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金貨の娘  作者: 美穂
第6章 暗晦の道(前)

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第6章 第2節 金銀の硬貨(第1項)

「ニクスぅ。暇(ひま)だよぉ。


 構(かま)ってぇ。ニック、スースぅ。」



――スースはあなたの名(な)前(まえ)よ。



スーは日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)のテーブルに手(て)を伸(の)ばし、

わたしの名(な)前(まえ)に自(じ)分(ぶん)の名(な)前(まえ)を混(ま)ぜて

言(こと)葉(ば)遊(あそ)びを始(はじ)めた。



挿絵(By みてみん)



天(てん)蓋(がい)の日(ひ)陰(かげ)の中(なか)で暇(ひま)を持(も)て余(あま)す彼(かの)女(じょ)は、

金(こん)色(じき)に輝(かがや)く自(じ)分(ぶん)の髪(かみ)を編(あ)んでは解(ほど)き、

落(お)ち着(つ)きのない子(こ)供(ども)になる。



彼(かの)女(じょ)が足(あし)を揺(ゆ)する度(たび)にテーブルが揺(ゆ)れた。



サンサという主(あるじ)の居(い)ない日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)。



今日(きょう)は来(らい)客(きゃく)の予(よ)定(てい)もない。



「ニクスはどこか、

 行(い)きたいところってない?」



「エルテルの服(ふく)が届(とど)くから、

 今日(きょう)は待(たい)機(き)だって言(い)ってたよね。」



帯(おび)紐(ひも)に付(つ)けた青(せい)銅(どう)の鍵(かぎ)を取(と)り外(はず)して、

テーブルの上(うえ)に置(お)いて見(み)せる。



挿絵(By みてみん)



休(きゅう)養(よう)日(び)の今日(きょう)は勉(べん)強(きょう)会(かい)もないけれど、

エルテル領(りょう)からの荷(に)物(もつ)の受(う)け取(と)りがあり、

外(がい)出(しゅつ)もせずに庭(にわ)で過(す)ごすことを決(き)めた。



命(めい)令(れい)されたわけでもないわたしは

普(ふ)段(だん)通(どお)り仕(し)事(ごと)も与(あた)えられず、

今日(きょう)も本(ほん)を読(よ)んで書(しょ)字(じ)板(ばん)に写(うつ)す。



部屋(へや)で本(ほん)を読(よ)むよりも

日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)の方(ほう)が風(かぜ)通(とお)しが良(よ)くて

日(にっ)中(ちゅう)は過(す)ごしやすい。



分(ぶん)水(すい)街(がい)の暑(あつ)さにも少(すこ)しは慣(な)れてきた。



スタイラスで削(けず)った書(しょ)字(じ)板(ばん)は、

わたしの知(し)らなかった言(こと)葉(ば)で埋(う)まっていく。



挿絵(By みてみん)



