8、リシュリー
ここ数日過ごしていて気づいたのだが、エレノアの部屋があるのはベルクール邸の別館のようだ。
今日だって、初めて部屋の外に出たが人の往来はなく、中を探索するのは簡単だった。
すぐに医務室のような場所を見つけて、痛み止めを数日分と塗り薬を少しくすねた。
そそくさと部屋を出ると、メイド服を着た小さな女の子とばったり目が合ってしまった。迂闊だった。その女の子は目を大きく見開いたかと思うと、踵を返して駆け出した。
エレノアは反射的に足を一歩進めると、激痛が走った。うっかり捻った方の足を踏みしめてしまったようだ。言葉にならない悲鳴をあげて、うずくまる。
しばらく動けずにいると、黒い小さなパンプスが視界の端に入った。視線を上げると、先ほどの女の子が眉を八の字にして覗き込んでいた。
その機を逃すまいと、その子の腕を掴む。脂汗が額を伝った。
「つ、捕まえた……あのね、このことは、誰にも言わないでほしいのだけど」
「は、はいい。分かりました、エレノアさま」
「ありがとう。ねえ、あなたは?」
「ええっと…リシュリーです。あの…逃げませんので手を、離していただけませんか」
リシュリーが目に涙を溜めて震えている。
痛みのせいもあって、物凄い形相をしていたかもしれない。居た堪れなくなって、さっと手を離す。
沈黙の時間が続いたが、エレノアは小さい子の扱い方など分からない。
「…それじゃあ、私行くわね」
「あああ、あの!リシュリーはいつでもエレノアさまの味方なので、安心してください!」
リシュリーはそれだけ言い残すと去って行った。エレノアの味方か。あんなに怯えていたのに優しい言葉をかけてくれるなんて、なんていい子なのだろう。
先ほど飲んだ薬が効いてきたのか、足首の痛みが少し軽くなった。
*
この階段を登り切ったら、エレノアの部屋がある。
上がってすぐの角を曲がりかけて、さっと身を引っ込めた。血の気が引いて、心臓がバクバクしている。
そこには、食事を載せたカートを引くエルザが立っていた。
ここで見つかるのはまずいかもしれない。しかし、もう一度階段を降りるにしても、今のエレノアではどう考えても間に合わない。息を潜めて、じっと祈った。
そして、カツカツと強い音を出す足音が近づき、止まる。
「…エレノア様?何をなさっているのですか?勝手に部屋を出られては困ります」
上目遣いにエルザの様子を伺うと、その表情には一ミリの歪みもない。
顔も見せなかったくせに何を言っているのだろう、この鉄仮面は。
「ああ。ごめんなさい、エルザ。気晴らしにお散歩がしたかったの。そろそろ何かしないと気が滅入ってしまうわ。そうだ!私はもう元気だと旦那様にお伝えしてくれないかしら」
「……承知いたしました。では、私はこれで失礼いたします」
エレノアは彼女の背中を見送りながら、下まぶたを人差し指で引き下げた。




