↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
金貨の娘  作者: 美穂
第6章 暗晦の道(前)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

70/174

第6章 第2節 金銀の硬貨(第2項)

出(で)掛(か)けることが決(き)まると、

スーはすぐに厩(きゅう)舎(しゃ)の若(わか)い従(じゅう)業(ぎょう)員(いん)に

馬(ば)車(しゃ)の手(て)配(はい)をさせた。



今日(きょう)は休(きゅう)養(よう)日(び)ということもあり、

館(やかた)の馬(ば)車(しゃ)は全(すべ)て出(で)ていて、

街(かい)道(どう)に立(た)って乗(のり)合(あい)馬(ば)車(しゃ)を呼(よ)び止(と)めた。



護(ご)衛(えい)のグルグスを連(つ)れ、

フルリーンと4人(にん)で図(と)書(しょ)館(かん)に向(む)かう。



わたしも当(とう)然(ぜん)のように帯(たい)同(どう)させられた。



図(と)書(しょ)館(かん)の場(ば)所(しょ)は夜(よる)の館(やかた)のある赤(あか)土(つち)の丘(おか)から

西(にし)へ向(む)かって橋(はし)を二(ふた)つと日(ひ)時計(どけい)島(とう)を通(とお)り、

また橋(はし)を二(ふた)つ通(とお)った先(さき)にある。



挿絵(By みてみん)



