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3/11

3、偽りの

 アルマン・ベルクール男爵。先の対魔族戦で武功を挙げた軍人だ。


 この国の国防を担う組織は、大きく二つに分かれている。貴族の警護や治安維持を担う騎士団と、国境防衛や戦争に従事する王国軍だ。

 騎士団は貴族、もしくは貴族の推薦を得た者のみに入団する資格が与えられる。実質、貴族のみで構成される組織だ。

 対して国王軍は、比較的門戸が広く能力さえ認められれば、身分に関係なく入隊できる。

 そんな国王軍の戦死率はかなり高いと言われている。それでも入隊を希望する者が後を絶たない。

 戦死率が高いということは、それだけ自分にチャンスが回ってくる可能性が高いということだ。危険を承知で、成り上がりを夢見る若者が大勢入隊する。

 しかし、国王軍に対する国民の目は年々厳しさを増していた。

 経験も浅いうちに戦地に送り出され、生きて帰る、まして武功を挙げるなど至難の業。訓練で良い成績を残していたとしても、実戦ではそんなことは関係ない。

 そして、育成側に回る者も育たず教育が行き届かない。国の安全が保障できない。そういった負のスパイラルに陥っているらしい。

 税金で軍費が賄われているのに、そのような体たらくでは口うるさい国民は納得しない。

 今は周辺諸国と連合を組んでなんとか耐えているが、近頃は政治的な情勢も安定しておらず、いつどうなるか分からない。

 そんなときに突如として現れたのが、アルマン・ベルクール男爵。

 先の戦での功績を認められ、国王から叙勲されることになった。平民出身だが元の姓は周知されていない。

 彼は、国王軍にとっても国民にとっても救世主である。しかし、英雄視されていると同時に恐れられてもいた。

 魔族と渡り合って戦えるなど普通の人間とは到底思えないからだ。しかも素性が知れない。

 国西方の村出身だとか、はたまた他国の民族だとか、様々な噂が飛び交うが、その真相は定かでない。

 人々は、彼の素性が分からないのを良いことに「男爵は人を食べて力をつけている」とか、「夜になると獣の姿に変身する」とか、「身長は二メートルを超え、口が大きく裂けていて化け物のような見た目をしている」とか、「実は男色で部下を愛人にしている」だとか好き勝手に噂する。

 最後に関しては人の嗜好だから放っておいてやれとは思ったが、散々な言われようだった。

 つまり一言でいうと、謎に包まれている男だと言うことだ。

 しかし、そんな話題の人に嫁ぐなど絶対に嫌である。化け物に嫁ぐ悪女など人々の笑い草の他に何と言えるのか。それなら静かに暮らせる可能性が捨てきれないエロ親父のほうがましだ。


「なんだ、不服か?」


 ハッとして顔を上げると、父の顔がひどく険しい。息ができなくなるほど心臓が大きく鼓動する。

 人前では悪女の娘を養う器の広い父親を演じているが、エレノアを見る目はそんな優しいものではない。

 彼は彼女を自身の評価を上げるための、ただの道具としてしか見ていない。だからエレノアが思い通りに動かないと、兄のような振る舞いをする。いや、兄よりもずっとひどい。

 そういえば、母もエレノアを道具のように見ていたが、それはお気に入りのおもちゃで遊ぶ子供のような目だった。その目を見て育ったから、父の目が母のそれとは全く違うことがよく分かる。


 エレノアはこの家のサンドバッグだ。エレノアのおかげで他のいざこざが起こらず、家族仲は円満、使用人たちは精力的に働く。

 おまけに、悪女を家に置いてあげている優しい公爵家の方々と称えられ、王国中からの評価は天井が見えない。公爵の仕事も上手くいっているようだ。

 それなのに何も持たないエレノアにまだ何かを差し出せというのか。

 なんと強欲でなんと愚かなのだろう。父と対峙するたびに反吐が出そうになる。


「いいえ、お父様。ごめんなさい。結婚のお話は嬉しいのですが、急で……それに、お父様たちと離れるのは寂しいです」


「なにここを出たとしても、お前はこの家の人間であることに変わりはない。胸を張って嫁ぎなさい」


 そんな表面上の会話を交わし、執務室をあとにした。

 廊下に出ると、左のほうから和気藹々とした話し声が聞こえてきた。

 天上の存在を思わせる無垢な面差しの女が、お付きの侍女を数人引き連れてこちらへ歩いてくる。

 アシュリー・ヴァレンシア。エレノアの母が亡くなるとすぐに迎え入れられた、この家の正当な女主人。エレノアの義理の母である。


「あら、エレノアさん。あのお話は公爵様から伺ったかしら。おめでとう」


「ありがとうございます。これも全てお母様の教育の賜物ですわ」


 いつもはエレノアがいると、まるで悪魔から守られるかのように、侍女に囲われて横切っていくのだが今日は違う。

 今までエレノアに向けたことのない、純真な笑顔で話しかけてきた。ようやくこの家の異物がいなくなるから、それがよほど嬉しいのだろう。

 その美貌に似合う鈴の音のような声で、なにやら祝福の言葉をつらつらと述べている。

 でも、エレノアは知っている。この天使のような顔の裏に隠された明確な悪意を。


 エレノアはデビュタント以降、社交界に顔を出していないのだがなぜか悪い噂が絶えない。誰とも深い関係を持ったことがないにも関わらずだ。

 ある日、裏庭の小道を散歩していると、洗濯物を干している侍女たちがエレノアについて話している声が聞こえてきた。

 そのほとんどは根も葉もないただの悪口だったが、中には薄らと身に覚えがあるものも含まれていた。アシュリー自身が被害者に映るよう仕向み、内容が曲解されたものを広めていた。

 女狐め。この女はこの屋敷で一番狡猾な人間だろう。

 しかし、エレノアの印象操作をするだけで直接突っかかってこない分、父兄や使用人たちに比べれば可愛いものだ。


 別れ際に、アシュリーの後ろに続く侍女たちが鋭い目つきで通り過ぎていった。

 数があるといつにも増して怖い。心配しなくても何もしないよと、両手を肩の上まで挙げて、エレノアは満面の笑みで対抗する。


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