第6章 第3節 卓上の雷鳴(第2項)
フルリーンとは丘の下で別れて、
夕食の時刻までには館に戻れた。
背中に湧く汗が肌着を濡らし、
キャシュクにまで滲む。
西からは鐘楼の鐘の音、
東の方角からは遠雷が聞こえる。
「雨が降る前で良かったわね。」
夜の館の出口に着くと
サンサがわたし達を出迎え、
違和感に苛まれた。
彼女のチュニックの首元は
フリルではなくチュール生地になって、
服の下の白い肌が薄く透けて見える。
「なにかあった?」と、わたしは訊ねる。
サンサが帰りを待っているなんてことは、
おそらく凶兆に違いない。
「声がしたから迎えに来たのよ。
エルテルからの荷物が来たのに、
館に居ないでどこ行ってたの?
レナが全て片付けたわよ。」
わたし達は頷き、顔を見合わせる。
――レナタには後で謝っておこう。
「サンサのお客さんが来て
図書館まで案内してたから、
館で待機はできなかったんだよ。」
わたしの便宜的な説明にスーも同意する。
「わたしの?」
「知ってた? サンサ。
フルリーンって私と同い年なんだよ。」
「フルリーン?
あぁ、メテオラの娘のサンサのことね。」
サンサが自分の名前を言った為、
わたし達はまた顔を見合わせ、
今度は首を捻った。
「知り合いなの?」
「オーブ・セク・サンサが彼女の名前。
フルリーンは作品に入れる銘でしょ。
彼女をサンサと名付けたのはおじい、
先々代領主のグレイ老よ。
わたしがオーブに居た頃に、
彼には世話になったわ。
下働きをしていた彼女が
こちらに来たということは、
ついに死んだのね、おじいは。」
故人について語っているのに
サンサの口角が上がる。
――偏屈の後継者ね。
「彼女、ユヴィルの傭兵を
拳一つで倒したんだよ。
オーブは女のひとも
喧嘩が強いのって本当だね。」
「もう狙ってきたのね。
あの子がついてて良かったわね。」
足元にいたアルが鳴いて彼女に抱かれる。
イオスもアルを真似して掠れた声で鳴き、
わたしはこの白い毛玉を掴み上げて抱く。
汗に濡れたわたしの腕や顎を舐めて、
その舌で擦り取っていく。
「マルフが内憂外患に
また胃を痛めるわね。」
「それで今度ね、
彼女の住んでる工房に
見学に行こうと思うの。
銀行の近くにある。」
「工房ってそれ、
この街の兵器廠舎でしょ。
まあそれだけ近所なら構わないけれど、
護衛は連れて行きなさいよ。」
帰りの馬車でフルリーンはスーと
ずっとお喋りをしていたからか、
彼女は酔わずに済んでいた。
わたしも楽しい帰り道になり、
身体も馬車に慣れた。
「サンサ、見てこれ。」
出口から建物の中に入ると、
スーは本をわたしに押し付ける。
イオスが肩に登る。
スーは帯紐と帯布を外し、
キャシュクを脱いで肌着姿になると
自分の豊かな胸を顕わにした。
外から見られる心配はなくても、
スーの行いは浅ましい。
「フルリーンが
新しい胸当てを 持ってきたよ。」
「身体はすぐには変わらないから、
首と背中のリボンの長さは先に縛って、
胸の前のボタンで調節するんだよ。」
スーはボタンの位置を離して着直す。
「これなら簡単に着脱できるよね。」
大人のメノー用にシルクで作られた
肌着の胸当ては、ボタン穴を変えれば
スーでも着用できるものになった。
いつもより豊かになった彼女の胸と共に、
強調された明暗は多くの男の視線を集めた。
「スーはこれを着けて、
図書館まで往復してたんだよ。」
「着けて過ごした感想は?」
「動きやすかったよ。
ちょっとボタンが気になるけど。」
「それは良かったわね。
でも部品が多いわ。
個々の身体に対応するにしても、
量産するには工数を減らしたいわね。
いまの工場一つで足りるかしら…。」
サンサはスーの胸を見回して、
製造の工程を想像している。
「もしかして研削盤を買うの?」
「ボタンを作るだけで
ルービィから研削盤の購入許可なんて
降りないわよ。
『わたしの館をあなたの工房にする気?』
ってまた叱られるわ?」
「それ似てる。」スーは真似を喜ぶ。
サンサが抱いているアルの
尻尾の根元を指先で軽く叩く。
叩かれる度にアルが首を動かして、
鼻先を舐める動きをして忙しくなる。
「それで書室が荒らされていたのは、
あなた達がなにかしたんでしょう?」
「えぇー…。誰か荒らされたの?」
スーが知らない振りをしてわたしを見る。
イオスはわたしの耳を噛んできた為、
痛みの反射で頭を動かすと
毛玉が驚いて本の上に落ちた。
「またルービィに
口喧しく言われたのよ。」
「また叱られたんだ。」
「扇風機やポンプの偉大なる発明品が、
井戸の周囲にまで出されて
放置されてたのよ。
酷い有り様だったわ。」
「それはいつもと変わらないよね。」
「そんなことないわよ。
どこになにがあるか
分かるように把握してたもの。
外までは出てなかったでしょ?」
「えぇー、誤差だよ。誤差。」
スーの意見に
わたしも首を縦に振って言った。
「今日は侵入者が居たから。」
「あら、ニクスまで
亡者の戯れとでも言うつもり?」
サンサはわたしの言葉を疑う。
「わたし達が見る前から荒れてたから。
なにか盗まれてるかもしれないよ?
