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金貨の娘  作者: 美穂
第6章 暗晦の道(後)

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第6章 第5節 十二の歴(第2項)

挿絵(By みてみん)



館(やかた)の北(きた)の出(で)口(ぐち)から外(そと)へ出(で)ると、

ハーフガンとウントが喧(けん)嘩(か)をしていた。



挿絵(By みてみん)



殴(なぐ)りかかるウントを相(あい)手(て)に、

ハーフガンは酔(よ)っ払(ぱら)いのように

上(じょう)体(たい)を揺(ゆ)らして拳(こぶし)を躱(かわ)す。



ついでにウントの足(あし)を引(ひ)っ掛(か)け、

背(せ)中(なか)を押(お)して転(てん)倒(とう)させた。



厩(きゅう)舎(しゃ)の従(じゅう)業(ぎょう)員(いん)や花(はな)汲(く)みに来(き)た

清(せい)浄(じょう)屋(や)の男(おとこ)達(たち)が騒(さわ)いでいたのに、

サンサの姿(すがた)を見(み)た途(と)端(たん)に静(しず)まった。



顎(あご)に砂(すな)を付(つ)けて涙(なみだ)目(め)のウントは、

わたし達(たち)に驚(おどろ)いて目(め)を見(み)開(ひら)いた。



「なにをしてるの?」とサンサが訊(たず)ねる。



「グーグスは出(で)掛(か)けるのに、

 オレに留(る)守(す)番(ばん)をさせる

 顎(あご)髭(ひげ)が悪(わり)ぃ。」



ウントがハーフガンの外(がい)見(けん)を罵(ば)倒(とう)する。



「オレは悪(わる)くねえだろ!


 短(たん)気(き)を起(お)こすガキが護(ご)衛(えい)なんて

 早(はや)いって言(い)ってやってんだよ。」



言(い)い掛(が)かりを続(つづ)ける二人(ふたり)の子(こ)供(ども)に、

わたし達(たち)は揃(そろ)って溜(た)め息(いき)を吐(つ)いた。



「ハーフガン。

 あなたに頼(たの)んでいることは

 子(こ)供(ども)を守(まも)ることよ。


 子(こ)供(ども)を相(あい)手(て)に喧(けん)嘩(か)してどうするの。


 年(ねん)長(ちょう)者(しゃ)なのだから

 模(も)範(はん)になる行(こう)動(どう)をしなさい。」



「叱(しか)られてやんの。」



ウントがハーフガンを捓(からか)うと

次(つぎ)は彼(かれ)が叱(しか)られる番(ばん)になる。



「ウントは護(ご)衛(えい)になるのでしょう?


 街(まち)で喧(けん)嘩(か)をしていたら、

 いつまで経(た)っても護(ご)衛(えい)は務(つと)まらないわ。」



「だってよぉ!」



「こいつは護(ご)衛(えい)の対(たい)象(しょう)じゃねえよ。」



「揃(そろ)って言(い)い訳(わけ)はしない。

 信(しん)用(よう)は行(こう)動(どう)で示(しめ)すものよ。



男(おとこ)が二人(ふたり)揃(そろ)って

小(こ)娘(むすめ)の背(せ)格(かっ)好(こう)をしたサンサに叱(しか)られている。



「『明日(あした)の自(じ)分(ぶん)を想(そう)像(ぞう)して、

  今日(きょう)の自(じ)分(ぶん)を誇(ほこ)れる行(こう)動(どう)をしろ。』


 ってオーブのおじいが言(い)ってたわね。」



「明日(あした)? 今日(きょう)ぅ?

