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金貨の娘  作者: 美穂
第6章 暗晦の道(後)

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第6章 第4節 銀の鍵(第1項)

島(しま)の中(ちゅう)央(おう)北(ほく)部(ぶ)に位(い)置(ち)する分(ぶん)水(すい)街(がい)の夏(なつ)は、

高(こう)地(ち)で寒(かん)冷(れい)な南(みなみ)のネルタとは

比(くら)べるまでもなく、暑(あつ)い。



早(そう)朝(ちょう)に低(てい)木(ぼく)や花(か)園(えん)に撒(ま)かれた水(みず)は、

朝(ちょう)食(しょく)を終(お)える頃(ころ)には気(き)化(か)して

蒸(む)し暑(あつ)さを感(かん)じる。



肌(はだ)を焼(や)くような日(ひ)差(ざ)しでは

日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)に張(は)った天(てん)蓋(がい)からも出(で)られない。



そんな暑(あつ)さでも蝶(ちょう)には関(かん)係(けい)なく、

蜜(みつ)と番(つがい)を求(もと)めて舞(ま)っている。



わたしは朝(あさ)から、スーが図(と)書(しょ)館(かん)で

買(か)ってくれた写(しゃ)本(ほん)を読(よ)んでいた。



子(こ)供(ども)向(む)けの大(たい)陸(りく)語(ご)の本(ほん)は

簡(かん)単(たん)な絵(え)と由(ゆ)来(らい)もあって読(よ)みやすく、

大(たい)陸(りく)の表(ひょう)現(げん)は読(よ)むだけでも

彩(いろど)り豊(ゆた)かで楽(たの)しかった。



「新(しん)入(い)りは暇(ひま)だろ?


 私(わたし)の仕(し)事(ごと)を手伝(てつだ)わせてやろう。」



本(ほん)に集(しゅう)中(ちゅう)していた

わたしに呼(よ)び掛(か)けたのは、

認(にん)証(しょう)管(かん)理(り)の補(ほ)佐(さ)をしている

フランジのファウナだった。



挿絵(By みてみん)



黒(くろ)い前(まえ)髪(がみ)が切(き)り揃(そろ)えられた少(しょう)女(じょ)。



彼(かの)女(じょ)はこんな明(あか)るい朝(あさ)から

灯(とも)ったランタンを持(も)ち歩(ある)く。



挿絵(By みてみん)



ファウナは館(やかた)が開(ひら)かれるこの時(じ)刻(こく)になると、

ランタンを持(も)って玄(げん)関(かん)に入(はい)っていく。



テーブルの上(うえ)でお腹(なか)を見(み)せて寝(ね)ていた

白(しろ)猫(ねこ)のイオスを抱(だ)きながら、

ファウナは南(みなみ)側(がわ)の椅(い)子(す)に座(すわ)る。



「イオスー。久(ひさ)しぶり。


 しばらく見(み)ないうちに成(せい)長(ちょう)したなぁ。

 目(め)の色(いろ)が変(か)わったか。」



声(こわ)音(ね)を普(ふ)段(だん)より高(たか)くして呼(よ)び掛(か)けると、

寝(ね)起(お)きのイオスは掠(かす)れた声(こえ)で鳴(な)く。



挿絵(By みてみん)



子(こ)猫(ねこ)特(とく)有(ゆう)の青(あお)い目(め)は、

明(めい)確(かく)な淡(たん)青(せい)色(しょく)へと変(か)わっていた。



顔(かお)の横(よこ)に付(つ)いて見(み)えた小(ちい)さかった耳(みみ)も、

成(せい)長(ちょう)に伴(ともな)って頭(ず)上(じょう)に立(た)つ。



ファウナは懐(ふところ)から紐(ひも)を取(と)り出(だ)した。



イオスが前(まえ)足(あし)を伸(の)ばして

紐(ひも)で遊(あそ)ぼうとするので、

彼(かの)女(じょ)はイオスの顔(かお)に息(いき)を吹(ふ)きかける。



突(とつ)然(ぜん)のことにイオスは動(うご)きを止(と)めた。



赤(あか)髪(がみ)のフランジが髪(かみ)を結(ゆ)う為(ため)の

金(きん)赤(あか)色(いろ)の紐(ひも)を束(たば)ねていたファウナは、

イオスの首(くび)輪(わ)を仕(し)事(ごと)の合(あい)間(ま)に編(あ)んでいた。



「似(に)合(あ)うなぁ。」



彼(かの)女(じょ)の様(よう)子(す)を見(み)ていた黒(くろ)猫(ねこ)のアルが、

サンサの膝(ひざ)の上(うえ)で鳴(な)いて心(しん)配(ぱい)している。



挿絵(By みてみん)