本(ほん)を目(め)で見(み)て、読(よ)み上(あ)げ、聴(き)き、

書(か)く動(どう)作(さ)を繰(く)り返(かえ)し行(おこな)えば、

難(むずか)しい内(ない)容(よう)の本(ほん)でも身体(からだ)が覚(おぼ)えやすい。



庭(にわ)に居(い)ると視(し)界(かい)には鳥(とり)が目(め)に入(はい)り、

囀(さえず)りがわたしの耳(みみ)を擽(くすぐ)った。



「エルテルは隣(となり)でも遠(とお)いんだし、

 予(よ)定(てい)通(どお)りには着(つ)かないよ。」



「不(ふ)誠(せい)実(じつ)だよ、それ。」



以(い)前(ぜん)、サンサに放(はな)った言(こと)葉(ば)を

わたしはスーにも放(はな)っていた。



「だって荷(に)物(もつ)の受(う)け取(と)り程(てい)度(ど)なら

 従(じゅう)業(ぎょう)員(いん)の誰(だれ)でもできるからね。


 ニクスの持(も)ってる衣(い)装(しょう)室(しつ)の鍵(かぎ)は、

 特(とく)別(べつ)な権(けん)能(のう)ではないんだよ。」



この鍵(かぎ)はサンサから責(せき)任(にん)ごと

押(お)し付(つ)けられた物(もの)に過(す)ぎず、

仕(し)事(ごと)のできないフランジのわたしが、

鍵(かぎ)の一(ひと)つで特(とく)別(べつ)になるはずはなかった。



鍵(かぎ)を吊(つ)り下(さ)げただけのわたしは、

自(じ)分(ぶん)がこの館(やかた)に居(い)ることの意(い)味(み)を

勘(かん)違(ちが)いをしていた。



「さっきから難(むずか)しそうな顔(かお)してるけど、

 その本(ほん)、ページが進(すす)んでないよ。」



「…読(よ)めてはいるよ。」



わたしは朝(あさ)からずっと、

ファウナに借(か)りた本(ほん)を読(よ)んでいる。



ファウナの説(せつ)明(めい)では、

遥(はる)か西(にし)の大(たい)陸(りく)からこの島(しま)に

やってきたひとの活(かつ)躍(やく)が描(えが)かれた本(ほん)らしい。



彼(かの)女(じょ)は本(ほん)の内(ない)容(よう)を教(おし)えてくれない。



本(ほん)は島(しま)の文(も)字(じ)で書(か)かれているのに、

知(し)らない定(てい)型(けい)表(ひょう)現(げん)や不(ふ)明(めい)な引(いん)用(よう)が多(おお)い。



書(しょ)字(じ)板(ばん)に書(か)いては、意(い)味(み)に首(くび)を捻(ひね)る。



何(なん)度(ど)読(よ)み返(かえ)しても意(い)味(み)が通(とお)らず、

別(べつ)の言(げん)語(ご)のようで読(よ)み進(すす)められない。



メノーから渡(わた)された難(なん)解(かい)な医(い)学(がく)書(しょ)は、

人(じん)体(たい)の構(こう)造(ぞう)から機(き)能(のう)、症(しょう)状(じょう)などを記(き)憶(おく)して

解(かい)読(どく)していく工(こう)程(てい)も楽(たの)しめたので

まだ読(よ)みやすかった。



「いま、どこまで読(よ)んだの?」



「みんなで船(ふね)を作(つく)って、

 海(うみ)に出(で)たばかりだよ。」



自(じ)分(ぶん)で思(おも)った以(い)上(じょう)に進(すす)んでいなかった。



「『ゼズ島(とう)冒(ぼう)険(けん)記(き)』だよね。


 サンサが図(と)書(しょ)館(かん)から買(か)い取(と)った写(しゃ)本(ほん)かな。


 ファウナが試(ため)しに勧(すす)めてくる本(ほん)は、

 表(ひょう)現(げん)が堅(かた)くて難(むずか)しい内(ない)容(よう)が多(おお)いよ。


 冒(ぼう)険(けん)記(き)はお客(きゃく)さんも好(この)んで読(よ)む本(ほん)だけど、

 原(げん)語(ご)の本(ほん)よりは難(むずか)しいかもね。


 まだエンカー半(はん)島(とう)を出(で)る場(ば)面(めん)なら、

 そんなに読(よ)めてないね。」



スーの言(い)った通(とお)りで、

わたしは首(くび)を縦(たて)に振(ふ)った。



「それに結(けつ)末(まつ)に突(とっ)飛(ぴ)な描(びょう)写(しゃ)もあるから、

 難(むずか)しい顔(かお)して歴(れき)史(し)書(しょ)のつもりで読(よ)むより、

 創(そう)作(さく)物(ぶつ)として気(き)楽(らく)に読(よ)んだ方(ほう)が楽(たの)しいよ。


 書(か)いたひとは神(しん)話(わ)にしたかったのかな。


 読(よ)むのが難(むずか)しいのなら、図(と)書(しょ)館(かん)に行(い)けば

 もっとニクス向(む)けの本(ほん)もあると思(おも)うよ。」



彼(かの)女(じょ)はテーブルの上(うえ)に身(み)を乗(の)り出(だ)して