馬(ば)車(しゃ)で行(い)けばすぐの距(きょ)離(り)でも

久(ひさ)しぶりの馬(ば)車(しゃ)移(い)動(どう)だったので、

降(お)りてからの足(あし)の感(かん)覚(かく)がおかしい。



「まだ地(じ)面(めん)が揺(ゆ)れてる気(き)がする。」



「ニクスは三(さん)半(はん)規(き)管(かん)って知(し)ってる?」



わたしは瞼(まぶた)を一(いち)度(ど)閉(と)じて頷(うなず)き、

母(ぼ)指(し)・示(じ)指(し)・中(ちゅう)指(し)を、上(うえ)・前(まえ)・左(ひだり)の

3方(ほう)向(こう)に立(た)ててスーに見(み)せる。



耳(みみ)の奥(おく)に備(そな)わっている半(はん)円(えん)状(じょう)の3本(ほん)の管(くだ)は、

管(かん)内(ない)の体(たい)液(えき)が流(りゅう)動(どう)することで、

前(ぜん)後(ご)・左(さ)右(ゆう)・上(じょう)下(げ)の傾(かた)き感(かん)知(ち)する。



これが姿(し)勢(せい)を保(たも)つ平(へい)衡(こう)感(かん)覚(かく)の仕(し)組(く)みと、

メノーから借(か)りた医(い)学(がく)書(しょ)に記(しる)されていた。



「帰(かえ)りは徒(と)歩(ほ)にする?」



「大(だい)丈(じょう)夫(ぶ)…でもないひとが居(い)る。」



わたしの視(し)界(かい)には、

まだ揺(ゆ)れる地(じ)面(めん)に鞄(かばん)と共(とも)に蹲(うずくま)る女(おんな)が居(い)た。



腰(こし)の革(かわ)紐(ひも)には護(ご)身(しん)用(よう)の短(たん)剣(けん)が見(み)える。



フルリーンが短(たん)剣(けん)1本(ほん)で遠(とお)くのオーブから、

分(ぶん)水(すい)街(がい)まで来(こ)られたのは不(ふ)思(し)議(ぎ)に思(おも)う。



「短(みじか)い距(きょ)離(り)でこんなに酔(よ)うのに、

 フルリーンはオーブから

 どうやって来(き)たんですか?」



スーが当(とう)然(ぜん)の疑(ぎ)問(もん)を投(な)げかける。



「本(ほん)物(もの)の馬(うま)?」



「…歩(ある)いて来(き)たに決(き)まってるだろ。


 妾(しょう)腹(ふく)の娘(むすめ)なんて、

 馬(うま)にも乗(の)せられないからな。


 オーブでは当(とう)然(ぜん)の扱(あつか)いだ。」



「馬(うま)でも月(つき)の半(はん)分(ぶん)は掛(か)かる距(きょ)離(り)ですよ?」



南(なん)東(とう)の山間(やまあい)にあるオーブ領(りょう)から

旅(りょ)行(こう)鞄(かばん)を一(ひと)つ牽(ひ)いて歩(ある)いて来(き)た、

と言(い)うのでわたしも耳(じ)目(もく)を疑(うたが)ってしまう。



「偏屈(クランク)爺(じじい)が死(し)ぬまで、

 あいつの世(せ)話(わ)係(がかり)しか

 させられなかったんだぞ。


 こんなに美(び)人(じん)の孫(まご)娘(むすめ)を。」



彼(かの)女(じょ)は言(い)って笑(わら)っている。



「それに銀(ぎん)髪(ぱつ)だから、

 余(よ)計(けい)にカヴァの下(した)働(ばたら)きと同(おな)じ扱(あつか)いだ。


 手(て)紙(がみ)を貰(もら)ってさっさと抜(ぬ)け出(だ)したわけだ。


 あの馬(うま)。


 あれに車(しゃ)輪(りん)つけて

 乗(の)って届(とど)けられたら良(よ)かったんだがなぁ。


 『退(たい)化(か)の科(か)学(がく)論(ろん)』にあったやつ。」



「完(かん)成(せい)しなかったんですか?」



「歯(は)車(ぐるま)が重(おも)くなるし

 衝(しょう)撃(げき)にも弱(よわ)いから諦(あきら)めたんだよ。


 子(こ)供(ども)が使(つか)うからって曲軸(クランク)を軽(かる)くする為(ため)に、

 耐(たい)久(きゅう)性(せい)の低(ひく)い木(もく)製(せい)にしたのが原(げん)因(いん)だな。


 オーブみたいな山(やま)も多(おお)くて、

 道(みち)が整(せい)備(び)されてないとこだと

 車(しゃ)輪(りん)が機(き)能(のう)しないんだよ。


 馬(ば)車(しゃ)に揺(ゆ)られて移(い)動(どう)するくらいなら、

 趾(し)行(こう)器(き)具(ぐ)で歩(ある)いた方(ほう)がまだ楽(らく)だぜ。


 車(しゃ)輪(りん)はせいぜい、

 この鞄(かばん)につけて引(ひ)き摺(ず)るくらいだな。」



熱(ねっ)心(しん)に解(かい)説(せつ)するフルリーン。



「元(げん)気(き)になりましたね。」



スーが体(たい)調(ちょう)を指(し)摘(てき)したので、

彼(かの)女(じょ)は笑(わら)って頷(うなず)く。



雨(あま)染(じ)みに汚(よご)れた大(だい)理(り)石(せき)の重(じゅう)厚(こう)な建(たて)物(もの)。



そこに幾(いく)人(にん)もの彫(ちょう)像(ぞう)が壁(かべ)に刻(きざ)まれ、

石(せき)壁(へき)から隆(りゅう)起(き)した筋(きん)肉(にく)や

纏(まと)う布(ぬの)が力(ちから)強(づよ)く波(なみ)打(う)つ。



――…魂(たましい)だわ。



石(せき)像(ぞう)はいまにも動(うご)き出(だ)しそうで魂(たましい)を感(かん)じる。



建(たて)物(もの)の入(い)り口(ぐち)には

二人(ふたり)の男(おとこ)が待(ま)ち構(かま)えている。



腕(うで)を掲(かか)げてコートを靡(なび)かせる者(もの)と、

分(ぶ)厚(あつ)い本(ほん)を片(かた)手(て)にする者(もの)の二(ふた)つの石(せき)像(ぞう)。



「ニクス、知(し)ってる?


 あっちがソーマで、

 こっちもソーマなんだよ。」



「二(ふた)つともソーマなの?」



見(み)上(あ)げた石(せき)像(ぞう)の顔(かお)は似(に)ている気(き)がする。



「指(し)導(どう)者(しゃ)のソーマと裁(さい)判(ばん)官(かん)のソーマ。


 他(ほか)にも開(かい)拓(たく)者(しゃ)に冒(ぼう)険(けん)家(か)とか、

 地(ち)域(いき)によって色(いろ)々(いろ)なソーマ像(ぞう)が

 あるんだよ。」



「オーブは射(い)手(て)のソーマが

 祀(まつ)られてるぜ。」



「あそこで弓(ゆみ)を引(ひ)いてるのが

 オーブの射(い)手(て)のソーマですね。」



「土(と)地(ち)ごとにソーマが居(い)るんだ。


 ソーマって地(ち)位(い)の肩(かた)書(が)きなの?」



壁(へき)面(めん)に彫(ほ)られているものは

全(すべ)て同(おな)じソーマらしい。



「おかしいでしょ。」



「ソーマを知(し)らないって、

 大(たい)陸(りく)から来(き)た人(にん)間(げん)か?


