第4章 第1節 教養の鍵(第2項)
サンサが手招きし、
メノーをみんなの前に立たせた。
「なんでわたしなのぉ…。」
メノーは首を横に振って、
サンサとその隣に立つわたしを見る。
「安心しなさい、メノー。
ニクスがあなたの
お手伝いをしてくれるわ。」
「えっ! 聞いてないっ!」
「いま言ったもの。
メノーは勝手に話を進めて、
話がよく逸れるのよ。
その時はニクスが注意して、
話を戻してあげなさい。
ニクスから学ぼうなんて
誰も思ってないもの、
気負う必要はないわ。
期待しているわよ。」
相反することを言って頷くサンサの横で、
わたしも小刻みに首を横に震わせた。
「だってわたし、今日が初めてで、
スーのが物知りだし、館のことなら
レナタのが色々と分かってるのに。」
「スーもレナも勉強会なんて、
ほら、見ての通り聞き飽きてるわよ。」
最前列に座るスーは、
彫刻刀で板になにかを彫っている。
レナタも絵描きに夢中で、
耳を傾けてもいない。
レナタはメノーが隣に居なくなると、
今度は前に座るサンサを描き始めた。
「見世物のあなたが座ってれば、
こうして出席率が上がるもの。
気負う理由なんてないでしょ。」
サンサはわたしなど一瞥もせず、
理由を述べながらずっと本を読んでいる。
「ニクスはここに座りなさい。アル。
また倒れられても困るものね。」
アルはサンサの膝に移り、
わたしはアルの居た椅子に座る。
「メノー、始めていいわよ。」
「はぁ、もぅ。
それなら始めましょうか。」
咳払いを真似るメノーに、
ドレイプとフランジの視線が集まる。
彼女はいつもの
間延びした独特な喋り方を控えた。
「この勉強会を開いた目的は、
フランジの学力の向上だけではないわよ。
それぞれに得意不得意を理解して、
将来の目標を持って学んで欲しいわね。」
「わたしの真似はしなくていいのよ。」
それが似ていたのか、みんな笑っている。
サンサの隣にいるわたしはなにも言えない。
「えぇー、レナタはよく
サンサに似てるって言ってくれるのよ。」
「レナってば。」
レナタは絵を見つめて顔を伏せたまま、
肩で笑ってしまい、手にした木炭を
まともに動かせなくなっていた。
「目標って?」
わたしはサンサ本人に訊ねた。
すると、聞いていたメノーから
答えが返ってきた。
「これはサンサが…、
うーん、違うわねぇ。
学んだ内容は使えないと、
学ぶ意味があるのかしら?
勉強していて疑問に思わない?
でもねぇ、ここで学ぶ内容は、
ドレイプには必要はないのよねぇ。」
「…手紙のやりとりをする為よね?」
わたしは考えて確認をする。
「それもあるわねぇ。
手札を増やすのは大事よねぇ。」
手札というのは札遊びが由来の言い回しで、
彼女の言葉は手段や計画などを意味する。
「ただの娼婦になるつもりなら、
太鼓の叩き方も知る必要はないわ。
道端に立ってお客さんがつけば、
街娼になれるわよねぇ。
ニクスは太鼓の作り方を
知ってるかしら?
知っていたら革職人、楽器職人、
工芸職人もいいかもねぇ。
弓の作り方はどうかしら?
弓を使って狩りが出来たら、
もう立派な猟師よねぇ。
鹿肉は身体に良いから、
みんなも食べた方が良いわよ。」
彼女の話は娼婦から職人に向かい、
次には狩猟、それから料理へと逸れた。
「メノー、手札を増やすっていう話よね。」
「その話だったわ。
文字を覚えたら
手紙の読み書きが出来るわよねぇ。
本が読めて理解できたのなら、
文字を写すことも出来るわ。
それが出来たら将来
司書にもなれるわよ。
性別の障壁はあるけれどねぇ。」
サンサが指摘していた通り、
メノーの話はよく逸れた。
「長い歴史を持つ狩りや農業、製織は
培った知識がなければ出来ないわ。
石工や大工になるなら、
設計には計算も重要よ。
それらの職業は、いまは全部
男に限られるわねぇ。
娯楽だって知識は必要よ。
太鼓を打つことも、歌や踊り、
詩作にしたって勉強の一部よねぇ。
その土地の文化を学ぶ必要があるわ。
ニクスは勉強でなにを知りたい?
知ることでなにになりたいの?
ドレイプ? 従業員? お姫様?
それともサンサみたいになるのかしら。
それを目指すには、なにが必要?
