番外編16:『終焉のツィゴイネルワイゼン(完全チェックメイト) 〜灰滅する京都タワー(ソドム)と、比叡山頂の聖域で“生体家具(器物)”に転生した全能ナンパ師の純愛〜』5
【読者の皆様へ(免責事項)】この物語は完全なフィクションであり、実在の人物、地名、特定の宗教団体、結婚相談所、および書籍・マッチングアプリ等とは一切関係ありません。作中の宗教婚活事情や心理描写はエンターテインメントとしての創作・風刺であり、特定の生き方や価値観、信仰を誹謗中傷する意図は一切ございません。あらかじめご了承の上、エンターテインメントとしてお楽しみください。
「……理央。私、おしっこがしたい」
普通の去勢されたモブ男であれば、その不潔さにパニックを起こして逃げ出しただろう。
しかし、人間の生態データをストイックに極め尽くしてきた理央の脳細胞には、何の躊躇もノイズも発生しなかった。
「互いに重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を全うすることになります。」── ガラテヤ人への手紙 6章2節より
「……いいよ、メグミさん。あなたのすべてを、俺のこの生身の身体で、等価交換としてハックし尽くしてやる」
理央はすぐさま「生体排水システム」へと自らの肉体を変形させ、メグミの尿道口の真下へと自らの口を正確にホールド(固定)した。
理央の味覚と嗅覚のセンサーは、彼女の体内から放たれる熱量を持った最初の生命のログをダイレクトに感知した。
彼女の尿道から迸る熱い水分が理央の口内を満たす。
それは決して不潔な汚物などではなく、昼間の過酷な畑仕事で純粋に代謝された、塩分を微かに帯びた生体エネルギーそのものだった。
「イエスは言われた、『あなたがたも、まだわからないのか。すべて、口に入るものは、おなかに入り、そして、外へ投げ出される(排泄される)ことがわからないのか。しかし、口から出てくるものは、心から出てくるのであって、それが人を汚すのである。』」── マタイによる福音書 15章16〜18節より
理央の舌先をピリリと刺すような生々しい体温の重みと、彼女の生命の息遣いが凝縮されたほろ苦い酸味。
理央にとっては、大好きなメグミが紡ぎ出した本物の「味」だからこそ、嫌悪感など1ミリも湧き上がらない。
彼はその生命の水分を一滴残らず、自らの喉の奥へと修羅のように真っ直ぐにハック(嚥下)し尽くした。
完全に受け止められた安堵の熱量の中で、メグミの脳細胞はさらなる無意識の濁流を検知し、身体をもう一度プルッと震わせた。
彼女は潤んだ瞳で理央を見下ろし、羞恥と絶対的な支配の入り混じった声で言葉を重ねた。
「理央、ごめんなさい……。おしっこをしたら、うんこもしたくなっちゃった。……このまま全部、あなたの中に出させて」
「構わない。すべて俺の肉体に注ぎ込め」
「きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた人々や信じない人々には、何一つ きよい ものはありません。その知性と良心とが汚れてしまっているからです。」── テトスへの手紙 1章15節より
理央が器物としての覚悟をさらに強固に固定した瞬間、彼女の肛門から、ずっしりとした濃厚な質量の排泄物が押し出されてきた。
それは、比叡山の土を耕し、自給自足の素朴な穀物を必死に消化して生み出された、強烈な生命のパッション(臭気)を帯びた泥のような塊だった。
口内を埋め尽くす圧倒的な苦味と、ザラついた粘土のような重厚な食感。理央はそのすべてを冷徹に噛み砕き、自らの胃袋へと一切の躊躇なく嚥下していった。かつて都会の頂点で女をスペックで値値値踏みしていた全能のナンパ師が、今や一人のやぼったいクリスチャン女子の排泄物を処理するためだけのただの器物へと完全に去勢されている。
しかし、その喉を通り抜ける圧倒的な苦味と熱量こそが、理央にとって【彼女の最も深い絶望とエゴのすべてを、この世界で俺の肉体だけが等価交換で受け止め、彼女を清らかなままでいさせている】という、狂うほどの純愛のメロディ(幸福)に他ならなかった。
排泄が完了した瞬間、理央は自らの舌を使い、メグミの排泄口の周りに残されたわずかな排泄物のログ(汚れ)を、一滴の不潔さも残さないように完璧に舐め尽くして清めた。
メグミもまた、自分の最も恥ずべき汚物のすべてを、神崎理央という無敗だった男がすべてを喜んで貪り、全肯定して支えてくれる絶対的な主導権の檻の中で、誰にも言えなかった本音の孤独を完跡に治療されていた。理央の体温によって、元の美しい「聖女」の形へとハメ直されたメグミ。彼女はすべての心理的決壊の果てに、ただ一人の生身の少女としての涙をポロポロと流しながら、暗闇のベッドの上で静かに両手を組み、魂の最深部から本当の感謝を天へと捧げた。
「神様……。こんな不潔で、醜い私のすべてを許して、生身の体温で支えてくれる、本物の『助け手』を私に与えてくださって、本当にありがとうございます……✨」
それは、これまでのキリスト教結婚相談所の綺麗事マニュアルの檻を完全に突き破り、この更地の新世界だからこそ二人が掴み取ることができた、本物の「信仰と純愛の完成」のメロディだった。
「すべての人に対して、私はすべてのものとなりました。何とかして何人かでも救うためです。」── コリント人への手紙一 9章22節より
「主であり、師であるこの私があなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたも互いに足を洗い合うべきです。私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、手本を示したのです。」── ヨハネによる福音書 13章14〜15節より
実は、この二人の夜の営みを、一真はすべて察知していた。
ある夜、お堂の裏で数珠を静かに回しながら、一真は二人の前に現れ、ニヒルに笑ってこう言い放ったのだ。
「……神崎、メグミ。お前たちのその夜の営みを、世俗の泥人形どもは狂気と呼ぶかもしれん。だが、我が比叡山に伝わる天台密教の奥義を見よ ──『 煩脳即菩提 ( ぼんのうそくぼだい ) (人間の醜い欲望や愛欲も、それを真っ直ぐに突き詰めれば、そのまま悟りの知恵へと転化する)』の方程式を。
人が己の傲慢な天動説をすべて更地にし、ただ相手を支えるだけの道具(家具)となるほどの絶対的な受動を誓い、また一方がその孤独の過酷を肉体のすべてで支配する。
お前たちは、そうやって自らの歪んだ業のすべてを等価交換(合意)することで、この滅びゆく地獄の荒野で、嘘のない『本物の愛』を完成させているのだよ。
水洗トイレすら動かなくなったこの過酷な新世界において、お前たちのその行為は、お互いの生存リスクすらも二人の合意だけで100%自給自足し、処理し切っている最強の生存戦略だ。
朝、光が差したなら、また泥を踏み締めて労働の汗を流せ。
夜の暗闇の檻のことは、二人だけの聖域にホールドしておけばよい。
……お前たちは、本当の男と女になったな」
生き神である一真の圧倒的な霊性の器によって、二人の夜の変態的なプレイすらも「欺瞞に満ちた世界を生き抜くための、最も純粋で過酷な救済のメロディ」へと完全に全肯定されたのだった。