 じゃあよ、昨日(きのう)はなんだよ。」



ウントが捓(からか)い半(はん)分(ぶん)に訊(たず)ねると、

サンサは冷(れい)淡(たん)に答(こた)えた。



「死(し)を受(う)け入(い)れなさい。」



彼(かの)女(じょ)は冷(つめ)たい銀(ぎん)の瞳(ひとみ)で言(い)い切(き)る。



「…は?」



「過(あやま)ちを悔(く)やみなさい。

 失(しっ)敗(ぱい)の積(つ)み重(かさ)ねこそ成(せい)長(ちょう)への近(ちか)道(みち)よ。


 けれど失(しっ)敗(ぱい)に見(み)返(かえ)りを求(もと)めてはダメよ。

 時(じ)間(かん)というのは相(そう)対(たい)的(てき)なの。」



彼(かの)女(じょ)はまた難(むずか)しい言(こと)葉(ば)を使(つか)う。



ウントからは捓(からか)いの表(ひょう)情(じょう)が消(き)え、

なにも言(い)い返(かえ)せずに焦(あせ)りを見(み)せる。



「グルグス。


 あなたも見(み)てないで、

 身(み)内(うち)同(どう)士(し)の喧(けん)嘩(か)くらい

 割(わ)って入(はい)って止(と)めなさい。


 あなたはウントの指(し)導(どう)役(やく)でしょう?」



「あぁ…、うぅ。」



スーとレナタの近(ちか)くに立(た)っていた、

大(おお)男(おとこ)のグルグスは返(へん)答(とう)に詰(つ)まる。



挿絵(By みてみん)



巨(きょ)大(だい)な身体(からだ)なのに、

不(ふ)思(し)議(ぎ)と彼(かれ)は小(ちい)さく見(み)えた。



――ウントと同(おな)じでサンサが怖(こわ)いのかしら。



大(たい)陸(りく)人(じん)で獣(けもの)のように獰(どう)猛(もう)かと思(おも)えた彼(かれ)も

人(にん)間(げん)らしく上(じょう)下(げ)関(かん)係(けい)に弱(よわ)さを見(み)せる。



「ディーゴは…、

 なにか言(い)うだけ無(む)駄(だ)な気(き)がするわね。


 どうせあなたが

 ウントを煽(あお)ったんでしょ。」



「おぉー。」



グルグスの隣(となり)に立(た)っている

同(おな)じ濃(こ)い肌(はだ)をした護(ご)衛(えい)、ディーゴという

赤(あか)土(つち)色(いろ)の髪(かみ)で長(ちょう)身(しん)の男(おとこ)は

感(かん)心(しん)して手(て)を打(う)ち喜(よろこ)ぶ。



挿絵(By みてみん)



「お待(ま)ちしてました。」とレナタが言(い)った。



彼(かの)女(じょ)はストロー帽(ぼう)を被(かぶ)り、

例(れい)のドレスを着(き)ていた。



挿絵(By みてみん)



繁(はん)茂(も)した髪(かみ)は切(き)って整(ととの)えられ、

後(うし)ろに伸(の)びた銀(ぎん)の髪(かみ)を

二(ふた)つに結(むす)んでいた。



従(じゅう)業(ぎょう)員(いん)達(たち)と同(おな)じ

淡(あわ)いピンク色(いろ)のリボンが銀(ぎん)髪(ぱつ)に似(に)合(あ)う。



――お粧(めか)しが必(ひつ)要(よう)な相(あい)手(て)なのかしら。



「あぁ、美(び)人(じん)がお粧(めか)ししてるのね。」



「えっ…、どうしてそんな

 酷(ひど)いこと言(い)うんですか?」



わたしの褒(ほ)め言(こと)葉(ば)にレナタは驚(おどろ)き嘆(なげ)く。



「ニクス、それは意(い)地(じ)悪(わる)な言(い)い回(まわ)しだよ。」



スーはレナタの隣(となり)で鞄(かばん)を抱(かか)えていた。



「えっ! 知(し)らなかった…。

 ごめん、レナタ。


 ちゃんと似(に)合(あ)ってるって言(い)いたかったの。


 サンサが以(い)前(ぜん)使(つか)ってたから、

 褒(ほ)め言(こと)葉(ば)だと思(おも)って…。」



思(おも)い返(かえ)せばサンサが言(い)ったのは、

レナタが頭(あたま)に乗(の)せていた鶏(にわとり)の羽(は)根(ね)を

取(と)り払(はら)った時(とき)だった。



「自(じ)分(ぶん)の失(しつ)言(げん)をわたしのせいにするの?」



「えぇ…だって事(じ)実(じつ)だよ。


 こんなおかしな言(い)い回(まわ)しするひと

 サンサしかいないもの。」



わたしが言(い)うとスーも頷(うなず)く。



「ニクスはスーに似(に)てきたのよ。」



「えぇー。言(い)い掛(が)かりだよ。」



スーが抗(こう)議(ぎ)して

サンサの抱(かか)えるアルの額(ひたい)を撫(な)でた。



「サンサ、メノーは?