「ファウナ。」と、サンサが静(しず)かに呟(つぶや)く。



名(な)前(まえ)を呼(よ)ばれたファウナは、

背(せ)筋(すじ)を伸(の)ばしてサンサから目(め)を逸(そ)らした。



サンサはそれ以(い)上(じょう)、

何(なに)も言(い)ってこなかった。



「ファウナの仕(し)事(ごと)の手伝(てつだ)いって

 認(にん)証(しょう)管(かん)理(り)の?」



「補(ほ)佐(さ)な。

 今日(きょう)は違(ちが)う仕(し)事(ごと)だ。


 招(しょう)待(たい)札(ふだ)での照(しょう)合(ごう)だ。」



「照(しょう)合(ごう)って…。


 玄(げん)関(かん)でやってる仕(し)事(ごと)だね。」



サンサはいつもの席(せき)で

わたしに向(む)かってなにも言(い)わずに頷(うなず)くと、

仕(し)事(ごと)の手伝(てつだ)いを黙(もく)認(にん)した。



わたしの行(こう)動(どう)にサンサの許(きょ)可(か)は

必(ひつ)要(よう)ないけれど、席(せき)を外(はず)す時(とき)は

こうして報(ほう)告(こく)だけはしておく。



「私(わたし)もファウナの仕(し)事(ごと)、手伝(てつだ)おっか?」



「あんたはダメ。」



「えぇー。仲(なか)間(ま)外(はず)れぇ。」



ファウナはスーに厳(きび)しい。



スーは書(しょ)字(じ)板(ばん)のスタイラスを握(にぎ)って、

テーブルに突(つ)っ伏(ぷ)して伸(の)びた。



「スー、あなたはルービィの本(ほん)の作(さ)業(ぎょう)よ。


 言(い)い出(だ)したのはあなたよ。」



サンサがテーブルを指(ゆび)先(さき)で小(こ)突(づ)く。



「だけどねぇ、終(お)わるの? これぇ。」



「終(お)わらせる為(ため)にやってるのよ。」



サンサは大(たい)量(りょう)の羊(よう)皮(ひ)紙(し)を広(ひろ)げて、

スーに指(し)示(じ)を出(だ)して別(べつ)の羊(よう)皮(ひ)紙(し)に写(うつ)させる。



彼(かの)女(じょ)達(たち)はルービィの書(か)いた文(ぶん)章(しょう)を

本(ほん)にまとめる作(さ)業(ぎょう)を毎(まい)日(にち)している。



手(て)紙(がみ)すら正(ただ)しく読(よ)めないわたしは、

二人(ふたり)からなにも頼(たの)まれてはいない。



本(ほん)を読(よ)んで知(ち)識(しき)をつけるしか

できることはなかった。



ファウナからはそんなわたしの姿(すがた)が

退(たい)屈(くつ)しているように見(み)えたのだと思(おも)う。



「ゼズ島(とう)冒(ぼう)険(けん)記(き)はもう読(よ)み終(お)わったか?

