着任
兼末の天才の前にあえなく敗退した長慶だが、佐殿の裁定により延岡藩指南役として召し抱えられます。
屈辱を飲みこんでの初出仕。長慶を小兵と侮る藩重臣の子弟たちを前に長慶は。
第一話で敗退した主人公の本来の格を示す回です。
今日は延岡藩剣術指南役に任じられて以来初めての、佐殿直参の子弟との顔合わせ。
自身も武人として一家言ある佐殿は、五万石そこらの小藩としては似合わぬ立派な稽古場を城に持っていた。
(今までは典膳めが、高級武士たちの体と心を地に這わせるだけだったろうが、今日からは違う)
いずれは自分の手で兼末を倒す。その決意には何も変わりはない。
しかし同時に佐殿が言ったように、的確な教えを得られずに伸び悩んでいた彼らを教え導くのが長慶の使命だ。
この延岡藩を九州一円でも最強の武の庭にする。
長慶は自分が果たすべき役目の意義に奮い立っていた。
「……あんな小男が?」
「いや、拙者は確かに父上に伺った。御前試合であの典膳殿にあと一歩まで迫ったそうだ」
「人は見かけによらぬ、ということか」
畳敷きの上座で端然と黙想している長慶の耳に届く藩士たちの低い声。
傍若無人な兼末への反感からか、その戦果は高めに噂されているようだ。
(タイ捨の教えを正しく伝えるためには、儂の指導への深い信頼が欲しい。撥ねっかえりの挑戦を華麗に退けるのが手っ取り早いだろうな)
丹田に溜めた息を細く長く吐きながら、長慶は都合の良いことを考える。
豈図らんやその願いが叶うとは。
兼末にはやや及ばないものの、小柄な長慶からすれば見上げる程という形容の相応しい若者が上座に歩み寄ってきた。
「失礼いたす、指南役殿。拙者、延岡藩使番蓑里舎人佑勝永が一子、勝義でござる」
「拙者は日比野右衛門尉長慶。以後はそう呼んでいただきたい」
「では右衛門尉殿。早速だが一手御指南願おう」
待ち望んだ展開に思わずうっすらと口元が緩む。
いつもの深く礼をして表情を隠す癖を出しかけて止める。
今の長慶は先日召し抱えられたばかりではあるが、正式に指南役として任じられているのだ。
挑発したい訳でも無いが、上位者としての体面は保つ必要はある。
上がった口角をそのままに、おそらくここに集まった中では一番の使い手の願いを聞き入れた。
「では各々方、稽古場の中央を空けて頂きたい。蓑里殿、木刀でよろしいか?」
「……無論」
長慶にその心算は無い。
しかし今の流れで笑えば馬鹿にされたと思うのは仕方ない。
当然、勝義と名乗った青年は一瞬顔を強張らせる。
(良い顔付きだ。正直典善の奴ばらに心を折られた者ばかりだったら、どうしようかと思っていたからな)
技の教授なら長慶は自信がある。駆け引きもだ。
免許皆伝前の二、三年に至っては、師匠が直観で選んだ最適を、本人よりも的確に説明できるほどだった。
しかし心の問題となるとまだ若い長慶には難題だ。
心技体の最後の一つについては、際立って小柄な彼には、師匠ともまた少し違う考えがある。
(ともあれあまり侮って無様を晒せば、性根が強い分今後の扱いは厄介。この機会を逃さず、儂の剣腕を見せつけねばな)
「誰ぞに開始の合図をお願いしたい」
「では拙者が」
「右衛門尉殿、審判も彼に?」
「不要。何故拙者が指南役を任じられたのか、この場にいる全員に知らしめてみせよう」
第三者の判定など必要ない、明確な勝利で終わらせる。
今度は意図的に挑発した長慶に乗せられて、頬を紅潮させる勝義。
師匠は相手を威圧したり、挑発したりといった、一般的に卑怯とされる振舞いを否定した事は無い。
それらの揺さぶりに負けない心構えを養う為に、丸目長恵は新陰流に学んだのだ。
(吐いた唾は飲み込めぬぞ、と言いたげだな。その気迫もなかなか良い)
「蓑里殿も構えられよ」
「承知」
もはや睨み殺してやろうという勝義の威圧など柳に風と流して、長慶は青眼に構える。
対する勝義はというと、おそらく兼末に倣った蜻蛉。
もし長慶が兼末を研究した後ならば、ここが違う、そこはこうせよ、そう一目で指摘できたかもしれない。
しかしたった一度の立ち会いだけでは流石の長慶にもそこまでの事はできぬ。
(典善の雲耀を受け継いでいるなら、充分な間合いまでは動くつもりは無いだろうな)
その上で明らかな挑戦者だった兼末戦では、礼儀として長慶から動かなくてはいかなかった。
今回はそこが違う。
もちろん長慶が腕前を示す為には、ダラダラと膠着状態を続ける訳にはいかない。
そこで先ほどの挑発が効いてくる。
(そもそも蓑里殿、其許は典善に対して常に踏み込む立場だったのではないか? 待ちに徹するとして、本当にそれを全うできるかな?)
