第4章 第3節 虚偽の実(第1項)
ファウナが果樹園を去って、
また寝はじめた白猫を抱えたまま、
わたしは途方に暮れていた。
こんな場所に子猫を放てば、
上空を旋回する鷹に襲われてしまう。
猫の名前、サンサへの説得、
知識の差、認証管理の仕事など。
考えても仕方のないことを、
答えが出ないまま考えてしまった。
そこに気付いて、部屋に戻る為にまた、
北側のクァンの木立から玉石の庭に向かう。
立ち入り禁止の果樹園を出ようとすると、
豊かな銀髪を切って量の減った
レナタと遭遇した。
青と緑の混ざった藍色の瞳が、
わたしの姿に目を見開いて肩を驚かせた。
――えっ?
彼女は慌ててなにかを後ろ手に隠す。
黒色のチュニックは、
キャシュクと違って服の前身頃が無くて、
隠した『それ』を収納できない。
キャシュクの前身頃にできる懐の代わりに、
彼女の着るチュニックの腰の前側には、
二つのポケットがついている。
それでもポケットは狭く浅いので、
口布と絵を描く時に使う木炭程度しか、
入っていないのが見ただけで分かる。
彼女の秘め事を暴くような軽挙を慎み、
わたしはなにも言わなかった。
レナタは隠した物を気にして、
わたしから目を逸らし、
腕の中で眠る白猫を見て言った。
「猫…。どうしたんですか?
ファウナの?」
動揺するレナタが無理して話題を作る。
その健気さは見ていて居た堪れない。
「この子は、えっと、ファウナに聞いたら、
サンサの部屋で飼うように言われたの。」
「あ、サンサ…ですか…。」
その名前がレナタの心情を刺激してしまい、
彼女は怯えて口が重くなる。
――フランジは果樹園に入ってはいけない。
それが館の決まりであって、
レナタはその禁を犯していた。
決まりがあっても守らないフランジも居る。
先のファウナとわたし、それからスーも。
「サンサはたぶん、いま舞踏室よね?
スーが館を出る前に言ってたの。
農休みだから、他のドレイプと
酒を飲んでるって。」
先に話題を振ってみても、
狭く浅い知識ではこれが限界になる。
レナタは黙って頷く。
日の浅いわたしとは共通の話題もなく、
無理に話を導いたところで言葉もない。
二人で果樹園を出てからも、
会話が織りなされるはずはなかった。
互いの思考はそれどころではない。
わたしの話題の振り方が悪かったせいか、
この場で一番望まないひとを
呼び寄せてしまった。
「あら、ニクスも居るわね。」
2階の舞踏室にいるはずのサンサが、
なぜかフランジの寝室棟までやってきた。
足元には黒猫のアルを連れ歩く。
肩には紫黒色の飾り布の上に、
マルフとの会談で渡した赤く輝く布、
シルクを派手に載せている。
――普段は身に付けない色の布だわ。
型も違うし。
彼女が掛けたシルクは
二等辺三角形をした2枚の布で、
飾り布としては長さも幅も足りない。
飾り布の生地は主に長方形をして、
肩に掛けて反対側の腰に結ぶ。
レナタが黙ってわたしを見つめ、
助けを求めてきたので、
わたしからサンサに訊ねた。
「…どうしたの? こんな場所に。
舞踏室はもういいの? 集会って。」
アルがわたしの膝に前足を乗せ、
白猫の様子を気にしている。
「わたしみたいな目上の女が居たら、
あの子達は心が休まらないのよ。
それにオーブからまた、
わたし宛てに荷物が届いたの。
病院に行ってたメノーが、
戻って来る頃と思ってレナに…。
それで、レナはなにを隠してるの?」
挙動不審なレナタを訝しむ。
わたしの抱いている白猫よりも、
彼女の姿勢は目立つ。
「えっ? なに…?
