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金貨の娘  作者: 美穂
第2章 白亜の館

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第2章 第1節 混迷の昼(第3項)

「あ、忘(わす)れるところだった。

 これ使(つか)って。」



スーは庭(にわ)に干(ほ)していた、

布(ぬの)切(き)れを1枚(まい)摘(つま)み取(と)って手(て)渡(わた)してきた。



彼(かの)女(じょ)はキャシュクの

懐(ふところ)から同(おな)じ布(ぬの)を取(と)り出(だ)し、

正(せい)方(ほう)形(けい)の布(ぬの)の角(かど)を対(たい)角(かく)線(せん)で折(お)り重(かさ)ねた。



「鶏(にわとり)小(ご)屋(や)の埃(ほこり)を吸(す)わないようにね。


 『病(やまい)は口(くち)から』って標(ひょう)語(ご)があるんだよ。


 エルテル風邪(かぜ)が東(とう)部(ぶ)で蔓(まん)延(えん)したからね。


 10年(ねん)以(い)上(じょう)昔(むかし)の出(で)来(き)事(ごと)だけど、

 酷(ひど)い風邪(かぜ)を拗(こじ)らせて子(こ)供(ども)も大人(おとな)でも、

 死(し)んでしまうほどだったんだよ。


 病(びょう)気(き)の原(げん)因(いん)になる埃(ほこり)が空(くう)気(き)に混(ま)ざって、

 鼻(はな)や口(くち)から体(たい)内(ない)に入(はい)るからだって。


 こんな感(かん)じで顔(かお)を覆(おお)ってね。」



スーが口(くち)布(ぬの)を着(つ)けた姿(すがた)を見(み)て、

昨(さく)夜(や)のサンサの宝飾巾(ヴェール)姿(すがた)を思(おも)い出(だ)す。



わたしは口(くち)布(ぬの)を重(かさ)ねて後(こう)頭(とう)部(ぶ)で端(はし)を結(むす)ぶ。



「固(かた)く結(むす)んでおけば、こんな感(かん)じに、

 形(かたち)をそのまま維(い)持(じ)することもできるよ。」



スーは口(くち)布(ぬの)を顔(かお)から外(はず)して、首(くび)元(もと)に落(お)とす。



結(むす)び目(め)は解(ほど)けず、形(かたち)が維(い)持(じ)され、

首(くび)や鎖(さ)骨(こつ)が隠(かく)れて装(そう)飾(しょく)にも見(み)える。



わたしが試(ため)しに結(むす)んでみても

指(ゆび)の力(ちから)が無(な)くて、顔(かお)から外(はず)した途(と)端(たん)に

結(むす)び目(め)は解(ほど)けてしまった。



後(うし)ろ側(がわ)で結(むす)ぶのは苦(にが)手(て)だった。



「指(ゆび)の力(ちから)って鍛(きた)え難(にく)いから、

 これには慣(な)れが必(ひつ)要(よう)だね。」



彼(かの)女(じょ)はわたしの口(くち)布(ぬの)を結(むす)んでくれた。



挿絵(By みてみん)



「こっちがその鶏(にわとり)小(ご)屋(や)ね。」



塀(へい)に囲(かこ)まれた館(やかた)の南(なん)西(せい)にある独(どく)立(りつ)した建(たて)物(もの)。



煉(れん)瓦(が)壁(へき)に木(もく)製(せい)の厚(あつ)い扉(とびら)。



外(そと)から中(なか)の様(よう)子(す)は見(み)えない。



壁(かべ)には通(つう)気(き)用(よう)の穴(あな)がいくつか空(あ)いている。



わたし達(たち)の足(あし)音(おと)に気(き)付(づ)くと

中(なか)から羽(は)音(おと)を立(た)て、

喉(のど)を鳴(な)らすような

囀(さえず)りや叫(さけ)びが聞(き)こえる。



強(つよ)い臭(しゅう)気(き)が鼻(び)腔(くう)を突(つ)く。



「ここで飼(か)ってる鶏(にわとり)は、

 従(じゅう)業(ぎょう)員(いん)の子(こ)が毎(まい)朝(あさ)卵(たまご)を取(と)ってくるんだよ。


 ニクスは動(どう)物(ぶつ)を飼(か)った経(けい)験(けん)、ない?


