54 お姉ちゃんがしっかりと握っていてあげるわ
頭上にはどんよりとした曇り空が広がっている。予報だと数時間後には雨が降るそうだ。
生憎の天気だけど、今から向かう目的地には問題ない。念の為今日の目的地にしておいて、正解だった。
「和哉君、早いわね」
聞き覚えのある声が聞こえて、俺は顔を上げる。すると私服姿の結梨と目が合った。
「貴方の方が早いなんて珍しいわ」
「まあ、いつも結梨姉さんが先だったからな。たまには俺が早く行かないとって思ったんだ」
「ふふっ、頑張り屋の弟でお姉ちゃんは嬉しいわ」
そう言って、結梨は優しく微笑む。以前だったら、安心感を覚える笑顔だったが、今の俺は危機感を覚えていた。
このままじゃいけない。俺は拳を握りしめた。
「じゃあ、行くか」
「ええ、そうしましょう」
俺と結梨は並んで建物の中に入っていく。土曜日の今日、俺たちはある場所へと足を運んでいた。
「プラネタリウムなんて久しぶりね。和哉君もそうなの?」
「そうだな。子供の頃、遠足で来た以来だ」
「私と同じね」
今来ているのは俺たちが住んでいる街にあるプラネタリウムだ。ここは図書館の中に併設されていて、無料で楽しめるスポットだ。
屋内のため天気を気にしなくても良いから、今日のような日でも十分に楽しめる。
「どうして、プラネタリウムにしたの?」
結梨は不思議そうな顔をして、俺を見ていた。彼女の言った通り、今日ここに行こうと決めたのは俺だ。
昨日の夜、結梨に連絡した。つまり、俺が彼女を誘ったことになる。
結梨を誘ったのはある理由があった。
『まずは2人で出かけるんだよ』
頭の中で学からのアドバイスを反芻する。先日彼に結梨と付き合うにはどうしたらいいかと相談した時、色々と助言をもらった。
今日がそれを実践する時だ。
『2人で同じ場所に行って、同じものを見て、同じことを体験する。2人だけの思い出を作るんだ』
そうすれば、男女の距離は縮まるという。学の実体験を基づくアドバイスである。普通の男女だったら、鉄板だという。
けれど、俺と結梨では話が違う。何故なら俺たちの関係性は普通とは違うものだからだ。
『まあ、和哉と野上さんはもう色々と出かけているけどね』
苦笑いを浮かべる学の顔が思い起こされる。彼の言う通り、俺と結梨は既にそこら辺の恋人顔負けになってしまうほど出かけている。
ショッピングモールや水族館、遊園地に動物園。定番どころは一通り回ったという感じだ。
『それじゃあ、一体どうすればいいんだよ』
『大丈夫だよ。俺に考えがあるから』
弱音を吐く俺に対して、学は胸を張って、堂々としていた。
「和哉君?」
声をかけられて、思考の海から浮かび上がる。顔を上げると、同い年の姉が俺のことを心配そうな目で見つめていた。
「大丈夫かしら?」
「ああ、なんでもないぞ。えっと、俺がここを選んだ理由だったか」
俺はゆっくりと深呼吸をする。今までだと気恥ずかしくて、伝えることは難しいかった。
けれど、この際四の五言っている場合ではない。俺は隣にいる結梨を真っ直ぐに見つめた。
「結梨姉さんと出かけたかったからだよ。最近、天気が悪いから、屋内でも楽しめるところがいいと思って、ここにしたんだ」
自分の素直な気持ちを伝える。これが学から授かったアドバイスの1つである。
今まではたまたま招待券をもらっただの、行く用事があったからだの理屈を並べていた。
けれど、今日はそんな理屈っぽいことは抜きにして、俺の気持ちをストレートに投げた。
果たして、結梨はどんな反応をするだろうか。目の前にいる彼女の反応をそっと窺う。
「ありがとうね、和哉君。お姉ちゃんは嬉しいわ」
結梨はいつも通り姉らしい笑みを浮かべていた。照れも恥じらいも感じられない純粋な姉としての反応である。
……まだ今日は始まったばかりだ。これからだ。
自分に言い聞かせるように俺は心の中でも呟いた。
***
プラネタリウムの入り口まで来ると、大勢の人で混雑していた。今日が土曜日のためか家族連れも多いが、中には恋人同士と思われる若い男女のペアも何組か見えた。