メノーにどのような、
ご要件でしょうか?」
レナタは背筋を曲げて俯き、
その顔を固く強張らせる。
「メノーが居ないのなら、
成長に悩むレナに、街で話題の
健康促進方法を教えてあげる。」
口角を上げて、
見るからに怪しい笑みを浮かべるサンサ。
「なんですか? それ――痛っ。
痛いっ、痛いからやめて!」
サンサはレナタの頭の頂点、
旋毛を母指で押していた。
痛みから逃げて後退りし、
目に涙を浮かべるレナタ。
「なにするんですかっ?」
「街で何年も前から話題になってるのに、
レナってば知らないのね。
メノーもあなたの年の頃に、
これをやって成長したのよ?」
「本当?」
サンサの甘言に、
レナタは耳を傾けはじめた。
「背筋を伸ばして、両手で頭の上を
旋毛の流れにあわせて、
円を描きながら押すのよ。
パンの原料になるブレズの芽を踏んで、
茎を増やす為の分蘖と同じ効果ね。
ニクスもこのくらいは、
本で読んで知ってるわよね?」
「…分蘖のこと?」
サンサは喜んで頷いたけれど、
植物と違って人間は踏まれても成長しない。
「頭頂への刺激は、脳への刺激。
適度な刺激を与えれば、
足先まで効果抜群。
胸は豊かに膨らんで、お腹は括れ、
手足は長く伸び、髪は真直で、
気になる癖もなくなる。
明日の朝、目を覚ませば、
あなたの理想の姿が鏡に映るわ。」
「え…やってみますっ。」
「レナタ…。」
サンサの胡乱な説明を
信じてしまったレナタには、
わたしの声は届かない。
レナタは自分の頭頂に手を伸ばすと、
後ろ手にしていたいくつかの球体が、
頭の上から地面に落ちた。
「あっ!」レナタが声を放つ。
見覚えのある金赤色の果実は、
落ちた衝撃で皮が破れて果肉が見えた。
わたしはその果実を、
何度か食べたことがある。
スーがよく部屋に持ち込む、
大陸の果物、クァンだった。
食堂に置かれているものを、
果樹園に入って隠す必要はない。
秘め事が露見したレナタの顔は、
血色を失っていく。
「熟しておいしそうなそのクァンは、
どこから持ってきたのかしら。」
サンサが彼女を問い詰める。
「だって、これはその…。」
「ヤゴウから渡されたの?
奪ったりはしないから、
隠す必要ないわね。
わたしに見せて。」
レナタはクァンを拾い、隠そうとする。
「これは貯蔵室から取ってきたの?
スーを真似して。
それならヤゴウの管理不足ね。
でも果梗が捻り切られているのは、
業者から仕入れているものではないわね。
業者のクァンは、鋏を使って
軸を切ったものに限るから。
レナが果樹園に入って盗んだのね。
館の決まりを破って。」
「でも…みんなも――。」
「その『みんな』って、
具体的に誰と誰かしら?
館に入ったばかりのニクスだけが、
対象になる言葉でもないわよね?
フランジ? 従業員? 名前は?
それも言えないのなら、
ドレイプの名前を言ってみなさい。
部屋の番号でもいいわよ。
どれかを言ってくれたら、
あなただけが責められずに済むのよ。」
「えっ…?」
問い詰められたレナタは、
口を開いては閉じ、なにも言えない。
――わたしを見られても困るわ。
「悪いのは全て、レナを唆した
その人物の責任だものね。
レナは自分の行動を、
その人物のせいにするつもりなんでしょ?
