番外編5:千日回峰の泥濘(でいねい)と、闇夜にうごめく異形の息遣い2
【読者の皆様へ(免責事項)】この物語は完全なフィクションであり、実在の人物、地名、団体、特定の宗教、および書籍・アプリ等とは一切関係ありません。作中の修行描写や怪異表現はエンターテインメントとしての創作であり、特定の信仰や組織を誹謗中傷する意図はございません。
突如として、大気が氷点下まで急降下する。
ブルーシャネルの香水など足元にも及ばない、強烈な生獣の血の臭いと、肉が腐り落ちたような悪臭が鼻腔を突き刺す。暗闇の奥、一歩先も見えない深い闇から、ジュ、ジュ……と粘着質な粘液を引きずる『巨大な何か』の質量が、確かに山道を塞いでいた。
それと同時に、ネットの海から逆流したエコー・チェンバーのように、何十人もの人間の「呪詛の本音の囁き声」が、風に乗ってダイレクトに脳内へ強制配信されてくる。
一真は、懐の短刀の柄に手をかけることもなく、ただ不動明王の真言を腹の底から響かせ、その異形の圧力を真っ直ぐにチェックメイトしてきた。
今でこそ「生き仏」などと崇められる一真だが、この死の檻に飛び込む前は、実家のお寺の跡取りという退屈なマニュアルにハメられた、ただの令和の足軽(若者)に過ぎなかった。
「今の時代、お坊さんなんて誰もありがたがらない。結局は、金とスペックの選別ゲームじゃないか」
世間の綺麗な建前と、裏に渦巻くドロドロとした欲望のギャップに絶望し、自分の市場価値に八方塞がりになっていた過去。
だからこそ、地球一周の死線を潜り抜けた今、一真の目に映る現代社会は、ただの「諸行無常の更地」だった。
画面の裏で、年収や外見のデータだけで人を格付けし、キープホルダーにハメただの、ロスカットしただのと醜いマウンティングを繰り広げている都会のハイスペ男女たち。
彼らの姿は、一真からすれば「いつか朽ち果てる泥人形たちが、自分の理想の檻の中で勝手に踊っている滑稽な見世物」に過ぎない。
特に、2026年現在、お坊さん専用の婚活マッチングアプリや「寺婚」が乱立している現実に対し、一真の心には底冷えするような寒気が走っていた。
「人々に『執着を捨てろ』『目に見えない縁を信じろ』と偉そうに道徳を垂れる聖職者(坊主)どもが、自分たちの生活を守るために、最も世俗的で効率主義な『スマホの選別マニュアル』に這いつくばって女をスクリーニングしている。
システムに魂を売り渡した時点で、そのお堂はすでに死んでいるのと同じだ」
現代の恋愛市場は、傷つきたくないからマニュアルで攻略する、相手を財布やセフレホルダーとして品定めするという『利己の搾取システム』に変貌している。
それは愛ではなく、ただのデータの強奪だ。
そんな歪んだ天動説の世界で、神崎理央という男が、裏のアカウントから自分の千日回峰行を「1円の価値もない非効率のゴミだ」と徹底的に叩いて嘲笑していることなど、山の中で祈る一真は知る由もない。
だが、因果応報のチェス盤は、すでに静かに回り始めていた。すべてを効率と数値で支配したナンパ師と、命がけで泥の中を歩み続けた高僧。二人の絶対的な正義が、大岩山から放たれる悪魔のウイルスによって、完膚なきまでにひっくり返される運命の夜が、すぐそこまで迫っていた。




