第6章 第6節 黒塗りの史(第1項)
「どの本にも、
ソーマは雷霆に打たれて死去
と書かれていたわ。
本を読めば読むほど、
その疑問は複雑に絡んで解けないの。」
離宮の出入り口の上部にある、
真黒なモザイク画『雷霆』を見上げて、
指導者ソーマの死因をアイリアが語る。
――深い森の禁足地で落雷なんて…。
否定的に疑問を投げかけたのは、
モザイク画を作ったアイリア本人だった。
「趣深いなその話。
ソーマは落雷でなけりゃ
なんで死んだんだ?
戦争か?
それとも竜にでも殺されたか?」
フルリーンが椅子に座って竜を指示した。
モザイク画に描かれた竜は創造の生き物。
「あれは『ゼズ島冒険記』の描写だよね。
『東部開拓史』には神が出てくるね。
そこまで極端でもないとしたら
北部入植記録あたりを参照したのかな?
島の管理者とか?」
「管理者?」
スーがフルリーンの向かいの椅子に座り、
わたしは気になる言葉を訊ねた。
するとフルリーンが説明をしてくれる。
「管理者ってのは、
この島にいる神みたいなもんだろ?
崇められてるってより畏れられててな、
『ニース』って書かれてる
誰にも分からんやつ。」
「ニースが、神…?」
フルリーンはニースの知識はあっても、
捉えどころのない彼女の説明に
わたしは首を捻った。
「えぇ。
様々な本で伝えられてきたのが雷霆です。
『死とは生物に与えられた、
神より賜りし罰である。』と。」
アイリアの言葉にフルリーンは鼻で笑う。
「分水街の貴族ってのは悲観的なのか?」
「あははっ。
アイリアが貴族扱いされてるの
不思議な感じがするね。」
「わたしも同感よ。」
フルリーンが身分を当て擦った意見は、
スーとアイリアが笑って聞け流した。
「原因はなにと考えたのですか?
アイリアは?」
レナタがアイリアの正面に
身を乗り出して訊ねる。
「ソーマは殺された。
それも自分の子供に、です。」
「はぁ?」
疑問と不満に近い声を漏らすフルリーンは、
湧き上がる想像の喜びに困惑している。
長いあいだ祖父の世話係をさせられていた
妾腹の彼女には、思うところが
あったのかもしれない。
「ソーマの子供がソーマを殺した
って考えたのはどうして?」
「根拠はありませんが、
同時代の本には領主の病死や謀殺、
近親者による地位の簒奪行為などの
明確な記録が多数ありますね。」
「自然現象なんかで
納得がいかないってわけだ。」
「北部入植記録では分水街の開拓以降、
記述が曖昧になっています。
他にも東部開拓史には、
娼婦との婚姻で彼の家族と遺産を巡り、
訴訟を起こした裁判記録もあります。」
「そんな話もあったな。」
「サンサの戯曲にも書かれてるんだって。」
「夜の館のサンサね。」
スーの言葉にわたしが付け加えると、
サンサの名前を持つフルリーンは頷いた。
「フルリーンは劇場の席は取った?」
「脚色された歴史にあんま興味ないな。」
「劇場は歴史として観るものでもなくて、
ただの娯楽だってサンサも言ってたよ。」
「話が逸れてますよ。」
不在のサンサに代わってレナタが言う。
「禁足地での事件以降、
これらの伝承の記録はありません。
各地に統治者が現れ、
いまの歴史になりました。」
南の席に座ったレナタは
雷霆の絵を見上げた。
「黒塗りされた伝承…。
あの雷雲が、見るひとに
想像の余地を与えたんですね。」
「えぇ! レナタ、その通りよ!