わたしを見(み)た。



「ニクスは四(しい)時(じ)の覚(おぼ)えも早(はや)いし、

 豪(ごう)胆(たん)だから賭(か)けにも巧(うま)く勝(か)てそうだよね。


 競(けい)馬(ば)には興(きょう)味(み)ある?」



スーはテーブルを指(ゆび)先(さき)で弾(はじ)く。



「競(けい)馬(ば)って?」



「馬(うま)に乗(の)って速(はや)さや

 乗(じょう)馬(ば)の技(ぎ)術(じゅつ)を競(きそ)うんだよ。


 川(かわ)の向(む)こうに競(けい)馬(ば)場(じょう)があるんだよ。」



「馬(うま)に? 本(ほん)物(もの)は乗(の)ったことないよ。」



分(ぶん)水(すい)街(がい)には馬(ば)車(しゃ)が多(おお)く走(はし)っている。



ネルタの塔(とう)で暮(く)らしていた頃(ころ)は、

馬(うま)よりも小(ちい)さな驢馬(ろば)を見(み)かけた。



輓(ばん)獣(じゅう)や駄(だ)獣(じゅう)よりも、狩(しゅ)猟(りょう)を行(おこな)う為(ため)に

犬(いぬ)を飼(か)って連(つ)れているひとを多(おお)く見(み)かけた。



「競(けい)馬(ば)場(じょう)に行(い)っても

 馬(うま)には乗(の)せてはくれないんだよ。


 私(わたし)も女(おんな)だからって理(り)由(ゆう)で、

 馬(うま)には乗(の)せてくれなかったな。


 サンサは乗(じょう)馬(ば)の経(けい)験(けん)があるんだって。


 もちろん木(こ)挽(び)き台(だい)じゃなくて本(ほん)物(もの)だよ?」



「へぇ。片(かた)腕(うで)で乗(の)れるのかな?


 サンサってあれで器(き)用(よう)だよね。」



「私(わたし)は馬(ば)肉(にく)なら食(た)べたことあるよ。


 いまから馬(うま)の本(ほん)、探(さが)してみる?」



「なにと対(たい)抗(こう)してるの?


 本(ほん)を探(さが)す前(まえ)に、片(かた)付(づ)けが必(ひつ)要(よう)になるから

 倉(そう)庫(こ)には行(い)かないよ。」



腕(うで)を上(あ)げてサンサの倉(そう)庫(こ)を指(し)示(じ)するので、

わたしはガラクタの片(かた)付(づ)けを拒(きょ)否(ひ)した。



「闘(とう)技(ぎ)場(じょう)は? 行(い)ったことある?」



今(こん)度(ど)はサンサの席(せき)の方(ほう)に腕(うで)を伸(の)ばし、

指(ゆび)先(さき)でテーブルをまた弾(はじ)く。



「まぁ、ないよね。


 あそこは男(おとこ)のひとしか見(み)ないもんね。


 あ、ミュパは今日(きょう)も、

 お客(きゃく)さんと行(い)ってるんだって。」



4番(ばん)部屋(べや)のミュパは

濃(こ)い肌(はだ)に金(きん)髪(ぱつ)のドレイプで、

舞(ぶ)踏(とう)室(しつ)で酔(よ)って寝(ね)ていたり、

勉(べん)強(きょう)会(かい)にもよく来(き)る騒(さわ)がしいひと。



挿絵(By みてみん)



彼(かの)女(じょ)の言(げん)動(どう)に振(ふ)り回(まわ)されて、

ドレイプのレデとジールの姉(し)妹(まい)や、

ミュパの手伝(てつだ)い役(やく)でフランジの

テミニンがよく苦(く)労(ろう)している。



挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)



彼(かの)女(じょ)には戒(いまし)めのミュパという

不(ふ)名(めい)誉(よ)な二(ふた)つ名(な)が与(あた)えられていた。



「ねぇ、劇(げき)場(じょう)って。

 なにかあるの?」



サンサは劇(げき)場(じょう)を持(も)っていて、

総(そう)督(とく)のマルフが彼(かの)女(じょ)の権(けん)利(り)を狙(ねら)っている。



「毎(まい)年(とし)、冬(ふゆ)前(まえ)の収(しゅう)穫(かく)祭(さい)に

 サンサが書いた戯(ぎ)曲(きょく)の公(こう)演(えん)があるんだよ。


 私(わたし)はまだ行(い)ったことがないけどね。」



彼(かの)女(じょ)の声(こえ)がさっきより低(ひく)くなって、

気(き)持(も)ちが沈(しず)んで聞(き)こえた。



スーは本(ほん)を読(よ)むわたしの前(まえ)で、

テーブルを何(なん)度(ど)か指(ゆび)先(さき)で弾(はじ)いている。



「あれ? ここ? これって地(ち)図(ず)?」



扇(おうぎ)状(じょう)の赤(あか)色(いろ)の石(いし)が劇(げき)場(じょう)、

近(ちか)くに並(なら)べられた円(えん)形(けい)が闘(とう)技(ぎ)場(じょう)だった。



挿絵(By みてみん)



