51 これが弟の反抗期かしら
お待たせしました。
今日から更新を再開します。
昼休みに入り、俺は視聴覚室にいた。弁当箱を机の上に置いて、待っていると、視聴覚室にある女子が入ってきた。
彼女は明るいベージュ色の髪をたなびかせていた。俺の姿を見つけると笑顔を浮かべた。そして、こちらへと向かってくる。
「お待たせしたわ、和哉君」
そう言って、結梨は俺の隣の席に座った。その瞬間、柔らかい匂いが鼻をくすぐる。
今日は恒例の結梨と一緒に昼ご飯を食べる日だ。
「お姉ちゃんが来るまで待っていてくれるなんて、和哉君は優しいわね」
結梨は柔らかい笑顔をこちらに向けた。その光景はどんな絵画よりも美しく思えた。
「べ、別に待ってないぞ。俺も今来たところだ」
俺は目の前の姉から顔を逸らしていた。これ以上結梨と向かい合っていたら、俺の心臓がもたない。
「そう? それなら良かったわ。早速食べましょう」
結梨は持ってきた弁当箱を机の上に置くと、包みを解いて、弁当箱を広げる。俺もそれに倣い、弁当箱の蓋を開けた。
「今日は和哉君の好きなハンバーグよ」
「ああ、ありがとうな。美味しそうだ」
ドヤ顔を浮かべる結梨に返事をした。まだ一口も口に入れてないのに、俺の心はどこか満たされた気持ちになっていた。
「いただきます」
「いただきます」
声と手を合わせて、挨拶を終えると、弁当に向き合う。
俺は早速ハンバーグに箸を伸ばす。食べやすい大きさに切って、それを口の中へ運ぶ。そうすると、何度味わっても同じような衝撃的な旨さが口いっぱいに広がる。
「美味しいな。流石結梨姉さんだ」
「ふっ、もっと言ってくれてもいいのよ?」
結梨は胸に手を当てて、誇らしそうな顔を浮かべていた。とてもご機嫌な様子の姉である。
「何なら、私が食べさせてあげるわ」
「いや、それは大丈夫だ」
結梨の提案を俺は丁重にお断りした。美人な姉に食べさせてもらう。想像するだけで心臓が破裂しそうになる。
「遠慮はしなくてもいいわよ。弟にご飯を食べさせるのも姉として大切な使命よ」
「そこまでの覚悟は背負わなくてもいいと思うが。1人で食べられるから大丈夫だから」
「前は食べさせてくれたのに。これが弟の反抗期かしら」
そう言って、結梨は目を伏せた。そんな姉の様子を見ていると、こちらが罪悪感を覚えてしまう。
確かに以前だったら、結局姉に食べさせてもらうというのが恒例だった。
けれど、今の俺、正しくは俺の内面でそれに耐えられる自信はない。
「誰が反抗期だ。そんな年齢じゃないぞ」
「昔は素直に口を開けて待ってくれたのに。お姉ちゃんは悲しいわ」
「おい、見知らぬ記憶を捏造するな」
一瞬そんなことがあったかと真剣に考えてしまった自分を恐ろしく思った。
「冗談よ。けれど、和哉君に食べさせてあげたいと思っているのは本当よ」
「そんなことを言われても全く安心ができないんだが」
「まあ、貴方がそんなに嫌がるならやめておこうかしら」
結梨の言葉に、心臓に悪い事態は回避できたと思い、俺は胸を撫で下ろした。
「代わりにお姉ちゃんに食べさせてくれる?」
安堵した矢先のことである。姉の爆弾発言に俺の体は固まった。
「え? 食べさせるって……」
「和哉君が私に食べさせるの。大丈夫、いつも私がやっていることをやるだけよ」
俺を安心させるためなのか、結梨は優しく微笑んでいた。けれど、そんな笑顔を向けられただけでは俺の心は治らない。
「それにしても急にどうした? 今までそんなことを言わなかっただろ?」
「この前、沙優に聞いたの」
唐突に友達の名前が姉の口から飛び出してきた。その時点で嫌な予感がした。
「沙優曰く姉弟はお互い食べさせ合うものなのよ。彼女も弟から食べさせてもらったことがあると言っていたわ。つまり、逆あーんというわけね」
「いや、『というわけね』ではないんだが……」
まるで高度な理論を主張するかのように結梨は真剣な顔をしていた。言っている内容とのギャップが凄まじい。
「沙優の話を聞いて、私もやってみたくなったの。ダメかしら?」
そう言った結梨はこちらを見つめていた。それは子供が親におねだりするかのように見えた。
いつも大人びた結梨の様子とのギャップがこちらも凄まじい。そして、破壊力もとんでもなかった。
「い、いいぞ。1回だけだからな」
「ありがとう、和哉君」
