎の制限を受けているのか、リナと離れることができなかった。
コンコン――
「ん?」
コンコンと、そこへまた、不意にノックの音がした。
外出禁止にも関わらず、誰かがリナの家の扉を叩いた。
「誰だ……出てきちゃいけないはずなのに」
しかしリナは就寝中。出迎える人はおらず、しんと静まり返った。
すると、トントン――トントントンッ――誰にも響かない音はドンドン強くなり、最後には恐怖を感じる程にガァンガァンと扉を殴りつけていた。
「んん?もしかして……お父さん?お母さん!?やっぱり、リナを迎えにきたの!」
乱暴な音で強制的に起こされたリナは、晴れ渡る笑顔で飛び起きて、軽快に走り出し、そして……玄関の扉を……開けてしまうのだった。
「リナ!急げ!君は一刻も早く神楽に行かなくてはいけない!」
「あなた、傀儡さん?そんなに慌ててどうしたの?」
来客は、なんと木像の傀儡だった。
「コルトぉ?……なんたってこんな時に……しかも一人で?」
その声は疑いの余地なくコルトだったが、なぜか、一抹の疑惑がエインの心を騒ぎたてた。
「このままでは君の両親が死ぬぞ!?ついて来い!時間が無いんだ!」
傀儡は、さも緊張感を張り詰めさせながらリナを急かす。
「……ぇ……え!?どういう事!?な、何で!?」
「神楽は鏡の儀と言って願いを逆に言わないとダメなのだ!だから今まで上手くはいかなかった!この傀儡の身体では降神術に適合しない。故にリナ!君が代わりに願うんだ!今なら――まだ間に合う!」
「そんな……!?でも……リナ……行っちゃ駄目だって……言われたよ」
「早く!このままでは手順違いで神の怒りが下り、皆がこの世からいなくなる最悪の事態になるぞっ!?」
眉間に皺を寄せるエインは、傀儡を凝視して二人の会話を聞いていた。
「こいつは、本当にコルトか?姿形も声も同じだ。が、何か違う……何が違う?」
少年が不信感を抱く最大の理由が、この傀儡を見ていると取り返しのつかない焦燥感と酷い違和感に襲われていたからだ。
その違和感の正体が――彼の脳裏でしだいに露わになっていく。
「いや待て――そうだ、確かあの時、初めて会いにいく前に……アルフレッドが……言った言葉……」
――傀儡のコルトは、自力では動けませんので――
「コイツっ偽物だァァッ!!リナァ!言う事を聞くなァ!!!!」
恐るべき真実を悟った彼の怒声は、しかし誰の耳にも届かない。
「リナ!一刻を争う!死ぬまで独りぼっちになってもいいのかァっ!」
リナの心の隙間を仮想の悲劇でこじ開けて、恐怖で満たし、焦燥を駆り立てる。
偽物の傀儡が放つ情動、それは純然たる――悪意だった。
「いや……いやぁ、嫌……いやぁああ!そんなの嫌ぁ~!お父さんお母さんが!!みんなが死んじゃうなんて――絶対に嫌だッ!」
ぽろぽろと涙が落ちながら、幼いリナはあっさりと虚言に騙されてしまった。
「行くぞ!付いてこい!」
悲劇と惨劇を無理やり空想させられてパニックになったリナは、想像した悲痛な運命を否定する為、明るい未来を守る為に、偽傀儡を抱えて走り出した。
「くっそォオオオッ!!この偽物が災いの元凶かッ!?何もできない無力感が、こんなにもムカつく事なのかァ!!!!」
時がきた。
神聖な神楽場は本来の様相を魅せ、世界樹の御神木がそのお姿を現す。
凪の水面に反射する太陽の欠ける姿までが移り、辺りは神秘的な空気で満たされていた。
「これだ……初めて来た時に見た景色は……もう二度目なのに初めて見る感覚――過去に一度、来ていたが故のだったのか……げに気持ち悪い」
隣で不快感をあらわにするエインの傍らで、少女が頭を出していた。
「お父さんもお母さんもいない……もうすぐ始まるよ」
リナと得体の知れない偽傀儡は、既に神楽の舞台の側までやってきて、幹に生えた枝葉の影に隠れていた。
隠れ潜む二人の襲来を、守備隊長のカムラは察知できず、神楽場の舞台だけを見つめていた。
「リナ、私の合図で舞台に上がり、ネがいを叫べ!ただシ気をつける事がある!必ズだ、必ずネがいの逆を言うのだよ!」
神楽を間近に控えて、偽傀儡の言葉の端々に綻びが生じている。だが、リナはパニックを起こしてその事に全く気づいていない。
「逆……ぎゃくってどう言えばいいの?願ってもないことを、言えってことなの?」
「そうだ。でなければみんなシぬ。だから――絶対二失敗スルナヨ?」
脅しにもなる言葉を添えられて、少女の体が強張る。
