第7章 第4節 石塔の主(第4項)
わたしとスーで食器と新しい水を運び、
円形のテーブルに白磁のお皿を並べる。
休養日であっても従業員達が、
料理を運ぶのを手伝ってくれた。
今日は厨房で普段焼かれている
硬めのパンとは違って、
ガロムの店で食べたテマッサと
同じ蒸しパンだった。
手のひらより小さな白いパンは、
ナイフで切り分ける必要も
スープに浸す必要もない。
鶏の小胸筋と共に煮込んだ、
野菜と牛乳のスープ。
茹でられた細い2本の小胸筋は白く、
お皿に移してからスプーンで押し潰すと
その身は軽く解れた。
仔羊の腿肉は、
茹でた後に香辛料と一緒に焼かれたもの。
ヤゴウが透けるくらいに薄く切り、
山羊のお乳で作ったソースを掛けて
エリクに提供する。
サンサの注文した料理は白色が多かった。
「では、乾杯としよう。」
エリクが杯を掲げると、
向かいの席のサンサも杯を掲げた。
「懐かしいわね。
分水街では誰もやらないのよ。
さぁ、料理が冷めないうちに食べて。」
賓客の彼は頷いて、
テーブルで最初に料理を口にする。
「優しい味だ。」
「なかなか食べられる物でしょう。」
サンサの口振りに、ヤゴウとハーフガンは
言葉を呑んで目を閉じた。
――食べられない物は提供しないわよね。
サンサがスプーンを手にしたのを見て、
わたし達も料理を食べ進める。
スープは舌触りが柔らかく、
粘り気もないから喉に流れやすい。
味は辛くもなく甘くもなくて、
舌に苦さも痛さも感じさせずとても淡白。
ガロムの料理を食べた後のせいか、
物足りなさを感じる。
塩や香料を控えていて、
いつも食堂で食べている
ヤゴウの料理らしさに欠けていた。
「塩が足りないね。」とスーが席を立つ。
「言うと思っていた。」
ヤゴウがエプロンのポケットから
小瓶を取り出して、スーのお皿に振った。
笑うサンサを見るに、
彼女が前もってヤゴウに用意させていた。
「スー、座って。」と、レナタ。
「レナタも欲しいでしょ?」
「スーに任せると、
大量に掛けて塩辛くしますよね。」
「南部風って言うんだよ。」
小瓶を持つヤゴウも、
スーから奪われないように
小瓶をわたしの前に置いた。
わたしは黙ったまま遠慮気味に、
レナタのお皿の端に塩を振った。
「ムネモスとクロムは、
もう大きくなったでしょうね。」
「二人共、まだまだ子供だ。」
「子供をいつまでも子供扱いし過ぎよ。」
サンサがスーに言われた言葉を、
今度はエリクに言うので、
わたし達は顔を見合わせ微笑する。
「ベリーにも同じようなことを言われた。
ワシはまだ過去に、
見返りを求めているのかもしれん。」
サンサは元から食の太い方ではなく、
レナタも手が進んでいない。
レナタとはアイリアの離宮以来、
まともに会話をしていないので
ずっと気に留めていた。
「良いでしょう。この庭。」とサンサ。
「賑やかだな。
それに緑豊かで不思議と安らぐ場所だ。」
「エルテルの庭園を参考に作ったのよ。
領主を辞めるのなら、
ここで庭師として働いたらどうかしら。
クァンにオレームの果樹園もあるわよ。」
「お前が孝行なことを言うと、
気味が悪いな。」
「失礼ねぇ。不敬よ。」
「しかし…、
ベリーを説得できる自信はないな。」
「全員連れてきたら良いのよ。
あのお城よりも狭いけれど、
庭園で土弄りをしていた方が
あなたに似合ってるわよ。」
「ははは。嬉しいお誘いだ。
クロノは継ぐ気を見せないから
女に揉まれるのは良いかもしれんが、
ムネモスにおかしな虫が
ついては困るぞ。」
――お姫様、ね。
「それは難しい要望だわ。
花はそこにあるだけで
虫を引き寄せるものよ。」
「あの…エリク卿…。」
談笑する二人のあいだに
割って入ったのはレナタだった。
「サンサを連れて帰られるつもりですか?」
エリクに視線が集まる。
彼は再度咳き込み、布で口を抑えた。
長いあいだ咳が続く。
ハーフガンが立ち上がり、
エリクの背中を擦った。
レナタに問われるサンサは、
エリクの咳が止むのを待つ。
――咳の音が変わったわ。
診療で聞いたことのない咳で、
喉の乾きによるものではない
唾液が混ざったような湿った音がする。
「ワシが退いても、
臣下が家督争いを起こすかもしれん。
思い過ごしならばそれでよい。
ワシは長兄で、
先代領主の逝去で挿げ替えられた、
墓掘り領主に過ぎん。」
「そんなに卑下することないわ。」
サンサの言葉は彼の耳には届かない。
「弟のタルヴォの方が、
若く精悍で有能だ。
息子達はすでに成年になっているしな。
タルヴォの妻の家は貴族化商人で、
外戚のメルセと繋がり、
領内の影響力がある。」
エリクはまた咳き込み、水を飲む。
「臣下はこれから大農場主らとの折衝、
説得も必要になる。
クロノを排斥する、
なんて噂も耳に入る。
継承争いとなればベリーも危うい。
サンサ、どうしても、
お前の力が必要だ。」
「あなたが選んだ妻は、
あなたが思ってるより強かだから、
心配する必要はないわよ。
クロノが政略の道具になるのを
あなたは危惧しているのよね。
クロノはあなたと違うのよ。
家に縛り付けなくてもいいの。
エルテルだけが世の全てではないわよ。
ムネモスも同じね。
彼女には婚姻で苦労しないように、
ベリーが学ばせたはずよ。
あなたを支え続けたベリーの子に
不安はないわね。
なにより双子を産み育てた女よ?