 私(わたし)も動(どう)物(ぶつ)を飼(か)った経(けい)験(けん)はなかったよ。


 この館(やかた)みたいに大(おお)勢(ぜい)のひとを雇(やと)って、

 生(せい)活(かつ)を充(じゅう)足(そく)させるのだって大(たい)変(へん)なのに、

 命(いのち)を育(そだ)てて糧(かて)を得(え)るのは難(むずか)しそうだよね。


 農(のう)家(か)はそれを熟(こな)してるんだから、

 本(ほん)で学(まな)んだ知(ち)識(しき)だけで実(じっ)際(さい)の苦(く)労(ろう)なんて

 簡(かん)単(たん)に想(そう)像(ぞう)できないよね。


 サンサはアルを飼(か)ってるけど、

 あれで躾(しつけ)が行(ゆ)き届(とど)いて利(り)口(こう)だよね。


 アルはなにか、理(り)解(かい)してるのかな。


 犬(いぬ)と違(ちが)って猫(ねこ)って

 その時(とき)の気(き)分(ぶん)で行(こう)動(どう)するし、

 気(き)が短(みじか)くて、芸(げい)が仕(し)込(こ)めるほど

 忠(ちゅう)実(じつ)でもないんだって。」



「猫(ねこ)ってそんな動(どう)物(ぶつ)なんだ。」



挿絵(By みてみん)



塔(とう)で暮(く)らして居(い)た時(とき)に見(み)た猫(ねこ)は

乳(う)母(ば)に追(お)い払(はら)われていたし、

本(ほん)以(い)外(がい)で見(み)る機(き)会(かい)はほとんど無(な)かった。



口(くち)布(ぬの)を突(つ)き破(やぶ)ってくる獣(けもの)臭(しゅう)に、

わたしは目(め)を細(ほそ)めて鼻(はな)筋(すじ)に力(ちから)を込(こ)めた。



小(こ)屋(や)の横(よこ)には、強(きょう)烈(れつ)な臭(しゅう)気(き)を放(はな)つ

鶏(けい)糞(ふん)が積(つ)まれている。



「まだ今日(きょう)は手(て)入(い)れしてないのかな?


 ちょっとここで待(ま)ってて。

 入(はい)るには鍵(かぎ)が必(ひつ)要(よう)だから。」



「入(はい)るの?」



わたしの疑(ぎ)問(もん)にスーは気(き)にせず、

玉(たま)石(いし)の庭(にわ)に戻(もど)ってしまった。



彼(かの)女(じょ)に置(お)いていかれたわたしは、

臭(しゅう)気(き)の激(はげ)しい小(こ)屋(や)から離(はな)れて、

緑(みどり)豊(ゆた)かな北(きた)の木立(こだち)を眺(なが)めるしかない。



木(き)の放(はな)つ甘(あま)い香(かお)りに包(つつ)まれていると、

遠(とお)くで鳴(な)き声(ごえ)がする。



鶏(にわとり)ではない。



耳(みみ)を澄(す)ますとビャオォと、

掠(かす)れた鳴(な)き声(ごえ)が聞(き)こえる。



――近(ちか)くに、なにか居(い)るのかしら?



わたしは周(しゅう)囲(い)を見(み)渡(わた)し、

鳴(な)き声(ごえ)の聞(き)こえる方(ほう)向(こう)へと歩(ある)いた。



「誰(だれ)だ?」



子(こ)供(ども)が木立(こだち)のあいだに座(すわ)っていた。



切(き)り揃(そろ)えた前(まえ)髪(がみ)が特(とく)徴(ちょう)の 線(せん)の細(ほそ)い少(しょう)女(じょ)が、

足(あし)元(もと)に白(しろ)猫(ねこ)を抱(だ)いているのが見(み)えた。



昨日(きのう)、玄(げん)関(かん)で籠(かご)を抱(かか)えていた子(こ)だった。



挿絵(By みてみん)



