57 姉思いの弟を持ててお姉ちゃんは幸せね
梅雨はまだ開けない。相変わらずの雨だった。昼間だと言うのに、空はどんよりとした雲で覆われている。
今日はお出かけには適した日とはいえない。それでも心が逸っている俺がいた。
待ち合わせ場所には、明るいベージュ色の髪が見えた。彼女は俺が来たことに気づいたのかこちらを振り向いた。
「結梨姉さん、待たせたな」
「大丈夫よ。私もちょうど来たところだから」
俺と結梨はいつも通りのやり取りを交わしている。つもりだった。
実際のところ彼女がどう思っているのか分からない。結梨とこうして2人で会うのは、彼女の家に行った時以来だからだ。
「今日は誘ってくれて、ありがとうね」
「俺が姉さんと出かけたかったんだ。気にしなくていいよ」
「ふふっ、姉思いの弟を持ててお姉ちゃんは幸せね」
あの夜見せた結梨は夢だった。そう錯覚してしまうほど普段通りの笑顔を浮かべている彼女がそこにいた。見ているとこちらが安心する笑顔だった。
両親の前でぎこちなく笑っているそれとは別物だった。頭を振って、思考を頭から追い出す。
「何を考えているんだよ」
今日は一日結梨と一緒にいる予定だ。余計な考えは持たなくてもいいだろう。
「和哉君? 何か言ったかしら?」
「いや、何でもないぞ」
不思議そうな顔を向ける結梨に対して、返事をする。せっかくの好きな子とのお出かけなのだ。それに集中したい。
「それじゃあ、行くか」
「ええ、そうね」
俺と結梨歩き出した。結梨は俺の隣で楽しそうに笑っていた。この時間がずっと続けばのに。ふとそんな考えが頭の中に浮かんだ。
***
「着いたぞ、結梨姉さん」
「ここって、喫茶店?」
「そうだ。学に教えてもらったんだ」
「そうなの。田口君が」
俺と結梨は学おすすめの喫茶店へと入った。店員さんに席を案内されている最中、店内を観察した。そうすると、俺の思った通りの光景が広がっている。
俺と結梨が案内されたのは丸いテーブルに白いクロスシートがかけられていた。
椅子の背もたれは頭の高さほどにあるもので、アンティーク風の木製のものだ。
「何だか高級感あるところね」
「たまに学と西村が利用しているみたいだぞ」
「なるほどね。そういうことね」
結梨はどこか納得したような顔をして、周囲を見回していた。俺も周囲の人たちを観察する。
俺たちの周りも同じように男女1組で席についていた。どの組もお互いを見つめ合い、どこか甘い雰囲気が漂っていた。
「私たち以外カップルみたいね」
「そうみたいだな」
周りの人に配慮したのか結梨は小声で俺にそう話しかけた。彼女につられて、俺も同じように声を潜めた。
ここのお店が恋人たち御用達だということは学から聞いていた。この喫茶店を選んだのは理由がある。
『恋人たちが集まるところに野上さんと行くんだ』
それが学のアドバイスだった。彼曰く周りの雰囲気に当てられて、お互いを意識してしまうようになるらしい。
流石彼女持ち。中々の策略である。
けれど、結梨をここに連れてきたのはそれだけではない。もっと大事な理由があった。
「ご注文はいかがいたしましょうか?」
店員さんが俺たちのいるテーブル近くにやってきた。それを見た結梨がメニュー表を俺に渡そうとした時だ。
「このケーキバイキングでお願いします」
「えっ?」
「かしこまりました。お2人分の注文でよろしいでしょうか?」
「ええ、お願いします」
結梨の困惑した声を聞きながら、店員さんとやり取りを交わす。
「ご注文承りました。では、バイキング用のメニューをお持ちしますので、少々お待ちください」
店員さんはそう言うと、綺麗なお辞儀をして、俺たちのテーブルから離れていった。
「勝手に注文して悪かった」
「いえ、別にそれは構わないわ。それに、私の注文に聞き間違いなければ、ケーキバイキングって聞こえたわ」
「ああ、その通りだよ。今日は好きなケーキを好きなだけ食べられるぞ」
俺がそう伝えると、結梨は顔を輝かせた。まるで夏休みを目前とした子供のようだ。
結梨の顔を見て、俺はこの喫茶店を選んで正解だと確信した。甘いものに目がない結梨なら、きっと喜んでくれると考えてのことだ。
「けれど、いくら甘いものは別腹といっても、限度はあるわ。何切も食べられるかしら?」
