
叩きつけるようにハンドベルが鳴らされた。
緩やかな窪地にはやや濁った金属音が響き、
段状の石の座席に座る聴衆達は静まった。
列柱に支えられた円錐型の屋根。
建物に壁はなく、
周囲の高い木々が枝葉を揺らして
外の風雨を受け止める。

裁判の開廷に呼応して閃光が走ると、
遅れて雷鳴が唸り声を放つ。
古代の人々は雲の向こうに居るとする
巨大な竜を想像して畏れた。
遥遠代には雲が『雷素』を集めて放出し、
空気を膨張させて振動させる
雷の仕組みを解明した。
雷素はあらゆる物質に存在するとされ、
人体に結びついて落雷に遭う、
と『退化の科学論』に記載されている。
雷素や光素という言葉は、
この本によって復元された。
ひとの歴史は災害と戦争の繰り返しで、
かつての栄華と共に人類の知識は薄れ、
大部分が喪失してしまった。
古代よりも後の失われた時代を、
遥か遠くのものとして遥遠代と呼んだ。
欠損した科学の物差しを補完した、
退化の科学論は塔にも置かれていた。
遥遠代の科学を失っても、
古代の神話はいまも語り継がれている。
生き延びた人々は夜の海や沙漠の上で、
暗闇に輝く星を道標にして移動し、
暦を読む為に天体の運動を観測した。
気象を神の機嫌のせいにしたのは、
利便性の結果だった。
大粒の雨が葉を叩き鳴らし、
朽ちた枝を揺すって折った。
けれど建物の底は静寂に包まれている。
窪地の中央に立つ総督のマルフが、
再びハンドベルを叩いて響かせる。

この裁判所の窪地は、
メーニェという小島にある水場に由来して、
オルタという名前が付けられた。
「原告のお出ましね。」とサンサ。

厚手の黒い頭巾と宝飾巾をした彼女。
上着の中からアルが顔を覗かせた。
彼女の隣にわたしとスーが座る。
イオスはわたしの上着の中で、
アルと同じ格好をして隠れていた。
お腹に入ったイオスは温かく眠気を誘い、
頭からは石鹸の香りがする。
後ろにはハーフガンが柱に寄り立って、
わたし達を見下ろしている。
エルテルから戻ってきてからも視線が痛い。
中央には夜の館のオーナー、
ルービィが老夫を連れて
マルフと同じように立っていた。