 新(しん)入(い)り。」



「ファウナ。

 あの本(ほん)を読(よ)ませるならまずは、

 エンカーン(語)を理(り)解(かい)させた方(ほう)が良(い)いよ。


 ニクスは大(たい)陸(りく)語(ご)を一(ひと)つも知(し)らないから。」



と、スーが言(い)った。



「訳(やく)本(ほん)だぞ。島(しま)の言(こと)葉(ば)なんだし、

 エンカーン(語)は知(し)らなくても読(よ)めるだろ?」



この島(しま)に入(はい)ってくる大(たい)陸(りく)語(ご)の書(しょ)物(もつ)の

ほとんどはエンカーン(語)が占(し)めている。



エンカーン(語)は大(たい)陸(りく)の中(ちゅう)央(おう)に位(い)置(ち)する、

エンカー半(はん)島(とう)で使(つか)われる言(こと)葉(ば)で、

この島(しま)で使(つか)われている言(こと)葉(ば)に比(ひ)較(かく)的(てき)近(ちか)い。



ファウナから借(か)りたゼズ島(とう)冒(ぼう)険(けん)記(き)は、

古(ふる)い文(も)字(じ)や癖(くせ)のある文(ぶん)章(しょう)が多(おお)かった。



訳(やく)本(ほん)でさえも正(ただ)しく読(よ)み進(すす)められずに、

物(もの)語(がたり)は海(うみ)の上(うえ)を漂(ただよ)った状(じょう)態(たい)で止(と)まっていた。



「あの本(ほん)はちょっとは読(よ)めたのよ。


 でも文(ぶん)章(しょう)が難(むずか)しくて…。」



「ははぁ。

 そっか。なるほどな。


 定(てい)型(けい)表(ひょう)現(げん)を知(し)らないから、

 手(て)紙(がみ)の選(せん)別(べつ)もできなかったわけか。」



ファウナはお菓(か)子(し)を摘(つま)み食(ぐ)いしながら

呟(つぶや)いて納(なっ)得(とく)する。



「仕(し)事(ごと)を教(おし)えるから来(き)なって。」



日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)に二人(ふたり)と猫(ねこ)を置(お)いて、

わたしはファウナと玄(げん)関(かん)に向(む)かう。



今日(きょう)はボナの部屋(へや)で

手(て)紙(がみ)を選(せん)別(べつ)する仕(し)事(ごと)ではない。



「あの二人(ふたり)が精(せい)励(れい)していると

 気(き)軽(がる)に本(ほん)も読(よ)んでられないだろ。」



わたしはファウナの背(せ)中(なか)に向(む)かって頷(うなず)く。



イオスもわたしについて歩(ある)いてきた。



「今日(きょう)はエンカーン(語)を知(し)らない新(しん)入(い)りでも

 できる仕(し)事(ごと)だぞ。」



前(ぜん)回(かい)の手(て)紙(がみ)の選(せん)別(べつ)で失(しっ)敗(ぱい)しているので、

気(き)休(やす)めを言(い)われたところで安(あん)心(しん)はできない。



「どうかな…。


 わたしって、

 どんな仕(し)事(ごと)ができると思(おも)う?」



「ドレイプになりたいんなら、

 エンカーン(語)の読(よ)み書(か)きが

 できなくてもいいんだぞ。」



「ドレイプになりたいなんて

言(い)ってないわよ。」



前(まえ)を歩(ある)くファウナが頷(うなず)いた。



「知(し)ってるよ。

 新(しん)入(い)りも主(しゅ)体(たい)性(せい)が無(な)いんだろ。


 自(じ)分(ぶん)がなりたい理(り)想(そう)の姿(すがた)を

 想(そう)像(ぞう)することもできてない。


 夜(よる)の女(め)神(がみ)になんて

 なれるはずはないからな。」



「…ううん。」



否(ひ)定(てい)を試(こころ)みたけれど

彼(かの)女(じょ)が指(し)摘(てき)した通(とお)りわたしには理(り)想(そう)がない。



玄(げん)関(かん)の中(なか)に入(はい)る扉(とびら)を開(あ)けてファウナは言(い)う。



「新(しん)入(い)りだから仕(し)方(かた)がないか。」



「ねぇ、ファウナ。

 わたしの名(な)前(まえ)はニクスよ。」



彼(かの)女(じょ)はいつまで経(た)っても

わたしを新(しん)入(い)り呼(よ)ばわりする。



「そんなの覚(おぼ)えたって無(む)駄(だ)だろ。


 どうせすぐに名(な)前(まえ)を変(か)えるんだから。」



「名(な)前(まえ)を変(か)える予(よ)定(てい)なんて無(な)いわ。


 わたしの名(な)前(まえ)って

 そんなに変(か)えた方(ほう)がいいの?」



「女(め)神(がみ)の名(な)前(まえ)は母(はは)親(おや)が与(あた)えるもんって

 決(き)まってるからな。


 娼(しょう)婦(ふ)が女(め)神(がみ)を名(な)乗(の)るんなら、

 美(び)の女(め)神(がみ)や知(ち)恵(え)の女(め)神(がみ)だろ?