だって中にある物全てなんて、
だれも整理してないんだし。」
サンサが把握していると言っても、
わたし達は整理をしていないので
だれにも判別はできない。
「奥には本があるから
それを売る目的で狙ったのかもね。
ガラクタばっかりでも。」
便宜的な解釈を並べるわたしに、
スーもキャシュクを着ながら言った。
「ガラクタではないわよ。」
「偉大なる残飯? だったかな。」
わたしは疎覚えで言うと、
スーが笑ってサンサは首を横に振った。
「偉大なる発明の残滓よ、もう。
ルービィに叱られた後で
あなた達になにか言っても
仕方がないわね。」
サンサは言って自分を説得した。
◆
「あ、おかえりなさい。」
食堂に行くと
今度はレナタが出迎えてくれた。
不安を与えるサンサの出迎えとは違って、
レナタは安心感を与えてくれる。
「どうしたの、スー。その胸。」
「レナタこそ。」
レナタはすぐにスーの胸当てに気付いた。
レナタは今朝と同じようで、
若干変わった服を着ている。
いつも着ている黒のチュニックでも。
膨らみ袖の布地が透けていた。
同じ生地のせいで
いまのサンサの格好にも似ている。
「新しい服ね。もっと見せて。」
わたしの要望に
レナタはその場で一回りして見せてくれた。
長い裾が遠心力で広がると、
見ていたフランジから歓声が湧く。
館で支給されている
フランジ用のキャシュクと違って、
彼女の服は上と下で分かれている。
「エルテル領から届いた夏服を、
ルービィに頼まれて着てみたんです。」
レナタは言ってから恥ずかしがる。
「オーナーはまだ居る?」
スーは食堂から厨房まで見渡した。
それらしい人物はわたしも見つけられない。
「もう帰ったわよ。
選考会も近いからまたすぐ来るわよ。」
「変わった服だね、レナタの。」
踝に届く長さの裾には、
いくつもの折り目が付いていた。
裾周りの長さは折り目の数によって
腰回りの長さの倍以上になり、
生地は相当な幅が必要になる。
子供用の服とはいえ、
その価値はわたしには想像がつかない。
「裾がお洒落なチュニックだね。」
「チュニックではなくて
ドレスっていうんですよ。」
「布地や裾の長さで服の名前が変わるのよ。
これはあくまで舞踏室や
お出掛け用ね。」
「これからどこかに出掛ける…?
そんな時刻でもないね。」
自問自答したわたしにサンサが頷く。
日が落ちてから出掛けるひとはいない。
そんな非常識な行動を起こすのは、
館に来た日のわたしくらいなものだった。
「どちらに行ってたのですか?」
「お客さんと図書館だよ。」
「この中から読みたい本はある?」
本の上に乗せたイオスがビャオと鳴く。
食事を求めるイオスを床に降ろすと、
アルと共に厨房へ走っていった。
図書館でスーが買った写本は、
大陸のものが多かったせいか
レナタは黙って首を横に振る。
彼女は憂いの表情を浮かべている。
「なにかあった?」わたしは訊ねる。
レナタはわたしを見て、サンサを見た。
レナタは黙っているので、
サンサについて気になることを
本人の前でレナタに訊ねてみた。
「レナタはサンサが
『盗賊団を壊滅させた女傑。』
なんて呼ばれていたの知ってた?」
「えっ?」レナタも驚いて目を見開く。
わたしも馬車でその話を聞いていた。
片腕で100人の配下を従えていたとか、
襲ってきた盗賊を返り討ちにしたとか、
真実味の無い話、つまり明らかな流言。
「オーブに居た頃の大昔の話だって。」
「大昔って…あのねぇ。スー。
20年前はそんなに昔ではないでしょ?」
「昔だよ。
私達みんな生まれてないもん。」
スーから指摘を受けると
サンサは力無く椅子に座った。
「これ、食事前に聞いて、
気分の良い話ではないわよ。」
食堂のテーブルを指先で小突く。
「ネルタから逃げてた家族を、
襲ってた連中から助けただけよ。」
「サンサが盗賊に恨まれることをした
わけではないんだ。」
わたしの見解にレナタが頷く。
「してないとも言えないわね。
連中が家族を襲った理由は
究極的な価値観の相違にあるの。
