「先代領主、父親のエドバードが死に、
エルテル領をワシが継ぐことになった。
病臥していたのだから、
最悪の事態は容易に想像できたはずだ。
いずれ継ぐだろうとは思っていたが、
自分の意思で望んだことではなく、
主体性に欠けていた。
その時はまだ覚悟がなかった。
ただ、恐ろしい想像が、
実現してしまったんだ。」
「エルテル風邪、ですか?」
「領内ではメルセ病と呼んでいた。
20年以上も昔の病だ。
知らないのも無理はない。」
わたしが返答に詰まると、
エリクはそのまま話を続けた。
「不名誉な名前は、
ただの責任の擦り付け合いだ。
そう言われ、サンサに酷く叱られたよ。」
――領主を叱るなんて…。
彼は笑ったものの、
東部の冗談にわたしは困惑させられる。
「領主などという地位があったところで、
病の原因が分からなければ、
対策の施しようもない。
ひとからひとに伝わる病は、
領地を慰問して伝播する危険があった。
病人を看取ることもできん。」
苦しみを堪え、深い溜め息を吐く。
「各地に穴を掘らせては、
幾人もの死体を休みなく埋めさせた。
墓掘り領主とまで謗られたが、
ただの穴に過ぎん。
本来の墓であればよかった。
病で死んだ領民に墓標は無く、
死人の数は日に日に積み重なって、
焼くにも燃料が足りない。
不要物と同じ扱いしかできん。
紙には死んだ領民の名前ではなく、
数字だけが記されていった。
そんな時に、
オーブの領主であったグレイ老が、
ワシに使者を送ってきた。」
つらい過去でも彼は懐かしみ、
困り顔ではなく愉快に話すので、
わたしはそれを不思議に見ていた。
「オーブ…、サンサがなにか
やらかしたんですか?」
「やらかした?
ここではそんな言い回しをするのか。」
「いえ、失言でした。」
サンサの行動を、
上品な言葉で形容するのは難しい。
養女に対する不敬な発言を聞いても、
エリクは口の端を上げて喜んでいる。
「だが、やらかした
という意見は妥当だ。
当時のオーブの領主は、
グレイ老の息子のグラスか。
操り人形とまで蔑まれていたな。
継いだ息子は決まってそう呼ばれる。
彼の父親のグレイ老が、
ワシと互いの領地の為と嘯いて、
病を退ける術を知る女を送ってきた。
サンサはあろうことか、
領内に猫を伴ってな。」
「猫…アルですか?」
椅子に寝ていたアルが名前を呼ばれると、
耳を払ってミャオと鳴いて欠伸をする。
エリクも頷く。
「メルセ病を誘引した原因は、
全部ワシにあった。
それによって先代のエドバードが、
病を広める下地を作ってしまった。」
「…どういうことでしょうか?」
メルセ病――、
エルテル風邪が記録されたのは近年でも、
歴史書やメノーから借りた医学書には、
類似の症状がいくつか記載されていた。
古代には井戸に死骸を投げ入れて、
水を汚染し降伏を促すなどの戦略がある。
エリクが告白したような、
エルテルが病気を狙って
伝播させた記録は存在しない。
「遡れば、恥ずべき過去だ。
エドバードは何事にも消極的でいて、
時に過激で、極端な男だった。
エルテルの繍旗には、
犬を描いているだろう?
これは曽祖父の代から、
継承された杖だ。」
「はい。」
彼は杖の握りを見せる。
木に彫られた犬の頭。
「エドバードは猫が嫌いでな。
領主である自分に従わない猫が、
気に食わなかったのだろう。
領内に増えた野猫を、
駆除しろと布告したのだ。」
「まさか猫の呪いとでも言うんですか?」
スーが四時の時に
似た話をしたのを覚えている。
彼は記憶を照らし合わせ、眉を曇らせた。
「いや、ただそれだけの理由だ。
サンサもその類の話を信じはしない。
神を畏れるオーブから来た者なのにな。
猫を連れて来たのは、
我々への嫌がらせだろう。」
その説明にわたしは掛ける言葉を失った。
「猫が居た頃は見かけなかった鼠が、
作物や飼料、倉庫の食料を荒らして
すぐに増えた。
鼠に隠れた小さな生物が、
他の動物に移ると病を生んで、
ひとからひとへと広まったと、
サンサは説明してくれた。」
「それと分かって、
鼠の駆除はなさらなかったのですか。」
「鼠は多くの子を産み、繁殖が早い。
貴族の中には、
鼠を観賞用に飼うこともある。
多産、繁栄の象徴としてな。
前年の不作もあって、
厄除けのつもりなのだろう。
貴族は自分達が増やした鼠を、
使用人に褒美として分配もした。
鼠はなんでも食うので餌には困らん。
ただ、農民にとっては害しかない。
農作業であれば、
耕起した時に出てきた鼠は、
飼っている犬が駆除をする。
だが倉庫の隙間や、
厨房の通気口から侵入する鼠にまで、
犬の牙は届かん。
それもワシのせいだな。」
彼は湧き立つ怒りから、
力強く言うと咳き込んだ。
従業員のキーアが運んできた水を飲んで、
呼吸を落ち着かせる。
メグは熾火を持ってきて、
テーブルの下に置いてくれた。

長い徒歩の移動で汗の滲み出す足が
冷たくなっていたから助かった。
「呪いに期待するだけの理由が、
エルテルにはあったんですね。」
「呪い…うむ。
後継者のワシと妻のあいだに、
子ができなかったのだ。
弟のタルヴォはすでに3人も子を持ち、