 驕(おご)った父(ちち)親(おや)か尊(そん)大(だい)な民(みん)族(ぞく)のせいで、

 家(か)名(めい)も言(い)えないナルシャのニクス。


 夜(よる)の女(め)神(がみ)を選(えら)ぶ理(り)由(ゆう)は驕(おご)った身(み)分(ぶん)の

 序(じょ)列(れつ)から外(はず)れた隠(かく)し子(ご)だ。


 もしくは慎(つつし)みのないカヴァの娼(しょう)婦(ふ)団(だん)か。


 だから首(しゅ)肯(こう)しなくてもいいぞ。」



彼(かの)女(じょ)の推(すい)測(そく)は的(てき)確(かく)で、言(い)われた通(とお)り

わたしは首(しゅ)肯(こう)せずに頭(あたま)の中(なか)で感(かん)心(しん)した。



「その名(な)前(まえ)に新(しん)入(い)りの理(り)念(ねん)はないだろ?」



「以(い)前(ぜん)スーにも同(おな)じこと言(い)われたわ…。」



「うぇ。

 夜(よる)の女(め)神(がみ)に憧(あこが)れるやつなんて、

 純(じゅん)粋(すい)にフランジやってる

 レナタくらいなもんだろ。


 いつまでもこの館(やかた)の庇(ひ)護(ご)を

 受(う)けるつもりでいるって言(い)うのなら、

 それで良(い)いかもな。」



そこまで言(い)われてわたしは首(くび)を横(よこ)に振(ふ)る。



「ファウナだって

 認(にん)証(しょう)管(かん)理(り)の仕(し)事(ごと)がしたかった

 わけでもないのよね?」



以(い)前(ぜん)の彼(かの)女(じょ)はわたしやスーに代(か)わって、

わたしみたいに働(はたら)かない人(にん)間(げん)を目(もく)標(ひょう)にして、

サンサの元(もと)で働(はたら)こうと計(けい)画(かく)した。



「苦(く)労(ろう)をせずに楽(らく)がしたいっていう

 私(わたし)の理(り)念(ねん)は変(か)わってないぞ。


 新(しん)入(い)りと仕(し)事(ごと)を交(こう)代(たい)して

 私(わたし)は気(き)付(づ)いたんだよ。


 苦(く)労(ろう)は怠(たい)惰(だ)の結(けっ)果(か)だってな。


 苦(く)労(ろう)をせずに楽(らく)をするには

 いまの内(うち)に精(せい)励(れい)して、

 もっと多(おお)く 勉(べん)強(きょう)をすべきだってな。」



「え?」



ファウナの口(くち)から精(せい)励(れい)という言(こと)葉(ば)が出(で)て

耳(みみ)を疑(うたが)ってしまった。



「大(たい)陸(りく)語(ご)の語(ご)源(げん)や諺(ことわざ)なんかは、

 読(よ)んで調(しら)べて覚(おぼ)えてしまえば

 他(ほか)の仕(し)事(ごと)より楽(らく)ができる。


 勉(べん)強(きょう)して認(にん)証(しょう)管(かん)理(り)に就(つ)けば

 客(きゃく)の相(あい)手(て)をせずに済(す)むだろ?


 そして私(わたし)くらい優(ゆう)秀(しゅう)な補(ほ)佐(さ)を育(そだ)てて

 そいつに仕(し)事(ごと)を回(まわ)せば、

 結(けっ)果(か)的(てき)に私(わたし)が楽(らく)ができるからな。」



「迂(う)遠(えん)な計(けい)画(かく)に聞(き)こえる…。」



仕(し)事(ごと)を楽(らく)する目(もく)的(てき)を持(も)って、

仕(し)事(ごと)に対(たい)して意(い)気(き)込(ご)みを見(み)せるファウナ。



――これも『館(やかた)を売(う)って金(きん)貨(か)を集(あつ)める。』

  って言(い)うのかしら…?