「それも心配しなくていいぞ。一口サイズのケーキもあるみたいだ。ほら、こんな感じだ」
俺はスマホの画面を結梨に見せた。画面にはこの喫茶店のホームページが映し出されていて、一口サイズのケーキの写真もある。
「これなら色々な種類を食べられるわね。そんな夢のようなことがあっていいの?」
「まあ、大丈夫だ。値段もそんなに高くないしな」
学や西村も訪れたことがあるように、高校生でも無理なく出せる範囲の金額だ。しかもそれだけはない。
「あと、このお店には割引があってだな」
「割引?」
「男女1組で行くとケーキバイキングが割引になるそうだ」
俺はあえてさらりと結梨に告げた。結梨は俺の言葉に目を丸くした。
「ああ、だから、このお店にはカップルが多いのね」
「まあ、そういうことだよ」
結梨には俺が言いたいことが伝わったらしい。俺は顔が若干熱くなるのを感じた。
結梨はキョロキョロと辺りを見回して、やがて俺をじっと見つめた。
「けれど、いいのかしら? 私たちは姉弟よ。カップルではないわ」
恋人ではない。好きな子からはっきりと言葉にされて、俺の心に衝撃が走る。
結梨からすれば当然のことだが、だからこそその態度が俺の心に波紋を投げかける。
大丈夫。ここからだ。俺は自分に言い聞かせて、深呼吸をする。そうすると、心が落ち着くのが分かった。
「大丈夫だろ。別に店側もカップル限定にしていないからな」
その方が客が多く入るからなのかよく分からないが、そのお陰で俺たちは割引を受けることができる。
「お待たせしました。こちらがバイキング用のメニューになります」
店員さんが再びデーブルにやってきて、メニュー表を2つテーブルに置く。
「注文が決まりましたら、お呼びください」
そう言って、店員さんはテーブルを離れていく。それを見計らったように、結梨はメニュー表を素早く手に取った。
「ああ、こんなにたくさんあるなんて。一体どれからを食べればいいのかしら?」
結梨は物凄く幸せな表情で悩んでいた。その様子を俺は微笑ましく思った。
「これも美味しそう、けれど、これは普通のワンカットだけみたいね。それだったら……」
「別に普通のサイズも頼んでも大丈夫だぞ。2人で分ければいいからな」
「和哉君?」
結梨か首を傾げる。その可愛らしい仕草に俺の心臓はドクリと跳ね上がるが、なんとか平静を保つことができた。
「別にケーキを分け合ってはいけないなんてルールはないらしいぞ。学が言っていたよ」
恐らくカップルたちが食べさせ合うことができるようにと考えているのだろう。そのお陰でここの喫茶店はカップルからの人気は高い。
「なるほど。そんな裏技があるのね。でも、貴方は甘いものが苦手じゃなかった?」
「別に得意じゃないだけで、普通に食べられるぞ。たまには甘いものを食べるのも悪くないよ」
俺がケーキを食べれば、その分だけ結梨が多くケーキを注文できる。そうすれば、結梨が喜ぶ。
つまり、俺がケーキを食べれば食べるだけ好きな子の笑顔が見られるのだ。男としてここで頑張らなくてどうするのか。
「分かったわ! それだったら」
明るい笑顔を浮かべた結梨は早速メニュー表と睨めっこした。その表情は真剣そのものだが、見ているこちらが微笑ましくなるものだ。
「すみません、注文をお願いできますか?」
やがて決意を固めた顔をした結梨が店員さんを呼び止める。彼女は次々とケーキを注文していく。
その様子を見て、俺はどうしようもなく安心感を覚えた。
***
「とても満足したわ」
「それは何よりだ。結梨姉さんがあれだけ食べるなんて思わなかったよ」
喫茶店を出て、俺と結梨は道を歩く。集合した時と違い、雨は止んでいた。
俺から指摘を受けた結梨は頬を赤く染めた。
「だって、せっかくのケーキバイキングなのよ。食べないと損じゃない」
「まあ、そこまで楽しんでくれたなら良かったよ」
ここ1年分のケーキを食べた気分だ。けれど、その頑張りのお陰で、結梨の喜ぶ姿をたくさん見ることができた。
「和哉君」
不意に結梨が足を止める。それに合わせて俺も足を止めて、背後を振り返る。
「今日はありがとう。お陰で楽しかったわ」
そう言って、結梨は声を弾ませて、そう言った。その瞬間、雲の隙間から光が差し込んだ。そして、光が俺たちを照らした。
「どういたしましてだ」
俺がそう言うと、結梨は優しく微笑んだ。