 大(だい)丈(じょう)夫(ぶ)なんですか?」



「おかしな病(びょう)気(き)ではないし

 運(うん)動(どう)不(ぶ)足(そく)なだけよ。


 いまごろ家(いえ)で踊(おど)って

 汗(あせ)でも掻(か)いてるわよ。


 会(あ)ったらレナが寂(さび)しがってた

 と伝(つた)えておくわね。」



「そんな子(こ)供(ども)みたいに言(い)ってません。


 早(はや)く良(よ)くなって欲(ほ)しいだけです。」



1番(ばん)部屋(べや)のメノーが休(やす)みに入(はい)り、

館(やかた)に届(とど)けられる手(て)紙(がみ)の量(りょう)は減(へ)った。



認(にん)証(しょう)管(かん)理(り)の仕(し)事(ごと)をするファウナは、

できた余(よ)暇(か)で通(かよ)いの商(しょう)人(にん)から

買(か)い集(あつ)めた趣(しゅ)味(み)の本(ほん)を読(よ)んでいた。



休(きゅう)養(よう)日(び)に開(ひら)かれる勉(べん)強(きょう)会(かい)も無(な)く、

わたしは再(さい)開(かい)を待(ま)ち望(のぞ)んでいた。



レナタと同(おな)じ思(おも)いで共(とも)に首(くび)を縦(たて)に振(ふ)ると、

サンサがわたしに目(め)配(くば)りをした。



「無(む)駄(だ)話(ばなし)はこのくらいにして、

 早(はや)く行(い)かないとアイリアに嫌(きら)われるわよ。


 良(い)い報(ほう)告(こく)を期(き)待(たい)しているわね。」



「うぅ…。」言(こと)葉(ば)にならないレナタ。



「普(ふ)段(だん)通(どお)りで居(い)れば心(しん)配(ぱい)いらないわ。


 ニクスとスーがおかしなことを

 しないように見(み)張(は)っておいてね。」



「…しないよ。」と、わたし。



「失(しつ)礼(れい)だよねぇ。」スーも同(どう)意(い)する。



「あなたが一(いち)番(ばん)心(しん)配(ぱい)なのよ。」



「どうしてさぁ!」



不(ふ)満(まん)を顕(あら)わにするスーは、

サンサに背(せ)中(なか)を押(お)されて追(お)い出(だ)された。




 ◆




わたし達(たち)は馬(ば)車(しゃ)も使(つか)わず、

歩(ある)いてアイリアの館(やかた)に向(む)かった。



護(ご)衛(えい)のディーゴを先(せん)頭(とう)に、スー、

わたしとレナタ、最(さい)後(こう)尾(び)をグルグスが歩(ある)く。



「イオスも一(いっ)緒(しょ)なんだね。」



スーに指(し)摘(てき)されるまで、

抱(だ)いていたイオスを忘(わす)れていた。



「嫌(いや)がられるかな?」



「粗(そ)相(そう)をしなければ、

 アイリアも気(き)にしないと思(おも)うよ。」



スーの言(こと)葉(ば)にイオスが鳴(な)いた。



「街(まち)の東(ひがし)側(がわ)は古(ふる)い建(たて)物(もの)が多(おお)くあってね。


 市(いち)場(ば)ほどは見(み)て楽(たの)しめる所(ところ)はないけど、

 元(げん)老(ろう)院(いん)議(ぎ)事(じ)堂(どう)、講(こう)堂(どう)、それと裁(さい)判(ばん)所(しょ)。


 大人(おとな)が集(あつ)まる場(ば)所(しょ)が多(おお)いかな?