プラネタリウムが始まるまで時間があるため、俺と結梨は入り口近くで待つことにした。
「人が多いから逸れないように気をつけてね
結梨がそう呟いた途端、俺の頭の中である考えが閃いた。
俺は咳払いをして、隣にいる結梨を見つめた。
「それだったら、手を繋がないか?」
「え?」
俺の言葉にクラスメイトである姉は呆気に取られていた。その反応を見て、作戦の成功を確信する。
『和哉から手を繋ぐべきだよ』
再び頭の中で学のアドバイスが蘇る。彼曰く身体的接触、要は触れ合うことで距離を縮められるという。
これまで結梨から俺の手を掴んだり、腕を引っ張ったりしたことはあったが、俺から、それも手を繋ごうと言ったことはなかった。結梨の反応も当然だろう。
俺から思わぬ誘いを受けた同い年の姉はまじまじと俺を見ていた。やがてフッと小さく笑うと俺に向かって手を差し伸べた。
「ええ、お願いするわ」
「あ、ああ」
俺は結梨の手を取った。そのままお互いの手を繋ぐ。好きな子と手を繋いでいる。男子なら天にも昇る思いだろう。現に俺の心臓はうるさく鼓動している。
ふと顔を上げると、結梨と目が合った。彼女は俺に向かって楽しそうに微笑んだ。
「和哉君が逸れないようお姉ちゃんがしっかりと握っていてあげる」
その笑顔はやはり姉としての笑顔だった。責任感と楽しさを織り交ぜた笑みである。間違っても男女のそれとは別物だった。
「お待たせしました。只今からプラネタリウムに入場いただけます」
係員さんがそう言うと、入り口の扉が開く。そして、そこへ吸い込まれるように人が入っていく。
「私たちも行きましょう。和哉君、手を離してはダメよ」
「分かっているよ」
結梨に手を引かれながら、プラネタリウムへと向かっていく。前を向くと、姉のキリッとした表情が見えた。
なんだろう、好きな女子と手を繋いでいるはずなのに、距離感が縮まった気がしない。
俺は改めて恋愛の難しさを思い知った。
***
頭上を見上げると、満天の星空が広がっている。これが映像だということは頭で理解している。けれど、それでもその壮大さに圧倒されていた。
俺が座っている席はリクライニングになっていて、首を痛めることなく、星々を観察することができる。
「今、赤い丸で囲んだところにある星がベガになります。七夕の織姫に当たる星です」
係員の声が耳に届くと、星空に赤い丸が描かれた。その丸の中心に星が見える。
「今度は青い丸で囲まれた星が見えますでしょうか? この星がアルタイルです。こちらは彦星になります」
青い丸が頭上の夜空に浮かび上がる。ベガとアルタイルは距離があり、その間には星が集まった川のようなものが横たわっていた。
「この2つの星の間にあるのが通常天の川と呼ばれる星の集合体になります。天の川を挟んで、対岸に位置するベガとアルタイルを見て、昔の人は七夕の物語を考えたのです」
いわゆる七夕の伝説というものだ。愛する者が離れ離れになってしまう。俺だったらとても耐えられない。
「そして、そのベガとアルタイルから少し離れたところにあるのが今黄色の丸で囲まれたデネブです。この3つの星を線で結んでできるのが夏の大三角形です」
係員さんの声と共に、夜空に線が走った。それはベガとアルタイル、デネブを繋いで、1つの大きな三角形を生み出す。
俺はチラリと横を窺う。隣に座っているのは結梨だ。
彼女は感心しているような楽しそうな笑みを浮かべていた。
俺はそっと手を伸ばして、結梨の手を握った。
「和哉君?」
結梨は不思議そうな顔をしていた。勢いでとんでもないことをしてしまった。一体どう誤魔化すべきか。
「少し眠くなりそうだったから、思わず手を繋いでしまった。悪かった」
我ながら苦しい言い訳だ。これは手を離した方がいいだろうか。そう思った時である。
俺の手を優しく握り返してくれた。横を向くと、柔らかい笑みを浮かべる結梨と目が合った。
「いえ、気にしなくていいわ。私はお姉ちゃんだから
大丈夫よ」
どうやら俺の恋はまだまだこれからのようだ。