「ここはフランジが

 入(はい)って良(い)いところじゃないぞ。」



「ごめんなさいっ…。」



知(し)らない少(しょう)女(じょ)に注(ちゅう)意(い)されて、

わたしは急(いそ)いでその場(ば)を去(さ)った。



慌(あわ)てて逃(に)げたこともあり、

気(き)付(づ)けばフランジ棟(とう)の裏(うら)側(がわ)を

一(ひと)周(まわ)りしていた。



「あれ、ニクス。

 こっちから来(き)たの?」



木立(こだち)を抜(ぬ)けた先(さき)にはスーが居(い)た。



彼(かの)女(じょ)は貯(ちょ)蔵(ぞう)室(しつ)にあった

長(なが)い果物(くだもの)を食(た)べている。



「従(じゅう)業(ぎょう)員(いん)の子(こ)の代(か)わりに、

 鶏(にわとり)小(ご)屋(や)に入(はい)ろうとしたら断(ことわ)られて、

 これで買(ばい)収(しゅう)されちゃった。」



笑(わら)って言(い)うと、彼(かの)女(じょ)は手(て)にした果物(くだもの)を

わたしに分(わ)け与(あた)えた。



「そっちの果(か)樹(じゅ)園(えん)は館(やかた)の古(ふる)い決(き)まりで、

 フランジは入(はい)ったらダメなんだよ。」



「さっき、聞(き)いた…。」



「私(わたし)は良(よ)く入(はい)るけどね。


 誰(だれ)も見(み)てないからいまのうちに

 これ、食(た)べていいよ。


 食(た)べ歩(ある)きってお行(ぎょう)儀(ぎ)悪(わる)くて、

 ドレイプに見(み)つかると叱(しか)られるから、

 見(み)つからなければ良(い)いんだよ。」



当(とう)然(ぜん)のことを言(い)って、彼(かの)女(じょ)は笑(わら)っている。



立(た)ったまま食(た)べるのは初(はじ)めてだった。



紫(むらさき)色(いろ)をした厚(あつ)い果(か)皮(ひ)は縦(たて)に裂(さ)け、

中(なか)身(み)は薄(うす)い黄(き)色(いろ)の見(み)慣(な)れない果(か)肉(にく)が現(あらわ)れる。



挿絵(By みてみん)