 南(みなみ)に近(ちか)いと公(こう)共(きょう)広(ひろ)場(ば)、美(び)術(じゅつ)館(かん)、

 練(れん)兵(ぺい)場(じょう)、兵(へい)器(き)廠(しょう)舎(しゃ)、それと銀(ぎん)行(こう)だね。


 兵(へい)器(き)廠(しょう)舎(しゃ)の周(しゅう)囲(い)は工(こう)房(ぼう)も多(おお)いから、

 そっちはまだ趣(おもむき)深(ぶか)いよね。」



「スーは髪(かみ)を編(あ)まないの?」



金(こん)色(じき)の長(ちょう)髪(はつ)を後(こう)頭(とう)部(ぶ)で結(ゆ)っただけの髪(かみ)型(がた)は、

普(ふ)段(だん)スーが館(やかた)で過(す)ごす時(とき)と同(おな)じもの。



彫(ちょう)刻(こく)刀(とう)を持(も)って出(で)掛(か)けた日(ひ)は

三(み)つ編(あ)みにして束(たば)ねていた。



「この前(まえ)はアイリアの工(こう)房(ぼう)を借(か)りるから、

 お粧(めか)ししたんだよ。


 今日(きょう)の主(しゅ)役(やく)はレナタだもん。」



「アイリアというひとは、

 マルフと婚(こん)姻(いん)を結(むす)んでるんだよね?」



「あれ? 言(い)ってなかったかな。


 レナタ、大(だい)丈(じょう)夫(ぶ)?」



「大(だい)丈(じょう)夫(ぶ)…。大(だい)丈(じょう)夫(ぶ)。」



自(じ)分(ぶん)に言(い)い聞(き)かせるように呟(つぶや)くレナタ。



彼(かの)女(じょ)の顔(かお)は血(けっ)色(しょく)を失(うしな)って、

わたしの腕(うで)を抱(だ)いて小(ちい)さな身体(からだ)を

強(こわ)張(ば)らせているので歩(ある)き難(にく)い。



イオスは肩(かた)に前(まえ)足(あし)を伸(の)ばして、

わたし達(たち)の髪(かみ)で遊(あそ)ぼうとする。



ファウナを真似(まね)して、

イオスの顔(かお)に息(いき)を吹(ふ)きかけて叱(しか)ってみた。



イオスは驚(おどろ)き、目(め)を見(み)開(ひら)いて止(と)まった。



髪(かみ)を結(ゆ)う金(きん)赤(あか)色(いろ)の紐(ひも)で、

ファウナが作(つく)った首(くび)輪(わ)をしているイオス。



レナタのピンク色(いろ)のリボンの下(した)には、

わたし達(たち)と同(おな)じ金(きん)赤(あか)色(いろ)の紐(ひも)で結(むす)んでいた。



わたしの視(し)線(せん)に気(き)付(づ)いた彼(かの)女(じょ)は、

結(むす)んだ髪(かみ)を摘(つま)んで見(み)せて微(び)笑(しょう)する。



前(まえ)を歩(ある)くディーゴが足(あし)を止(と)めた。



「着(つ)いたよ。」と、スー。



「本(ほん)当(とう)に近(ちか)かったね。」



夜(よる)の館(やかた)からアイリアの館(やかた)は、

赤(あか)土(つち)の丘(おか)を北(きた)に下(くだ)って

すぐの所(ところ)にあった。



挿絵(By みてみん)