「明らかにメッキが剝がれてきている。こいつは誰だ、何が目的なんだ!?あぁ、もう駄目だ……」
逢魔が時――天上に黒々とした日が成った。
闇が陽を喰らい、空に空いた黒い穴が世界を暗転させ、大いなる暗黒で照らし出す。
台風の目か、あるいはブラックホールのような不気味さを孕む暗黒の完成を合図に、偽傀儡の影は翼を広げた。
神楽が始まり、衣装に身を包んだ巫女姫のリルが舞い踊る最中で、神役たるアーサーが舞台へと上がる……その時であった。
草むらから勢いよく出ていく少女。
重力軽減で軽やかに空を切る。
そして神聖な舞台へと上がったリナは、ついに――叫んでしまった。
「カラフルのみんなを――消してぇぇッ!」
偽物の瞳が、妖しく光る。
神楽場にいた三人が、まるで信じられないといった面持ちでリナを見つめ、その身を硬直させた。
「……リナ?……何を言って……」
「どうして……ここに……いるの……」
「おい、まて――ソレは……なんだ?」
ドクンッ――
命を拒絶する黒褐色の波動が、闇に染まった世界樹の森に轟いた。
漆黒の太陽から黒い光が直下に差し込み、周りの世界樹が一斉に枯れ始めた。
生命を奪いながら輝きを溢れされる黒光の御柱が舞台に収束すると、崇めひれ伏す偽傀儡は、ついに化けの皮を脱ぎ捨てた。
重度の火傷みたく溶け出した外皮の内側から、蠢く線虫のような触手がうねりながら飛び出してきて、夥しいほど無数に空へと伸びる。
そして鳥の嘴のような上下の顎をメキメキと引き裂いて、ドス黒い紫と緑の体液をを飛び散らせながら出てきた人の唇が開き、叫ぶ。
「ネシネシネシネシネシネシネシネシネシ――ルヤテシ二シロゴナミ」
偽傀儡は呪詛のような呪文を発した直後、キャアアア〜と、女の断末魔のような声を出して跡形もなく消失してしまった。
「儀式を破壊しろォ!!!!」
アーサーの指令を受け、素早く螺旋波動を放ったカムラは、光を浴びて黒く燃え盛る篝火を吹き飛ばした。
天から降りる黒い光の掃射は、直ちに止まった。
――だが、既に遅かった。
辺りは急激に冷え、吐く息が白くなる。
その場にいる全てが同じ嫌な感覚に陥った。まるで誰かに見られている不快感、内臓が浮かぶ、目が耳が鼻が口が触覚が、あらゆる感覚がブレて不規則かつ強制的に暴れ狂い、気分がひどく悪くなる。
「やっとご対面だな。いよいよと――」
遂に、アレは産み落とされた。炎の中から不自然な黒煙が噴き出して、何かが蠢き、にじり寄り、舞台へと這い出してきた。
それは漆黒の影が立ち上がったかのような、この世のものとは思えない、ナニカ。
「呪鬼。なんか、黒いマネキンみたいだな。以前、僕が初日に見た黒い球体とは違うモノっぽい……なら、あれは誰だ?」
初めて見る呪鬼の姿は、一見するとただの黒いマネキンでしかなく、エインには皆が思う程の畏怖は感じなかった。
しかし、他の者にとっては、おどろおどろしい異物そのもので、末恐ろしさしか感じなかった。
リナの両親とカムラは、ヤバいと全身から悪寒が爆発し、今すぐ逃げろと脳が危険信号を放つ。
「なんだ……こいつは!?」
「ヒトの、カタチのようにも見えるわ」
「だが異様だ、あらゆる負の思念の集合体が、似せて取り繕っているようだ」
恐怖する三人には目もくれず、エインは僅かな変化も見逃すまいと呪鬼を凝視した。
僅かな勝機を見出さなければ、過去へ来た意味がない。
だが、呪鬼はその場で動かずじっとしている。
他にも変化がないかと必死のエインが見回して、そして見つけた。
「あっ!?リナの右目が!?虹色になってる!?」
神楽へ願いを投じたことがきっかけだろう、虹色の右目を持ったリナは禍々しい呪鬼の姿を目にして、腰を抜かして一歩も動けなかった。
「ヴ……ヴ、……ゥオ」
呪鬼の頭部らしき部分が、スッと動いたかと思えば……か弱い少女の方を見た。
「ヴォォオオオ!!!!」
黒い波動をその身に宿す呪鬼は、赤黒く濁った双眸で虹色の瞳を見つけると、真っ先に突進した。
「≪螺旋波動≫!!」
咄嗟にカムラが魔法で止めにかかるも、呪鬼の身体にあっさりと弾かれて全く通用しなかった。
「魔法が効かない!?――リナっ!?」
手足を力任せに動かして猛進する呪鬼が、リナの目前にまで迫る時、エインはリナを背に呪鬼との間に割り込んで立ちはだかった。
「くそっ、無駄とて黙っていられるかァッ!」
幽霊のエインを無視して襲いかかる呪鬼は、暴風を発生させる程に少年と激しく衝突――目にも止まらぬもの凄い勢いのまま、場外まで呪鬼が吹っ飛んだ!
