
館の北の出口から外へ出ると、
ハーフガンとウントが喧嘩をしていた。

殴りかかるウントを相手に、
ハーフガンは酔っ払いのように
上体を揺らして拳を躱す。
ついでにウントの足を引っ掛け、
背中を押して転倒させた。
厩舎の従業員や花汲みに来た
清浄屋の男達が騒いでいたのに、
サンサの姿を見た途端に静まった。
顎に砂を付けて涙目のウントは、
わたし達に驚いて目を見開いた。
「なにをしてるの?」とサンサが訊ねる。
「グーグスは出掛けるのに、
オレに留守番をさせる
顎髭が悪ぃ。」
ウントがハーフガンの外見を罵倒する。
「オレは悪くねえだろ!
短気を起こすガキが護衛なんて
早いって言ってやってんだよ。」
言い掛かりを続ける二人の子供に、
わたし達は揃って溜め息を吐いた。
「ハーフガン。
あなたに頼んでいることは
子供を守ることよ。
子供を相手に喧嘩してどうするの。
年長者なのだから
模範になる行動をしなさい。」
「叱られてやんの。」
ウントがハーフガンを捓うと
次は彼が叱られる番になる。
「ウントは護衛になるのでしょう?
街で喧嘩をしていたら、
いつまで経っても護衛は務まらないわ。」
「だってよぉ!」
「こいつは護衛の対象じゃねえよ。」
「揃って言い訳はしない。
信用は行動で示すものよ。
男が二人揃って
小娘の背格好をしたサンサに叱られている。
「『明日の自分を想像して、
今日の自分を誇れる行動をしろ。』
ってオーブのおじいが言ってたわね。」
「明日? 今日ぅ?
じゃあよ、昨日はなんだよ。」
ウントが捓い半分に訊ねると、
サンサは冷淡に答えた。
「死を受け入れなさい。」
彼女は冷たい銀の瞳で言い切る。
「…は?」
「過ちを悔やみなさい。
失敗の積み重ねこそ成長への近道よ。
けれど失敗に見返りを求めてはダメよ。
時間というのは相対的なの。」
彼女はまた難しい言葉を使う。
ウントからは捓いの表情が消え、
なにも言い返せずに焦りを見せる。
「グルグス。
あなたも見てないで、
身内同士の喧嘩くらい
割って入って止めなさい。
あなたはウントの指導役でしょう?」
「あぁ…、うぅ。」
スーとレナタの近くに立っていた、
大男のグルグスは返答に詰まる。

巨大な身体なのに、
不思議と彼は小さく見えた。
――ウントと同じでサンサが怖いのかしら。
大陸人で獣のように獰猛かと思えた彼も
人間らしく上下関係に弱さを見せる。
「ディーゴは…、
なにか言うだけ無駄な気がするわね。
どうせあなたが
ウントを煽ったんでしょ。」
「おぉー。」
グルグスの隣に立っている
同じ濃い肌をした護衛、ディーゴという
赤土色の髪で長身の男は
感心して手を打ち喜ぶ。