通(つう)常(じょう)、邸(てい)宅(たく)の玄(げん)関(かん)は北(きた)側(がわ)にある。



夜(よる)の館(やかた)は玄(げん)関(かん)が南(みなみ)側(がわ)にあり、

来(らい)館(かん)者(しゃ)が北(きた)側(がわ)の出(で)口(ぐち)に移(い)動(どう)することで

お客(きゃく)さん同(どう)士(し)の接(せっ)触(しょく)を避(さ)ける、

合(ごう)理(り)的(てき)な仕(し)組(く)みを採(さい)用(よう)している。



スーは扉(とびら)の前(まえ)の小(こ)段(だん)に走(はし)って跳(と)び乗(の)った。



扉(とびら)に付(つ)いた円(えん)形(けい)をした鉄(てつ)の輪(わ)を、

固(こ)定(てい)された鉄(てつ)の玉(たま)に叩(たた)きつけて音(おと)を立(た)てる。



叩(たた)き金(がね)になっている鉄(てつ)の輪(わ)は

甲(こう)虫(ちゅう)の背(せ)中(なか)のように3分(ぶん)割(かつ)され、

門(もん)扉(ぴ)に掲(かか)げられた繍(しゅう)旗(き)と同(おな)じく

分(ぶん)水(すい)街(がい)の防(ぼう)壁(へき)と川(かわ)を示(しめ)す。



「カヴァの叩(たた)き金(がね)は蹄(てい)鉄(てつ)らしいね。」



叩(たた)き金(がね)は来(らい)訪(ほう)を知(し)らせる道(どう)具(ぐ)。



古(こ)代(だい)では裕(ゆう)福(ふく)な館(やかた)の主(あるじ)が、

浮(ふ)浪(ろう)者(しゃ)などの予(よ)定(てい)外(がい)の来(らい)訪(ほう)を嫌(きら)って

扉(とびら)の前(まえ)に重(おも)い鎖(くさり)で奴(ど)隷(れい)を繋(つな)いでいた。



来(らい)客(きゃく)を知(し)らせる奴(ど)隷(れい)が寝(ね)ていた場(ば)合(あい)、

鎖(くさり)や棒(ぼう)で奴(ど)隷(れい)を叩(たた)き起(お)こしたのが

叩(たた)き金(がね)の起(き)源(げん)とされる。



扉(とびら)の高(たか)い位(い)置(ち)に備(そな)え付(つ)けられた小(こ)窓(まど)から

護(ご)衛(えい)が顔(かお)を出(だ)して、また小(こ)窓(まど)が閉(と)じられた。



「カヴァは蹄(てい)鉄(てつ)を流(りゅう)用(よう)してるの?」



「外(はず)れ落(お)ちた蹄(てい)鉄(てつ)には

 お守(まも)りの意(い)味(み)があるんだって。


 カヴァの繍(しゅう)旗(き)と同(おな)じ図(ず)柄(がら)だもんね。


 飾(かざ)れば国(くに)が守(まも)ってくれる、ってね。」



「所(しょ)属(ぞく)や国(こっ)家(か)への帰(き)属(ぞく)意(い)識(しき)、

 王(おう)への忠(ちゅう)誠(せい)を示(しめ)すんだね。」



ネルタでは祈(いの)りがそれに該(がい)当(とう)する。



「そこまでは考(かんが)えてないと思(おも)うよ。


 安(やす)くも高(たか)くもない上(うえ)に、

 使(つか)い勝(がっ)手(て)が良(い)いから普(ふ)及(きゅう)したんだよ。


 捨(す)てるものにも価(か)値(ち)はある

 って言(い)うもんね。」



そんな会(かい)話(わ)をしていると、

褐(かっ)色(しょく)の髪(かみ)に白(はく)髪(はつ)交(ま)じりの初(しょ)老(ろう)の女(おんな)が

扉(とびら)を開(あ)けて息(いき)を切(き)らして出(で)てきた。



「こんにちは、マーリャ。


 アイリアに会(あ)う予(よ)定(てい)だったのだけど

 遅(おそ)くなってしまったかしら。」



「すみません、お嬢(じょう)様(さま)。」



「スーでいいよ。」



「お待(ま)たせいたしました。

 それがその…。」



マーリャと呼(よ)ばれた使(し)用(よう)人(にん)は

背(せ)中(なか)の曲(ま)がった姿(し)勢(せい)で深(ふか)く頭(あたま)を下(さ)げ、

何(なん)度(ど)か謝(あやま)りながら言(こと)葉(ば)を濁(にご)す。



挿絵(By みてみん)