相(あい)反(はん)する彼(かの)女(じょ)の計(けい)画(かく)は、

この言(こと)葉(ば)に通(つう)じるところがあった。



「ほい、新(しん)入(い)りはこれを持(も)ってな。」



彼(かの)女(じょ)から玄(げん)関(かん)の中(なか)で渡(わた)された銀(ぎん)の鍵(かぎ)は、

わたしが持(も)つ青(せい)銅(どう)の鍵(かぎ)とは違(ちが)う。



手(て)に持(も)つ部(ぶ)分(ぶん)に蝶(ちょう)の装(そう)飾(しょく)があり、

翅(はね)には小(こ)粒(つぶ)な赤(あか)い宝(ほう)石(せき)が埋(う)め込(こ)まれている。



挿絵(By みてみん)



「秘(ひ)密(みつ)を保(ほ)管(かん)する照(しょう)合(ごう)室(しつ)の鍵(かぎ)は、

 自(じ)他(た)の秘(ひ)密(みつ)を誰(だれ)にも明(あ)かさない者(もの)だけが

 持(も)つことを許(ゆる)される。」



ファウナも同(おな)じ鍵(かぎ)を持(も)って見(み)せる。



言(い)った彼(かの)女(じょ)は自(じ)分(ぶん)の出(しゅつ)自(じ)を平(へい)気(き)で明(あ)かす。



玄(げん)関(かん)の中(なか)の西(にし)側(がわ)には

照(しょう)合(ごう)室(しつ)という名(な)前(まえ)の部屋(へや)がある。



挿絵(By みてみん)



わたしが館(やかた)に来(き)た日(ひ)に会(あ)った彼(かの)女(じょ)は、

手(て)紙(がみ)を抱(かか)えてこの部屋(へや)から出(で)てきた。



「お客(きゃく)さんが手(て)紙(がみ)を入(い)れる場(ば)所(しょ)?」



「手(て)紙(がみ)はそんな粗(そ)雑(ざつ)で

 怠(なま)け者(もの)みたいな管(かん)理(り)はしないぞ。


 サンサやスーなら

 するかもしれないけどな。


 これ言(い)わなかったら

 新(しん)入(い)りもする気(き)だったのか?」



手(て)紙(がみ)を送(おく)った経(けい)験(けん)は無(な)いので

首(しゅ)肯(こう)はできない。



「客(きゃく)の手(て)紙(がみ)は『夜(よる)のお誘(さそ)い』なわけだ。


 当(とう)然(ぜん)、内(ない)容(よう)は二人(ふたり)だけの

 秘(ひ)め事(ごと)しか書(か)かれてないし、

 使(し)用(よう)人(にん)からの手(て)渡(わた)しだぞ。」



ファウナから指(し)摘(てき)された通(とお)り、

夜(よる)の館(やかた)の塀(へい)に向(む)かって手(て)紙(がみ)を投(な)げ入(い)れる

無(む)責(せき)任(にん)な姿(すがた)は想(そう)像(ぞう)できない。



――もっと考(かんが)えないと…。



「この部屋(へや)は招(しょう)待(たい)札(ふだ)の保(ほ)管(かん)をするのと、

 後(あと)で受(う)け取(と)った手(て)紙(がみ)を置(お)くだけだな。


 火(ひ)の扱(あつか)いには注(ちゅう)意(い)しろよ。」



帯(おび)紐(ひも)に結(むす)んだその鍵(かぎ)で扉(とびら)を開(あ)けると、

彼(かの)女(じょ)は手(て)にしていたランタンを

棚(たな)に置(お)いて金(かな)具(ぐ)で固(こ)定(てい)する。



「配(はい)達(たつ)業(ぎょう)者(しゃ)から、まとめて

 届(とど)けられる手(て)紙(がみ)なんてもんは、

 そのままゴミにしてもいいけどな。」



「ゴミ…。わたしに読(よ)ませたやつ?」



彼(かの)女(じょ)は目(め)を細(ほそ)めて頷(うなず)いた。




 ◆




わたし達(たち)は照(しょう)合(ごう)室(しつ)を出(で)て鍵(かぎ)をかけた。



玄(げん)関(かん)から外(そと)へ出(で)ると、使(し)用(よう)人(にん)らしき男(だん)女(じょ)が

朝(あさ)から列(れつ)を作(つく)って待(ま)っている。



騎(き)士(し)のハーフガンが近(ちか)くに立(た)ち、

剣(けん)を佩(は)いた護(ご)衛(えい)達(たち)が周(しゅう)囲(い)を警(けい)戒(かい)している。



列(れつ)の先(せん)頭(とう)に立(た)つ中(ちゅう)年(ねん)の使(し)用(よう)人(にん)は、

ファウナになにも言(い)わず

布(ぬの)に包(つつ)んだ札(ふだ)を提(てい)示(じ)した。



「使(し)用(よう)人(にん)達(たち)は私(わたし)に『招(しょう)待(たい)札(ふだ)』を見(み)せて、

 雇(やと)い主(ぬし)を夜(よる)の館(やかた)に入(い)れるのがお仕(し)事(ごと)。


 これからやる仕(し)事(ごと)は、

 この招(しょう)待(たい)札(ふだ)がドレイプが送(おく)った

 本(ほん)物(もの)か確(かく)認(にん)する作(さ)業(ぎょう)だ。」



――本(ほん)物(もの)?



