62 それが俺のしたいことです
夏の日差しが降り注ぐ中、俺は住宅街を歩いていた。頭上には強烈な輝きを放つ太陽が浮かんでいる。
それをなんとか遮りながら、やっとのことで目的の家までたどり着いた。
玄関のチャイムを鳴らすと、「はーい」と家の中から声が聞こえた。少し待つと、玄関のドアが開く。
「いらっしゃい、和哉君」
長い黒髪を背中まで伸ばした女性は結梨と似た顔立ちをしていた。彼女は優しい笑みをこちらに向けていた。
「お邪魔します、静香さん」
「ゆっくりしていってね」
静香さんからの歓迎の声を聞きながら、俺は家の中に入る。
7月初めの土曜日、俺は英作さんと静香さんの家に来ていた。
「こっちよ、和哉君」
静香さんに案内されるがまま、リビングへと入っていく。リビングにあるソファで誰かが新聞を読んでいた。その誰かは俺が入ってきたことに気づいたのか、顔を上げる。
メガネをかけた男性はにっこりと笑っていた。
「やあ、和哉君。いらっしゃい」
「お邪魔しています、英作さん」
英作さんに挨拶した俺はリビングを見回した。リビングには英作さん1人だけだ。いると思っていた人が見当たらないからだ。
「結梨ちゃんなら遅れてくるみたいだよ」
「そうなんですね」
俺の疑問を察したのか静香さんの声が後ろから聞こえてくる。俺は背後を振り返って返事をする。
「電車が遅れているみたい。さっき連絡があったよ」
そう言って、静香さんはスマホの画面を見せた。そこには結梨からのメッセージが表示されていた。
俺も自分のスマホを取り出して、起動する。すると静香さんと同様に姉からメッセージが届いていた。
時間的に考えると、俺が英作さん達の家に着く直前のようだ。
「和哉君、悪いけど、結梨ちゃんが来るまでご飯は待ってもらえる?」
「大丈夫ですよ」
「ありがとう。ご飯はみんなで食べた方が楽しいよね」
静香さんは結梨に似た優しい笑みを浮かべていた。
今日、俺と結梨——まだ来ていないが——がこの家に呼ばれたのは昼ご飯を食べるためだ。
俺と結梨の両親はどちらも出かけていて、夜まで帰って来ない。
そんな状況を結梨から聞いた静香さんが俺と結梨に家で昼ご飯を食べに来ないかと誘ったのだった。
俺と結梨は快く承諾し、話し合いの結果、英作さん達の家に集合となった。
俺の家より結梨の家の方が近いため、とっくに着いていると思っていたが、違ったようだ。
「ほら、和哉君。座って」
静香さんが椅子を俺の近くまで持ってきてくれた。
「すみません、ありがとうございます」
お礼を言って、椅子に腰掛ける。静香さんも俺とテーブルを挟んで、対面の席に座る。
「そういえば、和哉君」
「何ですか?」
「この前、結梨ちゃんと海に行ったんだって?」
「どうして、それを知っているんですか!?」
「結梨ちゃんから聞いているからね」
驚きのあまり声を上げてしまった俺に対して、静香さんは微笑ましい目で俺を見ていた。
どうやら結梨は西村だけでなく、静香さんにも俺とのことを報告していようだ。
確かに彼女は俺と結梨の関係を知っているため、話す分には問題ないだろう。俺の羞恥心を除けば。
「本当に2人とも仲がいいんだね」
「情報が筒抜けじゃないですか……」
情報が伝わる早さに俺は空いた口が塞がらなかった。結梨はどれだけ赤裸々に語っているのだろうか。頭を抱えそうになる。
「安心して、和哉君」
「え?」
「海に行ったことまでは聞いているけど、2人がどんな話をしたまでは聞いてないから」
静香さんの言葉に俺の心は落ち着きを取り戻した。海で話したこと。もちろんそのことは覚えている。俺の、いや、俺と結梨の大切な思い出だ。
「2人はどんな話をしたのかな?」
相変わらず静香さんは笑みを浮かべたままだ。けれど、それにしては目が真っ直ぐに俺を捉えているように感じる。
こちらが答えるまで逃しはしない。そんな決意が感じられる視線だ。結梨というより、結梨の母親と似た眼差しに思える。
「こらこら、静香。和哉君を困らせてはいけないよ」
英作さんがいつの間にか俺と静香さんが座っているテーブル近くに立っていた。
彼は俺から背を向けて、静香さんと向き合っていた。
「別に困らせてはないよ。ただ結梨ちゃんとどんな話をしたのかなって気になっただけだよ」
