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金貨の娘  作者: 美穂
第6章 暗晦の道(後)

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第6章 第4節 銀の鍵(第2項)

2枚(まい)の招(しょう)待(たい)札(ふだ)の照(しょう)合(ごう)を終(お)えると、

使(し)用(よう)人(にん)は馬(ば)車(しゃ)の中(なか)から主(しゅ)人(じん)を連(つ)れてくる。



館(やかた)には従(じゅう)者(しゃ)や護(ご)衛(えい)の入(にゅう)館(かん)も禁(きん)じられ、

護(ご)身(しん)用(よう)の短(たん)剣(けん)も持(も)ち込(こ)めない。



手(て)に持(も)てるだけの贈(おく)り物(もの)以(い)外(がい)、

この館(やかた)に入(はい)ることは許(ゆる)されない。



男(おとこ)達(たち)はドレイプに贈(おく)る宝(ほう)石(せき)や装(そう)飾(しょく)品(ひん)、

季(き)節(せつ)の果物(くだもの)を両(りょう)手(て)に抱(かか)えていたり、

仄(ほの)かな香(かお)りの石(せっ)鹸(けん)や花(はな)束(たば)を持(も)ってくる。



一(いち)度(ど)館(やかた)を出(で)たお客(きゃく)さんが、

忘(わす)れ物(もの)を取(と)りに館(やかた)に戻(もど)る行(こう)為(い)を

避(さ)ける為(ため)の理(り)由(ゆう)があった。



わたしはお客(きゃく)さんを連(つ)れて玄(げん)関(かん)を抜(ぬ)け、

館(かん)内(ない)に入(はい)るとハンドベルを鳴(な)らして

従(じゅう)業(ぎょう)員(いん)やフランジに注(ちゅう)意(い)を促(うなが)す。



お客(きゃく)さんを玄(げん)関(かん)の隣(となり)にある

待(まち)合(あい)室(しつ)に案(あん)内(ない)して、招(しょう)待(たい)札(ふだ)を扉(とびら)に掛(か)ければ、

わたしの仕(し)事(ごと)は区(く)切(ぎ)りがつく。



扉(とびら)を閉(し)めて招(しょう)待(たい)札(ふだ)を飾(かざ)ろうとすると

フランジが集(あつ)まって注(ちゅう)視(し)し、

札(ふだ)を掛(か)けると無(む)言(ごん)で指(ゆび)先(さき)を向(む)け合(あ)う。



札(ふだ)はセセラのお客(きゃく)さんで、

彼(かの)女(じょ)の部屋(へや)で手伝(てつだ)いをしているフランジ、

銀(ぎん)髪(ぱつ)のポワンが誇らしげに口(こう)角(かく)を上(あ)げた。



挿絵(By みてみん)



フランジのポワンは招(しょう)待(たい)札(ふだ)を手(て)に取(と)って

お客(きゃく)さんをドレイプの部屋(へや)まで案(あん)内(ない)する。



フランジが手伝(てつだ)いを済(す)ませると、

後(あと)はドレイプが対(たい)応(おう)し、肌(はだ)を重(かさ)ね合(あ)う。



ドレイプが仕(し)事(ごと)をしているあいだ、

フランジは外(そと)廊(ろう)下(か)で流(りゅう)行(こう)の詩(し)集(しゅう)を

読(よ)みながら終(お)わるのを待(ま)つ。



今日(きょう)は日(ひ)陰(かげ)でも暑(あつ)いこともあり、

濡(ぬ)らした口(くち)布(ぬの)を膝(ひざ)の上(うえ)に掛(か)けている。



革(かわ)を重(かさ)ねた小(ちい)さな扇(おうぎ)で、

顔(かお)や伸(の)ばした足(あし)先(さき)を仰(あお)ぐ。



砂(さ)糖(とう)と塩(しお)を混(ま)ぜて溶(と)かし、

果(か)汁(じゅう)で軽(かる)く風(ふう)味(み)付(づ)けしただけの

水(みず)を渡(わた)すと、おいしそうに飲(の)む。



単(たん)純(じゅん)な調(ちょう)合(ごう)の水(みず)でも暑(あつ)さのせいか、

不(ふ)思(し)議(ぎ)と飽(あ)きずに飲(の)みやすい。



水(みず)の作(つく)り方(かた)はサンサから教(おそ)わり、

ヤゴウの許(きょ)可(か)を得(え)て厨(ちゅう)房(ぼう)の天(てん)秤(びん)で量(はか)り、

フランジにも作(つく)ってあげた。



挿絵(By みてみん)



昼(ちゅう)食(しょく)時(どき)を前(まえ)にお客(きゃく)さんが帰(かえ)る際(さい)は、

ドレイプかフランジか、もしくは

二人(ふたり)で北(きた)の出(で)口(ぐち)まで見(み)送(おく)る。



館(やかた)の外(そと)では使(し)用(よう)人(にん)達(たち)が

馬(ば)車(しゃ)を北(きた)側(がわ)の出(で)口(ぐち)に移(い)動(どう)させている。



フランジがドレイプに代(か)わって、

馬(ば)車(しゃ)の確(かく)認(にん)を行(おこな)わなければいけない。



馬(ば)車(しゃ)を待(ま)つ場(ば)合(あい)は、

出(で)口(ぐち)の隣(となり)にある待(まち)合(あい)室(しつ)に

お客(きゃく)さんを案(あん)内(ない)する必(ひつ)要(よう)がある。



挿絵(By みてみん)