「なにかと比(くら)べるのよね。」



「だから照(しょう)合(ごう)室(しつ)だな。」



招(しょう)待(たい)札(ふだ)と呼(よ)ばれた細(ほそ)長(なが)い板(いた)切(き)れには

花(はな)と鳥(とり)が彫(ほ)られて色(いろ)付(づ)けしてあり、

ニスで表(ひょう)面(めん)の保(ほ)護(ご)もされて艶(つや)がある。



――黄(き)色(いろ)の花(はな)と、赤(あか)い羽(はね)の鳥(とり)。



「新(しん)入(い)りはあの部屋(へや)の棚(たな)から、

 これと同(おな)じ札(ふだ)を探(さが)して持(も)って来(こ)い。


 さぁ、急(いそ)げよ。


 客(きゃく)もドレイプもフランジも

 みんな待(ま)ってるからな。」



「えっ! うん。分(わ)かった…。」



すぐに玄(げん)関(かん)の中(なか)に戻(もど)り、

扉(とびら)の鍵(かぎ)を使(つか)って照(しょう)合(ごう)室(しつ)に入(はい)った。



並(なら)んだ棚(たな)には番(ばん)号(ごう)が記(しる)され、

引(ひ)き出(だ)しを見(み)ると

中(なか)には似(に)た招(しょう)待(たい)札(ふだ)が詰(つ)まっている。



「痛(いた)っ!」



わたしの背(せ)中(なか)から

棚(たな)へと跳(と)び移(うつ)ったイオスが、

ビャオォと誇(ほこ)らしげに鳴(な)く。



「背(せ)中(なか)が痛(いた)からやめてね。」



掠(かす)れた声(こえ)で弱(よわ)く返(へん)事(じ)をするイオス。



順(じゅん)番(ばん)に棚(たな)を引(ひ)き出(だ)して見(み)ても、

手(て)にした札(ふだ)とはどれも違(ちが)う絵(え)柄(がら)の札(ふだ)。



この部屋(へや)には何(なん)百(びゃく)枚(まい)も札(ふだ)が収(しゅう)納(のう)されていた。



「違(ちが)う。これも違(ちが)う。

 黄(き)色(いろ)の花(はな)、黄(き)色(いろ)の花(はな)と赤(あか)の鳥(とり)。


 あった! セセラの棚(たな)?

 あ、同(おな)じ札(ふだ)ばかりある! …どれぇ?」



9番(ばん)部屋(べや)のセセラの棚(たな)の位(い)置(ち)は

ドレイプ棟(とう)の部屋(へや)の配(はい)置(ち)と同(おな)じで、

照(しょう)合(ごう)室(しつ)の奥(おく)側(がわ)にあった。



黄(き)色(いろ)の花(はな)と赤(あか)い羽(はね)の鳥(とり)が彫(ほ)られた札(ふだ)は、

棚(たな)の中(なか)にまだ何(なん)十(じゅう)枚(まい)もある。



それも同(おな)じ組(く)み合(あ)わせの絵(え)札(ふだ)ばかり。



「正(せい)解(かい)はこれだな。


 他(ほか)は違(ちが)うだろ?」



焦(あせ)っていたわたしの後(うし)ろから、

ファウナが手(て)前(まえ)の札(ふだ)を1枚(まい)取(と)った。



最(さい)初(しょ)に見(み)た黄(き)色(いろ)の花(はな)と、赤(あか)い羽(はね)の鳥(とり)。



彼(かの)女(じょ)の手(て)にした札(ふだ)も他(ほか)の札(ふだ)と同(おな)じに見(み)える。



挿絵(By みてみん)



