第3章 第2節 夜の館の朝(第2項)
わたしは苦難の末、
5個の卵を籠に入れることができた。
「初めてにしては、良い成果だね。
ニクスは卵取りの才能があるよ。」
「スーが本来の仕事をしないだけで、
才能が必要な仕事ではありませんよ。」
レナタの言葉に同意する。
彼女も一緒に卵を取り、
鶏達を諭しながら手際良く
わたしの籠に入れてくれた。
籠に入った卵のほとんどは、彼女の功績。
下働きの少女、デーンが小屋の
南側の壁と天井の板を取り外すと、
鉄格子のついた窓から光が降り注ぐ。
新しい餌と清潔な水が与えられ、
鶏達が歓喜の声を放った。
彼女はそのまま餌箱を掃除して、
羽と糞で汚れた床を掃いて水で流した。
口布の向こうで渋顔をしていたデーンは、
鳥達の様子を見て頷く。
「スーはニクスの模範になるべきです。」
レナタが不満を口にする。
「分かってるよ。だから、はい。」
卵の籠はスーの手に渡り、
代わりに彼女は懐から取り出した
ナイフをわたしに押し付ける。
「え? なに?」
「これで血抜きをしておいて。」
「血抜き? って…え?
わたしがこれで、切るの?」
「今日のレナタはニクスの監督ね。
ニクスができるか見てあげて。
私は厨房からお湯と袋を貰ってくる。」
「もう…分かりました。
足元には気をつけてくださいね。
また卵を割らないでくださいよっ!」
「血抜き…。これで…?
これってスーを待った方がっ――!」
雄鶏は微かに動いて、
鋭い眼がわたしを見ている。
刺激しないように声を抑えて、
屈んで鶏を構えるレナタに確認した。
「…まだ生きてる?」
「火や刃物の扱いは、
年長のフランジが行うのが
館の決まりです。
それに、この鶏を
このまま生かす方法はありません。」
レナタの後ろに立つデーンが、
黙ってわたしを見下ろしている。
この館ではわたしの代わりに、
誰かが仕事をしてくれるわけではない。
彼女の目が、わたしを蔑んでいた。
「それなら…。
ううん…やっぱりわたしがやるわ…。」
デーンは顎を突き出してから、
黙って頷き、玉石の庭に去っていく。
褐色の髪の後ろ姿を見送りながら、
わたしは覚悟した。
――誰かに頼める立場でもないものね。
レナタは雄鶏の首周りの羽毛を、
力強く毟って切る箇所を示す。
わたしがそこにナイフの先を当てても、
首の皮は伸びて刃の侵入を拒んだ。
「腋を閉じて肘に体重を掛けて、
強く握って、捻り込んでください。」
レナタの助言に従って力を入れ、
手首を軽く捻って押した。
皮はナイフに巻き取られて破れ、
手には肉の感触が伝わる。
刺した箇所から血が滴り落ちる。
刃が硬い首の骨に当たり、
雄鶏は反射で体を動かしても
すぐに力を失う。
「ひっ…。」
――殺した…。
「もう抜いて良いですよ。」
血に濡れたナイフの先を抜くと、
レナタは雄鶏の足を持って吊るした。
血が鶏頭を染め、
土の中に滲みていった。
「お湯、持って来たよー。」
スーが厨房から、
湯気の立つ大鍋を抱えてきた。
血抜きが終わった雄鶏を、
布袋に入れて鍋の中のお湯に浸した。
袋内の空気や雄鶏に浮力が働き、
お湯に押し上げられる。
スーは近くにあったオレームの枝を拾い、
袋にお湯を吸わせて沈める。
しばらく沈めてから鍋のお湯を捨て、
ついでにナイフを洗って脂を拭き、
地面に残る血を流して薄める。
――井戸の水が赤くなるのは、
鶏の血が原因なのかしら。
わたしは自分の行為を考えながら、
口布の奥で深く息を吐いた。
「ねぇ、レナタ。
病院に行ったんだよね。
ウラの様子はどうだった?」
「元気に見えました。
でも、ずっと咳が止まらないみたいです。
滋養に良いものを差し入れたんですが。」
「心配だね。」
鍋の中で、袋に入れた鶏を放置して、
会話をしている二人。
「これで…どうするの? 終い?」
「こうして蒸らしておくと、
羽毛が抜けやすくなるんです。
火傷はしないと思いますが、
気をつけてくださいね。熱っ。」
レナタが袋の口を開いて、
鶏の両足を掴んで取り出す。
「熱っ…温かいかも。」
濡れた長い尾羽根を摘めば、
彼女の言った通り簡単に抜け落ちた。
脂塗れの羽毛を引き抜き、
手にした羽毛は袋に手首ごと入れて
振り払いながら収めていく。
滑りやすい脂と羽根の触感が手に残った。
「これでわたし達の作業は終了です。」
「ね? 簡単でしょ?」スーが微笑する。
「大変だったよ? うぇえ…。」
口布をしていても、細かな鶏の羽毛は
わたしの口の中にまで入ってくる。
すでに乾いた羽毛が宙を舞っていた。
「また3人掛かりになりましたね。」
「またなの?」
「前もウラと一緒にやったんですよ。
わたしと同じメノーの部屋のフランジで、
スーに似てお喋りな子なんです。」
「髪の色はニクスに似てるよ。赤色のね。」
赤土色の羽毛を被ったスーが言う。
「その子って、ネルタの子なの?」
スーとレナタは顔を見合わせたので
失言に気付いた。
「ここに入るフランジの、
出自は訊ねない決まりです。」
「赤髪なら無産街の子の方が多いかもね。
でも出自は誰も
誰がどこから来たかなんて、
孤児相手には訊ねないよね。
ウラもわたしも
孤児院出身の顔見知りだし、
訊ねる必要も無いから。
お城から来たお姫様
って見栄を張った方が、
お上品に過ごせますもの。
こう見えて、実はわたしも
高貴な身分なんだよ?」
スーが放った冗談に、
レナタは笑わず目を細めてわたしを見た。
「お城に住んでいた経験が有ったとして、
説明されたところで
それが真実か嘘かも誰も証明出来ません。
お城ってどんな所ですか?」
わたしも城には住んだ経験がないので、
レナタの質問には答えられない。
この館に来た孤児達は
同じフランジという階級ならば、
互いの出自を訊ねる必要がない。
スーが冗談で言ったように、
出自の自称も詐称も価値を生むことはない。
他人が出自を否定したり、
一方的に決めつければ、
侮辱にも等しくなる。
彼女達の指摘に、考えを整理して反省した。
「元気になって退院したら、ウラとも
こうしてお話できると思いますよ。」
失言したわたしに、
レナタは優しく言って微笑した。
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