出(で)口(ぐち)側(がわ)の待(まち)合(あい)室(しつ)をお客(きゃく)さんが出(で)る時(とき)も、

フランジはハンドベルを鳴(な)らす。



ハンドベルを鳴(な)らして注(ちゅう)意(い)を促(うなが)すのは、

客(きゃく)同(どう)士(し)の無(む)用(よう)な接(せっ)触(しょく)を避(さ)ける

合(あい)図(ず)にもなっていた。




 ◆ 




「ハーフガン。来(き)なさい。」



玄(げん)関(かん)で使(し)用(よう)人(にん)の対(たい)応(おう)をしているファウナが、

ずっと近(ちか)くで座(すわ)ってこちらを見(み)ていた

ハーフガンを呼(よ)びつけた。



「おう、なんだ?」



「なんだたぁなんだぁ、オメー?」



相(あい)手(て)のキャシュクには、

金(きん)糸(し)の長(なが)い飾(しょく)緒(しょ)を胸(むな)元(もと)に渡(わた)らせている。



汚(よご)れたサンダルで足(あし)を開(ひら)いて腕(うで)を組(く)み、

服(ふく)も裾(すそ)が解(ほつ)れて清(せい)潔(けつ)さに欠(か)ける大(おお)男(おとこ)。



なにかの油(あぶら)を塗(ぬ)りつけた褐(かっ)色(しょく)の髪(かみ)と、

胸(むな)元(もと)や手(て)足(あし)は毛(け)深(ぶか)いままで見(み)栄(ば)えが悪(わる)い。



髭(ひげ)の剃(そ)り方(かた)が乱(らん)雑(ざつ)で、

口(くち)周(まわ)りには痛(いた)々(いた)しい切(き)り傷(きず)と、

赤(あか)黒(ぐろ)い傷(きず)跡(あと)を見(み)せている。



挿絵(By みてみん)



傷(きず)だらけで鼻(はな)を腫(は)らし、

見(み)覚(おぼ)えのある顔(かお)でも記(き)憶(おく)と照(しょう)合(ごう)ができない。



「早(はや)くサンサってやつのベッドに

 案(あん)内(ない)しろやい。」



ファウナは喧(けん)嘩(か)腰(ごし)の男(おとこ)を前(まえ)にしても、

物(もの)怖(お)じする様(よう)子(す)は見(み)せず鼻(はな)で返(へん)事(じ)をする。



男(おとこ)の声(こえ)に聞(き)き覚(おぼ)えがある。



――確(たし)か路(ろ)地(じ)で…。



「ほい新(しん)入(い)り。


 これと同(おな)じ札(ふだ)を探(さが)してきて。」



記(き)憶(おく)を辿(たど)るより先(さき)にファウナに言(い)われて、

照(しょう)合(ごう)室(しつ)から同(おな)じ絵(え)柄(がら)の招(しょう)待(たい)札(ふだ)を探(さが)す。



――今日(きょう)はサンサに来(らい)客(きゃく)はないから、

  棚(たな)から探(さが)すだけ無(む)駄(だ)よね。



サンサを指(し)名(めい)している男(おとこ)。



招(しょう)待(たい)札(ふだ)の絵(え)柄(がら)は、

白(しろ)と黒(くろ)の羽(はね)を持(も)つ雪(ゆき)烏(がらす)が

描(か)かれた札(ふだ)ではない。



――サンサの札(ふだ)はこれで…、

  カミーリャと羊(ひつじ)って

  ボナの札(ふだ)よね…?



この札(ふだ)を見(み)た時(じ)点(てん)で

ファウナも気(き)付(づ)くものだった。



認(にん)証(しょう)管(かん)理(り)をするボナの棚(たな)は、

照(しょう)合(ごう)室(しつ)の奥(おく)にあるサンサの棚(たな)の下(した)に

用(よう)意(い)されている。



同(おな)じ絵(え)柄(がら)、

縁(ふち)の2進(しん)法(ほう)も同(おな)じものがあった。



他(ほか)の札(ふだ)と違(ちが)って

予(よ)約(やく)日(び)を示(しめ)す

2進(しん)法(ほう)の値(あたい)は低(ひく)く、

これは今日(きょう)の物(もの)ではない。



ボナの棚(たな)から数《かず》少(すく)ない同(おな)じ札(ふだ)を見(み)つけ、

自(じ)信(しん)が無(な)いままファウナに渡(わた)した。



「ファウナ…。

 これ、違(ちが)うと思(おも)う。」



札(ふだ)ではなく、わたしを見(み)てファウナは頷(うなず)く。



「いつまで待(ま)たせんだっ! おい!


 早(はや)く中(なか)に入(い)れろやい。」



「ハーフガン。彼(かれ)を『別(べっ)室(しつ)』に案(あん)内(ない)して。」



「はいよ。」



「なんだ! オメー!


 溝(どぶ)女(め)の犬(いぬ)が俺(おれ)に触(さわ)んじゃねえ!」



傷(きず)だらけの男(おとこ)は護(ご)衛(えい)達(たち)に囲(かこ)われると、

なにか汚(きたな)い言(こと)葉(ば)を放(はな)って暴(あば)れ、

走(はし)ってミュームの木(き)のあいだへ逃(に)げ出(だ)した。



「これ、偽(にせ)物(もの)だったの?」



「なんでだと思(おも)う?」



質(しつ)問(もん)に質(しつ)問(もん)で返(かえ)された。



わたしは二(ふた)つの札(ふだ)を見(み)比(くら)べても、

違(ちが)いが分(わ)からない。



「材(ざい)質(しつ)?」



彫(ほ)った模(も)様(よう)をどんなに精(せい)巧(こう)に真似(まね)ても、

自(し)然(ぜん)が生(う)み出(だ)す木(もく)目(め)は真似(まね)できない。



しかし2枚(まい)の札(ふだ)を並(なら)べても、

素(そ)材(ざい)となっている木(き)の種(しゅ)類(るい)は同(おな)じで、

並(なら)べた木(もく)目(め)は繋(つな)がっていた。



「あれ…これ、本(ほん)物(もの)なの?