護(ご)衛(えい)のグルグスとディーゴとは玄(げん)関(かん)で別(わか)れ、

スーがマーリャに頼(たの)んだおかげでわたしは

イオスと共(とも)に館(やかた)に入(はい)ることが許(ゆる)された。



イオスを廊(ろう)下(か)に降(お)ろしても

右(みぎ)腕(うで)にイオスの感(かん)覚(かく)が残(のこ)る。



緊(きん)張(ちょう)するレナタは腕(うで)を離(はな)してくれない。



「夫(ふ)人(じん)はいま急(きゅう)な来(らい)客(きゃく)の

 対(たい)応(おう)をされてまして…。」



「それなら終(お)わるまで

 離(り)宮(きゅう)で待(ま)っているわ。


 夕(ゆう)暮(ぐ)れの鐘(かね)が鳴(な)る前(まえ)になったら

 日(ひ)を改(あらた)めるから。


 そのように伝(つた)えてくれる?」



「分(わ)かりました。」



マーリャはまた深(ふか)く頭(あたま)を下(さ)げ、

わたし達(たち)も頭(あたま)を下(さ)げた。



「さぁ、行(い)こっか。

 いまなら入(にゅう)植(しょく)十(じゅう)二(に)画(が)が見(み)放(ほう)題(だい)だよ!」



スーが声(こえ)を弾(はず)ませて呼(よ)び掛(か)けると

レナタが表(ひょう)情(じょう)を明(あか)るくし、

わたしの腕(うで)を引(ひ)いた。



「ニクスも行(い)きましょう。」



「待(ま)って! レナタ。」



急(きゅう)に走(はし)って躓(つまづ)いた彼(かの)女(じょ)を支(ささ)え上(あ)げ、

笑(わら)い合(あ)ってから一(いっ)緒(しょ)に緑(みどり)の庭(にわ)を歩(ある)く。



彼(かの)女(じょ)の感(かん)情(じょう)の変(へん)化(か)はとても目(め)紛(まぐ)るしい。



「あの木(き)はなにか分(わ)かりますか?」



庭(にわ)には高(たか)く伸(の)びた形(かたち)の変(か)わった木(き)が

1本(ほん)だけ妙(みょう)な場(ば)所(しょ)に植(う)えられて、

木(き)の先(さき)にだけ葉(は)が広(ひろ)がっていた。



「マルフ総(そう)督(とく)が植(う)えたんだって。


 ペタでなくても育(そだ)つんだね。」



「あ、扇(おうぎ)が付(つ)いているわ。」



目(め)を細(ほそ)めて先(さき)を眺(なが)めると

木(き)の先(さき)に生(は)えている葉(は)は、

部屋(へや)の空(くう)気(き)を入(い)れ替(か)える時(とき)に使(つか)う

まだ緑(みどり)色(いろ)をした扇(おうぎ)の葉(は)だった。



扇(おうぎ)として使(つか)うには

葉(は)を重(かさ)ねて切(き)り揃(そろ)えなければならず、

伸(の)びた葉(は)が大(おお)きく広(ひろ)がっている。



挿絵(By みてみん)



「正(せい)解(かい)です。」



「扇(おうぎ)ってこんな木(き)だったのね。」



建(たて)物(もの)の屋(や)根(ね)より高(たか)い木(き)の先(さき)を見(み)上(あ)げる。



高(こう)地(ち)で寒(かん)冷(れい)なネルタでは扇(おうぎ)の木(き)は育(そだ)たず、

扇(おうぎ)は王(おう)にのみ使(つか)われる道(どう)具(ぐ)とされていた。



使(し)用(よう)時(じ)期(き)も夏(なつ)に限(かぎ)られて、

ネルタでは実(じつ)物(ぶつ)の扇(おうぎ)も見(み)る機(き)会(かい)はなかった。



普(ふ)段(だん)から何(なに)気(げ)なく使(つか)っている館(やかた)の道(どう)具(ぐ)を、

こうして生(せい)活(かつ)の景色(けしき)の中(なか)で見(み)かけると、

サンサの言(い)う通(とお)り知(ち)識(しき)は本(ほん)だけでは

得(え)られないことを実(じっ)感(かん)させられる。



「産(さん)地(ち)がペタと同(おな)じだから、

 ナショーみたいな草(くさ)で

 地(じ)面(めん)から生(は)えてるんだと思(おも)ってたわ。」



「…え? ナショーって草(くさ)なんですか?」



「あそこに生(は)えてるのがナショーだよ。」



「わたしも初(はじ)めて見(み)たわ。」



言(い)って驚(おどろ)いて見(み)せるとレナタが喜(よろこ)ぶ。



濃(こ)い緑(みどり)色(いろ)をした植(しょく)物(ぶつ)は

長(なが)く広(ひろ)い葉(は)を四(し)方(ほう)に伸(の)ばし、

グルグスよりも巨(きょ)大(だい)に見(み)える。



「ナショーにとってはこの街(まち)でも寒(さむ)いから、

 果(か)実(じつ)が大(おお)きくならないそうだよ。」



「分(ぶん)水(すい)街(がい)は暑(あつ)いくらいなのにね。」



「早(はや)く中(なか)に入(はい)りましょうっ。」



レナタの興(こう)奮(ふん)はすぐには止(や)まない。




 ◆




円(えん)柱(ちゅう)状(じょう)の離(り)宮(きゅう)に半球形(ドーム)の屋(や)根(ね)。



白(はく)亜(あ)に塗(ぬ)られた外(がい)壁(へき)には窓(まど)も無(な)く、

両(りょう)開(びら)きの扉(とびら)から中(なか)に入(はい)ると

屋(おく)内(ない)は光(ひかり)で溢(あふ)れていた。



「明(あか)るい。ランタン要(い)らずね。」



室(しつ)内(ない)にはいくつかの燭(しょく)台(だい)はあっても、

昼(ひる)間(ま)ということもあって灯(とも)されていない。



「柱(はしら)の裏(うら)に鏡(かがみ)が入(はい)ってるんだよ。」



天(てん)井(じょう)の窓(まど)から入(はい)る光(ひかり)が

建(たて)物(もの)を支(ささ)える柱(はしら)の内(ない)部(ぶ)で反(はん)射(しゃ)して、

壁(かべ)全(ぜん)面(めん)に飾(かざ)られた壁(へき)画(が)を柔(やわ)らかく照(て)らす。



室(しつ)内(ない)の中(ちゅう)央(おう)には6人(にん)掛(が)けの円(えん)形(けい)テーブル。



テーブルの天(てん)板(ばん)には日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)と同(おな)じく、