責任の擦り付けは、
メノーに教わったのかしら?」
「あぁ…。」
レナタは卒倒しかけて屈む。
「メノーに館の決まりを教えた、
オーナーのルービィの責任でもあるわ。
レナだけが特別に許されているのか、
オーナーに責任の所在を確認した方が
良いのかしら。
でも他のドレイプやフランジは、
ひとりだけ許されるレナを
どう思うのかしらね。」
サンサに激しく責め立てられるレナタが、
あまりにも不憫に思えてきた。
――でもこれ、レナタが
わたしのせいだって言えば、
スーからサンサ自身の責任に
繋がるのよね…。
わたしが意地悪なことを考えていても、
レナタはそんな嘘をつく子ではなかった。
「ご…ごめんなさい。
誰も悪くありません。
全て、わたしの責任です。」
「自分の行動の責任は自分が負うもの、
と常に心に留めておくといいわね。」
罪悪感に苛まれるレナタに、
サンサは笑みを浮かべてわたしを見た。
「今度はなにを企んでるの…。」
「疑うなんて失礼ね。」
分蘖などと嘯き、欺いたひとが抗議する。
「あの、フランジの戒めは…。」
レナタが怯えて訊ねる。
「わたしは館に雇われてる
ただのドレイプなのだから、
フランジの決め事なんて
わたしには関係ないわよ。
フランジへの助言はできても、
行動の責任は自分が負うのよ。
別室送りで折檻、なんて
期待してるのかしら。
罰を与えても罪は覆らないものよ。
『その罪を悔い、穴に落ちよ。』
と言うわよね。」
刑場の詩の一節をサンサが歌う。
「レナ。
今回のことは、
わたしにクァンをひと粒くれたら
許してあげる。」
「…はい、分かりました。」
サンサの出した条件を呑むと、
拾い上げたクァンの砂を払い、
レナタは自分の考えで彼女に手渡した。
さらにサンサは、
成り行きを黙って見ていた
わたしを巻き込む。
「レナってば、
ニクスにもあげないとダメよ。
不公平が原因で密告されるわ。
こんな時は共犯者にしないとね。」
「それは助言として適切なの?」
後ろめたさを抱くレナタを思いやり、
クァンを受け取って共犯関係になった。
◆
ガラクタ倉庫の、
書室近くに置かれた長椅子に
レナタとサンサは並んで座る。
「メノーはまだ帰ってないのね。」
サンサは片手でクァンの厚い皮を
巧みに剥いて、果実を一粒だけ頬張った。
足元のアルが羨ましそうに見ている。
「本当はニクスにあげる
つもりだったんですよ。」
「共犯者のニクスは、
ここでなにをしてたの?
レナがなにか唆した?」
「してません! ねっ?
わたしなにも言ってませんよね?」
レナタが過剰に擁護を求めたせいで、
彼女はサンサから余計に怪しまれる。
「で、その猫はどうしたの。」
銀の目でわたしの抱いた白猫を示す。
「わたしはこの猫をどうしようかって。
サンサに相談しようと…。」
「ふぅん。
ファウナの迂遠な計画ね。
アル。」
サンサの呼び掛けにアルが、
彼女の膝に跳ね乗りミャオと鳴く。
「粗相しないように、躾けてあげて。
あなたに任せるわ。」
彼女が言い終わる前に、
アルはわたしの胸に跳びついて、
寝ている白猫の首を噛んだ。
「わっ、あっ! ダメ!」
わたしが引き離そうと腕を伸ばしても、
アルは白猫の首元を噛んで地面に逃げる。
「アルは子殺しはしないわ。
発情期の雄猫ではないのよ。」
突然起こされた白猫は、目を閉じたまま、
掠れた声で助けを求めて鳴く。
アルは鳴き続ける白猫に、
顔についた目脂を舐め取った。
白猫が暴れて逃げ出そうものなら、
前足で軽く身体を踏みつけた。
後ろ足を掻く白猫だけれど、
力の差は明白。
抵抗も虚しく諦めた白猫は、
アルの顔を見て並んで座る。
「ね? 言った通りでしょ?」
特にサンサが白猫に対して、
なにかをしたわけでもないのに、
得意気になる彼女にわたしは首を捻った。
子猫の集中はとても短く、
自分の尻尾が気になる様子で
跳び掛かってその場で回り始めた。
とりあえず両手の空いたわたしは、
クァンを持ってレナタの隣に座り、
アルと白猫の様子を見守る。
「オレームには毒があると言って
果樹園の立ち入りを禁止したのに、
クァンを一緒に植えているのは、
なにか理由があるの?」
レナタも首を捻る。
「クァンだけでいいのに…。」
彼女が呟いた。
「レナ…。それ、わたしが
勉強会で理由を説明したわよ。」
「えぇ?」
彼女はクァンを口にしたまま、
不満を浮かべ、声を漏らした。
「元々この果樹園はルービィが全て、
オレームの畑にする予定だったのよ。
オレームとの相性を考えて、
クァンを植えさせたの。
実ったオレームは業者に渡して、
乳液にするのは知ってるわよね?
その香り付けにクァンを使うのよ。」
「石鹸にも使ってますよね。」
レナタがわたしの顔を見て
理解と共感を求める。
「中和させる時にも使えるわね。
オレームは他にも食用油や、
ランタンに使うものよ。
果実は油を絞る為で、
胃や小腸で消化し難いから、
ひとによっては食中毒を起こす。
オレームの塩漬けも、蜂蜜と同じで
毒を持つことがあるのを知ってる?