 …もしかして盗(とう)品(ひん)?」



「なんだ。もう気(き)付(づ)いたのか。


 客(きゃく)のソフィが招(しょう)待(たい)札(ふだ)を紛(ふん)失(しつ)したって

 ボナに手(て)紙(がみ)が来(き)てたのさ。


 彼(かの)女(じょ)の使(し)用(よう)人(にん)が横(よこ)流(なが)しした札(ふだ)が、

 今(こん)回(かい)のその札(ふだ)なんだと思(おも)うぞ。」



「だからファウナは知(し)ってて

 わたしに探(さが)させたのね。」



彼(かの)女(じょ)の口(くち)の端(は)は緩(ゆる)んでいる。



「ソフィと会(あ)うなんて、

 ボナの今日(きょう)の予(よ)定(てい)にないからな。


 なによりボナは獣(けもの)を好(す)いてないし。」



「サンサの予(よ)定(てい)にもないわ。」



「でも、木(もく)目(め)に気(き)付(づ)く点(てん)は良(よ)かったぞ。


 偽(にせ)物(もの)を持(も)ってくるひともいるって

 私(わたし)が伝(つた)えたことを、ちゃんと

 理(り)解(かい)してたからできた証(しょう)拠(こ)だな。


 新(しん)入(い)りは認(にん)証(しょう)管(かん)理(り)補(ほ)佐(さ)の

 さらに補(ほ)佐(さ)として見(み)込(こ)みがあるぞ。」



得(とく)意(い)気(げ)になるファウナ。



「ついでに言(い)うと、

 例(たと)え本(ほん)物(もの)を持(も)ってきたって

 受(う)け付(つ)けなくていいぞ。


 飾(しょく)緒(しょ)があっても態(たい)度(ど)が悪(わる)いやつは

 館(やかた)の品(ひん)格(かく)を下(さ)げるだけだからな。」



――お客(きゃく)さんの品(ひん)性(せい)は、館(やかた)の品(ひん)格(かく)に繋(つな)がる。



彼(かの)女(じょ)は黒(くろ)い目(め)を細(ほそ)めて声(こえ)も出(だ)さずに笑(わら)う。



「来(く)るものは選(えら)ぶってことね。」



盗(とう)品(ひん)の札(ふだ)を持(も)ってきた男(おとこ)を

追(お)いかけるグルグス達(たち)を見(み)ながら、

ファウナは頷(うなず)いてイオスを撫(な)で回(まわ)している。



「仕(し)事(ごと)に戻(もど)らないと

 また急(せ)かされるわよ。」



「フランジに言(い)われるくらいならいいけど

 ミュパに知(し)られると面(めん)倒(どう)なんだよなぁ。


 あのひともお喋(しゃべ)りなんだよ。」



ミュパはサンサから『戒(いまし)め』という

不(ふ)名(めい)誉(よ)な二(ふた)つ名(な)が与(あた)えられていた。



ファウナは口(くち)が軽(かる)いけれど、

知(ち)識(しき)に沿(そ)った考(かんが)え方(かた)はスーに近(ちか)い。



――スーに似(に)てる

  なんて褒(ほ)めても嫌(いや)がるわね。



わたしは彼(かの)女(じょ)の背(せ)中(なか)を見(み)て、

なにも言(い)わずに首(しゅ)肯(こう)した。




 ◆




招(しょう)待(たい)札(ふだ)の照(しょう)合(ごう)を終(お)えれば手(て)紙(がみ)の分(ぶん)別(べつ)を行(おこな)い、

昼(ちゅう)食(しょく)と休(きゅう)憩(けい)の後(あと)で再(ふたた)び照(しょう)合(ごう)を行(おこな)う。



退(たい)館(かん)したお客(きゃく)さんの使(し)用(よう)人(にん)がまた列(れつ)を作(つく)り、

ドレイプ宛(あて)の手(て)紙(がみ)をわたし達(たち)に預(あず)けた。



折(お)り重(かさ)ねられた手(て)紙(がみ)は、

染(そ)められた帯(おび)紐(ひも)やリボンに縛(しば)られ、

鮮(あざ)やかな色(いろ)の封(ふう)蝋(ろう)がされる。



封(ふう)蝋(ろう)には家(か)名(めい)の頭(かしら)文(も)字(じ)以(い)外(がい)にも、

動(どう)物(ぶつ)や花(はな)などの意(い)匠(しょう)が施(ほどこ)された

エンボスが浮(う)んでいる。



こうした封(ふう)蝋(ろう)を見(み)る度(たび)に

わたしは目(め)を奪(うば)われた。



仕(し)事(ごと)中(ちゅう)に受(う)け取(と)った手(て)紙(がみ)は照(しょう)合(ごう)室(しつ)に置(お)き、

仕(し)分(わ)けは後(ご)日(じつ)行(おこな)う。



すぐに返(へん)事(じ)をしてしまうと

相(あい)手(て)からは余(よ)裕(ゆう)のない娼(しょう)婦(ふ)と見(み)られて、