「けど、結梨ちゃんが話してないなら、静香が聞いてはいけないことだと僕は思うよ」
英作さんの逞しい背中から穏やかだけど力強さを感じる声が聞こえる。
英作さんの声を聞いて、あの時の結梨の顔が思い浮かぶ。あの顔は思い悩み決断した時のそれだ。
それならば。
「英作さんの言う通りです。結梨姉さんが話してないなら、俺も話しません」
「ほら、和哉君もこう言っているよ」
そう言って、英作さんは体を横にずらした。そうすると、申し訳なさそうな顔をした静香さんと目が合った。
「ごめんね、和哉君。意地悪しちゃった」
「いえ、俺は別に大丈夫です。でも、どれだけ聞かれても結梨とのことを話すつもりはありません」
改めてはっきりと宣言する。結梨は俺を信頼して、将来の夢を話してくれたのだ。だがら、彼女の信頼を裏切るわけにはいかない。
そんな俺の宣言に対して静香さんはというと。
「ああ、そうじゃなくてね。私は和哉君を試していたんだよ」
何故か嬉しそうな顔をしていた。
「『試す』ってどういうことですか?」
「和哉君が結梨ちゃんとの大事な『話』を誰にも話さないでいられるかどうかテストしたんだよ。ごめんね、もうやらないから」
静香さんは両手を合わせて、頭を下げた。それを見て、俺はようやく彼女の真意を理解した。
静香さんは本当に俺が話さないかどうか確かめたかったようだ。それで俺にあんな態度を取ったということだ。
「だとしても、やり過ぎだよ」
「だって、和哉君が可愛かったんだもん」
笑顔で諌める英作さんに対して、静香さんは弁明になってない弁明をした。英作さんが大して驚いていないことを見るに、彼はあらかじめ静香さんの真意に気づいていたようだ。
「さて、もうそろそろ昼ご飯の準備をしないといけないね」
「英作さん、お願いできる?」
「ああ、もちろん。任せてよ」
英作さんは胸に軽く拳を当てると、キッチンへ行くためにリビングから出て行った。
少しすると、キッチンから何やら音が聞こえ始めた。
「英作さんの料理は美味しいよ。楽しみにしててね」
「ええ、分かりました」
そして、リビングは俺と静香さんの2人きりになった。先程の言葉の通り、彼女は俺に追及してこなかった。
静香さんから言われて、改めてあの時の結梨の様子を思い返していた。
海で話した時のことではない。その帰り道のことだ。
『両親に話したことはないわ』
そう言った時の結梨の顔が頭から離れられない。見ているこちらが胸を締め付けられる思いになってしまう。そんな結梨に大して、俺は。
「結梨ちゃん、遅いね」
「ええ、そうですね」
静香さんの言葉に返事をする。結梨は未だに現れない。
「ねえ、和哉君? 何かあったの?」
「え?」
「ほら、何か浮かない顔をしていたから気になって」
静香さんは俺のことを心配そうに見ていた。その顔は結梨と似ていた。
思わず口を開きそうになる。けれど、すんでのところで思い留まる。そして、また言葉が飛び出そうになる。
「和哉君の話せる範囲で大丈夫だよ」
俺の煮え切らない態度を見て、静香さんは優しい声で告げた。それは俺を励ます時の結梨の声にも聞こえた。
「分かりました」
俺は拳をぎゅっと握りしめた。頭の中で情報を整理する。
「結梨は悩んでいます。それを俺は聞きました」
自分の将来を誰にも告げられない。それはどれほどの重みだろうか。本人ではない俺にとっては想像することしかできない。それでも。
「聞いた俺は一体どうしたらいいんでしょうか」
ポツリと俺の呟きが李敏に行き渡っていく。
「和哉君は」
「はい」
静香さんから呼びかけられ、俺は顔を上げる。すると優しい笑顔を浮かべた静香さんと向き合った。
「和哉君はどうしたいのかな?」
「俺のしたいこと……」
静香さんの言葉を復唱しながら、頭を働かせる。思い悩む、力なく笑う結梨を見て、俺がしたいこと。それは……。
「結梨に笑っていて欲しい。俺はその手助けがしたい。それが俺のしたいことです」
具体的な方法は今のところ思いつかない。それでも俺のやりたいことは見つかった。はっきりと形になった。
「頑張ってね、和哉君」
結梨と似た笑顔を向けられて、俺の体から力が湧いてきた。