「お待ちしてました。」とレナタが言った。
彼女はストロー帽を被り、
例のドレスを着ていた。

繁茂した髪は切って整えられ、
後ろに伸びた銀の髪を
二つに結んでいた。
従業員達と同じ
淡いピンク色のリボンが銀髪に似合う。
――お粧しが必要な相手なのかしら。
「あぁ、美人がお粧ししてるのね。」
「えっ…、どうしてそんな
酷いこと言うんですか?」
わたしの褒め言葉にレナタは驚き嘆く。
「ニクス、それは意地悪な言い回しだよ。」
スーはレナタの隣で鞄を抱えていた。
「えっ! 知らなかった…。
ごめん、レナタ。
ちゃんと似合ってるって言いたかったの。
サンサが以前使ってたから、
褒め言葉だと思って…。」
思い返せばサンサが言ったのは、
レナタが頭に乗せていた鶏の羽根を
取り払った時だった。
「自分の失言をわたしのせいにするの?」
「えぇ…だって事実だよ。
こんなおかしな言い回しするひと
サンサしかいないもの。」
わたしが言うとスーも頷く。
「ニクスはスーに似てきたのよ。」
「えぇー。言い掛かりだよ。」
スーが抗議して
サンサの抱えるアルの額を撫でた。
「サンサ、メノーは?
大丈夫なんですか?」
「おかしな病気ではないし
運動不足なだけよ。
いまごろ家で踊って
汗でも掻いてるわよ。
会ったらレナが寂しがってた
と伝えておくわね。」
「そんな子供みたいに言ってません。
早く良くなって欲しいだけです。」
1番部屋のメノーが休みに入り、
館に届けられる手紙の量は減った。
認証管理の仕事をするファウナは、
できた余暇で通いの商人から
買い集めた趣味の本を読んでいた。
休養日に開かれる勉強会も無く、
わたしは再開を待ち望んでいた。
レナタと同じ思いで共に首を縦に振ると、
サンサがわたしに目配りをした。
「無駄話はこのくらいにして、
早く行かないとアイリアに嫌われるわよ。
良い報告を期待しているわね。」
「うぅ…。」言葉にならないレナタ。
「普段通りで居れば心配いらないわ。
ニクスとスーがおかしなことを
しないように見張っておいてね。」
「…しないよ。」と、わたし。
「失礼だよねぇ。」スーも同意する。
「あなたが一番心配なのよ。」
「どうしてさぁ!」
不満を顕わにするスーは、
サンサに背中を押されて追い出された。
◆
わたし達は馬車も使わず、
歩いてアイリアの館に向かった。
護衛のディーゴを先頭に、スー、
わたしとレナタ、最後尾をグルグスが歩く。
「イオスも一緒なんだね。」
スーに指摘されるまで、
抱いていたイオスを忘れていた。
「嫌がられるかな?」
「粗相をしなければ、
アイリアも気にしないと思うよ。」
スーの言葉にイオスが鳴いた。
「街の東側は古い建物が多くあってね。
市場ほどは見て楽しめる所はないけど、
元老院議事堂、講堂、それと裁判所。
大人が集まる場所が多いかな?
南に近いと公共広場、美術館、
練兵場、兵器廠舎、それと銀行だね。
兵器廠舎の周囲は工房も多いから、
そっちはまだ趣深いよね。」
「スーは髪を編まないの?」
金色の長髪を後頭部で結っただけの髪型は、
普段スーが館で過ごす時と同じもの。
彫刻刀を持って出掛けた日は
三つ編みにして束ねていた。
「この前はアイリアの工房を借りるから、
お粧ししたんだよ。
今日の主役はレナタだもん。」
「アイリアというひとは、
マルフと婚姻を結んでるんだよね?」
「あれ? 言ってなかったかな。
レナタ、大丈夫?」
「大丈夫…。大丈夫。」
自分に言い聞かせるように呟くレナタ。
彼女の顔は血色を失って、
わたしの腕を抱いて小さな身体を
強張らせているので歩き難い。
イオスは肩に前足を伸ばして、
わたし達の髪で遊ぼうとする。
ファウナを真似して、
イオスの顔に息を吹きかけて叱ってみた。
イオスは驚き、目を見開いて止まった。
髪を結う金赤色の紐で、
ファウナが作った首輪をしているイオス。
レナタのピンク色のリボンの下には、
わたし達と同じ金赤色の紐で結んでいた。
わたしの視線に気付いた彼女は、
結んだ髪を摘んで見せて微笑する。
前を歩くディーゴが足を止めた。
「着いたよ。」と、スー。
「本当に近かったね。」
夜の館からアイリアの館は、
赤土の丘を北に下って
すぐの所にあった。