品(ひん)性(せい)を疑(うたが)われるとファウナが言(い)う。



イオスも一(いっ)緒(しょ)になって移(い)動(どう)し、

室(しつ)内(ない)を走(はし)り回(まわ)ってはビャオと鳴(な)き叫(さけ)び、

わたしの背(せ)中(なか)から棚(たな)に跳(と)び乗(の)る。



爪(つめ)を出(だ)すので引(ひ)っ掻(か)き傷(きず)が絶(た)えない。



昼(ひる)の照(しょう)合(ごう)を終(お)える頃(ころ)、

大(おお)男(おとこ)のグルグスが銀(ぎん)髪(ぱつ)の少(しょう)年(ねん)を連(つ)れて

館(やかた)の入(い)り口(ぐち)にやってきた。



挿絵(By みてみん)



「おつかれ。」と、グルグス。



「よう。紐(ひも)無(な)し女(おんな)。」少(しょう)年(ねん)が罵(ば)倒(とう)する。



「…誰(だれ)?」



失(しつ)礼(れい)な少(しょう)年(ねん)を無(む)視(し)して、

わたしはファウナに耳(みみ)打(う)ちした。



「護(ご)衛(えい)見(み)習(なら)いのウントは、

 まともに相(あい)手(て)しないこと。」



今(こん)度(ど)はファウナがわたしに耳(みみ)打(う)ちする。



少(しょう)年(ねん)の名(な)前(まえ)はウントと紹(しょう)介(かい)されたけれど、

彼(かの)女(じょ)は家(か)名(めい)までは言(い)わなかった。



挿絵(By みてみん)



「お疲(つか)れ、グルグス。

 あの男(おとこ)は捕(つか)まえた?」



グルグスは黙(だま)って目(め)を逸(そ)らす。



盗(とう)品(ひん)の招(しょう)待(たい)札(ふだ)を持(も)ってきた男(おとこ)には

逃(に)げられてしまったらしい。



「ユヴィルの傭(よう)兵(へい)なんじゃねえかな?

 ってみんな言(い)ってたぜ。」



ウントが唾(つば)を吐(は)いて言(い)った。



――ユヴィルの。



男(おとこ)の話(わ)題(だい)が出(で)てくるまで、

わたしは思(おも)い出(だ)せずにいた。



「あぁ。フルリーンに殴(なぐ)られてたひとね。」



あの男(おとこ)はユヴィルの傭(よう)兵(へい)だった。



男(おとこ)の顔(かお)を覆(おお)っていた特(とく)徴(ちょう)的(てき)な髭(ひげ)が無(な)く、

傷(きず)だらけの顔(かお)が悪(わる)目(め)立(だ)ちしていたせいで、

ユヴィルの名(な)前(まえ)が挙(あ)がらなければ

二(ふた)つの顔(かお)が一(いっ)致(ち)しなかった。



「お前(まえ)の客(きゃく)かよ。」と、ウント。



わたしは口(くち)を閉(と)ざして目(め)を逸(そ)らした。



「ちょっとウント!


 下(しも)々(じも)の者(もの)の分(ぶん)際(ざい)で

 お姫(ひめ)様(さま)に気(き)安(やす)く話(はな)し掛(か)けないで!」



「お姫(ひめ)様(さま)ではないわよ…。」



ファウナはウントを叱(しか)りつつ、

新(しん)入(い)りのわたしを捓(からか)う。



「そっちの赤(あか)毛(げ)、お前(まえ)、何(なん)歳(さい)だよ。」



「15歳(さい)よ。あなたは?」



「やっぱガキだな。」



――ファウナの言(い)う通(とお)りね。



彼(かれ)は自(じ)分(ぶん)の名(な)前(まえ)すらも名(な)乗(の)らない。



「…あなたは身(しん)長(ちょう)もわたしと

 大(たい)して変(か)わらないのに?」



自(じ)分(ぶん)から訊(たず)ねておいて

訊(たず)ねられたら答(こた)えもしない相(あい)手(て)に、

わたしは敬(けい)意(い)の持(も)ちようがなかった。



「痛(いた)っ!」



ウントが中(ちゅう)指(し)を弾(はじ)いてわたしの額(ひたい)を叩(たた)いた。



「紐(ひも)無(な)しが口(くち)答(ごた)えするんじゃねえ。」



理(り)不(ふ)尽(じん)に叩(たた)かれて、痛(いた)さに目(め)が濡(ぬ)れる。



足(あし)元(もと)のイオスが

耳(みみ)を伏(ふ)せてウントに威(い)嚇(かく)した。



「おい! やめろー! グーグスー!」



わたしを叩(たた)いたウントは、

グルグスに襟(えり)首(くび)を掴(つか)まれて

軽(かる)々(がる)と持(も)ち上(あ)げられた。



裾(すそ)の短(みじか)いキャシュクのせいで、

垢(あか)で薄(うす)汚(よご)れた肌(はだ)着(ぎ)姿(すがた)が露(ろ)出(しゅつ)する。



挿絵(By みてみん)