 あんた、どこの出(しゅっ)身(しん)なんだ?」



「えっ? あ…。」



フルリーンが

銀(ぎん)色(いろ)の冷(つめ)たい瞳(ひとみ)でわたしを見(み)つめる。



「フルリーン。

 彼(かの)女(じょ)はナルシャのニクスですよ。」



「ナルシャのニクス。


 夜(よる)の女(め)神(がみ)か…、

 そいつは仕(し)方(かた)がないか。


 ニクス。

 あんたは品(ひん)もあって豪(ごう)胆(たん)だから、

 無(む)知(ち)なお姫(ひめ)様(さま)かと思(おも)ったんだがなぁ。」



「あ、はい…? いいえ…。」



首(くび)を縦(たて)に振(ふ)って、

疑(ぎ)問(もん)を抱(いだ)いてから否(ひ)定(てい)した。



忙(せわ)しいわたしを見(み)てスーが笑(わら)う。




 ◆




護(ご)衛(えい)のグルグスを図(と)書(しょ)館(かん)の外(そと)で待(たい)機(き)させ、

階(かい)段(だん)を上(あ)がってわたし達(たち)は館(かん)内(ない)に入(はい)る。



「わぁ…。あれが全(すべ)て本(ほん)なの?」



館(かん)内(ない)の壁(かべ)は棚(たな)で埋(う)め尽(つ)くされて、

そこには大(たい)量(りょう)の本(ほん)が置(お)かれている。



「本(ほん)の貸(か)し出(だ)しは、

 受(うけ)付(つけ)の司(し)書(しょ)官(かん)に申(しん)請(せい)する仕(し)組(く)みです。」



大(おお)勢(ぜい)の利(り)用(よう)者(しゃ)が列(れつ)を作(つく)って、

その向(む)こうでは司(し)書(しょ)官(かん)達(たち)が本(ほん)を探(さが)し回(まわ)る。



「自(じ)由(ゆう)に見(み)れないのか。」



「恐(きょう)慌(こう)が起(お)きていた頃(ころ)は犯(はん)罪(ざい)が増(ふ)えて、

 中(ちゅう)流(りゅう)階(かい)級(きゅう)に開(かい)放(ほう)されない時(とき)もありました。


 最(さい)近(きん)になって放(ほう)火(か)は減(へ)りましたけど、

 議(ぎ)長(ちょう)の保(ほ)険(けん)屋(や)は放(ほう)火(か)で儲(もう)かった

 と言(い)われています。


 司(し)書(しょ)が写(しゃ)本(ほん)して貸(か)し出(だ)した本(ほん)が

 西(にし)側(がわ)の過(か)激(げき)な連(れん)中(ちゅう)に燃(も)やされたり、

 契(けい)約(やく)を無(む)視(し)して又(また)貸(が)しで紛(ふん)失(しつ)したり、

 勝(かっ)手(て)に売(う)られていたりと問(もん)題(だい)も多(おお)いとか。


 この街(まち)の歴(れき)代(だい)の総(そう)督(とく)への手(て)紙(がみ)も、

 地(ち)下《か》の保(ほ)管(かん)室(しつ)に残(のこ)されてるんですよ。」



「そんなことまでよく知(し)ってるな。


 名(な)前(まえ)、なんだっけ?」



「スースです。

 気(き)軽(がる)にスーと呼(よ)んで下(くだ)さい。


 いまの西(にし)側(がわ)は治(ち)安(あん)が悪(わる)いので、

 図(と)書(しょ)館(かん)へ行(い)くことは減(へ)りましたね。


 街(まち)の西(にし)側(がわ)は総(そう)督(とく)のマルフではなく、

 ユヴィルという人(じん)物(ぶつ)が仕(し)切(き)っていて

 いまも焦(こ)げ臭(くさ)いと評(ひょう)判(ばん)ですね。」



「焦(こ)げ臭(くさ)い?」



オーブから来(き)た彼(かの)女(じょ)は