「なにぃ!?」「何だと!?」「何だってェエエエエ〜ッ!?」
アーサーとカムラもだが、誰よりもエインが絶叫して驚いていた。
殺気と怨嗟の塊たる呪鬼は、なんとエインに触れた瞬間、跳ね飛ばされたかのように宙を舞い、腐った世界樹の中にめり込むほどに激突した。
「呪鬼に触れた?え?何でェッ!?だがすべきは一つ!奴をぶっ飛ばすッ!!」
のそのそと出てきた呪鬼は、再び舞台へよじ登り、立ち上がろうとする。
その隙を待つエインではない、呪鬼に向かって走る勢いそのままに、エインが顔面を殴りつけると、面白いくらい撥ね回った挙句、呪鬼は世界樹の幹に頭を打ち付け、糖の地面に深く突き刺さった。
「え?まじ?……よわぁ〜。もしかしてこいつ――ザコじゃね?」
思わず呪鬼の醜態に失笑するエイン。
だが、身動きができない呪鬼の周りに黒いガス状の瘴気が集まり、糖を腐敗させて脱出を援護する様子を見て、「な訳ないか」と気を引き締める。
奴が復帰してくる前に、早急に逃げるべきなのに、四人はまだグズグズしていた。
「いきなり吹っ飛ぶぞコイツ……なんだかよくわからんが、油断するな!?」
「生まれたばかりで怨嗟が暴走してる!かもしれん!きっと。今しかない――奴が力を制御する前に逃げろ!!私は時を延ばす!行けッ!」
アーサーが腕を回して放心するリナを抱えて、急いで飛扇を持ってきたリルへ預けた。
「魔法が通じないなら使うしかない!――『呪法』≪千影夢幻≫!」
アーサーは呪法を使って偽物の御神刀を歪な槍へと変化させた。
「強く濃い憎しみの怨嗟……死ぬ気だなリナの父親」
糖の地盤を内部ごと抉り出し、瘴気を纏った呪鬼が神楽場へ再び戻ってきた。
「はぁぁぁああああ――っ!」
雄叫びを挙げながら勇猛果敢に突進するアーサーだが、呪鬼は辺り一面に瘴気を撒き散らした。
「あっ――」
近すぎて回避不能のアーサーに瘴気が触れるか否かという刹那、エインが先に手を伸ばした。
エインに触れた瘴気は、彼に激しい痺れを伴い、跡形もなく消失した。
「くぅッ、しっ痺れるぅ〜っ!?やはりあれは瘴気か――ならこの現象が浄化か!」
「もうやめてッ~!お父さん!一緒に逃げようよォ!」
やっと声が出せるようになったリナが、父の背に向かって叫ぶ。
「リナを連れて逃げろォ!!」
目の前で霧散した瘴気の挙動に驚愕するアーサーは、絶好のチャンスを生かして呪鬼に槍を突き立てた。
しかし、それは呪鬼の体を傷つける事なく、無惨にも砕け散った。
驚愕するアーサーと、飛扇に乗り込んで空から見ていた三人。
この瞬間、呪鬼には呪法すら無意味と悟った。
まるで鬱陶しいとでも言いたげな呪鬼は、唸りながら虫でも払うかのように左腕を振るう。当然後方へ逃げるが、散らばる瘴気の一部が、アーサーの肩にくっついた。
「ぐぅ、肩がぁ!?熱い……感覚が無くなって――動かッ……なっ!?徐々に……広がる?あの黒いのに触れるな!このことを皆に知らせてくれ!俺は助からん!」
アーサーの右半身がジュクジュクと這い寄る瘴気に覆われて、黒く染まった箇所は硬直して動けなくなっていた。瘴気による汚染が始まった。
「叶うならもう一度……リナの笑顔が見たかった……」
膝をつき死を覚悟するアーサーに、穏やかな笑みを浮かべたエインが悠然と近寄る。
「それくらいなら大丈夫だよ。僕なら瘴気を消せるからさ~。僕らで鈍間なコイツをぶっとば――ブウッ!?」
アーサーの肩に手を伸ばしたエインが、急に引っ張られ、リナの隣まで飛ばされた。
「んだと!?位置を戻された!?ここから先は、リナの記憶の外なのか!?」
リルの飛扇に乗せられたリナは、神楽場からどんどん距離を離していく。それに応じて、背後霊と化したエインも無理やりその場を後にせざるを得なかった。
しだいに小さくなっていく舞台の上のアーサーが真っ黒な瘴気に飲まれた後、赤い目をぎらつかせる呪鬼に、頭から喰われていた。
「何だアレは!?あれが神だとふざけるなァ!?アイツは、俺たちを殺す気だぞ!?」
「落ち着いて!なにか、対策を考えましょう!」
「くそっ、コルトネリウスが正しかった!神楽はするべきじゃなかった、もしも全員参加していたら、既に全滅していたぞ!?」
「可能性は残ってる!まだ何も終わってないのよ!?」
カムラとリルが言い争いをする中、目の前で父を失ったリナは、泣くことも忘れて茫然自失だった。