ウントも大(たい)陸(りく)語(ご)由(ゆ)来(らい)のグルグスを

正(ただ)しく発(はつ)音(おん)できない。



「大(だい)丈(じょう)夫(ぶ)か? 新(しん)入(い)り。

 頭(あたま)が開(かい)花(か)してないか?」



「知(し)ってて言(い)ってるわね。」



ファウナが言(い)ってから笑(わら)ったので、

わたしは溜(た)め息(いき)を吐(つ)く。



彼(かの)女(じょ)は両(りょう)手(て)首(くび)を合(あ)わせて、

蕾(つぼみ)が花(はな)開(ひら)く様(よう)子(す)を真似(まね)した。



胎(たい)児(じ)が産(さん)道(どう)を通(とお)る時(とき)に頭(ず)蓋(がい)骨(こつ)は

窄(すぼ)めるように形(かたち)を変(か)えるので、

骨(ほね)には継(つ)ぎ目(め)があって穴(あな)も空(あ)いている。



生(せい)後(ご)間(ま)もなく頭(ず)蓋(がい)骨(こつ)の穴(あな)は閉(と)じる。



成(せい)長(ちょう)した頭(ず)蓋(がい)骨(こつ)であれば

事(じ)故(こ)にでも遭(あ)わない限(かぎ)り、

ウントの指(ゆび)で叩(たた)かれた程(てい)度(ど)では

わたしの頭(ず)蓋(がい)骨(こつ)が割(わ)れはしない。



「ファウナ、これを

 『粉(こな)挽(ひ)きを笑(わら)う』って言(い)うのね。」



痛(いた)む額(ひたい)を擦(さす)りながら言(い)うと

ファウナは不(ふ)思(し)議(ぎ)がった。



図(と)書(しょ)館(かん)で対(たい)応(おう)した司(し)書(しょ)官(かん)には

孤(こ)児(じ)と見(み)下(くだ)されて相(あい)手(て)にされず、

ウントには女(おんな)というだけで叩(たた)かれた。



「粉(こな)挽(ひ)きを、笑(わら)う?」



わたしは手(て)で石(いし)臼(うす)挽(び)きの

労(ろう)働(どう)者(しゃ)の動(うご)きを真似(まね)てみせる。



パンの原(げん)料(りょう)になるブレズの子(し)実(じつ)は

貯(ちょ)蔵(ぞう)室(しつ)には無(な)く、粉(こな)で仕(し)入(い)れているので

館(やかた)で石(いし)臼(うす)や粉(こな)挽(ひ)きを見(み)ることも無(な)い。



挿絵(By みてみん)



粉(こな)挽(ひ)きの労(ろう)働(どう)は知(ち)識(しき)や技(ぎ)術(じゅつ)が必(ひつ)要(よう)なく、

煤(すす)染(ぞ)めの子(こ)供(ども)と同(どう)様(よう)に階(かい)級(きゅう)の低(ひく)い者(もの)が行(おこな)う。



「その定(てい)型(けい)表(ひょう)現(げん)よ。


 誰(だれ)にでも子(こ)供(ども)の時(じ)期(き)があるし

 誰(だれ)だっていつかは年(とし)老(お)いるから、

 年(ねん)長(ちょう)者(しゃ)や幼(おさ)い相(あい)手(て)を笑(わら)うのは

 おかしいでしょ?


 当(あ)たり前(まえ)なものを嘲(ちょう)笑(しょう)する行(こう)為(い)よ。」



子(こ)供(ども)の多(おお)い館(やかた)では、

子(こ)供(ども)という理(り)由(ゆう)で見(み)下(くだ)すひとは居(い)ない。



最(さい)年(ねん)少(しょう)のレナタなどは、

ドレイプからも親(した)しまれて敬(うやま)われている。



ネルタで塔(とう)に住(す)んでいた頃(ころ)のわたしは、

乳(う)母(ば)達(たち)から散(さん)々(ざん)な扱(あつか)いを受(う)けた。



噂(うわさ)を囀(さえず)られても

正(ただ)しい意(い)味(み)を理(り)解(かい)できなかった。



「それ、『石(いし)臼(うす)を回(まわ)す』だろ?」



わたしが説(せつ)明(めい)を終(お)えると、

ファウナは少(すこ)し考(かんが)えて訂(てい)正(せい)してきた。



「石(いし)臼(うす)って単(たん)語(ご)の中(なか)には

 歴(れき)史(し)や行(おこな)い、過(あやま)ちが繰(く)り返(かえ)される

 って意(い)味(み)があるからそれだな。」



「由(ゆ)来(らい)が違(ちが)うのかしら?」



石(いし)臼(うす)挽(び)きの動(どう)作(さ)は円(えん)運(うん)動(どう)を繰(く)り返(かえ)す。



その作(さ)業(ぎょう)に見(み)立(た)てた言(こと)葉(ば)遊(あそ)びから、

発(はっ)生(せい)した諺(ことわざ)なのかもしれない。



「由(ゆ)来(らい)はどうか知(し)らないが、

 似(に)た訓(くん)話(わ)は他(ほか)にもあるぞ。


 ニクスはそれも読(よ)んだことないのか。


 石(いし)臼(うす)挽(び)きは確(たし)かに単(たん)調(ちょう)な労(ろう)働(どう)だが

 ある男(おとこ)は鉄(てつ)製(せい)の粉(こな)挽(ひ)き器(き)を作(つく)って、

 それを売(う)って金(かね)持(も)ちになったんだよ。


 男(おとこ)は石(いし)臼(うす)を古(ふる)い道(どう)具(ぐ)だって嘲(ちょう)笑(しょう)した。


 そいつは酷(ひど)い浪(ろう)費(ひ)家(か)で、

 金(かね)遣(づか)いが荒(あら)くて破(は)産(さん)するのさ。


 浮(ふ)浪(ろう)者(しゃ)に身(み)を窶(やつ)した男(おとこ)は

 元(もと)通(どお)り石(いし)臼(うす)挽(び)きになって地(じ)道(みち)に働(はたら)く…、

 これに類(るい)似(じ)した話(はなし)に聞(き)き覚(おぼ)えはないか?」



「神(しん)話(わ)に出(で)てくる訓(くん)話(わ)で

 ヴィカロスの話(はなし)にも聞(き)こえるわ。」



「あぁ…なるほどな。」



以(い)前(ぜん)、日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)でハーフガンと

四(しい)時(じ)の札(ふだ)遊(あそ)びをさせられていた時(とき)に、

サンサとスーがした流(なが)れ星(ぼし)の夢(ゆめ)の神(しん)話(わ)。



「神(しん)話(わ)ってなんだよ、それ?


