第25話:因習の揺り籠(ガッコウ)と盲信の信徒(フォロワー)2
隠されてきた裏の本音を全方位に晒された絶望から、人間たちは一瞬で理性を捨て去り、狂暴な獣へと退化した。
カリカリ、バリバリと爪を立てて互いの顔面を掻きむしり、掴み合い、血飛沫が夕暮れの教室の窓ガラスを赤く染めていく。
だが、その凄惨なパニックの渦中に足を踏み入れた真理子は、驚くどころか、その口元にこの上なく艶やかな、満面の笑みを浮かべた。
「おーほっほっほ! ざまあ見なさい! 汚れたバカどもに、神の正しい裁きが下ったのよ!」
ウイルスが暴いたのは、彼らの罪。真理子自身は、確かにプライドを肥大化させてはいたが、不義理や二股、あるいは生徒への裏切りを働いていたわけではない。
社会的生命のチェックメイトを免れ、傷一つつかずに生き残っているという絶対的な事実が、彼女の精神を究極の優越感、そして宗教めいた全能感へと導いていく。
その後ろを、足音もなく付いていく地下アイドル・ゆき。
狂気のエコー・チェンバーと化した校舎の中で、周囲の発狂した群衆を虫ケラのように見下し、悠然と歩みを進める真理子の背中は、ゆきの目には「マニュアルの枷をすべてぶち壊した、最高に強くて神聖な強者」として映っていた。
(凄い……やっぱり、あの人は本物の聖女だ。こんな地獄の中でも、自分を剥き出しにして、あんなに美しく輝いている……!)
その時、廊下の奥から、恐怖に顔を歪めた一人の女子生徒が泣き叫びながら真理子へと駆け寄ってきた。
普段から真理子を慕っていた、教え子の一人である。
「真理子先生! 先生、助けて! みんなおかしくなっちゃったの! 怖いよぉっ!!」
女子生徒は真理子のスカートにしがみつき、救いを求めるようにその顔を見上げた。その瞬間、真理子の中に、これまでに味わったことのない、とてつもない優越感と支配欲がブワリと芽生え、脳髄を満たしていった。
「ああ、可哀想に、私の愛しい迷い子。大丈夫ですよ。聖女である私だけは、あなたの味方ですわ」
真理子はどこか怪しい、カルトの教祖のような慈愛の微笑みを浮かべると、女子生徒の頭をねっとりと撫で回し、その耳元で優しく囁いた。
自分を神のように崇め、縋り付いてくる信徒の体温。それは、実家の温室の中で他人の誠意をナメくさっていた音楽教師が、この終末の世界で手に入れた「新たなる王座」の瞬間であった。
自分を神のように崇め、縋り付いてくる生徒の体温。
それは、実家の温室の中で他人の誠意をナメくさっていた音楽教師が、この終末の世界で手に入れた「新たなる王座」の瞬間であった。
その光景を、一連のパニックの中で息を呑んで見つめていた影があった。四条河原町の映画館から真理子の後ろを尾行してきた、地下アイドル・ゆき(24歳)である。
普段はステージの上でスポットライトを浴び、何百人もの男たちを「都合の良い家畜(養分)」としてナメくさってきた現役のアイドル。
だが、マニュアル通りの偽りの熱狂に虚しさを抱え、現実のクズ男の前では恐怖におしっこを漏らして泣き叫ぶことしかできなかった、弱く受け身な生身の女の子。
そんなゆきにとって、目の前で悠然と狂気を従え、世界を支配している真理子の姿は、あまりにも強く、眩しく、圧倒的な「本物の個性(強者)」として脳髄に突き刺さった。
もう、システムの枷に怯えてマニュアルの笑顔を作る自分は嫌だ。
この人に、この本物の聖女について行けば、私も救われるかもしれない――。
ついに、ゆきは我慢できずに真理子の前へと這い出し、その場に崩れ落ちるようにひざまずいた。
「あ……あのっ、先生……ッ!!」
「あら、どなたかしら?」
怪訝そうに見下ろす真理子の前で、ゆきは両手を組み、涙を流しながら熱狂的な羨望の声を絞り出した。
「私、ゆきって言います……地下アイドルをやってるんですけど、ずっと、ずっと先生の後ろ姿を見ていました……! この地獄の中で、こんなに美しく、凛と戦っている人を私は知りません……。痺れました……ッ! お願いです、私を先生の弟子にしてください! 一生、先生について行きますからぁぁぁッ!!」
「おーほっほっほ! アイドルちゃんが、私の信徒になりたいと? 良いでしょう、私についてきなさい!」
現役の人気アイドルにまで完全に心酔され、ひざまずかれた真理子。彼女の肥大化した優越感は、ここに極限の頂点へと達した。
京都の学び舎の夕闇に、傲慢な聖女と盲信のアイドルの狂った笑い声が響き渡る。




