仕官
主人公・長慶が師匠以来の天才剣士と出会い、初戦で見事に敗北を喫する物語の序幕です。
「変な名前じゃの」
「うっ・・・・・・」
長慶渾身の名乗りなどどうでも良い。そう言わんばかりのひと言に思わず呻き声が漏れる。
判っている。長慶自身の事ではない。修めた流派の名前である。
剣における様々なタイを捨てると書いてタイ捨。
天才丸目蔵人佐長恵がその半生をかけて辿り着いた理を端的に表したものだ。
しかし故郷肥の国を離れて以来何度誰に説明しても同じ反応が返ってくる。
とは言え名前が奇妙だからなどという理由で引き下がっては、それこそ師の顔に泥を塗ることになる。
年に似合わぬ額の皺を深くしながら、長慶は奇を衒っている訳ではないと丁寧に解説した。
「ふむ。なるほどの、新陰の流れか。教えは理に適っておる。しかし……理屈で人は斬れぬ」
「と、仰いますと?」
「無論その技の冴えを見せて貰いたいたいのじゃ。これ、兼末を呼べ」
藩主殿は若いが未だ戦国の猛り冷めやらぬこの延岡藩を、武断と文治を巧みに使い分けて鎮めた名君だ。
タイ捨の理念を充分に知った上で、理だけでは足らぬ、実戦を見せろというつもりらしい。
「儂の股肱のツワモノ相手に腕を見せて貰いたい。まさか嫌だとは言うまいな」
「無論でございます。拙者としても是非にと願い立てしたい事でございました」
開祖長恵の天賦の閃きを凡夫に伝えるため、弟子の誰よりもその技の言語化に力を尽くしてきた長慶だが、実戦の方が得意なのは言うまでもない。
しかし素浪人の身で藩の名士と立ち会わせろとは流石に畏れ多い。どうしたものかと思案はしていたのだが。
仕官希望者の願望を正確に読み取ったのであれば、延岡藩の上から下まで「佐殿」と慕われるその器量の一端を示したという事だろう。
長慶は深々と額付く。もちろん佐殿の洞察への敬意がそうさせたのだが、同時に思わず緩みそうになる口元を隠すためでもある。
それは若武者の長年の習慣。
嬉しい時は天にも響くような笑い声、哀しい時は身も世も勿れと泣き喚く、天衣無縫の師匠長恵に憧れ、そしてどうしてもそうは成れなかった凡人なりの処世術である。
(さて。楽に勝てるのも良いが、どうせならツワモノと呼ばれるのに相応しい剣士であって欲しいものだ)
一刻ほどの後、急遽設えられた白洲で待つ長慶の前に現れたのは、六尺を優に上回る巨漢であった。
目測で四尺に達するであろう野太刀を引きずるようにして現れた彼は、居並ぶ重臣をさらりと無視して藩主にだけ黙礼すると
「きさんが殿の御手を煩わす無礼もんか」
挑発するような言葉をひとつ投げつけて、ろくに長慶の顔も見ずに構える。
(無礼なのは貴様だ)
心中で思わず反論する長慶だが、藩主殿はかすかに苦笑するのみ。
苦々しい重臣たちの顔からすると、こんな事は日常茶飯事なのだろう。
実際その洗練された一挙一動は、単に巨躯を頼みにするだけの木偶の坊ではない、剣腕のみで重臣たちを黙らせるに相応しいと長慶に感じさせる。
久しぶりの他流試合、タイ捨を見せつける絶好の機会と浮ついていた自分を窘めて、対戦相手の観察を始めた。
(蜻蛉……示現流か? いや、しかし……)
肩に担ぐようなやや崩れた八相からはそう見える。
しかし下半身は違う。あんなに深く腰を落としては、神速と名高い雲耀を繰り出すことはできないだろう。
無論タイ捨は最強の剣だ。大名の禄を食んでいるお座敷剣術家など全く問題では無い。
問題はないが、しかしできれば判った上で万全の対処と行きたい。