その隣に座るエインは、貴重な呪鬼との邂逅で疑問が浮かんだ。
「なぜ僕は奴に殴り勝てる?瘴気を消せる?干渉ができている!?ここはどこだッ!?僕は過去に来たのかッ!?だがリナと距離を離せないのはなぜ、あっ――」
真夜中の暗闇の中、水源近くの広場で減速し高度を下げたリルが、飛扇から降りた。
エインは嫌な予感しかなかった。
ここの広場はかつて、エインが最初にこの世界に降り立った場所だ。
「守備隊長カムラ・ブル・カラフル。リナをお願いします」
「リル――お前、まさか……」
「追ってきている……わたしは、ここでアレを止めます」
リルは澄んだ瞳で涙を溜めたリナを見つめてそう言った。
「え……お母さん?お父さんが……なのに、お母さんまで行っちゃうのぉ?」
涙をこぼしながら、リナはつぶらな瞳で悲痛な顔で言った。
そんな愛娘との最後を思い、毅然に振る舞うリルの表情が少しずつ悲しみを帯びていく。
「リナ、今より貴方を巫女姫とします。私たちはリナに会えて幸せだったよ。元気でね!幸せにね!大きく、なってね。楽しく笑ってぇ……私たちの分もいっぱい生きてっ、お願いだからぁ……リナぁ〜……っ」
最後には涙を溢れさせながら、ぎゅ〜っと抱きしめて、リルは今生の別れの言葉を遺した。
「さあ行って!命を紡ぐ為に、私は役目を果たします。お元気で」
涙を零しながら、母のリルは、なおも抱きつこうとするリナを優しく突き飛ばし、毅然と背を向けた。
狼狽するも、カムラは全力で抵抗するリナを捕まえた。
「嫌ァアあアあッ~っ!お母さんまで行かないでェ!ごめんなさい!もうしません!もう我がまま言わないからぁ!お願いだから、リナを独りにしないでェ!お母さん〜!」
カムラが力づくでリナを抑えて、空へと飛びあがった。
「ヴォオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
濁流のように押し寄せる瘴気で世界樹を次々となぎ倒しながら、呪鬼がリルのいる広場へ到達した。
悍ましい怨嗟の咆哮に怖じる事なく、リルは溢れ出る感情を滲ませて詠唱を唱え始める。
「惟神よ、ここに全てを捧げます!よくも、よくもぉアーサーをっ!リナと過ごすはずだった明日を……私達の幸せを、返せェエエエ!!『呪法』≪五色大封印≫!!」
涙ながらに悲痛と怒りの叫びを響かせ、リルは五芒星の魔法陣を足元に展開させた。
模様の中に入った呪鬼は、痺れているように体を震わせて動きを止めた。
白い光が輝いて、呪鬼とリルの姿が見えなくなると、エインも見覚えのある紫色の石柱が出現した。
「やっべェ!?僕って、あんな大事なもんをぶっ壊したのか!?よく追放されなかったな……」
それはかつて、エインが初めてこの世界に降り立った時に激突して破壊した鉱物だった。
脂汗をかくエインの隣で、冷や汗をかいたカムラが早口で呟く。
「リルの封印が効くのを願うばかりか。だが、出てくる可能性は無視できない。おいリナっ、いい加減、もう暴れるな!落ちるぞ!?」
リナはまだ戻ろうと暴れてカムラの手を煩わせていた。
「嫌だァ!リナも残るっ!わたしもお父さんとお母さんといっしょがいいの!離してェええッ!」
「ダメだ!二人の死を無駄にしたいのか!?お前はもうカラフルの巫女姫だぞっ!?」
カムラは一度だけ封印の方を振り返り、そして悔しさを噛み締める。
「くっ、光が弱くなっていく。ダメか……真下の連中に伝えてもアレを見るまで信じまい。対応に時間もいる。ざっと百人、済まん!」
カムラはリナの家もある外縁集落を素通りして、そのまま極彩社に向かった。
「外出禁止の人達を囮に時間稼ぎか。みんなが口を紡ぐ訳だ……」
そこはテトやパル、ライゼンとアンナがいる集落だ。
森の奥で暗闇が戻って少ししてから、エインは反響する無数の絶叫が聞こえた気がした。
カムラとリナを乗せた飛扇が極彩社の前に降りると、正面の扉を全開にして待機していたアルフレッドが見るや否やすぐに駆け寄ってきた。
「カムラさん!?お二人は――」
「アーサーとリルが死んだ!神楽から黒い奴が現れて、今は外縁集落を襲っている!すぐにここにもやってくるぞ!信じられないと思うが――」
あまりにも突拍子のない虚構の列挙だと理解しているカムラは、説得を試みようとするが。
「そんな、やっぱり――」