通常、邸宅の玄関は北側にある。
夜の館は玄関が南側にあり、
来館者が北側の出口に移動することで
お客さん同士の接触を避ける、
合理的な仕組みを採用している。
スーは扉の前の小段に走って跳び乗った。
扉に付いた円形をした鉄の輪を、
固定された鉄の玉に叩きつけて音を立てる。
叩き金になっている鉄の輪は
甲虫の背中のように3分割され、
門扉に掲げられた繍旗と同じく
分水街の防壁と川を示す。
「カヴァの叩き金は蹄鉄らしいね。」
叩き金は来訪を知らせる道具。
古代では裕福な館の主が、
浮浪者などの予定外の来訪を嫌って
扉の前に重い鎖で奴隷を繋いでいた。
来客を知らせる奴隷が寝ていた場合、
鎖や棒で奴隷を叩き起こしたのが
叩き金の起源とされる。
扉の高い位置に備え付けられた小窓から
護衛が顔を出して、また小窓が閉じられた。
「カヴァは蹄鉄を流用してるの?」
「外れ落ちた蹄鉄には
お守りの意味があるんだって。
カヴァの繍旗と同じ図柄だもんね。
飾れば国が守ってくれる、ってね。」
「所属や国家への帰属意識、
王への忠誠を示すんだね。」
ネルタでは祈りがそれに該当する。
「そこまでは考えてないと思うよ。
安くも高くもない上に、
使い勝手が良いから普及したんだよ。
捨てるものにも価値はある
って言うもんね。」
そんな会話をしていると、
褐色の髪に白髪交じりの初老の女が
扉を開けて息を切らして出てきた。
「こんにちは、マーリャ。
アイリアに会う予定だったのだけど
遅くなってしまったかしら。」
「すみません、お嬢様。」
「スーでいいよ。」
「お待たせいたしました。
それがその…。」
マーリャと呼ばれた使用人は
背中の曲がった姿勢で深く頭を下げ、
何度か謝りながら言葉を濁す。

護衛のグルグスとディーゴとは玄関で別れ、
スーがマーリャに頼んだおかげでわたしは
イオスと共に館に入ることが許された。
イオスを廊下に降ろしても
右腕にイオスの感覚が残る。
緊張するレナタは腕を離してくれない。
「夫人はいま急な来客の
対応をされてまして…。」
「それなら終わるまで
離宮で待っているわ。
夕暮れの鐘が鳴る前になったら
日を改めるから。
そのように伝えてくれる?」
「分かりました。」
マーリャはまた深く頭を下げ、
わたし達も頭を下げた。
「さぁ、行こっか。
いまなら入植十二画が見放題だよ!」
スーが声を弾ませて呼び掛けると
レナタが表情を明るくし、
わたしの腕を引いた。
「ニクスも行きましょう。」
「待って! レナタ。」
急に走って躓いた彼女を支え上げ、
笑い合ってから一緒に緑の庭を歩く。
彼女の感情の変化はとても目紛るしい。
「あの木はなにか分かりますか?」
庭には高く伸びた形の変わった木が
1本だけ妙な場所に植えられて、
木の先にだけ葉が広がっていた。
「マルフ総督が植えたんだって。
ペタでなくても育つんだね。」
「あ、扇が付いているわ。」
目を細めて先を眺めると
木の先に生えている葉は、
部屋の空気を入れ替える時に使う
まだ緑色をした扇の葉だった。
扇として使うには
葉を重ねて切り揃えなければならず、
伸びた葉が大きく広がっている。

