番外編2:泥濘(でいねい)のサバイバー、そして更地と化した理想郷2
「……はぁ、最悪……」
原田美紀(31歳)は、ガレキの闇に身を潜め、ボロボロになったズボンをずり下げて、小刻みに震えながらおしっこをしていた。
乾いた地面に染み込んでいく自身の排泄音を、過敏になった耳で盗み聞きしながら、彼女の心臓はドラムのように跳ね続けている。
いつ暴徒や、電子機器を一切持たない不気味な海外の調査部隊がこの死角に踏み込んでくるか分からない。極限の緊張感の中で、彼女の身体は冷や汗で濡れていた。
「はぁ……、トイレもないから、おしっこも命懸けだよ。」
美紀がこうして一週間を生き延びられたのは、ひとえに彼女が「地方の農村育ち」だったからに他ならない。
マッチングアプリの画面が血の赤色に染まった瞬間、都会育ちの同僚たちがスマホに齧りついて発狂する中、美紀は野生の勘でデバイスをその場に叩き割って捨てた。
誰もが駅やコンビニへ殺到する中、そこが最も危険な屠殺場になると見抜き、あえて逆方向の路地裏へと逃げ込んだのだ。 会社時代は「理想ばかり高くて市場価値の低い売れ残り」と目立たない存在だったが、その地味さと、泥臭いサバイバル能力が、今や最大の戦闘力となっていた。
髪を短く切り、顔に泥を塗り、男物の泥まみれの作業着を着込んで「女」であることを徹底的に隠した。
水や食料がどこにあるか、自然の死角がどこにあるかという田舎の知恵だけを頼りに、彼女は都会の強者たちが自滅していく様を、物陰から冷ややかに見つめて生き残った。
用を足し終え、ズボンを履き直した美紀は、ガレキの隙間からどんよりとした東京の空を睨みつけた。「なによこれ……。理想の檻の中で八方塞がりになって、少女漫画みたいな完璧な男を探してた私が、なんでこんな死体だらけの街で、泥水すすって生き永らえてるわけ?」
自嘲気味な呟きが、乾いた唇から漏れる。
ハイスペックだの愛妻家だの、綺麗事の記号で着飾っていた都会のオスやメスたちは、裏の顔を晒されて泡を吹いて転がっているか、暴徒の餌食になって無惨に転落した。あんなに欲しかった「人工的な出会い」も「ハイスペックな男」も、すべてが一瞬で更地になり、永久にロスカットされたのだ。
「誰もいない。完璧な男も、選んでくれる生身の男も、もうこの世界のどこにもいないのね……」
すべてが滅びた世界で、美紀は歪んだカタルシスと、それ以上の圧倒的な孤独感に胸を締め付けられていた。しかし、絶望している暇はない。生きるためには、まず動かなければならなかった。
一週間、風呂にも入らず、自分の汗と砂埃、そして死臭が混じった悪臭が、鼻を突く。
美紀は意を決してガレキの影から這い出ると、誰もいない河原へと視線を向けた。濁ってはいるが、流れる川の水。周囲に人の気配がないことを何度も確認し、彼女は警戒を怠らない死んだような目で水面を見つめながら、その足元へゆっくりと近づいていった。
せめて、この悍ましい一週間の汚れだけでも、冷たい水で洗い流そうと、彼女は河原へ向かって一歩を踏み出す。