アルフレッドは訳知り顔にそう言った。
「やっぱりだと!?どう言う事だアルフレッドォっ!?」
「コルトさんより提案があります!良くて半数は助かると申しておりますが――どうしまっ!?」
「守備隊長カムラ・ブル・カラフルが認定する!コルトの指示に従い――自分の命を守れっ!」
若いアルフレッドは急ぎ、緊急事態と指令を集落全域へ送るために中へ戻った。
「いいのかい?私の案は犠牲を伴う。全員を生かしたがっていた君達の方針に反する事になるが?」
入れ替わるように、傀儡のコルトが怯えるパトラの胸に抱えられてやってきた。
「本物か――この温和な威圧感、安心するね」
昔も今も変わらない傀儡の姿形に、エインは一時の安心感を得た。
「もう大多数が死んでる!半分でも助かるなら良い!それと質問だ!俺達はアレに――」
「勝てない。実体の無い呪鬼には物理攻撃は効かない。魔法は言うに及ばず、呪法のみ僅かに干渉するが危害には至らない。残念だが、アレは死すら持ち合わせていない」
コルトネリウスが淡々と述べる内容は、周りの者達に絶望を与えた。
「ジュキ?あれが世界を焼いたと木こりとに伝わる前時代の末裔だとでも言うのか!?」
気が動転するカムラは、何かにつけて騒ぎ立てるが、冷静にコルトは対処する。
「今は御伽噺をする時ではない。呪鬼の強さの根源は恨み憎しみ。怨嗟渦巻くほど瘴気はより強く濃くなる。身内から犠牲が出ればより一層、そこへ惹きつけられるだろう」
遠回しな物言いだったが、意味はカムラにも伝わった。
エインは、小さな声で呟いた。
「つまり贄か」
唇を噛むアルフレッドの肩を叩き、カムラが傀儡へ頭を下げた。
「従いますコルトさん――指示を!」
「手短に別れを済ませ、男性は呪鬼と交戦せよ。目的は時間稼ぎ。視界に入って標的になったら逃げに徹せよ。それ以外は避難!荷物は己の命のみ――行動開始っ!」
はい!と、守備隊がコルトネリウスの指示に従って動き出す。
「アルフレッド――今より君が族長だ。この窮地を脱す為の可きを成せ」
コルトの宣告を受けたアルフレッドは、卒倒しかける程に青ざめた。
「カムラ、六色をこの巻物に転写した。君にしか頼めない――やってくれるかい?」
無駄のない発言を繰り返すコルトは、更なる最善手を言い放つ。
「もちろん!だが、リルの呪法の五色でも数十秒の時間稼ぎしかできなかったぞ!?効果あるのか?」
「暗黒は呪鬼の時間ゆえ、あらゆる影響は微力だが光が戻れば問題ない。このコルトネリウスが誓う――カラフルは全滅しない!すまないが、皆の後を追ってくれ」
それを聞いたカムラは、清々しい笑みを浮かべて胸を叩いた。
「だったら後顧の憂いはない!後生の頼みだ!コルトさん、今後もカラフルを見守ってくれ!」
「是非もない。日食が終わるまであと数時間、若き巫女姫よ、飛べる者が少ない。君も、皆の極彩社までの避難を手伝ってくれるかな?」
「……うん。もう我がまま言わない。みんなの為に、頑張る!だってリナは巫女姫だもん!」
幼い巫女姫は、とうに限界を超えていたが、もはや使命感だけで気を保っていた。
「鬼だァ、逃げろ!人食い鬼が来たぞ〜ッ!」
社の外から慌ただしい声と共に、巨大な世界樹が倒れる振動がここまで届いた。
「やめぇてぇ〜!子供だけは!?」
「神よ、御慈悲を〜!?」
恐怖で震撼させる憎悪の化身の到来。後ろから絶叫、悲鳴、断末魔が響き渡り、阿鼻叫喚の地獄絵図の様相を呈している。
「奴め、これ以上好きにはさせん!この六色極封陣で絶対に留めてやる!」
守備隊長カムラは、魔法陣が書かれた巻物を胸にしまって猛々しく出陣した。
「死にたくない――いやだッ!?」
「全力で走れ!社まで逃げろォ!汚染された者は見捨てろ!被害が増えるだけだ!」
カムラの絶叫が遠のいていく。
「……あ、リナも行かなきゃ、みんなを助けるんだ」
巫女姫のリナも遅れて飛扇に飛び乗り、大混乱の集落へと向かう。
「生まれたばかりでアレだった、もう……おそらく……」
もちろんエインも強制的に連れていかれた。
呪鬼の襲撃を受けた集落の絶望過ぎる光景に……二人は絶句した。
惨劇――共に笑い、いつも寄り添い、安らかに眠っていた所を襲われた人々は絶望のどん底に落ちた。目の前で子供を食われ、助けようとした親が食われ、逃げた家族が瘴気に取り囲まれて絶望した。