鶏(けい)糞(ふん)の強(つよ)い匂(にお)いのあとでは

果(か)肉(にく)に鼻(はな)を寄(よ)せても、

薄(うす)い匂(にお)いは感(かん)じ取(と)れない。



口(くち)にすると歯(は)を立(た)てただけで、

細(ほそ)長(なが)い果(か)肉(にく)が簡(かん)単(たん)に折(お)れて

唇(くちびる)と舌(した)で受(う)け取(と)った。



果(か)肉(にく)の表(ひょう)面(めん)は乾(かん)燥(そう)していて果(か)汁(じゅう)は出(で)ない。



舌(した)には穏(おだ)やか刺(し)激(げき)と、

仄(ほの)かな甘(あま)さが口(くち)に広(ひろ)がる。



噛(か)んでみると少(すこ)し粘(ねん)性(せい)があり、

すぐに溶(と)けてなくなってしまい、

馴(な)染(じ)みのない食(しょっ)感(かん)が口(くち)の中(なか)に残(のこ)った。



「ナショーっておかしな形(かたち)してるでしょ。


 何(なん)十(じゅっ)本(ぽん)もの実(み)が房(ふさ)を作(つく)って、

 短(みじか)い実(み)はフランジが食(た)べて良(い)いんだよ。


 大(おお)きな草(くさ)にできる果(か)実(じつ)で、

 元(もと)は大(たい)陸(りく)原(げん)産(さん)の植(しょく)物(ぶつ)なんだって。


 北(ほく)東(とう)のペタ領(りょう)から来(く)る、

 大(だい)農(のう)場(じょう)主(ぬし)からの頂(ちょう)戴(だい)物(もの)。


 向(む)こうだと皮(かわ)ごと焼(や)いて、

 蒸(む)し料(りょう)理(り)にして食(た)べるみたい。


 風邪(かぜ)でつらくても

 これをヨーグルトと一(いっ)緒(しょ)にすると、

 食(しょく)欲(よく)が無(な)くても食(た)べられるんだよ。


 今(こん)度(ど)作(つく)ってあげよっか。」



「風邪(かぜ)になった時(とき)にね。


 …スーはお料(りょう)理(り)できるの?」



「ううん、ヤゴウがするんだよ。


 さっきのお腹(なか)のひとが厨(ちゅう)房(ぼう)長(ちょう)ね。


 厨(ちゅう)房(ぼう)を使(つか)うには責(せき)任(にん)者(しゃ)、厨(ちゅう)房(ぼう)長(ちょう)の

 ヤゴウの許(きょ)可(か)が必(ひつ)要(よう)になるよ。


 火(ひ)や刃(は)物(もの)があって危(あぶ)ないもんね。


 食(しょく)材(ざい)の管(かん)理(り)や器(き)具(ぐ)の清(せい)掃(そう)を徹(てっ)底(てい)しないと、

 食(しょく)中(ちゅう)毒(どく)を起(お)こす可(か)能(のう)性(せい)もあるよね。」



火(ひ)の扱(あつか)いを誤(あやま)れば火(か)災(さい)に繋(つな)がり、

子(こ)供(ども)に刃(は)物(もの)を扱(あつか)わせないのも理(り)解(かい)できる。



「フランジはまだしも、サンサなんて

 オーナーから厨(ちゅう)房(ぼう)の立(た)ち入(い)りを

 禁(きん)止(し)されてるんだよ。」



――下(した)働(ばたら)きの子(こ)供(ども)だって

  厨(ちゅう)房(ぼう)に立(た)ってたのに…、

  サンサってひとはなにを

  やらかしたのかしら。



ナショーを食(た)べながらスーの話(はなし)を聞(き)いた。



彼(かの)女(じょ)は発(はつ)音(おん)に忠(ちゅう)実(じつ)でとても聞(き)き取(と)りやすく、

声(こえ)には心地(ここち)良(よ)さがある。



わたしみたいな濁(にご)った声(こえ)の

南(なん)部(ぶ)言(こと)葉(ば)ではないし、澄(す)んだ声(こえ)で

罵(ば)倒(とう)や暴(ぼう)力(りょく)どころか嘲(ちょう)笑(しょう)もしてこない。



館(やかた)にはわたしを責(せ)めるひとが居(い)ないせいか、

それが妙(みょう)に落(お)ち着(つ)かない。



挿絵(By みてみん)



「ここがサンサの言(い)ってた場(ば)所(しょ)ね。」



フランジ棟(とう)のすぐ隣(とう)、玉(たま)石(いし)の庭(にわ)、

南(みなみ)に建(た)つボイラー室(しつ)の反(はん)対(たい)側(がわ)の北(きた)の一(いっ)室(しつ)。



スーはわたしに館(やかた)を案(あん)内(ない)するついでに、

サンサから遣(つか)いを頼(たの)まれていた。



扉(とびら)のハンドルを引(ひ)いてを開(あ)けると、

まずガラクタが目(め)に飛(と)び込(こ)んでくる。



室(しつ)内(ない)に詰(つ)められたガラクタは

いまにも崩(くず)れ落(お)ちそうで、

わたしは反(はん)射(しゃ)的(てき)に顔(かお)を背(そむ)けて

右(みぎ)手(て)を前(まえ)に出(だ)していた。



「見(み)てこれ、なんの部屋(へや)だと思(おも)う?」



「…ゴミ捨(す)て場(ば)?」



二(ふた)つのナショーの果(か)皮(ひ)を

両(りょう)手(て)に持(も)て余(あま)したわたしは、

室(しつ)内(ない)の惨(さん)状(じょう)を見(み)て率(そっ)直(ちょく)に言(い)った。



「違(ちが)うよ…とは言(い)い切(き)れないよね。


 ここは本(ほん)当(とう)は書(しょ)室(しつ)なんだけど、

 みんなはサンサの倉(そう)庫(こ)って呼(よ)んでる。」



「書(しょ)室(しつ)? 本(ほん)があるの?」



「あの、奥(おく)ぅーの方(ほう)にね。」



テーブルの上(うえ)に置(お)かれたガラクタの、

さらに奥(おく)を指(し)示(じ)して背(せ)伸(の)びしたスーが言(い)う。



背(せ)の低(ひく)いわたしには、なに一(ひと)つ見(み)えない。



「どうしてこんなに荒(あ)らされてるの?


 なにか盗(ぬす)まれてない?」



「偉(い)大(だい)なる発(はつ)明(めい)の残(ざん)滓(し)…かなぁ。」



言(い)ったスーも首(くび)を捻(ひね)り、

口(くち)布(ぬの)を顔(かお)にして書(しょ)室(しつ)の中(なか)に入(はい)っていった。



彼(かの)女(じょ)が入(はい)ろうにも足(あし)場(ば)はなく、

長(なが)い手(て)と足(あし)を伸(の)ばして壁(かべ)の棚(たな)にあった

目(もく)的(てき)の物(もの)を引(ひ)き摺(ず)り出(だ)した。



埃(ほこり)に包(つつ)まれて出(で)てきたのは、

木(もく)製(せい)の四(し)角(かく)く広(ひろ)いトレイ。



「西(にし)側(がわ)も大(たい)略(りゃく)は見(み)たし、庭(にわ)に戻(もど)ろっか。


 お客(きゃく)さん、もう来(き)てるかもね。」



昼(ひる)からの来(らい)客(きゃく)に備(そな)え、

必(ひつ)要(よう)なものがこのトレイだった。



――あれが書(しょ)室(しつ)。



ここへ来(く)るよりも前(まえ)のわたしは、

本(ほん)を読(よ)んで暮(く)らしていた。



そこはネルタの城(じょう)内(ない)ではなくて、

わたしだけが暮(く)らす塔(とう)の中(なか)。



少(すこ)し前(まえ)のことを遠(とお)い昔(むかし)のように感(かん)じて、

ゴミ捨(す)て場(ば)ではない書(しょ)室(しつ)をあとにした。




 ▶

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