「うん? でも他(ほか)も一(いっ)緒(しょ)に見(み)えるわ。」



「縁(ふち)の模(も)様(よう)の中(なか)に、

 数(すう)字(じ)が入(はい)ってるだろ。」



「あっ、これ…? 本(ほん)当(とう)ね…。

 127?」



細(ほそ)長(なが)い招(しょう)待(たい)札(ふだ)の縁(ふち)。



絵(え)の枠(わく)に描(か)かれた細(こま)かな曲線(アーチ)の中(なか)には、

等(とう)間(かん)隔(かく)に彫(ほ)られた直(ちょく)線(せん)が見(み)える。



「2進(しん)法(ほう)は知(し)ってたか。

 長(なが)い 線(せん)が1で、短(みじか)い 線(せん)が0な。」



「127の0は先(せん)頭(とう)だけだね。」



「今日(きょう)の予(よ)約(やく)日(び)だから、

 この形(かたち)を覚(おぼ)えておけばいいわけだ。


 分(わ)かったか?」



首(くび)を縦(たて)に振(ふ)ったわたしに

ファウナは腕(うで)を組(く)んで顎(あご)を突(つ)き出(だ)すと、

見(み)下(お)ろしながら鼻(はな)で笑(わら)った。



彼(かの)女(じょ)の所(しょ)作(さ)は不(ふ)慣(な)れで

まだ大人(おとな)の真似(まね)事(ごと)に見(み)え、

威(い)厳(げん)を感(かん)じさせないけれど

それが奇(き)妙(みょう)な安(あん)心(しん)感(かん)を与(あた)える。



「ドレイプになったばかりのセセラも

 予(よ)約(やく)客(きゃく)が多(おお)いから、札(ふだ)を持(も)ってきたら

 私(わたし)も一(いっ)緒(しょ)に確(かく)認(にん)しとこう。」



「この絵(え)柄(がら)は部屋(へや)を示(しめ)してるのね。」



「部屋(へや)主(ぬし)の好(この)みで彫(ほ)られる柄(がら)だな。

 覚(おぼ)えておくと楽(らく)だぞ。


 棚(たな)を予(あらかじ)め全(ぜん)部(ぶ)開(あ)けとけば

 覚(おぼ)える必(ひつ)要(よう)もなくなる。」



「それはなんだか杜(ず)撰(さん)だわ。」



「利(り)便(べん)性(せい)と引(ひ)き換(か)えに引(ひ)き出(だ)しの重(おも)さで、

 また棚(たな)が倒(たお)れるぞ。」



――また…。



「経(けい)験(けん)済(ず)みなんだね…。


 最(さい)初(しょ)から1枚(まい)だけ

 立(た)て掛(か)けておけばいいのに。」



「絵(え)は覚(おぼ)えれば済(す)む話(はなし)だろ。


 棚(たな)の入(い)れ替(か)わりは多(おお)いし、

 ドレイプの注(ちゅう)文(もん)で札(ふだ)の絵(え)柄(がら)もよく変(か)わる。


 仕(し)事(ごと)を効(こう)率(りつ)的(てき)にやるのは大(だい)歓(かん)迎(げい)だから、

 新(しん)入(い)りが考(かんが)えて好(す)きにやったらいい。


 最《さい》終(しゅう)的(てき)にボナが責(せき)任(にん)を負(お)うんだしな。」



「それを言(い)われるとやり難(にく)いわ。」



ファウナが鼻(はな)で笑(わら)う。



「最(さい)近(きん)は暑(あつ)いしメノーは休(やす)みで

 いまの時(じ)期(き)は少(すく)ない方(ほう)だとさ。


 レデやジールは人(にん)気(き)だから、

 予(よ)約(やく)の札(ふだ)が多(おお)くて確(かく)認(にん)が大(たい)変(へん)なんだよ。


 それとここだけの話(はなし)だけど、

 レデとジールは近(ちか)いうちに

 婚(こん)姻(いん)で辞(や)めるらしいぞ。


 招(しょう)待(たい)札(ふだ)を探(さが)すのも楽(らく)になるな。」



「ねぇ。『流(りゅう)言(げん)は好(この)まず』でしょ?」



それが館(やかた)の決(き)まりと、

教(おし)えてくれたのは彼(かの)女(じょ)自(じ)身(しん)だった。



「客(きゃく)相(あい)手(て)に話(はな)したり

 ドレイプが言(い)ってるんでもないしな。


 私(わたし)が新(しん)入(い)りに言(い)ったって

 評(ひょう)価(か)が変(か)わるもんでもないだろ?