分(ぶん)水(すい)街(がい)の地(ち)図(ず)が石(いし)で描(か)かれている。



巨(きょ)大(だい)な壁(かべ)のモザイク画(が)。



天(てん)井(じょう)に近(ちか)い上(じょう)部(ぶ)に描(か)かれた

人(じん)物(ぶつ)の顔(かお)や景色(けしき)を明(あか)るく照(て)らし、

暗(くら)い下(か)部(ぶ)には獣(けもの)や鳥(とり)、お魚(さかな)の姿(すがた)があった。



「ニクス、気(き)付(づ)きましたか?


 この絵(え)はソーマの生(しょう)涯(がい)を

 描(えが)いてるんですよ?」



「指(し)導(どう)者(しゃ)ソーマね。」



四(しい)時(じ)という札(ふだ)遊(あそ)びを作(つく)った人(じん)物(ぶつ)で、

図(と)書(しょ)館(かん)の石(せき)像(ぞう)、指(し)導(どう)者(しゃ)であり裁(さい)判(ばん)官(かん)。



他(ほか)にも各(かく)地(ち)にソーマが存(そん)在(ざい)するという。



わたしの読(よ)んでいる『ゼズ島(とう)冒(ぼう)険(けん)記(き)』にも、

エルテル領(りょう)の開(かい)拓(たく)者(しゃ)の姿(すがた)が書(か)かれている。



図(と)書(しょ)館(かん)で見(み)た石(せき)像(ぞう)のソーマは複(ふく)数(すう)あって、

似(に)た顔(かお)はそれぞれに勇(いさ)ましく

荒(あら)々(あら)しい所(しょ)感(かん)だった。



モザイク画(が)で描(えが)かれた平(へい)面(めん)のソーマは、

彩(いろど)られた石(いし)から肉(にく)質(しつ)と体(たい)温(おん)を感(かん)じ、

1枚(まい)1枚(まい)が別(べつ)人(じん)のような所(しょ)感(かん)を与(あた)える。



「指(し)導(どう)者(しゃ)ソーマはこの島(しま)を見(み)つけ、

 各(かく)地(ち)を開(かい)拓(たく)したひとなんですよ。」



レナタはまたわたしの腕(うで)を引(ひ)き、

12枚(まい)ある絵(え)の一(ひと)つを指(し)示(じ)する。



「こちらが洞(どう)窟(くつ)から島(しま)に入(はい)った

 船(せん)長(ちょう)のソーマですね。」



暗(くら)闇(やみ)に一(いっ)点(てん)の光(ひかり)が広(ひろ)がり、

荷(に)袋(ぶくろ)を背(せ)中(なか)に担(かつ)いで

桟(さん)橋(ばし)に立(た)つソーマを照(て)らす。



――船(せん)長(ちょう)なのね。

  肉(にく)体(たい)労(ろう)働(どう)者(しゃ)ではなくて。



人(じん)物(ぶつ)の輪(りん)郭(かく)しか浮(う)かばない絵(え)の中(なか)にも、

大(だい)小(しょう)様(さま)々(ざま)な船(ふね)と働(はたら)く人(ひと)々(びと)の生(せい)活(かつ)が見(み)える。



「レナタ。この絵(え)はなにかしら?」



隣(となり)に連(つら)なる画(え)には雪(ゆき)を被(かぶ)る山(さん)脈(みゃく)が続(つづ)く。



絵(え)の下(した)側(がわ)には穴(あな)がいくつも描(か)かれていた。



――ネルタの南(みなみ)に聳(そび)える天(てん)蓋(がい)山(さん)の絵(え)なら、

  山(さん)頂(ちょう)に雲(くも)を戴(いただ)く独(どく)立(りつ)峰(ほう)のはずよね。



本(ほん)の知(ち)識(しき)で予(よ)想(そう)はついても

楽(たの)しんで語(かた)るレナタが見(み)たくて、

わたしは彼(かの)女(じょ)に絵(え)の説(せつ)明(めい)を求(もと)めた。



「ゼズ山(さん)脈(みゃく)ですよ。


 分(ぶん)水(すい)街(がい)からは北(きた)にありますが、

