第5章 第5節 酔客の病(第1項)
サンサによって
日陰の庭に連れてこられたハーフガン。
エルテル領の騎士という彼を、
サンサは『わたしの為の客』と言った。
「ニクスはテーブルの札を整えて。」
先に状況を理解した正面のスーは、
札を箱に入れて片付け始めていた。
サンサはハーフガンを手で催促する。
「あなたはそこに座って札を出しなさい。
持ってるでしょ? ほら、早くなさい。」
「なんでだよ。」
「それはあなたが
この子に執着しているからよ。
それにニクスは、
あなたみたいな酔っ払い男が苦手なのよ。
克服する良い機会ね。」
わたしは目を見開いてサンサを見た。
「あなたが言わなくても分かるわよ、
そのくらい。
ここに来た初日から
この酔っ払いに追われて、
ユヴィルの傭兵に暴行を受けてたもの。
苦手意識があっても仕方がないわ。」
「俺は酔ってないっ!」
「あなたはずっと酔っていたわよ。
いつも通り覚えていないだけで。」
サンサはテーブルを指先で小突き、
ハーフガンに着席を促す。
スーが笑った為に、わたしは不安が募る。
「好きなものや苦手なものは
ひとそれぞれあっていいのよ。
ニクスが彼を嫌っているだけなら、
そんなことは否定しないわよ。」
本人を目の前にして、
正直に頷けるはずはない。
「自分の思想を他人に押し付けたり、
反駁する必要もないわ。
でももし否定するのであれば、
理論付けて認識した方が良いわね。
騎士なのに言葉や起居に品がないとか、
着回した服が皮脂の汚れで不潔とか、
髭が似合ってないとかね。」
「似合ってるだろっ!」
ハーフガンは抗議したけれど、
誰も頷かない。
わたしも彼の髭が
似合っているとは思わない。
「彼を好きになるのは最初から無理よね。」
「ハーフガンは、
レナタからも嫌われてるもんね。」
「頼んじゃねえよ。」
「そんな些末なことで、
わたしが彼に頭を下げてまで
ここに連れてくる理由にはならないわ。」
「お前に頭を下げられた覚えはねえ。」
「酔っていて記憶にないんでしょ?」
ハーフガンはわたしを見て舌打ちをし、
佩いていた剣を外して席に着く。
「この酔っ払い相手でも
会話の一つくらいできないと、
ここで困るのはあなた自身よ。」
それでも彼女はわたしの判断を待つ。
――サンサの言う通りだわ…。
館に来て間もないわたしは、
常にサンサやスー、レナタやメノーなど
他のひとに任せている。
――サンサのフランジでいるあいだは、
許されているだけかもしれない。
――いつかここを出ていくにしても
このままで良いはずないのよね。
わたしは首を縦に振って札を並べ直し、
0の商人札を1枚、テーブルに公開する。
ハーフガンはなにも言わず、
キャシュクの懐から箱を取り出した。
箱の置き方で苛立ちを顕わにする。
「あなたはお客さんの役なのだから、
身分相応の品性を示しなさい。」
「それならまず、客の扱いをしろ。」
「ニクスはお客さん扱いしてね。
あ、お酒を出して酔い潰す、
なんて浅い考えはダメよ。
お酒を言い訳に暴れるだけだから。」
「飲まないから気を使うな。」
「あなた相手に
気を使うわけないでしょう。
それとも粗雑に扱われた方が
喜んだりするのかしら?」
サンサになにを言っても逆を突かれ、
ハーフガンは口を閉ざして
箱から札を出した。
「相手が気を引くような
望むものを見せつけ、
交渉の席に着かせなさい。」
「参考になるかな?」
スーが当然の疑問を呟く。
――彼の望むもの?
「相手を喜ばせればいいのよ。」
「だから喜んじゃねえよ。」
座って札を並べるハーフガンが
不満を述べても、サンサは気にしない。
「それから相手の本質を見ること。」
「本質?」わたしはすぐに訊ねた。
彼女の放った言葉は思想で語られるもので、
標準の無い言葉は、わたしの理解を妨げる。
「思想で考える必要はないわよ。
騎士なんて、名誉貴族という
ただの肩書きに過ぎないわ。
労働もせずにお酒を飲むだけで、
エルテルから給金が得られるのよ。
わたしの後ろを歩いて、
自慢気に剣だか棒だか
分からないものを腰に吊り下げて、
男であることを偉ぶるのがお仕事。」
「お互いの札を確認してね。」
侮辱を続けるサンサを気にもせず、
スーがわたし達に促す。
「おかしなことを吹聴するな。」
「酔っ払っていたのは事実でしょ。」
「俺が仕えてるのは、
お前じゃなくて領主のエリク卿だ。」
「エリクに仕えてるなんて、それは初耳ね。
エリクの騎士なら
養女であるわたしの騎士も同然でしょ。
あっ、ニクス。
故意に負けるなんて
浅ましい行いは無しよ。」
「そんなこと言われたって…。
あの、よろしく――。」
ハーフガンは腕を組み、
鼻で返事をした。
「こういう客は追い返してもいいからね。」
連れてきたサンサが言う。
スーはいつもの東側の椅子に座ると、
書字板を開いて四時の記録を取り始める。
「ニクスは初心者だから、
『先手決め』は無しで
彼女が先手でいい?」
「好きにしろ。」
「だって。」
――いいのかしら…。
土地から選んだ札で手札を6枚にして、
数字札で2桁の数字、貝札を作る。
まずは双札と十札の連結になる55を
市場に並べて、4枚の報酬を手札に加える。
後手のハーフガンが並べた貝札は73。
――彼って四時は強いのかしら?