「このテーブルは

 この街(まち)の地(ち)図(ず)になってるんだよ。


 ここに日(ひ)時計(どけい)島(とう)もあるよ。」



「気(き)付(づ)かなかった…。」



テーブルの青(あお)色(いろ)の石(いし)は

ただの仕(し)切(き)りの模(も)様(よう)ではなく、

街(まち)を3分(ぶん)割(かつ)する川(かわ)を描(えが)く。



「繍(しゅう)旗(き)もこの街(まち)の形(かたち)から来(き)てるんだよ?」



「あれも?」



甲(こう)虫(ちゅう)の背(せ)中(なか)らしき図(ず)柄(がら)の繍(しゅう)旗(き)が、

夜(よる)の館(やかた)の玄(げん)関(かん)に掲(かか)げられていた。



挿絵(By みてみん)



「ここが赤(あか)土(つち)の丘(おか)、夜(よる)の館(やかた)ね。


 ちょっと北(ほく)西(せい)に行(い)くとオーナーの館(やかた)。


 館(やかた)から東(ひがし)に行(い)くとマルフ総(そう)督(とく)の館(やかた)。


 火(か)葬(そう)場(ば)が南(みなみ)の壁(かべ)際(ぎわ)で、

 館(やかた)との真(ま)ん中(なか)あたりが病(びょう)院(いん)かな。」



スーがテーブルを指で示していく。



「そっちにある長(なが)いのが競(けい)馬(ば)場(じょう)ね。」



「これが競(けい)馬(ば)場(じょう)?」



わたしの右(みぎ)手(て)に

並(なら)べた石(いし)がで長(なが)い 線(せん)を描(か)く

施(し)設(せつ)が浮(う)かんで見(み)える。



「それは偽(にせ)の競(けい)馬(ば)場(じょう)。」



「偽(にせ)?」



彼(かの)女(じょ)は左(ひだり)手(て)を伸(の)ばして

2本(ほん)の指(ゆび)を交(こう)互(ご)に動(うご)かし、

太(ふと)く丸(まる)い競(けい)馬(ば)場(じょう)と細(ほそ)長(なが)い競(けい)馬(ば)場(じょう)を指(し)示(じ)した。



挿絵(By みてみん)