 オレを神(しん)話(わ)の神(かみ)だと言(い)いたいわけか。」



興(きょう)味(み)を示(しめ)したウントは、

グルグスに吊(つ)られたままでも

腕(うで)を組(く)んで顎(あご)を突(つ)き出(だ)す。



――この状(じょう)況(きょう)でこの余(よ)裕(ゆう)は

  どこから湧(わ)くのかしら。



勇(ゆう)敢(かん)と無(む)謀(ぼう)の違(ちが)いを彼(かれ)は理(り)解(かい)していない。



「ヴィカロスは人(にん)間(げん)の男(おとこ)だよ。


 新(しん)入(い)りは説(せつ)明(めい)してやったら?

 フランジに勉(べん)強(きょう)を教(おし)えてるんだし。」



「えぇ…。」



メノーの勉(べん)強(きょう)会(かい)は

わたしが教(おし)えているわけではないし、

護(ご)衛(えい)には勉(べん)強(きょう)会(かい)は開(ひら)かれていない。



「古(こ)代(だい)にヴィカロスっていう名(な)前(まえ)の男(おとこ)が、

 発(はつ)明(めい)家(か)の父(ちち)と塔(とう)に閉(と)じ込(こ)められた時(とき)に、

 鳥(とり)の羽(は)根(ね)を集(あつ)めて、それを蝋(ろう)燭(そく)で

 固(かた)めて翼(つばさ)を作(つく)ったのよ。」



「そんなんで飛(と)べんだ?」



わたしは首(くび)を横(よこ)に振(ふ)ってしまい、

結(けつ)末(まつ)を示(し)唆(さ)してもウントは気(き)付(づ)いていない。



「ヴィカロスはその翼(つばさ)で、

 塔(とう)から空(そら)を飛(と)んで星(ほし)を掴(つか)もうとした。


 けれど太(たい)陽(よう)の熱(ねつ)で翼(つばさ)の蝋(ろう)燭(そく)が溶(と)けて、

 海(うみ)に落(お)ちて死(し)んだっていう結(けつ)末(まつ)の

 古(こ)代(だい)にある神(しん)話(わ)よ。」



不(ふ)相(そう)応(おう)な力(ちから)を手(て)に入(い)れた男(おとこ)の末(まつ)路(ろ)は、

訓(くん)話(わ)の一(ひと)つとして語(かた)り継(つ)がれている。



サンサは星(ほし)を掴(つか)むという欲(よく)望(ぼう)を、

流(なが)れ星(ぼし)の夢(ゆめ)だとスーに語(かた)っていた。



「覚(かく)悟(ご)決(き)めてんな、そいつ。

 名(な)前(まえ)分(わ)かんねえけど。」



ヴィカロスの話(はなし)はウントのように

覚(かく)悟(ご)や希(き)望(ぼう)を見(み)出(いだ)すひとも多(おお)いので、

いまも神(しん)話(わ)の本(ほん)に記(しる)されている。



ネルタの塔(とう)で退(たい)屈(くつ)をしていた

幼(おさな)い頃(ころ)のわたしは、この話(はなし)に興(きょう)味(み)が湧(わ)いて

本(ほん)を読(よ)んで調(しら)べたことがある。



「人(にん)間(げん)が空(そら)を飛(と)ぶには、

 自(じ)分(ぶん)の身体(からだ)の倍(ばい)はある翼(つばさ)を

 片(かた)手(て)で振(ふ)れるようじゃないと、

 揚(よう)力(りょく)が得(え)られないんだよな。」



ファウナが言(い)う。



「空(くう)気(き)を受(う)ける為(ため)の

 巨(きょ)大(だい)な翼(つばさ)が必(ひつ)要(よう)なのよね。


 耐(たい)久(きゅう)性(せい)の課(か)題(だい)もあるわ。


 それに高(たか)く飛(と)べても蝋(ろう)燭(そく)は溶(と)けなくて、

 地(じ)面(めん)から離(はな)れた上(じょう)空(くう)は寒(さむ)くなるわ。」



「音(おと)の何(なん)倍(ばい)も速(はや)く飛(と)べないと

 太(たい)陽(よう)には近(ちか)付(づ)けないし、

 重(じゅう)力(りょく)に引(ひ)かれて地(じ)面(めん)に落(お)ちるもんな。」



ファウナの知(ち)識(しき)量(りょう)に

わたしも嬉(うれ)しくなって首(くび)を縦(たて)に振(ふ)った。



「ぁ? んなもん、

 速(はや)く飛(と)べばいいだけだろ?