スーの言(い)い回(まわ)しに引(ひ)っ掛(か)かる。



「街(まち)の東(ひがし)と西(にし)は仲(なか)が悪(わる)いんだよね。」



「政(せい)治(じ)なんかに興(きょう)味(み)ねえなぁ。」



スーは館(かん)内(ない)に置(お)かれている

書(しょ)字(じ)板(ばん)とスタイラスを手(て)にした。



「ニクスも、

 借(か)りたい本(ほん)があったら言(い)ってね。」



しばらく考(かんが)えても答(こた)えは出(で)ない。



ファウナから借(か)りたゼズ島(とう)冒(ぼう)険(けん)記(き)や、

サンサに押(お)し付(つ)けられた本(ほん)も読(よ)めていない。



「フルリーンは地(ち)図(ず)以(い)外(がい)ですと、

 天(てん)文(もん)学(がく)はいかがですか。」



「天(てん)文(もん)学(がく)かぁ。」



「ニクスも読(よ)む?


 改(かい)暦(れき)してみる?」



「スーの棚(たな)にあるその本(ほん)は

 手(て)にしたことすらないんだよ。」



「それで改(かい)暦(れき)でもできたら、

 女(おんな)でも統(とう)治(ち)者(しゃ)に近(ちか)付(づ)けるなぁ。」



「欲(よく)が透(す)けてるよ。」



わたしの指(し)摘(てき)に彼(かの)女(じょ)は鼻(はな)で笑(わら)う。



「夜(よる)の館(やかた)のドレイプになれば、

 向(む)こうからやってくるのか。」



「相(そう)応(おう)の知(ち)識(しき)がなければ、

 そんなドレイプにはなれませんよ。」



「ほら前(まえ)、進(すす)んだぞ。」



フルリーンがスーの頭(あたま)を片(かた)手(て)で掴(つか)み、

前(まえ)を向(む)かせて列(れつ)の進(しん)行(こう)を促(うなが)す。



「なにか読(よ)みたい本(ほん)はありますか?」



「街(まち)の開(かい)拓(たく)記(き)録(ろく)と料(りょう)理(り)の本かな。


 こっちの祭(さい)事(じ)の記(き)録(ろく)とかはあんの?」



「オーブは息(そく)女(じょ)でもお料(りょう)理(り)をするの?」



「継(けい)承(しょう)権(けん)の無(な)い妾(しょう)腹(ふく)だぞ。


 下(した)働(ばたら)きをさせられてたって言(い)っただろ。

 食(た)べられるもんなら作(つく)れるぞ。」



「それってお料(りょう)理(り)っていうの?」



「食(しょく)材(ざい)を仕(し)込(こ)めばなんでも料(りょう)理(り)だろ。」



彼(かの)女(じょ)の意(い)見(けん)は否(ひ)定(てい)できない。



料(りょう)理(り)をしないわたしは、

料(りょう)理(り)の定(てい)義(ぎ)を想(そう)定(てい)できずに首(くび)を捻(ひね)る。



「焼(や)く、炒(いた)める、茹(ゆ)でる、

 煮(に)る、蒸(む)す、揚(あ)げる。


 料(りょう)理(り)で火(ひ)を使(つか)うのはこの6個(こ)だね。


 切(き)る、捌(さば)く、砕(くだ)く、混(ま)ぜる、練(ね)る、

 塗(ぬ)る、包(つつ)む、絞(しぼ)る、濾(こ)す、発(はっ)酵(こう)、

 といった工(こう)程(てい)が含(ふく)まれると

 料(りょう)理(り)っぽくなるよね。


 一(いち)番(ばん)料(りょう)理(り)っぽいのってなんだと思(おも)う?」



書(しょ)字(じ)板(ばん)に要(よう)望(ぼう)の本(ほん)を記(しる)しながらスーが問(と)う。



「それって謎(なぞ)解(と)き?