「こっちが本(ほん)物(もの)の競(けい)馬(ば)場(じょう)。


 馬(うま)達(たち)が場(じょう)内(ない)を周(しゅう)回(かい)して競(きょう)争(そう)する所(ところ)だよ。


 お客(きゃく)さんは足(あし)の速(はや)い馬(うま)の

 順(じゅん)番(ばん)を予(よ)想(そう)してお金(かね)を賭(か)ける。


 速(はや)い馬(うま)を持(も)ってる資(し)産(さん)家(か)は、

 賞(しょう)金(きん)とこの街(まち)での名(めい)誉(よ)を得られる。


 この真(ま)ん中(なか)の場(ば)所(しょ)は、

 馬(うま)が障(しょう)害(がい)物(ぶつ)を跳(と)び越(こ)える馬(ば)術(じゅつ)と

 速(はや)さを競(きそ)うのに利(り)用(よう)するよ。」



「偽(にせ)の方(ほう)は? 周(しゅう)回(かい)できるの?」



「偽(にせ)の競(けい)馬(ば)場(じょう)はこの直(ちょく)線(せん)を走(はし)るだけだね。

 土(と)地(ち)が狭(せま)いから。


 そんなだから止(と)まれずに、

 よく事(じ)故(こ)に遭(あ)うんだって。


 本(ほん)物(もの)の競(けい)馬(ば)場(じょう)と同(おな)じで、

 お客(きゃく)さんが速(はや)い馬(うま)の順(じゅん)番(ばん)を、

 予(よ)想(そう)してお金(かね)を賭(か)けるんだけどね。」



彼(かの)女(じょ)の含(ふく)みのある言(い)い方(かた)に

わたしも首(くび)を捻(ひね)る。



「馬(うま)に乗(の)るひとが示(しめ)し合(あ)わせしてるから、

 興(こう)行(ぎょう)主(しゅ)と馬(うま)を持(も)ってる資(し)産(さん)家(か)だけが

 儲(もう)かる仕(し)組(く)みなんだよ。」



「詐(さ)欺(ぎ)だね…。」



「偽(にせ)の競(けい)馬(ば)でお金(かね)を使(つか)い果(は)たしたひとは

 高(こう)利(り)貸(が)しからお金(かね)を借(か)りて、

 また偽(にせ)の競(けい)馬(ば)にお金(かね)を注(つ)ぎ込(こ)むんだって。


 示(しめ)し合(あ)わせには気(き)付(づ)いてるけど、

 その通(とお)りにやれば勝(か)つ側(がわ)になれる

 と信(しん)じて騙(だま)されるんだってね。


 そこの興(こう)行(ぎょう)主(しゅ)がユヴィルで、

 彼(かれ)は高(こう)利(り)貸(が)しもやってるんだよ。」



「ユヴィル…闇(やみ)の館(やかた)のひと?」



彼(かれ)の名(な)前(まえ)は何(なん)度(ど)か耳(みみ)にした。



「うん。まぁ、あれは

 西(にし)側(がわ)の代(だい)表(ひょう)みたいなひとだね。」



「それって、マルフと

 同(おな)じ立(たち)場(ば)のひとになるの?」



「思(し)想(そう)の異(こと)なる対(たい)立(りつ)組(そ)織(しき)だね。


 ん? グルグスだ。


 お客(きゃく)さん?」



護(ご)衛(えい)のグルグスが館(やかた)に入(はい)ってきた。



挿絵(By みてみん)



庭(てい)園(えん)に来(らい)客(きゃく)を知(し)らせるハンドベルを、

グルグスは不(ぶ)器(き)用(よう)に叩(たた)きつける。



護(ご)衛(えい)が庭(にわ)にまで入(はい)ってくる時(とき)は

サンサへの来(らい)客(きゃく)に限(かぎ)る。



「見(み)たことないひとだね。」スーが言(い)った。



黒(くろ)い服(ふく)の女(おんな)も入(はい)ってきた。



彼(かの)女(じょ)の手(て)には箱(はこ)型(がた)の旅(りょ)行(こう)鞄(かばん)が、

棒(ぼう)で取(と)り付(つ)けられて足(あし)元(もと)に引(ひ)き摺(ず)っている。



挿絵(By みてみん)



立(た)てた鞄(かばん)の底(てい)面(めん)には車(しゃ)輪(りん)があり、

地(じ)面(めん)を擦(こす)ることなく転(ころ)がる変(か)わった仕(し)組(く)み。



日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)に入(はい)ってくると、

大(おお)男(おとこ)のグルグスと並(なら)んでも、

身(しん)長(ちょう)に差(さ)は無(な)くて背(せ)が高(たか)い。



挿絵(By みてみん)



銀(ぎん)色(いろ)の長(ちょう)髪(はつ)を片(かた)側(がわ)に分(わ)け、

裾(すそ)の短(みじか)い黒(くろ)のキャシュクには

黒(くろ)のスラックスを履(は)いた黒(くろ)装(しょう)束(ぞく)姿(すがた)。



足(あし)首(くび)まである靴(くつ)には泥(どろ)が乾(かわ)いたままで、

ドレイプの客(きゃく)ではないことが分(わ)かる。



――エルテルから服(ふく)を運(はこ)んで来(き)たのかしら。



――でもオーブの黒(くろ)装(しょう)束(ぞく)よね?



わたしをこの館(やかた)まで連(つ)れてきた獣(けもの)の男(おとこ)、

ラッガと呼(よ)ばれたひとの服(ふく)装(そう)に似(に)ている。



夜(よる)の館(やかた)の来(らい)客(きゃく)ではまず見(み)ない格(かっ)好(こう)で、

帯(おび)布(ぬの)の上(うえ)には革(かわ)製(せい)の帯(おび)紐(ひも)を巻(ま)いていた。



女(おんな)はサンサと同(おな)じ、

銀(ぎん)の糸(いと)で編(あ)まれた飾(しょく)緒(しょ)を

胸(むな)元(もと)に渡(わた)らせている。



飾(しょく)緒(しょ)は身(み)分(ぶん)の高(たか)さを示(しめ)している。



「グルグス、そちらは?」と、スー。



「サンサっての、どっち?」と、女(おんな)。



「の、お客(きゃく)さん、だ。」と、グルグス。



会(かい)話(わ)が織(お)れていない。



「サンサは居(い)ませんよ。


 グルグス、サンサ達(たち)は

 今朝(けさ)出(で)掛(か)けたよね。」



「んだ、でも。

 侵(しん)入(にゅう)者(しゃ)おったでな。」



「あぁ、またなにか

 引(ひ)っ掛(か)かってたんだね。」



今朝(けさ)、侵(しん)入(にゅう)者(しゃ)が塀(へい)の先(さき)に設(せっ)置(ち)された

鉄(てつ)の棘(とげ)で死(し)んでいた。



その死(し)体(たい)を啄(ついば)む鷹(たか)に、

獲(え)物(もの)を横(よこ)取(ど)りされた烏(からす)が

群(むら)がって騒(さわ)いで抗(こう)議(ぎ)していた。



挿絵(By みてみん)



「だら?」グルグスが同(どう)意(い)を求(もと)める。



「『だら』ではなくて『だろう』ね。


 あなたはサンサのお知(し)り合(あ)い?