「ふっ…」
「!」
「しいっ」
勝義の焦れる気持ちを増幅しようと、切っ先を正中線から逸らしたり、鋭い吐息をもらしたりする。
すると思惑通り、そのわざとらしい呼吸のたびに、勝義は動揺する。
不動を保つべきヤクマルの使い手が、何をいちいち刀を揺らしているのか。
そんな風に周囲は見ているかもしれない。
しかしこれぞ新陰流より伝わった転の応用。
待を捨てる事こそ基本にして奥義と教える長恵が、一部の高弟に伝えた崩し。
(これで耐えきれぬだろう)
「ふっ!」
最後の仕上げ。長慶は再びやや荒い気合いの声と同時に、軽く切っ先をずらす。
兼末が見ていたら何を小細工を、と一笑に付しただろう。
しかしそれは絶対の自信と共に揺さぶりを受け流せる天才剣士の発想。
弟子が心理戦の罠に陥らぬよう鍛えられない。
それ以前にそんな中途半端な心構えが存在しない兼末は、やはり指南役には不適格だった。
「! きえぇぇ!」
(むん……!)
それでも稽古場の天井に達するかの猿叫と共になかなか鋭い一撃。
長慶ならばなかなか止まりのその雲耀もどきを躱すこともできた。
だが敢えて受ける。この一戦での長慶の目的は勝つことではない。
完璧に勝つこと。
ゆえに自分より頭一つ近く大きな勝義の打ち下ろしを、刀身に手を添えて受け止めた。
重い一撃だ。
だがその重さは所詮勝義の恵まれた体躯だけの重さ。
ヤクマルの理合いで練り込まれ、先日一刀のもとに長慶を跳ね飛ばした、あの本物の雲耀の衝撃とは比較にならない。
「それっ!」
「な……⁉」
「ふん!」
上から打ち下ろされたのを受けとめた長慶は、その重みを身体を一本の軸として地面に流す。
完全に力の流れを制御した長慶の身体は勝義の一撃を地面に受け止めさせて、そしてその反動で勝義の振るった木刀を跳ね上げた。
まるで長慶という発条に力一杯木刀を振り下ろしたようなもの。
勝義は自分自身の力で宙を舞い、そして体勢を崩して稽古場の床に転がった。
「な、なんという事だ……巨漢の蓑里殿を、あんな小さな指南役殿が吹き飛ばしたぞ……!」
「信じられん。妖術か? それともこれが指南役殿のタイ捨流なのか?」
転倒したとはいえ勝義にもさほどの痛みはない。慌てて立ち上がる。
しかし勝敗は誰の目にも明らか。
観戦していた勝義の同輩は口々に目の前の光景が幻でない事を確認し合う。
「お……恐れ入りました!」
「うむ。典膳殿や佐殿が案じていたほど、深刻な状態ではない。いや、むしろ悪くない」
「悪くはない、でしょうか。我が事ながら余りにも無様でございましたが」
立ち会う前とは打って変わって恭しい勝義。
しかし長慶はその場しのぎの慰めを口にしたつもりはない。
本当に悪くはなかった。
もちろん教えるべきことは無数にある。しかし基本は修めていると長慶には思えた。
「足さばき、手の内の締め、拙者の呼吸の読み方など、守るべき肝心な部分は守っていた」
「はい。それは典膳殿も口を酸っぱくして」
「だがその先。見て盗めとでも教わっていた?」
「いえ。ただ丸太に全力の気合と共にひたすら打ち掛かれと」
「は?」
丸太を叩く。刀で。なんだそれは。
年に似合わぬ皺を更に深めて長慶は心底呆れかえる。
剣術とは動く人を斬るための技だ。抵抗一つしない丸太相手で何が学べるのか。
いや、兼末の天賦の才能ならば、むしろ反復練習で自身の最良をつかむ事ができるのかもしれない。
兼末ほどの天才ならば。
「なるほど。一人ひとり確認していくが、初歩はおそらく全員高度に会得しているだろうな」
「初歩はでございますか」
「指南役殿! それはどういう?」
「繰り返すが右衛門尉で結構」
むしろ音が長くなって呼びにくかろうが、役職ではなく名乗りを受けとめて欲しい。
そう思って長慶は改めて官途名乗りをあげると、説明を続ける。
「典膳殿ほどになると自分でも知らぬうちに鍛錬の階梯を駆け上がってしまう。躓たことが無いからそうした者の気持ちもわからぬ」
自分はそうではない。だから丁寧に教えられる。
それは指南役として優れた資質だが、苦い想いと共に改めて思い知る。
日比野右衛門尉長慶はどうしようもなく才無き身だ。
丸目蔵人佐長恵や薬丸典膳兼末とは違う。
「拙者にはそんなまるで背に翼を生やした天上人のような経験は無い。ただ誰よりも優れた剣客であった師匠から全て学んだ」
だからこれからも一つひとつ学ぶ。
師匠のなにげない教えを何度も繰り返し呼び起こす。
天才の動きを何度もこの目で確かめる。
「其許らも同じだ。拙者と共に一から学べばよい」
彼らの駆け上がるような足取りがなくとも。
決して踏み外さずにいつか上り詰めて見せる。
自分と同じ凡夫の群れに言い聞かせながら、長慶は改めてその背に追いつくと誓った。
読んでくださってありがとうございました。
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