1、エレノア
雪が降っている。通りで寒いわけだ。
エレノアは手に持っていた本を胸に近づけ、自分の体温で暖をとった。
しばらくぼうっと窓の外を見つめていると、背中に衝撃が走った。不意のことで受け止めきれず、抱えていた本が数冊床に滑り落ちる。
「ああ、お嬢様。こんなとこに突っ立てちゃ危ないですよ」
かがみ込んで本を拾い上げるエレノアに、見下すような視線を送る侍女。
エレノアは顔を上げ、笑顔で答える。
「そうだよね〜、ごめんね」
エレノアは本を拾うと、ささっと道を譲る。ふんっと鼻を鳴らした侍女が横を通り過ぎ、その後ろをもうひとりの侍女が追いかける。
「ひどぉ、あんな態度取っていいの?」
「構わないわよ。あのヘラヘラした顔見たでしょ?ていうかどうして本館をうろうろしてるわけ?本当に鬱陶しい」
ヘラヘラした顔で悪かったわね。無表情でいると無愛想だと言われ、ニコニコしていると腹が立つと言われる。
それなら一体、私がどんな顔をしていれば納得するのだろうか。
そんなことを考えながら長い廊下を歩くと、目的の場所が見えてきた。エレノアだって本館に来たくて来ているわけではない。この図書館に訪れるためにやって来たのだ。
ここには月に一度しか来ないようにしている。本館の人間と顔を合わせないためだ。だから限られた時間の中で、心惹かれる本を見つけ出さなくてはいけない。
腰の横で気合を入れるポーズをして、ドアノブに手をかける。
すると、背後から聞き慣れた嫌な声がした。
「エレノア、また来たのか。ちょうど良かった。相談に乗ってほしいことがあるんだ」
セドリック・ヴァレンシア。半分しか血のつながらない兄。そして、次期公爵だ。
「…兄さん!私に相談だなんてどうしたの?兄さんみたいな優秀な方の相談なんて私には荷が重いわ」
「そんなことはない。お前だって本をたくさん読んで勉強しているんだろう?なら、問題ないはずだ」
柔らかな笑みの奥に、隠しきれない悪意が滲んでいた。こうなるとエレノアに選択肢はない。またあの時間が始まる。
エレノアはセドリックに肩を抱かれ図書室に入って行った。
*
エレノアは震えた指先で本棚にびっしりと詰められた本に触れる。いつもなら面白そうだと興味を惹かれる題名にも胸が躍らない。
セドリックはむしゃくしゃすると、いつもエレノアを訪れる。
毎度、理不尽な理由をつけては激しい暴力を振るった。虐待ではなくお前を思っての折檻だとエレノアに言い聞かせ、反抗しようものならその倍の数、鞭が飛んでくる。
エレノアは暴力に耐えている間、いつも本の世界を思い浮かべている。
この間読んだ冒険譚はとても良かった。主人公が仲間と出会い共に試練に立ち向かう。挫けそうになったときは仲間が支えてくれる。
そんな人がそばにいたらどんなに幸せだろうか。そこまで考えてしまうと、鼻の奥がツンとして不快なので、頭の中の情景を戦闘シーンに切り替える。
身体の後ろ側がズキズキと痛む。今日は一段と激しかった。
この地獄から抜け出したいが、自分ではどうすることもできない。だからエレノアは、今日も本の中で別の人生を歩むのだ。
本を数冊選び終えると、重い足を引きずって自室へ戻った。
エレノアの部屋は小さな離れにある。ここはエレノアの母親が病に伏した際に建てられ、亡くなるまで二人で住んでいた場所だ。
エレノアの母親であるシャーロットは、隣国の第三王女だった。王と愛人の間にできた娘だったため、王宮ではかなり軽んじられていた。
その反動か、母は華やかな場所が大好きだった。夜の街に出かけては問題を起こし、気に入らない貴族の悪口を言い回る。
あげく父に言い寄ったと難癖をつけて、無実無根の令嬢にワインをぶちまけた。
そんな母につけられた肩書は、悪女。そう言われて然るべき人だと、エレノアも納得している。
もちろん父と母の関係は最悪だった。
父は母をかなり疎んでいたのだろう。結婚してからしばらくすると公爵邸にはめったに帰らないようになった。
そして、母と結婚させられる前から交際していた女性との間に子供を儲け、外で幸せな家庭を築いていた。
普通であれば、屋敷にも帰らない公爵を見た人たちは「なんて無責任なやつだ」などと非難するかもしれないが、実際はそうならなかった。
なんせ相手があの悪女だ。恋人との仲を引き裂かれた可哀想な公爵様。そんな同情の声しか聞こえてこなかった。
そんな中でも、二人の間に私が生まれたのは奇跡としか言いようがない。
できればこんな腐った世界に産み落とさないでほしかったが、貴族としての義務を果たしたのだろう。致し方ない。
しかし、あのプライドの高い母だ。
内心、夫が家に帰ってこないことをずっと気に病んでいたのだろう。まだ若かったにも関わらず、ストレスから来る病に倒れた。
当然見舞いに来る人はいなかったので、エレノアだけが母に寄り添い看病をした。
それからしばらくは闘病を続けたが、一度も回復することなく衰弱して亡くなってしまった。
人の命とはなんと儚いものかと驚きはしたが、涙は溢れなかった。