 オーブのひとですよね?」



「名(な)前(まえ)は知(し)ってるはずだが、

 紹(しょう)介(かい)はまだだな。


 あたしの名(な)前(まえ)はフルリーン。」



「フルリーン? って、あの馬(うま)の?」



「あぁ、馬(うま)のひとかぁ。」



スーも気(き)付(づ)いた。



「馬(うま)ぁ?

 あぁ、一人(ひとり)乗(の)りの車(くるま)を改(かい)造(ぞう)した

 木(こ)挽(び)き台(だい)のやつの話(はなし)か。


 手(て)紙(がみ)にあったニクスって人(じん)物(ぶつ)に、

 こいつを届(とど)けに来(き)たんだよ。」



「わたしに?」



彼(かの)女(じょ)は鞄(かばん)の中(なか)から

シルクで出(で)来(き)た赤(あか)い布(ぬの)を取(と)り出(だ)した。



わたしはそれを見(み)て、

帯(おび)紐(ひも)に吊(つ)るした衣(い)装(しょう)室(しつ)の鍵(かぎ)に触(ふ)れる。




 ◆



挿絵(By みてみん)



サンサのガラクタ倉(そう)庫(こ)、

玉(たま)石(いし)の庭(にわ)の北(きた)にある書(しょ)室(しつ)に、

わたしはフルリーンを案(あん)内(ない)した。



扉(とびら)を開(あ)けると目(め)の前(まえ)には、

サンサが扇(せん)風(ぷう)機(き)と名(な)付(づ)けた馬(うま)が

部屋(へや)への侵(しん)入(にゅう)を拒(こば)む。



壊(こわ)れた扇(せん)風(ぷう)機(き)を

グルグスが無(む)理(り)に押(お)し込(こ)んだ跡(あと)が窺(うかが)える。



「これか?」フルリーンが指(し)示(じ)する。



「それですよ。」スーが頷(うなず)いた。



フルリーンは軽(かる)々(がる)と引(ひ)っ張(ぱ)り出(だ)して、

扇(せん)風(ぷう)機(き)を玉(たま)石(いし)の庭(にわ)に置(お)く。



挿絵(By みてみん)



「折(お)れてるぞ。」



歯(は)車(ぐるま)から伸(の)びた曲軸(クランク)は

ハーフガンに踏(ふ)み折(お)られた。



「ニクスが使(つか)ってから、

 踏(ふ)み蹴(け)って折(お)れたんですよ。」



「わたしは折(お)ってないよ?」



スーの説(せつ)明(めい)は誤(ご)解(かい)を与(あた)えかねず、

制(せい)作(さく)者(しゃ)を前(まえ)にわたしは否(ひ)定(てい)をした。



「子(こ)供(ども)用(よう)に作(つく)った部(ぶ)分(ぶん)だ。


 こんな踏(ふ)み方(かた)したら当(とう)然(ぜん)…

 大人(おとな)が蹴(け)ったんだろ、これ。」



「ご明(めい)察(さつ)。」スーが拍(はく)手(しゅ)した。



「他(ほか)に壊(こわ)れてんのあるな。

 見(み)ていいか。」



「もう引(ひ)っ張(ぱ)り出(だ)してるし…。」



フルリーンはいくつものガラクタを出(だ)し、

組(く)み立(た)て直(なお)し、問(もん)題(だい)の箇(か)所(しょ)を見(み)た。



スーは道(どう)具(ぐ)の不(ふ)具(ぐ)合(あい)についてや、

壊(こわ)れた経(けい)緯(い)を彼(かの)女(じょ)に説(せつ)明(めい)する。



そのあいだにわたしは

この奇(き)妙(みょう)なお客(きゃく)さんを歓(かん)迎(げい)する為(ため)、

2階(かい)の外(そと)廊(ろう)下(か)から見(み)ていた従(じゅう)業(ぎょう)員(いん)の子(こ)達(たち)に

食(しょく)事(じ)と飲(の)み物(もの)を用(よう)意(い)してもらった。




 ◆




「でも、いいんですか?