ドレイプでも娼婦でもないルービィは、
頭巾や宝飾巾をしていない。
屈強な警備の男達に連れられて、
ユヴィルもオルタに立たされる。

「皆様にお集まり頂いたのは、
昨日わたしの館の子供を
誘拐した傭兵と称する者達の、
首謀者を告発する為です。」
「オレは被害者だぞ。
傭兵を皆殺しにされたんだ。
放さんか! 愚か者共がっ!」
「静かにせんか!」
暴れて抗議するユヴィルに対して、
マルフがハンドベルを彼に向かって
叩き鳴らし、威嚇した。
裁判所では裁判長を務めるマルフに
逆らってはならない。
彼は息を荒くし、怒って見せる。
日陰の庭で初めて会った時と同じ様子で、
わたしはサンサの顔を見た。
「クッションを持ってきたら良かったわね。
お尻が痛いでしょ?」
サンサは腰回りを動かして、
段上の座席からかれらを見下ろし
微笑を浮かべる。
中央の4人を円形に囲う石の座席の最下段、
最前列には元老院議員達が席を埋める。
その中には昨日広場で見かけた、
議長と呼ばれた義髪の男の後ろ姿もあった。
彼の肥満体は遠く後ろからでもよく目立つ。
「館の護衛が二人、
日時計島付近の路地で殺害されました。
一人はまだ16歳です。
警備に知らせたのは
この善良な老夫です。
おかげでわたしの大切な子供達を、
ユヴィル名義の建物の地下にあった
牢檻から救出することができました。」
「牢檻ではない。
あれは客間だ。
それに先にオレの傭兵を殺したのは、
お前んとこに居る売れ残りの傷物だ。」
ユヴィルはルービィに抗議する。
彼の言う『売れ残りの傷物』とは、
隣に座って傍聴するサンサを示す。
「その件ではお前は賠償金を受け取って、
和解しておっただろう。」
マルフは羊皮紙を出して
ユヴィルに見せつける。
「和解後の報復は
法律で禁止されているはずよ。」
「こいつは溝女に絆されたんだ。」
ユヴィルが水晶骸骨の杖でルービィを示す。
「侮辱は許さんぞ!
法の場だ! 口を慎めっ!」
「今回は護衛の殺害のみならず、
未成年者の誘拐、恫喝、暴行傷害、
娼婦の斡旋、脅迫が目当てです。
子供の一人はエルテルの先代領主、
エリクから預かっていた娘でした。
彼が起こした事件は、
ただの誘拐で済ませてはいけません。
この街の長きに亘る友好都市、
エルテルとの対立を招きかねません。」
「適当なことを言いおって!」
「これはハミウス以来の
重大な道徳違反であり、
わたしは善良な民衆の為に
彼の全権利の剥奪を求めます。」
「傭兵を皆殺しにしても飽き足らず、
まだオレから奪おうというのか!
ネルタの汚れた涸れ噴水がっ!」
ユヴィルの口から罵詈雑言が並べられた。
「被告の発言は裁判に関係なく、
原告および民衆を侮辱するものだ。
元老院の中に異議ある者は前へ出よ。
では、直ちに発言権を剥奪する。」
裁判長マルフの命令で、
ユヴィルの持っていた杖を
警備の者が叩き落とした。
「なんだと! おい、マルフ!
テメエらっ! 裏切りがったなぁっ!」
床に強く倒されたユヴィルは、
口を布で塞がれて両手足を縛られる。
身動きが取れなくなった彼は、
鳥に抑えつけられた幼虫のような姿で
拘束された。
わたしは訴訟記録を読んで知っている。
裁判中の暴言程度で、
ここまで過剰な拘束はされない。
また全権利の剥奪を求めて
裁判中に認められた記録は、
ハミウス法の名を冠する
彼の裁判以来になる。
「総督、証人を。」
「うむ。」
ルービィの隣に座っていた老夫が立ち、
ユヴィルの手放した杖を拾って前に出る。
「お前は?」マルフが老夫に訊ねる。
「ユヴィルぅんとこの館で馭者をしておる、
ゼオと申します。」
広い裁判所の、
最上段の席まで通る声の老馭者は
力強く名乗った。

