おまけ第5話:『百合(ゆり)の散る夜 〜正反対の身体と、受け止め合う魂のコード〜』2
【読者の皆様へ(免責事項)】この物語は完全なフィクションであり、実在の寺社、教会、特定の宗教団体、結婚相談所、およびマッチングアプリ等とは一切関係ありません。作中の宗教婚活事情や心理描写はエンターテインメントとしての創作・風刺であり、特定の信仰や職業を誹謗中傷する意図は一切ございません。
ひややっこは一歩、百合の前に歩み寄り、その声を大岩山の風に乗せた。
「だがな、百合。形や受け止め方は違えど……『誰かを受け止めたい、誰かに受け止められたい』っちゅうその生身の魂の願いだけは、男女で本当に何も変わらんのやぞ」
「受け止めたい、受け止められたい……」
百合はその言葉を、自分の30年間の人生と、ホテルのベッドの上で流したすべての涙に重ね合わせるように、深く、深く噛み締めた。
アプリのアルゴリズムや相談所のスペック主義は、男と女を記号で分断し、お互いを敵対させて消費し合わせる。
だが、その冷たい鎧の下で震えているのは、男も女も、全く同じ「誰かと生身で繋がり、受け止め合いたい」という祈りのような願いそのものだった。
「男側もな、強がって試行回数を誇りながら、その内側では『仮性包茎やサイズでガッカリされたらどうしよう』
『セックスが下手くそやと切り捨てられたらどうしよう』ってお前と同じ恐怖に震え、怯えとる。自信を持つっちゅうのはな、傷一つないサイボーグになることやない。その不完全な『怖さ』を自分の生身の肉体で引き受けて、それでも打席に立つことや。お前がその怖さを超えて自分を全肯定できた時、いつかお前の前に、同じ怖さを乗り越えてユニクロのチケットを握りしめた、生身の男が現れる。その時初めて、お前らの傷口と傷口がガチッと噛み合って、本当の愛が繋がるんや」
ひややっこの言葉が、百合の胸の奥に残っていた最後の淀みを、あたたかい朝の光で完全に初期化していった。
「ひややっこさん……本当に、ありがとうございました。私、この大岩山に、今までの悲しみも呪いも、全部置いていきます。そして、私のこの不完全な身体のままで、いつか誰かをちゃんと受け止められるように、学んできます」
百合は今度こそ、一点の曇りもない笑顔を浮かべ、深く一礼した。そして、カツ、カツ、と力強い足取りで、朝焼けに照らされた大岩山の旧道を下りていった。彼女の背中には、もうシステムの家畜として怯える影はどこにもなかった。
一人残されたひややっこは、去りゆく百合の背中を見届け、ふう、と静かに息を吐き出した。
そして
見上げれば、朝日に照らされた堂本印象のあの奇妙な石の鳥居が、幽玄に佇んでいる。
仏教の地蔵菩薩、キリスト教や海外のアラベスク模様、地上の動物、そして上部に彫られた女神。
あらゆる宗教や民族の記号を闇鍋のようにごちゃ混ぜにした、あまりにもエキセントリックな幾何学の鳥居。
かつて古文書がすべて焼かれ、正確な起源も歴史も失われてしまった大岩山。
ここはただ「結核の治癒」という難病平癒のためだけに人が群がった山ではない。
古来より、本殿の裏に並び立つ「大岩(男神)」と「小岩(女神)」という、おがみとめがみの巨岩を御神体として祀り、世間の理不尽に切り刻まれた「男と女の心の病(精神の擦り切れ)」を、何百年も深く受け止め続けてきた山だったのだ。
なぜ堂本印象は、日本の土着信仰の社に、あえてキリスト教などの世界中のイメージを盛り込んだ鳥居を奉納したのか。
その意味が、ひややっこの脳裏に一つのコードとして繋がる。
(そうか、印象……お前も、このおがみとめがみの岩に当てられたんやな)
思想、風俗、民族、宗教――人間が頭で作り出した「記号」がどれだけ違っていようとも、剥き出しの生身になれば、男と女であることは何一つ変わらない。
不完全な者同士、一生学び合い、受け止め合うしかないのだという究極の真理を、印象はあの鳥居に込めて、すべての境界線をハックしたのだ。
大岩山の丑三つ時の講義は、これにて本当に閉幕である。
ネットの闇市場に殺されかけた男女の魂は、この朝焼けの山頂のセッションを経て、人間としての気高い矜持へと、完全に反転されていた。
おまけ第5話:『百合の散る夜』・完