 『料(りょう)理(り)っぽい』って主(しゅ)観(かん)の話(はなし)?」



「作(つく)る側(がわ)で考(かんが)えてね。」



「道(どう)具(ぐ)が必(ひつ)要(よう)な『切(き)る』とか?」



曖(あい)昧(まい)な設(せつ)問(もん)には疑(ぎ)問(もん)で回(かい)答(とう)するしかない。



「人(じん)類(るい)の歴(れき)史(し)からしたら

 火(ひ)を扱(あつか)う『焼(や)く』だろ。


 火(ひ)を通(とお)して

 食(しょく)中(ちゅう)毒(どく)を起(お)こさないのが大(たい)切(せつ)だ。


 胃(い)腸(ちょう)の弱(よわ)った相(あい)手(て)なら命(いのち)に関(かか)わる。」



フルリーンの意(い)見(けん)にも納(なっ)得(とく)感(かん)があって、

わたしもスーまでも頷(うなず)いている。



生(なま)肉(にく)を食(た)べて死(し)者(しゃ)を出(だ)すようなオーブの

娘(むす)らしくはない答(こた)えだった。



「私(わたし)の答(こた)えは『味(あじ)見(み)』でした。」



「えぇー。」



「なんだよそりゃ。」



フルリーンも不(ふ)満(まん)を浮示(う)かべる。



複(ふく)数(すう)の状(じょう)態(たい)を持(も)つ広(ひろ)い定(てい)義(ぎ)の設(せつ)問(もん)から、

項(こう)目(もく)以(い)外(がい)の正(せい)解(かい)を導(みちび)けるはずはなかった。



「食(しょく)材(ざい)が腐(くさ)っていては、

 料(りょう)理(り)になりませんからね。」



わたしの知(し)る彼(かの)女(じょ)の味(あじ)見(み)行(こう)為(い)は主(おも)に、

料(りょう)理(り)やお菓(か)子(し)の摘(つま)み食(ぐ)いのような気(き)がする。



「腐(ふ)敗(はい)と発(はっ)酵(こう)は、

 人(じん)体(たい)にとって有(ゆう)害(がい)か有(ゆう)益(えき)かの違(ちが)い

 でしかありません。


 料(りょう)理(り)で大(たい)切(せつ)なのは、

 味(み)覚(かく)という曖(あい)昧(まい)な標(ひょう)準(じゅん)に従(したが)うことです。



「曖(あい)昧(まい)な標(ひょう)準(じゅん)…。」



相(あい)反(はん)していたので復(ふく)唱(しょう)した。



「あぁ、なるほどな。


 料(りょう)理(り)はいくら味(あじ)付(つ)けしても、

 食(しょく)材(ざい)が腐(くさ)ってたら意(い)味(み)がないからな。」



料(りょう)理(り)をするフルリーンが納(なっ)得(とく)した為(ため)、

わたしは意(い)見(けん)を控(ひか)えた。



「フルリーンはここで

 お料(りょう)理(り)をするから本(ほん)が欲(ほ)しいの?」



「オーブとこっちだと気(き)候(こう)が違(ちが)うから、

 作(さく)物(もつ)や流(りゅう)通(つう)にも変(へん)化(か)があるだろ。


 祭(さい)事(じ)は地(ち)方(ほう)によって貢(みつ)ぎ物(もの)も違(ちが)う。


 それと流(りゅう)行(こう)の本(ほん)も見(み)ておくか。


 技(ぎ)術(じゅつ)書(しょ)関(かん)係(けい)で珍(めずら)しい本(ほん)もあれば

 読(よ)んでおきたい。


 大(たい)陸(りく)語(ご)でもいい。


 服(ふく)に装(そう)飾(しょく)品(ひん)、ついでに

 人(にん)気(にん)の猥(わい)本(ほん)も何(なん)冊(さつ)か見(み)たいな。」



「猥(わい)本(ほん)?」



そんな名(な)前(まえ)の本(ほん)は

読(よ)んだことも見(み)たこともない。



「図(と)書(しょ)館(かん)に猥(わい)本(ほん)は置(お)いてませんよ。


 汚(よご)されやすい内(ない)容(よう)ですし、

 秘(ひ)め事(ごと)にも繋(つな)がります。


 夜(よる)の館(やかた)でも通(かよ)いの商(しょう)人(にん)に依(い)頼(らい)するしか

 入(にゅう)手(しゅ)方(ほう)法(ほう)はありませんね。」



「あっ!」