誰もが油断していた。無情の殺戮を前にして、平和に暮らしていた彼らに戦う意志はなく、撤退の知識もなく抵抗する手段もなく、考え無しの避難は無駄に終わった。
燃え盛る紅蓮が平穏を破壊し、環境を崩壊して回る猛り狂う呪鬼が生命を喰らい尽くし、瘴気が黒い雲海のように世界樹の森を覆い尽くす。
走って逃げる人たちの恐怖を感じ取り、家族を奪われた人の怨嗟を察知する呪鬼は、風のように走り抜け、逃がさないよう世界樹を倒して逃げ道を塞ぎ、包囲殲滅を徹底していた。
情報が伝わっていない人々が魔法を連発して無駄な抵抗をするものの、全く通用しなかった。
瘴気を受けた男達が、せめて肉壁となって呪鬼を阻もうと試みるが、何の意味も無く蹂躙されていた。
膨れ上がった瘴気は、世界樹ほどの高さとなって地上を這うように分厚く覆い尽くした。
「瘴気の量が尋常じゃない、もう手の施しようがない……手遅れだ」
たとえエインが瘴気の浄化を試みたとしても、大規模な山火事をバケツ一つで消火しようとする愚行でしか無い。
祟り呪う瘴気を前に、全てを喰らい呑み込む呪鬼に、抗う術は無いと彼らは理解させられた。
怨嗟を統べる禍々しき瘴気を以って、怨念に染まる呪鬼はカラフルを完膚なきまでに蹂躙した。
「はぁ……ハァ……ハァっ――」
隣にいるリナは、最初こそ何とか持ち堪えていたが、徐々に挙動がおかしくなってきた。
「おいっ……リナっ!?」
過呼吸気味となり、焦点が合わなくなり、そして力無く、飛扇の上で気絶した。
リナが気を失った直後から場面が一気に移り変わって、見慣れた針葉樹林に作られた即興の避難所にやってきた。
避難した人達の表情から生気が失われており、新たに族長になったアルフレッドだけが辛うじて意志を保っていた。
「虹源郷は壊滅、守備隊もほぼ全滅――我々は神を怒らせるようなことをしたのでしょうか?カラフルは……滅びるべき、定めなのでしょうか……」
「死んでも無いのに諦めるな。君達の勝利は生存だ」
コルトの激励にアルフレッドは無理やり前を向かされる。
「呪鬼は四方に散った者たちを追っている。じき刻限、日食が終わりの兆しを見せる時、一番初めに光が降りる場所はどこだろうか?」
族長のアルフレッドは、ハッと気づく。
「神楽場に呪鬼を誘導する!飛べる者が指揮を、飛べぬ者を等間隔に配置して時を延ばせ。年齢を問わず、大切を奪われた者を優先せよ!それと……巫女姫は不参加、この避難所で待機だ。人選は族長に一任する。以上」
身に余る重責に吐き気を催し、盛大に嘔吐くアルフレッドだったが、容赦無くコルトが言う。
「命と時間を無駄にするなアルフレッド。疾くやれ」
「はいっ――直ちに!」
囮以外の女子供と動ける精神状態ではない人達は、後の宿木に避難した。
そして、呪鬼が残党狩りを終える頃合いになると、コルトネリウスは避難の受け入れを打ち切り、入り口を封鎖した。
「最上位魔法<億条輪廻>――≪天魔界遮断≫」
傀儡が発動した何億にも重ね掛けされた最上位魔法の結界を作り上げた。
それは後の宿木に等しい秘匿能力を持った隠蔽魔法。あらゆる痕跡と気配を限界突破して遮断し、数十人が隠れていても、感知することが難しくなる効果を発揮する。
「厳命する――みな息を殺せ。物音ひとつで全滅するよ」
コルトの厳命が下されてから数十秒後、呪鬼が、リナたちのいる目の前にまでやってきた。
「…………ゥぅ……」
樹の外から聞こえる呪鬼は、人間を探しているかのように、行ったり来たりを繰り返していた。しかし、生命活動も、熱も音も、気配と痕跡を極限以上にまで断絶させたことで、呪鬼と瘴気は、避難民を認識することができなかった。
「い、や、嫌だぁああ〜ッ!?」
「死にたくない〜ッ!?」
「やめてェ〜!?く、くるなァあああ!?」
その代わりになったのが、囮の人たち。
呪鬼は声のする方を向くと、回り道をするように元の神楽の舞台へと移動を開始した。
絶望が首をもたげて忍び寄る。囮役の叫び声が、木霊する。
「…………」
もはや軽口一つも言えなくなったエインも、リナの側を離れる事が許されず、呪鬼が退散する結末を見ることは無かった。
後で聞いた話では、囮役の活躍により神楽の舞台まで誘導された呪鬼は、日食を終えた太陽光を浴びると瞬く間に崩壊し、霧散して消えていったそうだ。
神楽が終わり、空はいつもの様子に戻った。