 こんな館(やかた)に入(はい)ってきて。


 おかしな噂(うわさ)が立(た)ってしまいますよ。」



「ぅん?」



日(ひ)陰(かげ)の庭(にわ)のテーブルで

一(いっ)緒(しょ)に昼(ちゅう)食(しょく)を摂(と)りながら、

スーの懸(け)念(ねん)にフルリーンは疑(ぎ)問(もん)を浮(う)かべた。



フルリーンは腸(ちょう)詰(づ)め肉(にく)を

半(はん)分(ぶん)に切(き)っただけで一(ひと)口(くち)で食(た)べる。



挿絵(By みてみん)



彼(かの)女(じょ)は口(く)調(ちょう)だけでなく、

食(た)べ方(かた)も豪(ごう)快(かい)だった。



ペタの次(じ)代(だい)領(りょう)主(しゅ)を名(な)乗(の)るヘッペリオと違(ちが)い、

彼(かの)女(じょ)の食(た)べ方(かた)には不(ふ)快(かい)感(かん)を覚(おぼ)えない。



フルリーンを観(かん)察(さつ)していると、

背(せ)筋(すじ)を伸(の)ばした食(しょく)事(じ)の姿(し)勢(せい)や

動(どう)作(さ)に理(り)由(ゆう)があった。



背(せ)を曲(ま)げてテーブルに肘(ひじ)をつけないし、

口(くち)を開(あ)けながら咀(そ)嚼(しゃく)して喋(しゃべ)ったりはしない。



「んん~。

 こっちのは血(ち)の臭(しゅう)気(き)が無(な)いな。」



「お口(くち)に合(あ)ませんでした?」



「いや、旨(うま)い。


 オーブには獣(けもの)臭(しゅう)を大(たい)切(せつ)にする

 妙(みょう)な拘(こだわ)りがあるんだよ。


 それで生(なま)肉(にく)を好(この)んで食(た)べて

 食(しょく)中(ちゅう)毒(どく)を起(お)こすから、

 毎(まい)年(とし)何(なん)人(にん)も死(し)んでる。


 愚(おろ)かな話(はなし)だろ?」



彼(かの)女(じょ)の口(くち)元(もと)は笑(わら)っているけれど、

オーブの冗(じょう)談(だん)には馴(な)染(じ)みがなくて

わたし達(たち)は顔(かお)を見(み)合(あ)わせた。



「あ、なんの話(はなし)だっけか?」



賓(ひん)客(かく)として扱(あつか)おうとするスーは、

間(かん)接(せつ)的(てき)な説(せつ)明(めい)を模(も)索(さく)していた。



「女(おんな)でもこの館(やかた)に入(はい)れば、

 娼(しょう)婦(ふ)を買(か)いに来(き)たと思(おも)われるわよ。


 夜(よる)の館(やかた)は娼(しょう)館(かん)だからね。」



代(か)わってわたしがフルリーンに告(つ)げた。



わたしは食(しょく)堂(どう)の入(い)り口(ぐち)に背(せ)を向(む)けたまま、

こちらの様(よう)子(す)を窺(うかが)うフランジの視(し)線(せん)を

追(お)い払(はら)う為(ため)に手(て)を振(ふ)る。



彼(かの)女(じょ)達(たち)はスーと一(いっ)緒(しょ)に

手(て)を振(ふ)って返(かえ)していた。



わたしの意(い)図(と)は通(つう)じなかった。



「あぁ。そんなことか。


 娼(しょう)館(かん)にあたしが入(はい)ったって

 妾(めかけ)の娘(むすめ)には関(かん)係(けい)ないのさ。


 親(おや)がオーブの領(りょう)主(しゅ)なんて言(い)っても、

 この都(と)市(し)からすりゃ南(なん)東(とう)の果(は)ての、

 森(もり)から来(き)た星(ほし)鳥(どり)も同(どう)然(ぜん)だろ。」



彼(かの)女(じょ)の南(なん)部(ぶ)言(こと)葉(ば)から出(で)る粗(そ)野(や)な口(く)調(ちょう)は、

威(い)厳(げん)や気(き)品(ひん)を感(かん)じさせない。



「フルリーンってオーブ領(りょう)の息(そく)女(じょ)なの?」



飾(しょく)緒(しょ)を渡(わた)らせられる身(み)分(ぶん)ではあっても、

口(く)調(ちょう)に気(き)を使(つか)って堅(かた)苦(くる)しく喋(しゃべ)る必(ひつ)要(よう)もない