 俺(おれ)なんて走(はし)るの早(はや)いぜ。」



ウントの意(い)見(けん)に

ファウナがこちらを見(み)て口(こう)角(かく)を上(あ)げるので、

わたしは彼(かれ)にこんな要(よう)望(ぼう)を出(だ)す。



「わたしの声(こえ)がウントに届(とど)くよりも

 速(はや)く飛(と)べなければいけないのよ。」



「ほら、もう遅(おそ)い。


 ウントは死(し)んだぞ。」



ファウナはすぐに彼(かれ)の発(はつ)言(げん)を拒(きょ)絶(ぜつ)した。



「なんだよ! 卑(ひ)怯(きょう)だぞ!」



ウントは吊(つ)るされたまま暴(あば)れる。



音(おと)の伝(つた)わる速(そく)度(ど)の約(やく)33倍(ばい)にもなる速(はや)さで

飛(と)べなければ太(たい)陽(よう)には近(ちか)付(づ)けず、

この星(ほし)の重(じゅう)力(りょく)に引(ひ)っ張(ぱ)られてしまう。



高(こう)速(そく)で地(じ)面(めん)に落(お)ちる際(さい)には

身体(からだ)が空(くう)気(き)を押(お)し潰(つぶ)し、

空(くう)気(き)同(どう)士(し)の衝(しょう)突(とつ)で熱(ねつ)が発(はっ)生(せい)する。



翼(つばさ)の蝋(ろう)燭(そく)は気(き)化(か)してしまい、

肉(にく)体(たい)は熱(ねつ)に耐(た)えられない。



法(ほう)則(そく)や定(てい)理(り)の本(ほん)を読(どっ)解(かい)して

物(もの)語(がたり)を理(り)論(ろん)で突(つ)き詰(つ)めると、

実(じつ)現(げん)不(ふ)可(か)能(のう)な数(すう)字(じ)が突(つ)き付(つ)けられる。



「太(たい)陽(よう)神(しん)の戦(せん)車(しゃ)に轢(ひ)かれるんだよな。


 しかしヴィカロスなんて神(しん)話(わ)

 よく知(し)ってたな。」



神(しん)話(わ)に登(とう)場(じょう)する神(かみ)とは支(し)配(はい)者(しゃ)の比(ひ)喩(ゆ)で、

ヴィカロスは塔(とう)から脱(だっ)走(そう)した罪(つみ)により

処(しょ)刑(けい)されたとする意(い)味(み)も含(ふく)まれていた。



神(しん)話(わ)を別(べつ)の観(かん)点(てん)から読(よ)み解(と)き、

勉(べん)強(きょう)の愉(たの)しさに気(き)付(づ)いたわたしに

乳(う)母(ば)達(たち)は誰(だれ)も理(り)解(かい)を示(しめ)してはくれなかった。



「神(しん)話(わ)なんだから、有(ゆう)名(めい)な話(はなし)のはずよね。


 物(ぶつ)理(り)だけでは考(かんが)えつかない話(はなし)も多(おお)いから

 神(しん)話(わ)って好(す)きよ。」



「神(しん)話(わ)は古(ふる)くてお堅(かた)い内(ない)容(よう)だけど

 淫(いん)事(じ)が多(おお)めでお堅(かた)い本(ほん)に偽(ぎ)装(そう)しやすいし、

 猥(わい)本(ほん)としても愉(たの)しめるもんな。」



「知(し)らないよ。」



ファウナは共(きょう)感(かん)を求(もと)めながら

わたしの反(はん)応(のう)を見(み)て捓(からか)う。



神(しん)話(わ)には卑(ひ)猥(わい)な内(ない)容(よう)の物(もの)語(がたり)が多(おお)いのも

需(じゅ)給(きゅう)の要(よう)因(いん)とも考(かんが)えられる。



「神(かみ)のオレが鳥(とり)になる話(はなし)じゃねえのかよ。」



神(かみ)が白(しろ)く美(うつく)しい鳥(とり)に化(ば)けて、

異(い)国(こく)の王(おう)后(ごう)を辱(はずかし)めた話(はなし)は

ウントも知(し)っていた。



「話(はなし)が逸(そ)れてたわね。」



「なんの話(はなし)だったか。」



「石(いし)臼(うす)を回(まわ)したってこういうこと?」



ファウナが笑(わら)った。



「違(ちが)う違(ちが)う。


 島(しま)の開(かい)拓(たく)時(じ)代(だい)に

 書(か)き換(か)えられた神(しん)話(わ)は多(おお)いよな。


 ヴィカロスや石(いし)臼(うす)挽(び)きの他(ほか)にも

 似(に)たような話(はなし)はあるぞ。


 荷(に)運(はこ)びの馬(うま)追(お)いが育(そだ)てた馬(うま)を

 競(けい)馬(ば)に出(だ)して大(おお)儲(もう)けして破(は)産(さん)したり。


 猟(りょう)師(し)がゼラチンで大(おお)儲(もう)けして破(は)産(さん)したり。


 商(しょう)人(にん)が集(あつ)めた資(し)金(きん)を洗(あら)おうとして

 川(かわ)に落(お)として破(は)産(さん)したり。」



「みんな破(は)産(さん)してる…。


 それなのに石(いし)臼(うす)なの?」



「古(こ)代(だい)からある道(どう)具(ぐ)に回(かい)帰(き)する、

 って理(り)由(ゆう)だろうな。


 遥(よう)遠(えん)代(だい)より昔(むかし)の。」



「あ、それで

 鉄(てつ)製(せい)の粉(こな)挽(ひ)き器(き)も出(で)てくるのね。」



ファウナが笑(え)みを浮(う)かべながら、

わたしの前(まえ)髪(がみ)を分(わ)けて額(ひたい)を撫(な)でてきた。



「割(わ)れてないわよ。」



「護(ご)衛(えい)の仕(し)事(ごと)はなんかないのかよ。


 儲(もう)かるやつ。」



グルグスに吊(つ)られていても、

話(はなし)を楽(たの)しんで反(はん)省(せい)の色(いろ)を見(み)せないウント。



グルグスも興(きょう)味(み)を示(しめ)して低(ひく)い声(こえ)で唸(うな)る。



「無(な)いね。

 全(ぜん)部(ぶ)破(は)滅(めつ)する話(はなし)だって聞(き)いてたか?