宿木の最上階、コルトとアルフレッドが、完成直後の茶色を基調とした極彩社の最上階で話をしていた。
その下の階にリナが居る為、エインは離れても引き戻されなかった。
「神楽が終わった。生存者は一割にも満たないと予想していたが、ニ割も生き延びた。君たちの的確な行動と迅速な判断が成せた偉業だ。誇ると良い」
カラフルの人口は五百人、生き残ったのは百人。八割の四百人が行方不明。
「いえ、誇ることなんて……なにも。犠牲が、多すぎる……もしたらればを考えずにはいられないっ」
アルフレッドは、沈鬱につぶやく。
「あんな――化け物が相手だと知っていれば、私が、あれ以上になれたら――」
「人は所詮、人に過ぎず、それ以上にも以下にもならぬ――」
怒りと悲しみを混ぜた屈辱に歪む悲痛な表情のアルフレッドは、ひとつの言葉では言い表せない、複雑な心境を見せた。
「皆を集めよ!過去から学ばねば、真に犠牲が無駄になる。今後の生活様式を一変させる為、直ちに議会を行う。アルフレッド……悲しむ暇など今は無い」
アルフレッドが苦しげながらも重たい頭を上げたことを認識し、コルトは態度を軟化した。
「会議を行うその前に巫女姫、リナを、連れてきてくれないか?」
「リナさん……を?」
「大事だ――二人で話す」
即座に族長は一礼して立ち去り、少ししてから巫女姫が部屋に入ってきた。
リナはとても虚ろな表情で、脱力ぶりは亡者のようだ。
「少しだけ話がしたい。リナ、ここに来て座ってくれないか?」
だがリナは無反応、両親と故郷を失った直後でまともな精神状態ではなかった。
あまりに強烈な体験だった。心が拒絶反応を示すのも無理もなかった。
彼女の様子を見た傀儡は、リナの状態を理解した上で、再度、声をかけた。
「ご両親、アーサーとリルから遺言を預かっている。どうか、聞いてくれないか?」
「……ぇ?」
その言葉を聞いて、放心状態だったリナが僅かに反応を示す。
「その前にいくつか質問をするよ。いいね?」
コルトの好々爺な口調に、リナは小さくうなずく。
「ひとりで家に居た時、何者かが訪ねてきたね。誰と会った?」
「……だ、れに……も……」
咄嗟にリナは嘘をついた。
壊れかけた心を護るため、まだ小さな罪悪感を騙す為の防衛本能が言わせた。
しかし一切揺るがぬ強固な空気、聖賢竜の無言の圧力が、女児のか弱い心身を容易に貫く。
「…………ぅぅ……」
バレていると悟ったリナは、感情の許容限界を超えて、ついに泣き出してしまった。
「リナ、このお話は誰も聞いていない。誰にも知られる事はない。とても大事なことだから、もう一度聞くよ?――家で私と同じ傀儡と出会い何を言われて操られ、神楽でどんな願いを言わされた?」
「怖ッ!?コイツ……ほぼ言い当ててやがる……ってか、もう質問する意味なくね!?」
恐るべきコルトの洞察力は、どういうわけか、既に何かもかもを見通していた。
「……し……知らない、けど、だって……お父さんとお母さんが、死ぬって、だから、カラフルを救ってっで……だから……だがらぁ……」
「呪法の根源にあるのは負の感情。物を浮かせる変化が恨みに染まれば、果てまで飛ばし落下の衝撃で命を奪う手段になる。同じ効果でも、本質がまるで異なるのだよ」
「そんな、わたし……は……」
「安心なさい。リナは偽傀儡の恨みを代行したのだよ。ただ今回の怨嗟の質量は、不倶戴天などとは程遠い、物見遊山の暇つぶし感覚だろうけどね」
「……え……そんな、ことで?」
「そんな事で人は人を殺せる――だが問題は呪鬼だ。恨みは晴らさないと消えない」
つまりコルトが伝えたいことは、まだ終わりじゃない、次がある――ということだろう。
「リナ、いまのきみに、わたしがつたえたいことは、ひとつだ――」
ここでコルトは沈黙した。リナが頑張って泣き止むのを待ってから、陽光のような暖かな声でリナの心に語りかける。
「笑いなさい。辛いときほど笑いなさい。笑う人はね、とっても心強いから――」
意味がわからない、と首を傾げて混乱したリナを無視するコルトは淡々と続ける。
「話は終わりだ。巫女姫よ、アルフレッドを呼んできてくれないか?」
「……え、あの……遺言……」
「ん?あぁすまない。話を聞いて欲しくて言ってみただけだ。そんな事は受け承っていない」
――うわぁっ、こいつぅッ!?