彼より優位な札を手札にしているけれど、
わたしは貝札に朝の星札を含めて相殺した。
ハーフガンは星札による還付で、
土地から1枚を手札に加えた。
「それとねえ、
ヴェールは無しにしない?」
「は?」怒りの混ざるハーフガン。
スーは、市場で成立した商品を、
次の手番の時に裏返せるヴェールの
禁止を提案した。
ヴェールを使えば、商品の成立で
過剰な報酬が抑えられ、手札が10枚を超えて
負けになる腐敗を予防できる。
しかし相手から恐慌札が並べられた時、
ヴェールした自分の市場の札を1枚、
手札に回収しなければいけない。
相手の市場で、成立した商品を
覚える必要もあり、回収の頃合いも
考慮しなければならない。
スーの提案通りヴェールをなくすと、
これらのルールは適用されなくなる。
ハーフガンの並べた貝札の73は、
2枚を足して10になる十札の商品なので、
この手番でヴェールができるはずだった。
「だって、ニクスには
いまさっきルールを教えたばかりだよ?」
「知らないんなら13巡でもやらせておけ。」
――13巡?
わたしが疑問を口にするより先に、
スーがこちらを見て説明してくれる。
「13巡は手札無しの遊びね。
13巡で市場に並べられる貝札は、
星札か恐慌札を含めた時を除いて、
商品に限られるんだよ。
手札の駆け引きがないから、
商品を覚える為の遊び方だけど、
ニクスはもう強いからね。」
「強くはないよ。
ヴェールや回収くらいなら、
あってもいいけれど…。」
わたしは1巡目で出した貝札が、
凡庸な55の商品だったので、
ヴェールの必要がなかったに過ぎない。
「さっきなんて、教えたばかりで
雷霆を使ったんだよ?」
「それでスーが負けてあげたの?」
「負けは無かったよ。」
――わたしの勝ちが無くなったのよ。
「…あなた、手加減を知らないものね。」
サンサはわたしの顔を横目に察する。
「雷霆なんて偶然で出来ただけだろ。」
ハーフガンの想像も間違いではないけれど、
雷霆を並べるようにスーに仕向けられた、
と言った方が正確だった。
「これでニクス相手に勝てなければ、
エルテルに帰るっていうのは
どうかしら?」
「なんでだよっ!」
サンサは言って彼を怒らせる。
彼はまたわたしを睨みつけた。
「ニクスも雑談くらい交えたらどうなの?
あなたもあなたよ。
他人の子供相手にいつまでも
未練がましくしてないで、
なにか話し掛けたら?」
ハーフガンは次にサンサを睨んだ。
この状況を仕向けた彼女は、素知らぬ顔で
アルの狭い額を指で撫でている。
わたしは頭の中で相手の市場を想像し、
自分の出せる貝札の組み合わせを絞りながら
会話の内容を考える。
――なにを言えばいいのかしら。
館の中で暮らしていると、
護衛との接点はない。
サンサに命じられたグルグスが
ガラクタを運びに来る程度。
護衛棟で護衛達と暮らしている
騎士のハーフガンは、護衛の仕事はせずに
門の前で酔っ払っていた。
――大人の男で騎士というのなら、
子供が居ても不思議はないよね。
わたしに対してサンサも、
『他人の子供』と言っていた。
「えっと、ハーフガンの家族は、
この街に居るの?」
わたしの質問に彼はテーブルを叩くと、
立ち上がって椅子を倒した。
札立てが揺れて倒れかけた。
「相手してられるか。」
「あ、ちょっと。待ちなさいっ。」
「ガキの世話なら女がやれ!」
札を放置して剣を手にしたハーフガンは、
機嫌を損ねて玄関に戻ってしまう。
「待ちなさいって、ばっ!」
サンサが、サンダルを勢いよく蹴飛ばして、
彼の背中に的中させた。
「逃げてもお酒と同じで、
なにも解決しないわよ。」
「なんだよっ! お前は!
娼婦が偉そうにしやがってっ!」
ハーフガンの酒焼けした怒鳴り声が
庭園に響く。
「あなたが騒ぎ立てるのは、
そんな自分を叱って欲しいから?
飲んでばかりでお酒に逃げて、
館に来る赤髪に追ってはメノーに蹴られ、
レナに水を掛けられたら喜ぶのかしら。」
怒りを顕わにする彼に対して、
サンサは冷たい瞳と静かな声で言う。
彼女はもう片方のサンダルも
蹴飛ばしたけれど、彼には届かない。
「酔っ払って周囲に迷惑を掛ければ、
わたしが叱ってくれると思ったの?
酔っている人間に掛ける言葉なんて
一言も無いのよ。
その場限りの謝罪と嘘を
繰り返してきたあなたなら、
身に覚えがあるはずよ。
それさえも覚えて無いのかしら。」
なにも言い返せないハーフガンに、
サンサはさらに厳しい言葉を浴びせる。
「あなたの身勝手な自傷行為が
子供を殺すと分かったから、
お酒を飲まなくなったのよね。」
ハーフガンは深く息を吐き、
彼女のサンダルを拾い上げた。
「サンダルは投げるもんじゃねえ。」
「蹴飛ばしたのよ。」
椅子に座ったサンサは足を投げ出した。
尊大な態度の彼女であっても、
ハーフガンから次の言葉は発されなかった。
「席に戻りなさい。
今日はそれで許してあげる。」
「偉そうに…。」
ハーフガンは不満を口にしながらも
片膝を突き、サンサの足底の砂を
丁寧に払って彼女にサンダルを履かせた。
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