 お姫(ひめ)様(さま)が育(そだ)った土(と)地(ち)は

 文(ぶん)化(か)が違(ちが)うから教(きょう)養(よう)が偏(かたよ)ってるんだろ。


 他(ほか)になにかないか?

 奇(き)妙(みょう)な言(い)い回(まわ)し。」



「そんなこと言(い)われても…。」



「すぐには思(おも)い浮(う)かばないか。

 ウント、なにか愚(おろ)かなこと言(い)ってみて。


 得(とく)意(い)だろ?」



「紐(ひも)無(な)しの癖(くせ)に

 見(み)下(くだ)すんじゃねえっ!


 ネルタの赤(あか)毛(げ)も覚(おぼ)えとけよっ!」



「おいっ!」「痛(いた)っ。」



彼(かれ)はサンダルを蹴(け)飛(と)ばして

ファウナとわたしに当(あ)てる。



娼(しょう)婦(ふ)の仕(し)事(ごと)をしないわたし達(たち)に

彼(かれ)は『紐(ひも)無(な)し』と繰(く)り返(かえ)す。



護(ご)衛(えい)見(み)習(なら)いの失(しつ)礼(れい)な言(げん)動(どう)に

わたしは意(い)地(じ)を張(は)った。



「ウント。


 あなたが護(ご)衛(えい)なら護(ご)衛(えい)の見(み)習(なら)いでも、

 相(あい)手(て)がフランジで認(にん)証(しょう)管(かん)理(り)であっても

 彼(かの)女(じょ)を名(な)前(まえ)で呼(よ)ぶべきよ。」



「補(ほ)佐(さ)な。」



「護(ご)衛(えい)する対(たい)象(しょう)になる相(あい)手(て)でしょ?」



「ナルシャの赤(あか)毛(げ)がうるせえな!


 オレに頭(あたま)を下(さ)げるんなら

 女(おんな)にしてやってもいいぜ。」



「下(げ)品(ひん)なやつ。」ファウナも憤(いきどお)る。



ウントは品(ひん)のない発(はつ)言(げん)をして

生(き)娘(むすめ)のような反(はん)応(のう)を求(もと)めていたので、

わたしも彼(かれ)を相(あい)手(て)にするのは諦(あきら)めた。



「ナルシャの女(おんな)なんて

 そこらの娼(しょう)婦(ふ)と同(おな)じだろ。」



――男(おとこ)は昼(ひる)、女(おんな)は夜(よる)。というわけね。



彼(かれ)は男(おとこ)なので、女(おんな)より社(しゃ)会(かい)的(てき)な地(ち)位(い)が高(たか)い。



出(しゅつ)自(じ)を明(あ)かせないわたしは彼(かれ)の言(い)う通(とお)り、

名(な)乗(の)ることも言(い)い返(かえ)すこともできない。



ファウナの忠(ちゅう)告(こく)通(どお)りにしか出(で)来(き)ず、

ただ黙(だま)って下(した)唇(くちびる)を噛(か)むだけだった。



「ウントはまだ知(し)らないんだよな。」



ファウナは手(て)札(ふだ)を明(あ)かす前(まえ)に、

その企(たくら)みを隠(かく)しきれない表(ひょう)情(じょう)を見(み)せる。



「お姫(ひめ)様(さま)は新(しん)入(い)りのフランジで、

 いまはナルシャのニクスっていうんだ。


 サンサの部屋(へや)のフランジだぞ。」



いまになってファウナがわたしを紹(しょう)介(かい)した。



グルグスに逆(さか)さ吊(づ)りにされているウントは、

赤(あか)黒(ぐろ)くなる顔(かお)から血(ち)の気(け)が引(ひ)くと

言(こと)葉(ば)を呑(の)んだ。



「サッ…。」



グルグスが揺(ゆ)さぶって、

反(はん)応(のう)が無(な)いのを確(たし)かめると

ウントを地(じ)面(めん)に置(お)いた。



「お前(まえ)が、サンサの、部屋(へや)の?」



ウントは不(ふ)安(あん)定(てい)に立(た)ち上(あ)がり、

着(き)崩(くず)れたキャシュクを直(なお)す。



「えぇ。」



わたしは不(ふ)承(しょう)不(ぶ)承(しょう)に首(くび)を縦(たて)に振(ふ)って見(み)せる。



「こいつ、サンサが怖(こわ)いんだよ。」



「サンサになにかされたの?」



わたしは拾(ひろ)ったサンダルを奪(うば)われ、

彼(かれ)はそのまま素(す)足(あし)で護(ご)衛(えい)棟(とう)まで逃(に)げ去(さ)った。



「怖(こわ)くねえよ! 紐(ひも)無(な)し女(おんな)っ!」



場(ば)所(しょ)も弁(わきま)えずに叫(さけ)んだウントは、

御(ご)不(ふ)浄(じょう)から戻(もど)ってきたハーフガンから、

拳(こぶし)で頭(あたま)が割(わ)れるくらいに強(つよ)く叩(たた)かれていた。




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