傷心中の子供に容赦が無さすぎると、流石のエインも引いた。
あ……そう、と呟くリナは一歩一歩をやっとの思いで踏み出して、部屋を後にした。
「すぅ~……はぁ~~……こりゃ、ああなるのも頷ける」
現在のリナになるのに、あまりに十分過ぎる過酷な体験だった。
「人は生きる意味を失うと、手当たり次第に縋り付き、ありもしない救いをでちあげる――わたしはリナの救いになることはできない。わたしにはね……………………そうだろう?」
心拍数が怒涛の間隔で応じ、霊体のエインは飛び跳ねた。
「――ッ⁉……ま……まさかこいつ、いま、僕に話しかけ……」
「只今参りました。すみませんコルトさん、まだ会議の準備が――」
「重ねてすまないが急ぎで頼む。今度はムトーを連れてきてくれ」
「え、あ、しかし……ムトーは目の前で教え子達が全員食われただけでなく、息子のカムラさんを失って発狂しており、とても話せる精神状態ではありませんが……」
「状況はみな同じだ関係ない連れてきてくれ」
真剣に話をする傀儡と族長の姿が、薄く遠く離れ始めた。
そしてエインは、心の色を剥がされた真っ白いリナの部屋に移動した。
「願いが……叶うなら……お父さんとお母さんのところに行きたい」
自室の隅っこに佇む、涙の跡が色濃く残る幼子のリナが悔恨の胸中を掠れた声で呟く。
「……でも、駄目。わたしは巫女姫を託された……笑うって何?あんな事をしでかして、生き残ってしまった……わたしが笑うなんて、そんなこと……できない」
もうみんなのいる昔には戻れない 幸せだったあの頃には帰れない
祈っても願っても救われなかった 神様にだって取り返せない
ならもう 思い出さなくても いい
虚ろな眼差しで、リナは顔を上げた。
「そうだ。捨てればいいんだ。いらないわたしをぜんぶ捨てて、巫女姫リナとしての私だけでいいんだ」
みんなの為にわたしは消えよう
迷惑をかけたわたしを殺そう
平和な世界に邪魔なわたしは死のう
世界は変わった 私はもう わたしじゃいられない
「だから笑おう。泣くのも悲しむのも、もう私には必要ない。この部屋の物も、全部捨てよう」
リナは家族の思い出も、好きな物も、大切な感情も必要ない物として捨ててしまった。
そして誰もいない遠方で竹を栽培し、工房を作り、贖罪として出来る事を片端からやりだした。
「神楽を成功させる為だけに生きる。この先にリナ・クーフィン・カラフルはいらない。私は巫女姫。全てを懸けてみんなの役に立つ。それが、私なんだ!」
それから少し経って、コルトの指示によって、瞬く間にカラフルは復興を遂げた。
その変わり様は、エインが知っている光景へと続く軌跡だ。飛扇が一人ずつに配布され、全員が飛べるように厳命が下り、天魔護風陣が全員の情報伝達を同期させ、常に隠れる生活様式となった。
そして、やるべき事が無くなりかけた頃、痛みが辛さを思い起こす時期になる。
絶望や悲嘆に暮れて涙を流す人たちに対して、生きる希望と楽しい暇つぶしを見つけるきっかけ作りの一環との事で、族長は願掛けのミフィタを全員に配給した。
「リナさんは、命を未来へ繋ぐため――何を願いますか?」
無言でミフィタを受け取ったリナは、独りぼっちの家まで持ち帰り、部屋の隅っこで手首に結び始めた。
虹色に煌めく右目は、とても正気を宿しておらず、まるでガラス玉のような作り物を埋め込んだような無機質だった。
永い、とても長い沈黙が息絶える頃――
「………………死にたい……」
今にも消え入りそうな声で――……リナは願いを込めた。
「ねぇ、私にできることないかな?」
そして、痛々しげな笑みを張り付けた巫女姫は、それから人助けをするようになった。始めから定められた動きみたいに、利他的な言動を開始した。壊れかけたリナの童心は、踊り狂うように善意に依存した。
ほんとうに、それでいいのか?
あの頃の森を駆け回っていた少女はもういない。
心の奥底に、断ち切りがたい因縁を沈めながら、彼女は走り続けた。
もう戻れない、二度と戻ってこない理想を必死に誤魔化して、本心に嘘をつき続けた。
ほんとうにそれがいいのか?
自己犠牲に操られた彼女のか弱い心は、痛むことで静養を得ている。
そして、世界の終わりを心待ちにしながら、ひたすら少女は生きた。
自分らしさから逃げ続けて、辛く苦しく痛みながら気持ちを押し殺して、血涙を拭いながら、ずっと惨い話の舞台に立っている。
少女の我が身を顧みない自滅的で、決して許される事の無い罪滅ぼしの虚しい旅路が、少年がやってきた現在まで続いていた。