スーの説(せつ)明(めい)に気(き)付(づ)いて声(こえ)が出(で)た。



「それにこの街(まち)ではエルテルの、

 旧(きゅう)中(ちゅう)央(おう)街(がい)から来(く)る写(しゃ)本(ほん)ばかりですよ。


 街(まち)角(かど)で売(う)られてる人(にん)気(き)の本(ほん)も、

 徴(ちょう)税(ぜい)人(にん)が検(けん)閲(えつ)します。」



「それならしょうがないな。」



フルリーンの話(はなし)を聞(き)きながら、

スーは注(ちゅう)文(もん)用(よう)の書(しょ)字(じ)板(ばん)を

埋(う)め尽(つ)くすほど記(き)載(さい)した。



受(うけ)付(つけ)台(だい)の向(む)こうに司(し)書(しょ)が座(すわ)っている。



彼(かれ)らは来(らい)館(かん)者(しゃ)の身(み)分(ぶん)証(しょう)を確(かく)認(にん)して、

注(ちゅう)文(もん)が彫(ほ)られた書(しょ)字(じ)板(ばん)を眺(なが)め、

要(よう)望(ぼう)の本(ほん)を持(も)ってくる。



――司(し)書(しょ)ってこういう仕(し)事(ごと)なのね。



彼(かれ)らの働(はたら)きを眺(なが)めながら、

塔(とう)に住(す)んでいた時(とき)に会(あ)った

司(し)書(しょ)官(かん)のゴレムを思(おも)い出(だ)した。



挿絵(By みてみん)



わたし達(たち)の順(じゅん)番(ばん)が来(き)て

要(よう)望(ぼう)した本(ほん)の書(しょ)字(じ)板(ばん)を渡(わた)すと、

司(し)書(しょ)の男(おとこ)は意(い)図(と)して渋(しぶ)顔(がお)になる。




挿絵(By みてみん)



司(し)書(しょ)官(かん)は顔(かお)を上(あ)げ、

わたしとフルリーンを見(み)てから

溜(た)め息(いき)を吐(つ)いて見(み)せた。



「あんた達(たち)、身(み)分(ぶん)証(しょう)は?


 言(い)っとくがカヴァの蛮(ばん)族(ぞく)や、

 無(む)産(さん)街(がい)のガキには貸(か)し出(だ)しはできない。」



「なんだ、こいつは?」



フルリーンが不(ふ)敬(けい)な男(おとこ)に指(し)示(じ)する。



ネルタの赤(あか)髪(がみ)のわたしならまだしも、

司(し)書(しょ)官(かん)はフルリーンの銀(ぎん)髪(ぱつ)を見(み)て、

カヴァの血(ち)筋(すじ)と勘(かん)違(ちが)いして侮(ぶ)辱(じょく)した。



「私(わたし)の身(み)分(ぶん)証(しょう)で借(か)りるよ。


 これでいいでしょ?」



スーは首(くび)に下(さ)げた布(ぬの)袋(ぶくろ)を、

豊(ゆた)かになった胸(むね)の谷(たに)間(ま)から引(ひ)っ張(ぱ)り出(だ)し

手(て)のひら程(てい)度(ど)の銅(どう)の板(いた)を摘(つま)んで見(み)せる。



挿絵(By みてみん)



周(しゅう)囲(い)の視(し)線(せん)は彼(かの)女(じょ)の胸(むね)の方(ほう)に集(あつ)まる。



手(て)にした銅(どう)板(ばん)には名(な)前(まえ)といくつもの数(すう)字(じ)と、

いくつかの記(き)号(ごう)が打(う)ち込(こ)まれている。



この身(み)分(ぶん)証(しょう)は他(た)領(りょう)でも用(もち)いられる

装(そう)飾(しょく)品(ひん)の飾(しょく)緒(しょ)とは異(こと)なる。



公(こう)共(きょう)の施(し)設(せつ)で提(てい)示(じ)すると、

スーが分(ぶん)水(すい)街(がい)の自(じ)由(ゆう)身(み)分(ぶん)を持(も)った

権(けん)利(り)の主(しゅ)体(たい)者(しゃ)であることが示(しめ)せる。



スーの身(み)分(ぶん)とは関(かん)係(けい)のないところで

フルリーンは驚(おどろ)いていた。



「スーって、もしかして成(せい)年(ねん)なのか?」



「えぇ。16歳(さい)です。


 でも娼(しょう)婦(ふ)、ドレイプではありませんよ。」



「同(おな)い年(どし)か! 妙(みょう)だと思(おも)った。」



「え! フルリーンも16歳(さい)なの?