 館(やかた)の決(き)まりなんて言(い)ってるが、

 厳(げん)密(みつ)に取(と)り締(し)まる人(にん)間(げん)が居(い)ないんだよ。」



「別(べっ)室(しつ)送(おく)りの上(うえ)に折(せっ)檻(かん)とか?


 ファウナはされたことないの?」



館(やかた)に連(つ)れて来(こ)られたばかりのわたしに、

スーはそんなことを言(い)って否(ひ)定(てい)していた。



「ないなぁ。

 誰(だれ)かがされたなんて話(はなし)は

 聞(き)いたこともない。


 そもそも別(べっ)室(しつ)ってどこよ。」



「知(し)らない…。」



「だろ?

 んでもいま話(はな)したことは内(ない)緒(しょ)な。


 私(わたし)を巻(ま)き添(ぞ)えにするなよ。」



わたしの帯(おび)紐(ひも)に付(つ)けた

青(せい)銅(どう)と銀(ぎん)の二(ふた)つの鍵(かぎ)が、

接(せっ)触(しょく)して音(おと)が鳴(な)る。



その音(おと)が気(き)になるのか、

イオスが棚(たな)の上(うえ)でわたしに前(まえ)足(あし)を伸(の)ばす。



「イオス、遊(あそ)ばないで。」



こうして呼(よ)ぶと鳴(な)いて返(へん)事(じ)をし、

わたしの胸(むな)元(もと)に跳(と)びついて甘(あま)えはじめた。



イオスに踏(ふ)まれた太(ふと)腿(もも)が赤(あか)くなっている。



爪(つめ)も当(あ)たって腫(は)れてきて痛(いた)い。



「暴(あば)れ放(ほう)題(だい)だった子(こ)猫(ねこ)のイオスが

 利(り)口(こう)になって別(べつ)の猫(ねこ)になってないか?


 芸(げい)でも仕(し)込(こ)んだのか?」



「ううん? 利(り)口(こう)?


 普(ふ)段(だん)からこんな感(かん)じよ?」



「目(め)を離(はな)したら急(きゅう)に大人(おとな)になった感(かん)じだ。


 猫(ねこ)は成(せい)長(ちょう)が早(はや)いからだなぁ。」



今日(きょう)も本(ほん)を読(よ)むわたしに遊(あそ)びを求(もと)め、

テーブルの上(うえ)でお腹(なか)を見(み)せて寝(ね)ていた。



よく食(た)べ、よく遊(あそ)び、よく寝(ね)ている。



「生(い)き物(もの)って不(ふ)思(し)議(ぎ)ね。」



「賢(かしこ)くなったもんだ。偉(えら)いぞイオス。」



ファウナはまた声(こわ)音(ね)を高(たか)くして呼(よ)ぶと、

イオスはビャオと賢(かしこ)いつもりで返(へん)事(じ)をした。



「ねえファウナ。

 お客(きゃく)さんまだぁ?」



フランジのテミニンが

照(しょう)合(ごう)室(しつ)に顔(かお)を出(だ)して仕(し)事(ごと)を急(せ)かす。



「いま新(しん)入(い)りの教(きょう)育(いく)してんだよ。」



「ニクスが認(にん)証(しょう)管(かん)理(り)の補(ほ)佐(さ)をやるんだ。


 あんなにやらせないって言(い)ってたのに。」



「私(わたし)が仕(し)事(ごと)を楽(らく)する為(ため)なら

 新(しん)入(い)りにやらせる――、

 教(きょう)育(いく)するに決(き)まってるだろ。」



「欲(よく)が透(す)けてるわよ。」



「説(せつ)明(めい)はこんなぐらいだ。

 さっさと朝(あさ)の客(きゃく)を処(しょ)理(り)しよう。


 遅(おく)れたら昼(ちゅう)食(しょく)抜(ぬ)きだぞ。」



「責(せき)任(にん)は責(せき)任(にん)者(しゃ)のものだから、

 仕(し)事(ごと)で遅(おく)れたファウナの代(か)わりに

 わたしが食(た)べておくわね。」



「欲(よく)が透(す)けてるぞ。」



「早(はや)くしてよぉ。」



こうしてわたしはファウナの指(し)示(じ)の下(もと)で、

招(しょう)待(たい)札(ふだ)を探(さが)す作(さ)業(ぎょう)を手伝(てつだ)うことになった。




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