毒と呼んでいるのは、
そこから来てるの。」
「本当は毒は無いの?」と、レナタ。
「どんなものでも、
限度を超えれば身体には悪いわよ。
空気の吸い過ぎや、
水の飲み過ぎと同じ。
そんなおかしなひとを標準にしたら、
全てが毒になってしまうわね。」
言われてレナタが頷いた。
「昔は罪人に、
水を飲ませ続ける処刑方法もあったのよ。
今度寝る前に読んであげましょうか。」
「話が逸れてるよ。」
首を横にして怖がるレナタに、
わたしはサンサを諫む。
サンサは喜んで頷き、話を戻した。
「ふふっ。
多くを食べるのに適さない果実でも、
精油滓は飼料や高級な肥料になるわ。
クァンは大陸にある植物というだけで、
捨てる皮でも求められるわね。
果皮は虫除けにもなって活用できる。
夜の館のドレイプが使う品物は、
付加価値で高く売れる。
味の評判も良いのよ。」
彼女は片手で丁寧に剥いたクァンの実を、
レナタの口に捻り込む。
足元に落ちた皮に白猫が鼻を近付けると、
匂いに歯茎を剥き出しにして、
前足で弾き飛ばした。
猫には相性の悪い香りらしい。
「あんなに狭い場所なのに、
売れるほど実るものなの?」
オレームの乳液は館でも使っているし、
フランジに食べられて消費していく。
「この果樹園で作られたものだからこそ、
金貨を払うだけの価値がある。
オレームとクァンが植えられている、
という事実があればいいのよ。
実際に販売する乳液は、
エルテルの契約農家で作って、
ルービィの工場で加工してるの。」
「なんだか不誠実…。」
わたしの呟きにレナタも頷いた。
「商売というのは概ね、需給――。
欲しいひとと売りたいひと、
需要と供給で成立するのよ。」
サンサは顎を突き出し胸を張って言い、
わたしは首を捻って返事をした。
クァンを口に含みながら、
白猫がアルの尻尾で戯れる様子を
眺めていると、メノーがやってきた。
彼女を見たレナタは、
クァンの皮を慌てて隠す。
「3人揃って仲良くこんな場所で。
なにか食べてたの?」
「レナが館の決まりを破って、
果樹園からクァンを取ったのよ。
それが露見したから、
わたし達に口止め料を
クァンで支払って――。」
「サッ…サンサってばぁ!」
「…黙る約束ではなかったの?」
口止め料としてクァンを強要して、
わたしにまで共犯関係を唆した人物が、
レナタを裏切ってメノーに事実を申告した。
「レナタ、そんな悪さしたの?」
「違うんですっ! 聞いてくださいっ!」
「ニクスも見てたのよねぇ?」
「えーっと、…はい。」
レナタが否定しても事実に相違は無く、
わたしは正直に答えるしかない。
けれどメノーの反応は、
わたしの想像とは真逆のものだった。
「狡いわ!
わたしもご一緒したかったのに。」
彼女はその場で屈み、顔を伏せ、
泣いている演技をして見せた。
「ごめんなさい。メノー。
果樹園には入ってはダメって、
あんなに言われてたのに…。」
レナタはレナタで、
再び罪の意識に苛まれている。
メノーは彼女の行いを責めてはいない。
「みんながやってるから入ったなんて、
苦しい言い訳までしてたのよ。ふふっ。」
「サンサ…。」
喜ぶサンサにわたしは言葉を失う。
「レナタ…。
館の決まりに厳しいあなたが、
その決まりを破っただけではなくて、
嘘の言い訳までするなんて。」
メノーは大粒の涙を零す一方で、
サンサは長椅子に座ったまま、
お腹を抱えて声にならない声で笑っていた。
メノーは立ち上がり、
レナタの前で平手を見せた。
「ちょっと? メノー?」
レナタも叩かれることを覚悟し、
口を閉ざして顎を引いた。
「サンサみたいになったのねぇ。」
翳した手で彼女の銀髪を撫でて、
感激しているメノー。
呆気に取られるレナタの表情を見て、
長椅子に座って笑っていたサンサが、
膝から崩れ落ちて哄笑し続けた。
「あの…。」
「ニースだわ…。」
レナタとわたしは顔を見合わせて困惑した。
「あははははっ…。ダメね…苦しぃ…。」
――サンサ、笑い過ぎよっ。
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