わたしは目に見えるものだけではなく、
見るひとに想像の喜びを
与えたかったのよ。」
アイリアは両手を固く結び、
その喜びを噛みしめる。
――それなら解除はどこから来たのかしら。
四時で雷霆の100が並べられた後に、
残り手札が2枚の時に00の貝札で打ち消す
解除の由来に、新たな疑問が浮かんだ。
「今日はオーナーからアイリアへ、
お手紙を届けに来たんだよね。」
スーは鞄から手紙を取り出した。
アイリアは小指の伸ばした爪を利用し、
封蝋を剥がして折り重ねた手紙を開く。
「…ルービィはまた。」
中身を一瞥しただけで閉じて、
彼女は呆れたように溜め息を吐く。
「あのひとは、
今度はなにを企んでるのかしら?
教えて貰える?」
「オーナーの本に載せる絵を、
アイリアに描いて欲しいって。
これが本の中身だよ。
絵はこんな感じのね。」
紙の束を取り出してから、
白い布をテーブルに置いた。
「なんだこれ。」
「開くからニクス、そっち広げて。」
「テーブル掛け?」
「あ、それは…。」
レナタが布の意味に気付き、
顔は血色を失っていく
布に描かれた全裸の女が、
長い髪を肩に掛けてソファに寝転がる。
テーブル掛けは半分に切られ、
細長くなっていた。
「これ全て、メノーだね。」
「…はい。」
髪の艶や肌の鮮やかさ、乳房の重量感、
肉体からは熱を発して香りを漂わせた。
お腹周りの肉質などが感じられる絵が、
布の上に木炭で何点も描かれていた。
「こんな絵を、本に?」
「サンサからは
『もし必要なら、
メノーも貸し出すわ。』
って言ってたよ。」
「1点? 本は1冊だけ?」
アイリアは布の絵を凝視して
確認を繰り返す。
「いいえ。
オーナーの工場で写本をして、
売り出す本の全部に
絵をつけて欲しいって。
最初は100冊。絵は10点。」
彼女の顔にあった作り笑顔は消え、
布の絵を見て今度は深く溜め息を吐く。
「無理よ。」
「ダメなら装画だけ描いて、
中の絵は生徒の写しで良いって
サンサが言ってた。」
「こんな絵は描けませんっ。」
アイリアが厳しく言うと首を横に振った。
「いくらサンサのお願いでもね…。」
否定されて動揺するのは
依頼を代理するスーではなく、
絵を描いたレナタの方だった。
「この絵のどこがダメなの?」
レナタに代わり、わたしが訊ねた。
「実物を見て自分なりに
絵に嘘を混ぜて描くのと、
他人の絵を真似るのとは技術が違うわ。
それに、生徒には写本の作り方は、
教えていないわ。」
「あぁ、依頼先を間違えてんだな。
頼むんなら図書館の司書連中だろう。」
フルリーンは言って納得する。
「それに数が問題よ。
同じ絵でもこんな絵は
いくつも描けないわ。」
「絵がダメ?」と、スー。
アイリアは唇を噛み、頷いた。
「これを描いたひとに依頼すべきです。
工房でもここまで描ける子は
限られるわ。」
「こんなの誰が描いたんだ?」
レナタも唇を噛んで黙っている。
「サンサに言われて、
レナタが描かされたんでしょ?」
「あの…。はい。
アイリアにお見せするなんて…。」
「へぇ。
年歳の割にぁ、巧みなもんだなぁ。」
「本当に?」アイリアはレナタを疑う。
「館でレナタほど絵の巧い子は居ないよ。
ずっと館のモザイク画を見て
育ってきたんだからね。」
自慢気にするスーだけれど、
頬を膨らませるレナタを見て付け加えた。
「って、サンサが言ってたよ。」
「サンサが…。
レナタ、この本の絵は、
あなたが描いてみては
いかがかしら?」
「えぇっ?」
「レナタが描いて良いものなの?」
わたしの疑問はスーやフルリーン、
レナタ本人にも分からない。
「同じ絵を何枚も描くのは、
長く訓練しないと厳しいわね。
絵を写す生徒からすれば、
他人の絵を擬えるだけです。」
「絵を写すのは
文字に比べて難しいのね。」
無知なわたしにアイリアが頷く。
「それならアイリアが教えてあげて。
それであなたか、
工房の銘を入れたらいいと思うよ。
その方が売れ行きは伸びそうだもの。」
「数量の問題は解決してないだろ?
