第6話:真美(まみ)という名の北極星 〜14歳の邂逅と、固定電話越しの死闘〜3
前回のあらすじ:恋愛ビジネスが消滅した後に訪れたのは、本物の強者だけが生き残り、弱者は一瞬で淘汰される「恋愛の超・弱肉強食時代」だった。大岩山の山頂から世界を見下ろすひややっこの脳裏に、30年前――インターネットもスマホもない時代、自身の人間性のすべての源流となった一人の女性の記憶がよみがえる。彼女の名前は、真美――。
世間のクソみたいなマニュアルに毒された男どもは、彼女の30年の人間性や誠実さを見ようともせず、ただ「条件」だけで彼女を品定めし、傷つけ、切り捨てようとした。
ある日の夜、塾の授業が終わったあとの静かな教室で、俺は聞いてしまった。
壁に掛けられた固定電話の受話器を強く握りしめ、真美さんが放っていた、激しく、冷徹で、きつい口調の電話の声を。
「条件や結婚って、結局は自分の保身だけじゃない! 人の心を踏みにじって、何が男よ!
条件だけで私を値踏みするなら、二度と連絡してこないで!!」
受話器を叩きつけるように黒電話の台に置いたあと、静まり返った教室で、彼女は一人、机に突っ伏してすすり泣いていた。
14歳の俺は、彼女がどんなに理不尽な男どもと戦っているのか、その孤独の深さを正確には理解できなかった。
ただ、世界で一番大好きな彼女が、男の身勝手さによって傷つけられ、血を流しているその気配に、胸が張り裂けそうなほど悔しかった。
「ひややっこくん、ごめんね。大人の汚いところ見せちゃった」
すぐに涙を拭い、いつもの凛とした笑顔に戻って俺の頭を撫でてくれた真美さん。
彼女は、どんなに男どもに裏切られようが、どんなに孤独に押しつぶされそうになろうが、塾の子供たちの前では、絶対にその弱さを見せなかった。
当時、ジャンプで大ヒットしていた漫画『幽★遊★白書』が大好きな女の子の生徒がいた。真美さん自身は、そんな少年漫画には1ミリも興味がなかったはずだ。
だが、その子が嬉しくそうに話す笑顔を守るために、彼女は夜、不器用にも必死に『幽★遊★白書』を全巻読んで勉強した。
次の日、教室で「暗黒武術会、戸愚呂チームの戦い、凄かったね!」と、完璧に話を合わせてその子を笑顔にさせていた。
相手のために、必死に勉強して、心を通わせようとする、本物の愛の体温。
俺が、47歳になって、のんこという女のために、自分が興味もない映画を観て、漫画を必死に読んで勉強して、何時間も閉店後の店で寄り添い続けたあの底なしの優しさ
――それは、30年前のあの教室で、真美さんが俺たちに見せてくれた「本物の寄り添い」の完全な血統だったのだ。
ご一読ありがとうございます。誰よりも子供を愛しながらも子供を産めない身体という理不尽を背負い、世間の身勝手な条件に値奢されながらも、塾の子供たちの前では凛と戦い続けた真美さん。彼女が遺した手紙の文字の覇気は、30年後のひややっこを支え続けていました。次回、【第7話 白き部屋の残光 〜14人で往った彼女が、最期に遺した微笑み〜1】。1999年、冬。白血病という2度目の死刑宣告を受け、白い病室のベッドの上にいた真美さん。21歳の俺がアニメーターの過酷な現場で必死にペンを握る中、最期の瞬間が近づいていた。彼女が死の直前、俺に語った切なすぎる死生観とは――。次回も、ひややっこの生涯をかけた宣戦布告の根底をお見逃しなく。