 洞(どう)窟(くつ)港(こう)からは南(みなみ)のすぐ目(め)の前(まえ)が

 この山(さん)脈(みゃく)なんです。」



「ゼズ山(さん)脈(みゃく)の反(はん)対(たい)側(がわ)が描(か)かれてるのね。」



ゼズ山(さん)脈(みゃく)はこの街(まち)の北(きた)にあって、

ネルタの湖(みずうみ)から流(なが)れる川(かわ)は東(とう)西(ざい)に分(わ)かれる。



分(ぶん)水(すい)街(がい)から洞(どう)窟(くつ)港(こう)への道(みち)は

東(ひがし)のエルテル領(りょう)へ下(くだ)り、

麓(ふもと)のメルセ領(りょう)を経(けい)由(ゆ)して

山(さん)脈(みゃく)を迂(う)回(かい)しなければならない。



絵(え)の中(なか)にある山(さん)脈(みゃく)の下(した)側(がわ)には、

正(せい)六(ろっ)角(かく)形(けい)の石(いし)が敷(し)き詰(つ)められていた。



「『暗(くら)闇(やみ)に差(さ)し込(こ)む光(ひかり)を拒(こば)む山(さん)脈(みゃく)。』

 っていう詩(うた)があるね。」



ソーマが詠(よ)んだとされる

ゼズ山(さん)脈(みゃく)の詩(し)をスーが歌(うた)った。



北(きた)の洞(どう)窟(くつ)港(こう)から山(さん)脈(みゃく)の麓(ふもと)には川(かわ)が流(なが)れ、

ソーマは東(ひがし)を目(め)指(ざ)して斜(しゃ)面(めん)を上(のぼ)ると

視(し)界(かい)には緑(みどり)が広(ひろ)がった。



冒(ぼう)険(けん)記(き)に書(か)かれていた景色(けしき)が

そのまま壁(かべ)に描(か)かれている。



「これはエルテル領(りょう)ね。」



「開(かい)拓(たく)者(しゃ)のソーマですね。」



白(しろ)や黒(くろ)、赤(あか)、褐(かっ)色(しょく)の獣(けもの)達(たち)が波(なみ)を作(つく)り、

杖(つえ)を掲(かか)げた男(おとこ)の姿(すがた)が黄(おう)金(ごん)の床(ゆか)を歩(ある)く。



ソーマの着(き)ているキャシュクの裾(すそ)は長(なが)い。



獣(けもの)達(たち)の波(なみ)の上(うえ)に犬(いぬ)が走(はし)り、

牛(うし)や羊(ひつじ)の群(む)れを誘(ゆう)導(どう)していた。



黄(おう)金(ごん)の床(ゆか)の絵(え)は

パンの原(げん)料(りょう)になるブレズの穂(ほ)。



挿絵(By みてみん)



「開(かい)拓(たく)時(じ)代(だい)を描(えが)いてるからね。」



スーが言(い)う。



燭(しょく)台(だい)を持(も)つソーマはメルセ領(りょう)。



弓(ゆみ)を引(ひ)くソーマはオーブ領(りょう)の射(い)手(て)。



本(ほん)を読(よ)むソーマは分(ぶん)水(すい)街(がい)の裁(さい)判(ばん)官(かん)。



剣(けん)を掲(かか)げるソーマはカヴァの王(おう)になる。



各(かく)領(りょう)地(ち)、国(くに)が描(えが)かれている。



かれらの足(あし)元(もと)では牛(うし)が土(つち)を起(お)こし、

羊(ひつじ)が草(くさ)を食(は)み、馬(うま)が野(の)を駆(か)け、

兎(うさぎ)が雪(せつ)原(げん)に佇(たたず)む。



レナタの解(かい)説(せつ)を楽(たの)しみ、

スーが時(とき)折(おり)補(ほ)足(そく)してくれた。



ここにある12枚(まい)の絵(え)の中(なか)にわたしの故(こ)郷(きょう)、

南(みなみ)に位(い)置(ち)するネルタの姿(すがた)は存(そん)在(ざい)しなかった。




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