 大人(おとな)っぽいから年(とし)上(うえ)だと思(おも)ってた。


 ちゃんと喋(しゃべ)ってたから疲(つか)れちゃったよ。」



言(い)って両(りょう)手(て)を握(にぎ)り合(あ)わせて踊(おど)り燥(はしゃ)ぐ二人(ふたり)に、

司(し)書(しょ)官(かん)は分(わ)かりやすく咳(せき)払(ばら)いをした。



「あんたらの利(り)用(よう)は許(きょ)可(か)できない。


 どうせ本(ほん)を返(かえ)しはしないだろ。」



顎(あご)を突(つ)き出(だ)して口(こう)角(かく)を上(あ)げる司(し)書(しょ)官(かん)。



「ん? ダメなのか?」



「ダメなはずはないよ。


 一人(ひとり)で大(たい)量(りょう)に借(か)りようとするから、

 彼(かれ)は訝(いぶか)しむんだよ。」



「さっき言(い)ってた、

 又(また)貸(が)しってやつだろ。」



フルリーンも納(なっ)得(とく)して頷(うなず)く。



「なぜ許(きょ)可(か)が降(お)りないの?」



司(し)書(しょ)官(かん)が許(きょ)可(か)しない理(り)由(ゆう)に、

わたしは納(なっ)得(とく)いかずに抗(こう)議(ぎ)した。



銅(どう)の身(み)分(ぶん)証(しょう)は中(ちゅう)流(りゅう)階(かい)級(きゅう)の労(ろう)働(どう)者(しゃ)でさえ

持(も)つことが許(ゆる)されていない。



外(そと)の領(りょう)地(ち)からの旅(りょ)客(かく)でも手(て)にできず、

孤(こ)児(じ)や奴(ど)隷(れい)にも与(あた)えられない。



「必(ひつ)要(よう)なものがあるのなら説(せつ)明(めい)すべきよ。


 あなたは図(と)書(しょ)館(かん)の下(げ)男(なん)ではなく、

 司(し)書(しょ)なのよね?」



「子(こ)供(ども)が騒(さわ)ぐ場(ば)ではないぞ。


 これ以(い)上(じょう)騒(さわ)ぐようなら警(けい)備(び)を呼(よ)ぶぞ。」



司(し)書(しょ)官(かん)は身(み)分(ぶん)証(しょう)を持(も)たないわたし相(あい)手(て)に、

目(め)を合(あ)わせようともしない。



理(り)不(ふ)尽(じん)を受(う)け入(い)れられないわたしに、

スーがわたしの腕(うで)を組(く)んで来(き)て

彼(かれ)とフルリーンに言(い)った。



「利(り)用(よう)する前(まえ)に契(けい)約(やく)書(しょ)を交(か)わすよ。


 フルリーンも無(な)くす前(まえ)に謝(あやま)っとく?」



「契(けい)約(やく)書(しょ)を交(か)わすんなら

 本(ほん)は返(かえ)すべきだろ。


 あたしが借(か)りに来(き)たんだから、

 スーが身(み)分(ぶん)証(しょう)を出(だ)してたら又(また)貸(が)しになる。


 言(い)い掛(が)かりがつけやすい。


 身(み)元(もと)保(ほ)証(しょう)人(にん)はメテオラで良(い)いか?