ニクスに足りないものはなぁに?」
ドレイプやフランジに代わり、
突然行われたメノーの質問攻めに、
なにも持っていないわたしは
返答に詰まった。
「一言で勉強なんて言っても、
とても広くて奥深いのよねぇ。
身に付いたかなんて、
使ってみないことには分からないもの。
ここで学んだ内容を、
自分で調べて使えるまでにするのよ。
学び、復習して、習得できれば、
目標に近付けられるわねぇ。」
彼女の言葉にわたしは首を縦に振る。
他のドレイプやフランジからは、
会話の内容を理解されずに、
中には聞いていないひとも居て、
こちらからは全員の反応が分かる。
メノーの視線に気付いて目を合わせた。
「これでどうかしら?」
「質問を変えるわね。
これからみんな勉強をして、
学んだ内容を使い熟せれば、
メノーみたいになれる?」
ドレイプとフランジからの視線が、
一斉にメノーに集まる。
メノーの勉強会に対する彼女達の期待は、
1番部屋のドレイプとしての、
成功の秘訣だった。
本を読んでいるサンサが、
笑い出したのが気になった。
「あら、わたしの話?」
フランジがみんな頷き、
ドレイプも何人かは同じように同意した。
「そんなの簡単よ。」
信じ難い返事に、さらに
信じ難い回答が返ってきた。
「メノーって名乗ればいいだけだわ。」
今度はメノーが深く頷く。
「…みんなの求めてない答えね。」
と、わたしは驚いて呟く。
視界の端で全員が言葉を失っている。
メノーの考えを予想していたサンサだけは、
わたしの視界の外で笑いを堪えている。
「他人の名前を騙って相手を惑わす。
わたしの顔を知らないひとなら、
それで済むものねぇ。
わたしを構成する要素ってなにかしら?
みんな、わたしの特徴を言ってみて。」
「赤い髪と瞳?」
「柔らかい身体とか?」
「間延びした喋り方と心地良い声よね。」
「あの鼻が良いと思うのだけど。」
「お乳よ! お乳っ!」
みんながメノーの特徴を言うけれど、
同じ意見を聞かない。
また最後に言ったミュパが連呼した。
それでレデとジールに叱られている。
「メノーはまだ婚姻しないのかしら。」
「平衡になる相手が居ないもの。」
「無限の噴水なんだから、
相手が溺れ死んでしまうわ。」
「銀行屋のマイダスは?」
「銀行屋なんて似合わないわ。」
口々にする彼女達は、
趣旨から逸脱した会話を始めてしまった。
サンサのほうを見ると、
丁度目が合って頷いてきた。
――こういうことなのね…。
サンサが想定した通りに話が逸れた。
「みんなの考えてるわたしの特徴って、
こうして、みんな違うのよねぇ。
赤い髪と虹彩なら、
他にもいるわよ。
身体でいえばヤゴウの方が、
柔らかで大きいでしょう。」
「ヤゴウはあれで筋肉質よ。
それに包容力があるわね。」
訳知り顔でミュパが口を挟んだので、
隣のレデとジールが彼女を叱っている。
「…喋り方なら、
わたしもニクスも大差ないわよねぇ?」
「えぇ…。」
南部言葉の癖がある彼女の指摘に
わたしは戸惑い、肯定できずに
首を横に振った。
「別の質問をするわね。
メノーの考える、勉強ってなに?」
「それねぇ。
歴史を学べば過ちを予測できるし、
歴史から大陸語も身に付くわ。
お金を手にしたら、
計算も楽しいでしょうねぇ。
大きな数字は、
天文学みたいで楽しくなるわよ。
倫理を学べば品性も身に付くから、
ドレイプだからこそ学びが活きるわね。
そこから法律を学ぶのもいいわ。
経済を学んでおけば、サンサみたいに
オーブの太いお客さんも付くわよ。」
「銀行屋はあなたのお客さんよ。
確かにマイダスは、
オーブからの知り合いでもあるけれど、
ルービィに言わせれば商売敵よね。」
「ふふっ…、そんな相手こそ、
落としがいがあるのよねぇ。」
「メノーになるってこういうことよ。」
サンサが言うと、
フランジも後ろのドレイプも、
従業員達までも納得して頷く。
目を爛々とさせて笑うメノーに、
フランジは彼女の片影を見た。
「ねぇメノー、勉強は?」
サンサは本を読んでいるし、
スーは板を熱心に彫っている。
レナタが絵を描いた布は、
床に何枚も重ねられていた。
労働体験で、年長のフランジを励ましていた
実直な彼女は、勉強会では耳も傾けない。
初めての勉強会は、
自由奔放で散々なものになった。
わたしの目標も不明瞭なままだった。
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