ゼオという不思議な語感の名前。
古代では沸騰を意味する言葉で、
ひとの名前に現象名は適さない。
「日の入り前のことでさぁ。
わしぁユヴィルに脅されてんでぇ、
子供3人と彼の傭兵達を
乗せやしたぁ。」
「彼の身分証の後見人はユヴィルです。」
ユヴィルは大声で抗議を試みても、
布で口を縛られて呻き声にしかならない。
「ゼオよ。
お前はそれを誘拐とは疑わなかったか?」
「彼らにぁ、逆らえんのです。
わしぁ家族を娼館の人質にされて、
脅されとるんでさぁ。」
ゼオが何度も頭を上下させて頷く。
しかしユヴィルは小刻みに首を横に振る。
「ユヴィルの傭兵は誰が殺した?」
「仲間割れでさぁね。」
「仲間割れ?」
「はぁ。
ゲッベルてぇ名の傭兵頭が、
配下らぁ指揮しとりましてな。
やつぁ春に死んだ、
傭兵らぁの兄貴分でよぉ。
大通りで誘拐企んどってなぁ。
女相手に負けたんでさぁ。
夜の館へ入る『招待札』ぁ盗んで、
館への侵入も失敗してんでよぉ。
ゲッベルは子供らぁの誘拐を、
この旦那に命じられたんでさぁね。」
曲がった腰で杖を剣に見立てて振り回す。
素早い身の熟しで前列席の元老院議員達が
驚いている。
「誘拐した娘の一人がぁ、
エルテルの娘だったんでさぁ。
ゲッベルのやつぁ、
金に目が眩んだんでしょうやぁねえ。
わしゃ厩舎で震えてよぉ、
騒動が収まるのぉ待っとったんでさぁ。」
意気揚々と演じた彼は背中を丸くして、
再びルービィの隣に座った。
――ニースだわ…。
わたしは違和感を覚えて頭の中で呟いた。
「検閲法に引っ掛からないからって、
ゼオも好き放題するわね。」
サンサは呆れて溜め息を吐いても、
老馭者とユヴィルの様子を愉しんでいる。
「仲間割れって言ってるけど、偽証だよね?
またサンサがやったの?」
「また?」
スーの言葉にわたしは耳を疑った。
「まさか?
今回は全てラッガがやったのよ。
生身で無理するわよねぇ、あの子。」
「全員を?」とスー。
サンサは頷いてから否定した。
上着の中のアルが顔を上に向ける。
「トリンが殺した一人以外はね。
ラッガも逞しくなったのね。
ひとの成長って素晴らしいわ。
昔はとっても幼い子だったのよ。」
「どういう関係なの?」
わたしは訊ねた。
サンサとラッガの接点がよく分からない。
わたしが見た彼は人攫いでもなければ、
奴隷商でも、館の護衛でもない。
「この街に住み着いたオーブの鷹よ。
わたしの信奉者、
なんて呼ばれたりしてるわね。
単純な力比べなら、
いまのラッガの方が強いはずよね。」
――信奉者…?
「へぇ、サンサでも勝てないんだ。」
「孅い女なのよ、わたしは。」
抗議するサンサにスーが口を抑えて笑う。
「スーは笑い過ぎよ。
男と力比べをするよりも、
相手を交渉の席に着かせる方法を
優先して考えるべきね。
ニクスの選択をわたしは責めないわ。
可能な限り余地を増やしなさい。
手札を失って包囲される前にね。
正面から戦って勝つことだけが
勝負ではないのよ。」
「サンサが負けた時によく言うよね。」
スーの言葉にわたしも首を縦に振った。
彼女はわたしの上着の中のイオスを撫でる。
不満を示すサンサは立ち上がり、
ユヴィルを見下ろす。
「もう帰りましょうか。
お尻が冷たいもの。」
「まだ終わってないぞ。」とハーフガン。
「ユヴィルの負けだよ。
ルービィの要求が通るもの。」
わたしの予想はサンサの企み通りで、
彼女は目を細めて頷いた。
「この裁判が開かれた理由は
ユヴィルの資産を奪って配る目的で、
元老院議員達が集められたんだよね。
誘拐を企てた彼を擁護する議員は居ない。
周到に準備をしていなければ、
昨日の事件で今日裁判は開かれないわ。」
――裁判所に連れて来られた時点で、
ユヴィルの敗訴は確定していたわ。
外縁の庇を歩きながら外の雨を眺める。
「あの老馭者は誰?」
昼過ぎにわたし達を乗せた馬車の馭者は、
中継所に居た赤い髪をした若い男だった。
スーが指摘した通り、
老馭者の発言は全て偽証と言える。
ゼオという老馭者は、
ラッガと共にわたしを夜の館まで運んだ。
サンサは否定もしなければ、
こちらの質問にも答えない。
「口実を与えるのがわたしの仕事。
ハミウス法があっても法は破られ、
子供は誘拐されて身売りが起きる。
法を破った者には、
相応の罰を与えるべきよね。」
最後の言葉がわたしには引っ掛かった。
彼女は箱型馬車に乗り込もうとすると、
先にアルが車内に跳び乗った。
「…それはサンサにも適用されるの?」
――ユヴィルを陥れる為に
サンサも法を破っているわ。
雨に打たれるサンサは、
厚い頭巾に守られている。
「『死とは生物に与えられた、
神より賜りし罰である。』
というわね。」
彼女はアイリアと同じ言葉を諳誦すると、
雷雲の中で竜の鳴き声が空に響いた。
◆ 第8章 『泥濘の澱』 おわり