 知(し)っての通(とお)りオーブの領(りょう)主(しゅ)だ。


 銀(ぎん)行(こう)屋(や)のマイダスを望(のぞ)むんなら、

 後(ご)日(じつ)ミカにでも送(おく)り届(とど)けさせるが。


 こいつで身(み)分(ぶん)は保(ほ)証(しょう)されてるはずだろ?」



フルリーンは受(うけ)付(つけ)台(だい)に上(じょう)半(はん)身(しん)を乗(の)せ、

銀(ぎん)の長(なが)い飾(しょく)緒(しょ)を見(み)せつけつつ、胸(むな)元(もと)から

折(お)り重(かさ)ねた羊(よう)皮(ひ)紙(し)の証(しょう)書(しょ)を開(ひら)いて見(み)せる。



年(とし)下(した)の女(おんな)相(あい)手(て)に言(い)われて

格(かっ)好(こう)がつかない司(し)書(しょ)官(かん)は、

一(いち)番(ばん)弱(よわ)そうなわたしを睨(にら)みつける。



彼(かれ)が保(ほ)身(しん)の為(ため)に

わたしを睨(にら)んだところで怖(こわ)くは無(な)い。



感(かん)情(じょう)の底(そこ)知(し)れないハーフガンの睨(にら)みに

慣(な)れているせいもある。



「で、どうなんだ?」



「早(はや)くしろよっ。いつまでやってんだ。」



後(うし)ろに並(なら)ぶ男(おとこ)が言(い)うと、

フルリーンが騒(さわ)ぐ彼(かれ)の頭(あたま)を

掴(つか)むように撫(な)でる。



「ちょっと静(しず)かにしような? な?」



後(うし)ろの男(おとこ)を脅(おど)して黙(だま)らせたところで、

前(まえ)の司(し)書(しょ)は依(い)頼(らい)を受(う)け付(つ)けない。



スーはまた袋(ふくろ)から、

今(こん)度(ど)は布(ぬの)に包(つつ)んだ金(きん)貨(か)を

摘(つま)み出(だ)して司(し)書(しょ)官(かん)に渡(わた)す。



挿絵(By みてみん)



「借(か)りるのは辞(や)めとこうか。


 この図(と)書(しょ)館(かん)は

 司(し)書(しょ)に頼(たの)めば写(しゃ)本(ほん)を買(か)えるんだよね。


 これで買(か)えるかな?」



「まさか…ユイガス金(きん)貨(か)…?」



「あぁー、買(ばい)収(しゅう)だぞ、そいつは。」



誘(ゆう)惑(わく)される司(し)書(しょ)を見(み)て、

フルリーンは腕(うで)を組(く)んで喜(よろこ)ぶ。



「貸(か)し出(だ)し可(か)能(のう)な本(ほん)は

 どれも写(しゃ)本(ほん)で貴(き)重(ちょう)でもないし、

 ここでなら買(か)えるからね。


 地(ち)図(ず)は最(さい)新(しん)のモノでお願(ねが)いね。


 ここに記(き)載(さい)した写(しゃ)本(ほん)は

 全(ぜん)部(ぶ)買(か)い取(と)るから。」



「それ1枚(まい)で買(か)えるの?」



表(おもて)面(めん)にエンボスされた肖(しょう)像(ぞう)画(が)には、

宝飾巾(ヴェール)をした男(おとこ)の顔(かお)がある。



「放(ほう)蕩(とう)息子(むすこ)が欲(ほ)しがる物(もの)で、

 『館(やかた)を売(う)って金(きん)貨(か)を集(あつ)める。』

 なんて言(こと)葉(ば)もあるしなぁ。」



「そんなに価(か)値(ち)があるものなんだ。


 そんな金(きん)貨(か)を出(だ)して良(よ)かったの?

 ただの写(しゃ)本(ほん)だよ?」



スーは苦(く)笑(しょう)を浮(う)かべて首(くび)を横(よこ)に振(ふ)る。



「いまは使(つか)われない古(ふる)い金(きん)貨(か)だからね。


 ニクスはまだ真似(まね)したらダメだよ。」



「まだって…。」



「これでお願(ねが)いね。」



「では、少(しょう)々(しょう)お待(ま)ちください。」



スーの身(み)分(ぶん)証(しょう)を改(あらた)めて確(かく)認(にん)し、

金(きん)貨(か)を見(み)て喜(よろこ)びを隠(かく)しきれない司(し)書(しょ)官(かん)は、

書(しょ)字(じ)板(ばん)を受(う)け取(と)ると本(ほん)を目(め)指(ざ)して走(はし)り出(だ)す。



「精(せい)励(れい)しろよ~。」



と、フルリーンは小(こ)声(ごえ)で声(せい)援(えん)を送(おく)る。



わたし達(たち)を拒(こば)んでいた司(し)書(しょ)官(かん)に、

スーは彼(かれ)の望(のぞ)むものを見(み)せつけて

気(き)を引(ひ)かせることで行(こう)動(どう)を促(うなが)した。



彼(かの)女(じょ)はわたしと腕(うで)を組(く)んだまま

顔(かお)を見(み)て微(び)笑(しょう)する。



「司(し)書(しょ)を非(ひ)難(なん)するニクスは、

 なんだかサンサみたいだったね。」



「比(くら)べられても嬉(うれ)しくないよっ。」



スーは褒(ほ)めたつもりでも、

わたしは下(した)唇(くちびる)を軽(かる)く噛(か)んで不(ふ)満(まん)を見(み)せた。




 ▶

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。