ふと旅のさなかに聞いた噂を思い出した長慶はカネスエと呼ばれていた男の名前を確かめる。
「貴殿、名は何という?」
「おいの名前なぞ今は関係無か」
「これから立ち会う相手の名を知りたいと思って何が悪い」
「薬丸典膳兼末。きさんもさっさと構えい」
「相手に名乗らせてそのまま済ませられるものか。日比野右衛門尉長慶と憶えて貰おう」
「きさんの名前なぞどうでも良か。どうせこの一太刀でなんもなしになっど」
相変わらず無礼なカネスエとやらだが、相手の要求に応じて愛刀を抜いた長慶は内心で頷く。
(ヤクマルとかいう連中か。本家の示現流と少し違うというのは真実らしい)
九州最南端、薩摩の示現流に古来からの野太刀を使う一派が合流して、特殊な地位を築いているという話は豊前で聞いたのだったか。
雲耀なる大仰な名前の技で先手を取るのではなく、懐に呼び込んだところで必殺の一撃という流儀なのだろう。
自分から動く気が無いのならばあの大地に根を張るような構えにも合点がいく。
(さてどうしたものか。両者最後まで動かず引き分けという訳にもいかんからな)
師匠長恵の教えによれば、戦士が捨てるべきタイの一つは待。
つまり剣においては常に先手を取るべしというのがタイ捨の本懐なのだが、その頂点に立つ長恵相手に稽古を積んできた長慶は、どちらかというと後の先で相手の得意を潰す方が慣れている。
しかしこの立ち合いにおける長慶は挑戦者。自分の得意は待ちだからお前から攻めて来いなどとは、自身の誇りにかけても言う訳に行かない。
(師匠のように撃ち込めばたちどころに相手は崩れる、というのは儂には生涯無理だろうが。だからこそ崩し方というのを知っている)
にじり寄りながら、正眼に構えた刀をわざと二寸ほど伸ばして下段に移す。天才・長恵ですらこの間合いの詐術に引っかかったことは一度や二度ではない。
しかしヤクマル某はその動きをとらえながらもピクリともしない。
次の一手。
大上段に振りかぶった長慶はさらに一歩踏み出す。
(残り三寸と言ったところか。これはどうだ)
今度は全身から戦意を噴出して見せる。だが並の剣士ならば思わず誘われるその気迫にも兼末は動じない。
むしろ長慶のほうが焦れてきて、一対一ではあまり使わない左右への歩み足。
軸が外されたのは判っているだろうに兼末は視線で長慶の姿を追うだけ。
相手の反応の無さに苛立った長慶は少しむきになり、必要以上に大きく右へ一歩踏み出してしまった。
対戦相手が許しているのをいいことに後ろから斬り掛かると見えたようで、観戦している重臣の列から咳払いが聞こえる。
(いかんいかん、流石にここまで回りこむのは無作法だな……こちらの無様を笑いもせんとは。立ち会っていてるのに、儂など眼中に無いという事か。舐められたものよ)
後一寸。事ここに及んで長慶も小細工は捨てると決めた。
覚悟の定まった剣士は膝の力をすっと抜き、敷かれた砂利を一粒も蹴立てずに踏み込んだ。
足腰が動いたようには見えない、しかし目にも止まらぬ早さで間合いを詰める長慶。
常識を覆す光景にさしもの兼末も目を見開く。
それでも延岡藩随一のツワモノの自負か、あるいは積み上げた技への信頼か、巨漢は迷わず神速の小兵に向けて一撃を見舞った。
とても四尺あまりの長物の動きとは思えない。なるほど雲耀の名も伊達ではあるまい。
心の隅で感服する長慶だが、来るとわかっているのだから防御は容易い。
充分な余裕をもって愛刀は野太刀の剣筋を遮った。
そのつもりで長慶は反撃の袈裟懸けへと体勢を整えようとした。
だが。
(な、なんだこれは⁉︎ 刀が、暴れる?)