妻のベリーを苦しめた。
それがエドバードを辱めたのかもしれん。
病が広がる中、そんな先代の死は
ワシにとっての呪いとなった。」
杖を持つその犬の頭を指で撫でる。
父親から受け継いだ物を。
「全部エドバードの責任ではないのだ。
ワシの――。」
「いえ、それは先代領主の責任よ。」
悔いるエリクに理解が及ばず、
わたしの反論が口を衝いて出る。
「先代領主が過ちを認めず、
責任も負わずに死んだからって
エリク卿が責任を負う必要はないわ。
彼は自分に尻尾を振らない猫を
憂さ晴らしに殺しただけよ。
野猫に繁殖されて困るのなら、
去勢すれば済んだ話だわ。」
医学書や解剖学の本にも
家畜の去勢に関しては、
結紮手技が絵付きで書かれている。
それよりも親の責任を子が負う、
エリクの考えが理解し難かった。
――感情に見返りを求めてはいけない。
サンサが言っていた。
沸き立つ怒りの感情を抑え、
長く息を吐いた。
わたしはわたしの言葉で、
首を縦に振って続ける。
「あなたが責任を感じているのは、
償いの気分を満たすだけよ。」
――償いだわ。
――サンサはいつだか
償いという言葉を使ったわ。
――マルフとの会談の時だったわね…。
そんな考えを過ぎらせていると、
エリクは目を丸くして驚いていた。
わたしは自分の立場も弁えずに、
彼の父への侮辱に気付いた時には、
少し間を置いてから哄笑された。
「はははっ。
サンサにも似たことを言われたな。
知っていたのか? 知らないのか。
あぁ、出会ったばかりの頃だ。
ニクス、ニクスか…。
夜の女神だったか、なるほど。
豪胆な娘だ。それでいて聡い。
その喋り方は心地良いな。
サンサにもよく似ている。
彼女が右の手に置くのも道理だ。」
「褒め言葉にしては不本意よ…。」
謙遜に不満を混ぜて放った言葉が、
さらに彼を喜ばせた。
「そんなに畏まらずとも良い。
所詮ワシは墓掘り領主だ。
オーブの知恵に縋る以外、
打開の手立てがなかった。
ワシがサンサを
『運命の女』のように扱うと、
墓穴の王だなどと罵声を浴びたな。」
「運命の女っていうのは…?」
相手から求められていない
喋り方を無理に続ける必要もなく、
彼の言葉の真意を率直に訊ねた。
神話に登場する運命の女というのは、
サンサのことからしておよそ
良い意味ではないのは分かる。
「あぁ、統治者を色香で唆し、
国を滅ぼす元凶の罪人を意味する。
そんな蔑称を彼女は喜んでいたよ。」
――やっぱり…。
「オーブに居る以前から、
サンサのことは知っていたの?」
「あぁ。
オーブでは別の呼び名があったがな。」
「森の賢女ね。」
ボナのお客さんのソフィが、
サンサをそう呼んでいた。
「森の賢女とオーブの領民に敬われ、
臣下からはグレイ老の落胤だとか
噂されていたな。」
森の賢女より運命の女の方が、
彼女に似合っていて否定はできない。
「彼女をエルテルの城に呼ぶと、
領内への持ち込みを禁止していた
猫を抱えてやってきたのだ。
すぐに後悔したよ。」
――当てつけなのかしら…。
「でも領地に猫を許可しても、
疫病は収束しなかったのよね。」
「そんなのは些末なことだ。
あの子はグレイと一緒に、ワシの領地に
あってはならない疫病を広めてくれた。
いま思い出しても悍ましい。」
彼はまた声を弾ませて言うので
すぐに予想はついた。
「硬貨を偽造して流通させてたこと?」
「信じられるか? 信じられん話だ。
大陸硬貨を管理するワシに自白したんだ。
流通させた硬貨は把握しきれず、
星の数ほどに達していた。」
「共犯関係にさせられたのね。」
サンサのやりそうな行動に、
エリクはお腹を抱えて笑い苦しむ。
「『金貨は価値を測る為の、
天秤の錘に過ぎない。』
サンサはワシに言い放った。
オーブの田舎から来た小娘が、
領主になって間もないワシを試すのだ。
いまでも胃を痛める。」
彼は笑い疲れて溜め息を吐いた。
「サンサはそのことを、
機運に乗じたと言ってたわ。
大陸から入る硬貨の数が足りないから。」
エリクは頷く。
「他領では死を招く病の伝播を恐れて、
領地の生産品が流通しなくなった。
大陸から金貨を仕入れるメーニェ本国も、
海禁法を口実にして、疫病に苦しむ
我々との貿易を控えた。
そんな時に、オーブの偽造硬貨が
管理の網を抜けていった。」
「食べ物でもないのに、
硬貨が流通しただけで
病が伝播するものなの?」
「いや、しない。と、
サンサは言っていた。
混乱した領民にとっては、
馴染みのない硬貨は病と大差は無い。
迷える羊達が、
牧羊犬と野犬の群れを、
区別できるだろうか。
大陸硬貨を管理する貴族か、
まともな商人は試金石を使う。
本物の硬貨ならば、噛めば感覚で
大略の純度も分かったはずだ。
貴族やは輸入量の減少で、
硬貨の価値を揺るがす恐慌と、
病を恐れて真贋を確かめなくなった。
誰もがオーブで生産された偽貨を、
黙って認め、受け入れたのだ。」
「サンサ達はそれを狙って広めたのね。」
エリクは苦笑と共に、深く頷いた。
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