訓練してすぐに同じ絵を描けるのか?」
「一人で1,000枚も描けるものなの?」
わたしが訊ねるとレナタも首を横に振る。
「他にも巧いひとに頼んでみるとか?」
スーがテーブルに置かれた手紙を手にして
扇のようにあおぐ。
わたしの腕の中で眠りかけていたイオスが
手紙の音に反応した。
「アイリアにはそんな知り合いが居るか?」
フルリーンの質問に彼女も首を横に振る。
スーの持つ手紙の封蝋が剥がれかけている。
「あっ! スー、それ。ちょっと貸して。」
「これ? はい。読むの?」
「読まないよ…短いね。」
ルービィの手紙の内容は、簡潔な文面で
あまりに短いせいで、手にしただけで
全て読めてしまった。
爪を伸ばすイオスの頭を押さえつける。
「オーナーが『レナタをよろしく』
だって、レナタ。」
わたしは手紙の封蝋を壊さないように
慎重に剥がした。
赤色の封蝋にされたスタンプは、
縁が正六角形をしていて、
二つの円が重なったエンボスになる。
二つの円は南北ある湖を示す、
繍旗の図柄にも見える。
「レナタ、今日は木炭か、
インク瓶は持ってない?」
「ありま…せんでした。」
レナタは今日はドレスを着ていて、
いつものチュニックのポケットに
入れている木炭は持ち歩いていなかった。
日陰の庭であれば、
テーブルの天板下の網棚に
インク瓶も置いてあった。
「木炭ならこっちに入ってるよ。」
「ありがと。」
スーが鞄の中から、
木炭の布包みを取り出した。
「ニクスも絵を描くんですか?」
「描かないわよ。」
包みから木炭を取り出して、
表面を爪で削って粉にする。
レナタが代わりにイオスを抱いた。
「こういう遊び、したことない?」
封蝋の膨らみに木炭の粉を擦り付け、
メノーの絵が描かれた布の隅に押し付けた。
封蝋につけた粉の一部が布に付着して、
曖昧な輪郭が浮かぶ。
「…巧くは写らなかったね。」
わたしの理想の通りにはならない。
冴えない結果に顔を見合わせたスー達。
「書字板の…粘土でやると
もっと明瞭に出るよ?
粘土だと剥がす時に
封蝋が壊れやすいのが難点よね。」
わたしは慌てて取り繕う。
「いや、封蝋で遊んだら
まず叱られるだろう。」
「封蝋は送り主を示すものよ。
子供が触って良いものではないわ。」
フルリーンやアイリアの言葉に、
スーも同意してわたしの行いを非難した。
「絵のスタンプを作るんですか?」
「あっ、スタンプ。
わたしが言いたかったことね。
封蝋と木炭でなくても良いの。
紙に押し当てて出来た溝を
インクで引けば、
同じ絵がわたしにも…
写せられないかな?」
レナタの案に同調したものの、
絵やスタンプを作る技術は
持ち合わせていない。
「スタンプを作るとなったら、
職人が必要になってくるね。」
「いや、もっと簡単だろ。
木で彫ればいいんじゃねえか?」
「フルリーンって作れる?
彫刻刀って持ってる?」
「さっきここの工房で見かけたぞ。
ニスもあったよな?」
「アイリア、ちょっと工房借りるね。」
スーとフルリーンは
自分達の考えを実行する為に、
揃って離宮を飛び出した。
「いまから?」
アイリアとの依頼が途中のまま、
わたし達は取り残されてしまった。
「もぅ、スーってばダメよ。」
ずっと強張っていたレナタが、
代弁するでもなく言ってくれた。
おかげでアイリアも肩の力が抜け、
口を開けて笑ってくれた。
「あははっ。ごめんなさい。
あー、あの子達に緊張して
疲れちゃったわ。
お客さんにお菓子を用意させるわね。」
アイリアが砕けた話し方に変わって、
離宮に残されたわたし達は
顔を見合わせて困惑する。
レナタに抱えられるイオスは、
お菓子という単語に反応して鳴いた。
▶