雲耀の命名の由来は剣速だけではなかったのだ。とても人が振るったとは思えない衝撃が刀から腕を通して伝わり、長慶の脳天を撃ち抜いた。
小柄な青年剣士の意識は、雷鳴の轟きを遠く感じながら、暗雲の中に沈んでいった。
「どうじゃ?」
「見事なもんでごわす。おいの一撃にしっかり割り込み申した」
「その割には目を回しておるようじゃが」
「目方が随分軽いようです。おいの刀勢までは防ぐことができんかったようでごわすが、少なくとも技だけならおいのように人に教えられんよりはましじゃと」
「お主がそこまで言うとはの」
そう言った佐殿は巌のような兼末の顔に見慣れぬ色がうかんでいるのに気付いた。
「兼末?」
「こんわろには……ずばぁ弟子ができるんじゃっど」
「儂が仲人でも務めてやろうか?」
冗談めかした佐殿の言葉に兼末は軽く首を横に振る。
「おいにはこいが有り申す。そいでは殿、おいはこれで失礼いたす」
ふと気が付くと長慶は白洲の上で大の字に寝転がっていた。師匠から授かった大事な愛刀も数間先まで飛ばされている。
ぼんやりと仰向けのまま周囲を見回す長慶を、面白そうに見守る佐殿と苦虫を潰したような重臣たち。
それで長慶は事態に気付いて慌てて平伏する。
「ご無礼をいたしました!」
「よいよい、見事な立ち合いを見せてもらった」
「未熟を痛感いたしました。残念ながらこの度の仕官願い……」
「タイ捨流免許皆伝、日比野右衛門尉長慶、そちを延岡藩剣術指南役に任ずる」
「は……? しかし儂、いや拙者は立ち合いに敗れて……」
「だがお主は兼末の必殺の一太刀に見事に伍してみせた。あやつは甚くお主を評価して居ったぞ」
「は……それは」
木っ端のように自分を蹴散らした男に高く評価されている。
その事実は長慶の心に複雑な感興を呼び起こした。
天才・長恵にきりきり舞いさせられた直後に、さっきのは良い工夫だったと褒められたあの一瞬と半ば同じくする心境。
「はっきり言っての。兼末は一種の天才じゃ。その剣腕は並ぶ者がないが誰も真似ができなんだ。儂の護衛はともかく、剣術指南役は到底務まらん」
それはそうだろう。雷の異名を冠するに相応しい早さと重さ。
あの男の若さを考えれば驚異的な才覚だ。
そして理を解き明かさずに才能で身に付けた技を、人に説明できるはずがない。
「お主は逆じゃ。凡夫故にこそ積み重ねたその技が欲しい」
「なっ……!」
ふざけるな。喉元まで出かかった叫びを長慶は必死で飲みこむ。
相手は藩主だ。堪えろ。自分の凡庸など師匠と比べて何度も理解してきたではないか。
思わぬ展開にざわつく重臣たちの低い声の中、深呼吸を繰り返した若侍は一瞬で思考を巡らす。
おそらくこの話、こちらから蹴飛ばしたとしても佐殿は気にしないだろう。
だが長慶は折り目正しく座ると深々と頭を下げて、佐殿の判断に対して無言の返答をする。
その場にいた誰もが敗退しながら召し抱えられた幸運にむせび泣いているのだと思うはずだ。
(そう思っておれ。儂があの麒麟児を撃ち落とすその日までな)
胸中の憤怒を見事に抑え抜いた剣士の背中に佐殿は目を細める。
人を見る目に優れた彼のみは長慶の複雑な心境を察していた。
「虚仮の一念じゃの。さてこの流れ、あの巨岩を穿つか否か……」
見物じゃの。
そう声に出さずに呟いた佐殿は退出する長慶の乱れた足音に苦笑を隠せなかった。
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