「正解です。」
「扇ってこんな木だったのね。」
建物の屋根より高い木の先を見上げる。
高地で寒冷なネルタでは扇の木は育たず、
扇は王にのみ使われる道具とされていた。
使用時期も夏に限られて、
ネルタでは実物の扇も見る機会はなかった。
普段から何気なく使っている館の道具を、
こうして生活の景色の中で見かけると、
サンサの言う通り知識は本だけでは
得られないことを実感させられる。
「産地がペタと同じだから、
ナショーみたいな草で
地面から生えてるんだと思ってたわ。」
「…え? ナショーって草なんですか?」
「あそこに生えてるのがナショーだよ。」
「わたしも初めて見たわ。」
言って驚いて見せるとレナタが喜ぶ。
濃い緑色をした植物は
長く広い葉を四方に伸ばし、
グルグスよりも巨大に見える。
「ナショーにとってはこの街でも寒いから、
果実が大きくならないそうだよ。」
「分水街は暑いくらいなのにね。」
「早く中に入りましょうっ。」
レナタの興奮はすぐには止まない。
◆
円柱状の離宮に半球形の屋根。
白亜に塗られた外壁には窓も無く、
両開きの扉から中に入ると
屋内は光で溢れていた。
「明るい。ランタン要らずね。」
室内にはいくつかの燭台はあっても、
昼間ということもあって灯されていない。
「柱の裏に鏡が入ってるんだよ。」
天井の窓から入る光が
建物を支える柱の内部で反射して、
壁全面に飾られた壁画を柔らかく照らす。
室内の中央には6人掛けの円形テーブル。
テーブルの天板には日陰の庭と同じく、
分水街の地図が石で描かれている。
巨大な壁のモザイク画。
天井に近い上部に描かれた
人物の顔や景色を明るく照らし、
暗い下部には獣や鳥、お魚の姿があった。
「ニクス、気付きましたか?
この絵はソーマの生涯を
描いてるんですよ?」
「指導者ソーマね。」
四時という札遊びを作った人物で、
図書館の石像、指導者であり裁判官。
他にも各地にソーマが存在するという。
わたしの読んでいる『ゼズ島冒険記』にも、
エルテル領の開拓者の姿が書かれている。
図書館で見た石像のソーマは複数あって、
似た顔はそれぞれに勇ましく
荒々しい所感だった。
モザイク画で描かれた平面のソーマは、
彩られた石から肉質と体温を感じ、
1枚1枚が別人のような所感を与える。
「指導者ソーマはこの島を見つけ、
各地を開拓したひとなんですよ。」
レナタはまたわたしの腕を引き、
12枚ある絵の一つを指示する。
「こちらが洞窟から島に入った
船長のソーマですね。」
暗闇に一点の光が広がり、
荷袋を背中に担いで
桟橋に立つソーマを照らす。
――船長なのね。
肉体労働者ではなくて。
人物の輪郭しか浮かばない絵の中にも、
大小様々な船と働く人々の生活が見える。
「レナタ。この絵はなにかしら?」
隣に連なる画には雪を被る山脈が続く。
絵の下側には穴がいくつも描かれていた。
――ネルタの南に聳える天蓋山の絵なら、
山頂に雲を戴く独立峰のはずよね。
本の知識で予想はついても
楽しんで語るレナタが見たくて、
わたしは彼女に絵の説明を求めた。
「ゼズ山脈ですよ。
分水街からは北にありますが、
洞窟港からは南のすぐ目の前が
この山脈なんです。」
「ゼズ山脈の反対側が描かれてるのね。」
ゼズ山脈はこの街の北にあって、
ネルタの湖から流れる川は東西に分かれる。
分水街から洞窟港への道は
東のエルテル領へ下り、
麓のメルセ領を経由して
山脈を迂回しなければならない。
絵の中にある山脈の下側には、
正六角形の石が敷き詰められていた。
「『暗闇に差し込む光を拒む山脈。』
っていう詩があるね。」
ソーマが詠んだとされる
ゼズ山脈の詩をスーが歌った。
北の洞窟港から山脈の麓には川が流れ、
ソーマは東を目指して斜面を上ると
視界には緑が広がった。
冒険記に書かれていた景色が
そのまま壁に描かれている。
「これはエルテル領ね。」
「開拓者のソーマですね。」
白や黒、赤、褐色の獣達が波を作り、
杖を掲げた男の姿が黄金の床を歩く。
ソーマの着ているキャシュクの裾は長い。
獣達の波の上に犬が走り、
牛や羊の群れを誘導していた。
黄金の床の絵は
パンの原料になるブレズの穂。

「開拓時代を描いてるからね。」
スーが言う。
燭台を持つソーマはメルセ領。
弓を引くソーマはオーブ領の射手。
本を読むソーマは分水街の裁判官。
剣を掲げるソーマはカヴァの王になる。
各領地、国が描かれている。
かれらの足元では牛が土を起こし、
羊が草を食み、馬が野を駆け、
兎が雪原に佇む。
レナタの解説を楽しみ、
スーが時折補足してくれた。
ここにある12枚の絵の中にわたしの故郷、
南に位置するネルタの姿は存在しなかった。
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