2、ルイ
一階のキッチンで紅茶を入れて、一息つく。
離れに侍女は一人もおらず、エレノアが全ての家事をこなしている。
二年前母が亡くなると、父は母の存在を元からなかったものにするように、母の痕跡が残るものを全て消し去っていった。その対象はこの離れも例外ではなかった。
しかし、エレノアは人の目が少なく快適な、ここでの暮らしを手放すつもりはもちろんなかった。
その旨を父に伝えると、眉間に指を押さえつけ黙りこくってしまった。
そこでエレノアは、得意の泣き落とし技を使うことにした。泣きながら、母と過ごした場所がなくなるのは耐えられないと大嘘をついた。
その嘘は見事に見抜かれず、ここの所有権を手に入れた。
その代わりに出された条件は、侍女をみな撤収させること。エレノアにとって願ってもみない申し出だった。
世間体を気にする父だから、こんなにも上手くいくとは思っていなかった。
しかし、よく考えるとエレノアを訪ねてくる友人もいないので、父にとっても厄介払いできる良い機会だったのだろう。
飲み終わったカップを洗っていると、玄関からこんこんっと軽快な音が聞こえてきた。
「エレノア様ー!食材をお届けに上がりました!」
扉を開けると、そこにはまだあどけなさの残る青年が立っていた。
彼の名前はルイ。公爵が慈善事業の一環で運営している養育施設出身の男の子だ。
この春から騎士見習いになった。初めて見たときは、あまりに弱々しくて、まさか騎士養成学校に受かるとは思っていなかった。
しかし、彼には素質があった。元の環境が悪かったせいでそう見えていただけなのだろう。
素直な性格も相まって、あっという間に見習いに昇格した。
「ルイ!ありがとう!ほら、いつものとこに置いちゃって!」
小麦色の肌に映える真っ白な歯をニカっと剥き出し、大きな木箱を軽々しく抱えている。
エレノアは彼を離れのキッチンまで誘導した。
「いつもごめんね。重かったでしょ」
「いえ!自分、まだ見習い騎士ですので、こういった業務も修行の一環だと教えられています!それに…」
「それに?」
「それに、こうしてエレノア様にお会いできますし!」
頬を指でぽりぽりと掻く姿を見て、エレノアは微笑んだ。
このあと先輩から剣の指導を受ける予定があるらしく、木箱を運び込ぶとすぐに帰って行った。
その先輩はルイの憧れなのだそう。以前、目を輝かせながら話してくれたのを覚えている。
それにしても心配だ。エレノアなんかに構っていて、憧れの人とやらに白い目で見られないのだろうか。
もちろん、この屋敷内で唯一エレノアによくしてくれる人だから、ありがたいと言えばありがたいのだが。
しかし、天然な彼のことだ。周りから可愛がられ、そのうちエレノアのことなど忘れて立派な騎士になるだろう。
ルイの後ろ姿を見送った余韻を眺めていると、小道の向こうからひとりの女が歩いてきた。
顎を少し上げてこちらを睨んでいる。父が信頼を置く、公爵家の侍女長だ。
「お嬢様、公爵様がお呼びです。すぐに執務室まで来るようにとのことです」
*
鉛のような足を交互に持ち上げ、本館二階へ上がる階段をなんとか登り切った。
そこから右へ進み部屋を三つ数えると、その部屋はある。エレノアの気分を表すように重々しく黒い光を放っていた。
息をひとつ飲み込んで、扉をノックする。
「お父様、エレノアです」
「入れ」
その部屋の主として相応しい、低く艶のある声が聞こえた。
中に入ると、深いブラウンヘアの精悍な男が、正面の机の縁に浅く腰掛けている。
エレノアと同じ金色の瞳を光らせ、こちらを見ている。
ハロルド・ヴァレンシア公爵。四十を過ぎているはずだが、年齢を聞かなければ二十代と言われても違和感がない。
「お父様、お待たせしてしまい申し訳ございません」
胸の前で指を組み、眉間に皺を寄せる。そして、父の目を上目遣いで見つめる。
できるだけ申し訳なさそうな表情を作ったつもりだ。内心がどうであれ、そう見えれば問題ない。
「いきなり呼び出して悪かったな」
「いいえ!お父様のお呼び出しならいつでも大歓迎ですわ!」
「それで用というのはだな、お前の婚姻についての話だ。喜べ、相手を見つけてきた」
ハロルドはエレノアの愛嬌に目もくれず、淡々と告げた。
結婚とはまた急な話だ。どこかのエロ親父にでも売り飛ばされるのだろうか。
エレノアは一瞬焦ったが、エロ親父に身体を預けさえすれば、抑圧された生活から解放されるかもしれない。
ともすればここでの暮らしより良いのではないか。すぐにそんな考えに至った。
「まあ!嬉しいです!お父様が見つけてくださった、未来の旦那様はどのような方なのですか?」
「先の対魔族戦で手柄を立てた軍人だ。その功績を讃えられ、爵位を授かることになった」
まさか先日新聞で読んだ、巷で噂の“あの男”か。エレノアはらしくもなく顔をこわばらせた。