男のあなたには想像つかないでしょう。
あなたが求める足跡なんてものは、
いつかは必ず消えてしまうものよ。」
諭したサンサの言葉に、
わたしは首を縦に振って見せる。
――エリクは心配事を自分の中で
膨らませてしまう性分なのね。
――これまで彼の問題を解決してくれた
養女のサンサがエルテルに戻れば、
彼の望み通りの結果は得られず
騒動は避けられないわね。
――彼女が双子を擁立すれば、
家督争いを起こしてしまうわ。
レナタは二人の会話を理解できず、
藍色の瞳がわたしに向いた。
不安がる彼女に助けを求められ、
わたしはそれに応えていた。
「猫に飾緒を与えても、
犬の首輪と同じ意味にはならない
ってエリク卿も言ってたわね。」
わたしはエリクを説得するように告げた。
「後継者の育成に干渉したら、
エルテル領内を混乱させるだけだもの。
サンサが厨房に侵入するのと同じだね。
エルテルに居た頃に
サンサが建てさせた石塔の件で、
貴族達から反発を受けてたのよ。」
「わたしは悪くないでしょ。」
主張するサンサを無視してわたしは続ける。
彼女の弁明は裁判の時まで受け付けない。
「エリク卿は手札が足りないと見て、
サンサで補おうと考えてるの。
でもサンサが必要な状況でもないのよ。
手札を増やしても分岐を違えれば、
手元に置いた本当に大切なものを
腐らせてしまうでしょうね。」
レナタに向けて四時の札遊びで例えると、
サンサやスー、それにエリクにまで
笑われてしまった。
「くふふっ。まったくだな。
この期に及んで
サンサを得ようと考えるのは、
生地に欲が透けていたか。
サンサがこの館で
必要とされているのなら、
奪うべきではないな。」
言うとエリクは席を力無く立ち、
杖を握った。
彼は玄関で会った時から何度も咳き込み、
笑って済ませていた。
「良い饗しだった。
これ以上長居しても、
外に待たせた騎士団を
ゴミ屋が迷惑がるだろう。」
サンサも立ち上がって片腕で抱擁を交わす。
力の無い抱擁で背中を撫でた。
「護衛を用意させるわ。」
「なに、ワシが任じた騎士が居る。」
サンサは笑ってはいても下唇を噛んでいた。
「真直、お城に帰りなさいよ。」
「見送りはいい。
別れがつらくなるからな。」
「エルテルには、あなたの帰りを
待ってるひとが居るものね。」
「あぁ、色々と迷惑を押し付けたな。」
エリクが弱々しく腰を折り、
深く、長く頭を下げた。
「わたしは楽しんでるわよ。
この子は厳しいけれどね。」
「あぁ、確かに。分かった…。」
サンサがレナタの銀髪に手を乗せると、
彼女は見上げて不満を浮かべた。
「会いに来てくれて嬉しかったわ。」
アルも足元でミャオと鳴き、
わたしの腕の中でイオスも続いた。
「ワシも、会えて良かったよ。
いつかベリーから贈り物が届くだろう。
また迷惑を掛けるが、頼む。」
「わたしはいまも、
誰にも買うことのできないドレイプとして
あなた達に、迷惑を掛け続けているのよ。
なにせわたしは、
あなたの運命の女だものね。」
「大切な放蕩娘だ。」
言ったエリクが、わたしを見て笑う。
「ふふっ。
エルテル・セポ・サンサは
いつまでもあなたの娘ですよ。」
口角を上げるサンサに、
エリクは笑ってみせる。
出口に去った彼の後ろ姿を見送って、
わたしは深く頭を下げた。
夕日が落ちて、屋根や壁が
赤と黒の明暗を生み出す。
羊の群れが東の夜空に帰っていく。
エリクの席には、
赤黒く染まった口布が残された。
彼はわたし達に心配をかけさせない為に、
最後まで自分の身体の病について
語りはしなかった。
サンサは彼の秘め事を知っていた。
彼女は冷たい銀の瞳で、
彼が去った後も出口を見つめていた。
『死を受け入れなさい。』
サンサの言葉に、
わたしは胸を締め付けられる。
◆ 第7章 『群羊の空』 おわり