柔(じゅう)軟(なん)な相(あい)手(て)に思(おも)えた。



「言(い)ったぞ、あたし。」



「グルグス、護(ご)衛(えい)に言(い)ったのでは?」



フルリーン相(あい)手(て)でも、

スーは口(く)調(ちょう)を戻(もど)さず訊(たず)ねる。



「あの大(たい)陸(りく)人(じん)な。


 オーブ・ド・メテオラがあたしの父(ちち)だ。


 母(はは)はカヴァから来(き)た曲(きょく)芸(げい)師(し)らしい。」



「それで綺(き)麗(れい)な銀(ぎん)髪(ぱつ)なんですね。


 東(とう)部(ぶ)3領(りょう)は黒(くろ)髪(かみ)が多(おお)いと

 サンサは言(い)ってました。」



「金(きん)髪(ぱつ)に憧(あこが)れて蜂(はち)蜜(みつ)で脱(だっ)色(しょく)したり、

 虚(きょ)栄(えい)で義(ぎ)髪(はつ)を被(かぶ)るやつもいるが――。


 あたしも子(こ)供(ども)の頃(ころ)はこの銀(ぎん)髪(ぱつ)が嫌(いや)で、

 昔(むかし)は黒(くろ)に染(そ)めてたこともあったな。」



わたしは二人(ふたり)の会(かい)話(わ)に耳(みみ)を傾(かたむ)け、

ナショーを潰(つぶ)して作(つく)られた

ジュースを口(くち)にする。



山羊(やぎ)のお乳(ちち)と混(ま)ざった濃(こ)い味(あじ)の中(なか)に、

含(ふく)まれたクァンが口(こう)内(ない)を程(ほど)よく刺(し)激(げき)した。



「なぁ、ここに地(ち)図(ず)はあるか?」



「手(て)元(もと)にあるよ。」



わたしは指(ゆび)先(さき)でテーブルを軽(かる)く弾(はじ)く。



フルリーンがトレイを押(お)し退(の)け、

配(はい)置(ち)された石(いし)を見(み)て驚(おどろ)いた。



「これ? 確(たし)かに地(ち)図(ず)だ。


 いや、これも良(い)いが――。」



「紙(かみ)の地(ち)図(ず)ですか?」



スーの言(こと)葉(ば)に頷(うなず)くフルリーンは、

垂(た)れ落(お)ちる銀(ぎん)の髪(かみ)を抑(おさ)えて

興(きょう)味(み)深(ぶか)くテーブルを眺(なが)めながら目(め)を細(ほそ)める。



「これは誰(だれ)が作(つく)ったんだ?」



わたしは制(せい)作(さく)者(しゃ)を知(し)らないので、

ジュースを口(くち)にしたまま

スーに視(し)線(せん)を向(む)けた。



「アイリアという街(まち)の画(が)工(こう)です。」



「へぇ。良(い)いねぇ。アイリアね。」



「地(ち)図(ず)って、ガラクタ倉(そう)庫(こ)…

 書(しょ)室(しつ)に置(お)いてある?」



「んー…あそこから探(さが)すより

 図(と)書(しょ)館(かん)で買(か)った方(ほう)が早(はや)いね。


 図(と)書(しょ)館(かん)なら新(あたら)しい地(ち)図(ず)も

 あると思(おも)いますよ。」



スーは相(あい)手(て)に合(あ)わせて口(く)調(ちょう)を変(か)え、

テーブルの西(にし)側(がわ)、川(かわ)の向(む)こうに描(えが)かれた

建(たて)物(もの)を指(ゆび)先(さき)で示(しめ)す。



「案(あん)内(ない)しましょうか。


 ニクスにも本(ほん)を選(えら)んであげる。」



「待(たい)機(き)する日(ひ)だよね?

 エルテルの服(ふく)は?」



「今日(きょう)は荷(に)物(もつ)は来(こ)ない、

 と思(おも)っておこうか。


 それに大(たい)切(せつ)なお客(きゃく)さんだもの、

 仕(し)方(かた)がないよね。」



彼(かの)女(じょ)は椅(い)子(す)から立(た)ち上(あ)がると声(こえ)を弾(はず)ませ、

肩(かた)に掛(か)かった三(み)つ編(あ)みを手(て)で払(はら)い除(の)けた。




 ▶

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