暴力は最終手段だもの、
もう理由に意味はないわ。
殺すか、殺されるか。
命の奪い合いに正しさなんて無いのよ。
その家族は子供を一人残して
みんな殺されてたのよ。
掘った墓穴の数は100を超えてたわ。
良い話ではなかったでしょ?」
彼女の話が終わると
大粒の雨が屋根や庭を叩く。
雨音が食堂の中まで伝わり、
閃光の後には雷鳴が空気を揺らした。
振動を伴う低い音を、
フランジが竜の鳴き声と言って怯える。
サンサの話を聞いていたスーも、
血の気を引かせていた。
わたしは雨音に思い出して、
外を見ると日陰の庭の天蓋は
雨が降る前に外されていた。
従業員のナディが
わたしに小さく手を振るので、
彼女が片付けてくれたのがわかった。
「あら、ニクス、おかえり。」
遅れてやってきたメノーが
雷鳴を楽しみながら席に着いた。
雨に当たって赤い髪が微かに濡れている。
「戻ってきたのはあなたの方でしょ。」
メノーが赤い瞳をサンサに向けた。
「病院に行ってたの。
今朝の侵入者の身元は言ってた通り、
ユヴィルの傭兵だったわ。」
「今日この子達も襲われてたのよ。」
「焦げ臭くなるわねぇ。」
「その方が臭気も付いて鼻が利くでしょ。」
二人は襲われた事実に対しても、
なにかを企み話し合っている。
わたし達はテーブルに夕食を並べ、
スーに教えられながらパンを切り分る。
彼女が切ってみせたパンは厚さが不均一で、
中には薄く透けているものもあった。
これはわたしの食器に盛ることにした。
先に食事を済ませたアルとイオスが
わたし達の元に戻ってきた。
イオスが雷鳴に驚き、
耳を倒して毛を逆立てる。
「スーは今度の休養日にレナを連れて、
アイリアに依頼をして欲しいのよ。」
「えぇ? 私が?」
スーもレナタと同じように、
どこか消極的になっている。
「わたし、アイリアの工房でしたら
一人で行けますよ!」
レナタは大声を放って抗議しても、
サンサは当然それを想定している。
「レナはニクスを連れて
案内をしてあげなさい。」
サンサは気付かれないよう仕向けると、
レナタは口元を緩ませる。
「完成した離宮も紹介しないとだね。」
「離宮?」
スーの言葉に訊ねて見たけれど、
誰からも答えは返ってこなかった。
「ニクスが一緒なら…、
なんだか行くのが
楽しみになって来ました。」
彼女は憂いの晴れた表情で、
わたしの腕を取って隣に座る。
サンサはわたしを釣り餌にして
二人に仕掛けた。
気を良くする二人を見てしまい、
既に餌として食べられたわたしは
意見を控えなければいけない。
レナタがこうした表情を浮かべる日は、
決まってサンサの部屋のベッドに入る。
食前の祈りを済ませてから
わたしはレナタに質問した。
「レナタは今夜もサンサの部屋で寝るの?」
「えっ? な…?」
なぜか動揺を見せるレナタ。
「誰にも気付かれていないと
思っていたのかしら? この子。」
「わたしのベッドでも良いのに。ねぇ。」
と、メノーが捓う。
「ニクスは気付いてたんだ。」
「みんな知っててわたしにも黙ってたの?」
この場の全員が黙認していた。
わたしの軽率な質問により
レナタの公然の秘め事は暴かれ、
本人にまで伝わってしまう。
彼女は顔を真赤に染める。
羞恥した彼女はわたしの太腿に顔を埋めた。
「そんなに恥ずかしがることかしら。」
と、サンサが言って彼女を追い込む。
「ごめんね、レナタ。」
わたしは彼女の銀の髪を撫でて謝る。
レナタはわたしの太腿の上で、
黙って首を横に振った。
自分の場所を奪われたイオスは、
わたしの身体を登ろうとする。
「ニクスもわたしのベッドで寝る?」
「寝ないよ。
サンサはすぐ子供扱いして、
捓うの良くないよ。」
わたしがそこまで言って責めると、
サンサはメノーに笑われていた。
「レナタは今夜は私のベッドで寝る?」
「それは絶対っ嫌ぁっ!」
スーの誘いをレナタは拒絶し、
叫びがわたしの太腿に響く。
祈りを終えたのに
いつまで経っても食べられない。
雷鳴が、お腹の悲鳴を包み隠した。
◆ 第6章 『暗晦の道』 つづく