気づけば俺は姉に対して了承の返事をしていた。自分の忍耐力の無さに愕然としたが、同時にどこか受け入れている自分もいることに気づいた。
「それじゃあ、早速お願いできるかしら」
「ああ、分かったぞ。おかずは何がいいんだ?」
「和哉君の好きなハンバーグでお願いするわ」
「ああ、分かったよ」
俺の言葉を聞いて、結梨は目を閉じて、口を開けた。
目を閉じる必要はあるのか疑問に思った。けれど、考えてみれば、俺も姉に食べさせてもらっている時、目を閉じていた気がする。
俺はハンバーグを食べやすい大きさに切って、箸で掴んだ。
「じゃあ、いくぞ」
「いつでも大丈夫よ」
結梨の言葉を聞いて、俺はハンバーグを掴んだ箸を姉の口元まで運ぶ。その間、顔は熱いし、胸がかつてないほどドキドキするしで大変だった。
ハンバーグは無事に結梨の口の中へと入った。それに気づいた姉はゆっくりと口を動かして、咀嚼する。
なんだかいけないものを見ている気分になった俺はすぐさま目を逸らした。
ハンバーグを飲み込んだ結梨はゆっくりと目を開けた。
「美味しいわ」
「それはまあそうだろうな。結梨姉さんが作ったものだから」
自画自賛といえる行為だが、結梨がしても全く変に思わない。それほどまでに我が姉が作る料理は美味しいからだ。
「違うわ。和哉君に食べさせてもらったから美味しいのよ」
「俺のあーんにそんな効果はないと思うが」
俺が即座に姉の言葉を否定すると、結梨は首を横に振った。
「いいえ、謙遜しなくていいわ。一生懸命にお姉ちゃんに食べさせようとしていた和哉君はとても格好良かったわ」
「目を閉じているのに、どうしてそんなことを言えるんだ?」
「私はお姉ちゃんよ。どんな時でも弟の勇姿は見逃さないわ」
結梨は答えになっているのかよく分からないことを言っていた。何故そこまで誇らしそうにしているのか分からない。けれど、ツッコミを入れたら負けの気がしたので、何も言わないでおいた。
そんなことを考えていたら、キリッとした目の結梨と目が合った。
「もう一度お願いするわ」
「1回だけって約束だろ!?」
「大丈夫、和哉君なら何度でもできるわ」
「そんな信頼されても困るんだが!?」
その後、議論の末、俺は結梨に何度も食べさせることになった。色々あったが、1つだけ付け加えると俺の心臓はなんとか耐えたということだ。
***
放課後、昇降口へと向かうと、靴箱の前に見慣れた明るいベージュ色が見えた。
周囲に誰もいないことを確認した俺は、彼女へと近づいた。
「結梨姉さん」
「あら、和哉君。まだ学校にいたの?」
こちらを振り返った結梨は不思議そうな目で俺を見ていた。今日は姉と一緒に帰る約束をしていない。
だから、結梨は帰宅部の俺がこの時間まで学校にいるとは思わなかったのだろう。
「学と少し話をしていて遅くなったんだ。姉さんも何か用事か?」
「ええ、私も友達と話をしていたの。時に和哉君」
結梨は俺に向かって目を輝かせていた。それは遠足を目前とした子供のようである。
「貴方はこれから家に帰るの?」
「まあ、特に学校にいてもやることはないからな」
俺の返事を聞くと、結梨は顔を輝かせた。そのあまりの眩しさに俺は直視できずにいた。
「それなら一緒に帰らない? ちょうど私も帰るところだったの」
「ああ、分かったよ」
「ふふっ、それじゃあ、早速行きましょう」
結梨は靴を履き、軽い足取りで歩き出した。俺は慌ててその後を追う。
思い寄らぬことで結梨と一緒に帰ることになった。以前の俺なら、誰かにバレないかと冷や冷やしていたが、今は違った。
結梨と一緒に帰れるという幸運を有り難く思った。
駅までの帰り道、結梨と色々話をした。学校の話や勉強の話、友達の話等をした。
結梨が笑顔を浮かべる度に俺の心臓の鼓動は早まった。
「あっ」
不意に声を上げてしまった。自分でも無意識の行動だった。
目の前にはいつもの駅が見えた。俺と結梨が別れる駅が。
「ああ、駅に着いたのね」
「そうだな」
いつもだったら、家に帰れるという実感が湧くはずだったが、今の俺は全く違う気持ちを抱えていた。
「それじゃあここまでね」
「ああ」
「また明日学校でね」
「分かった」
結梨の言葉に返事をしていると、手を引かれる感覚があった。
何かと思って顔を上げると、目の前に姉の顔があった。
「ゆ、結梨姉さん?」
「急に手を引いて、ごめんなさい。けれど、なんだか和哉君が寂しそうに見えたの」
結梨のその一言が俺の胸を突いた。目の前の姉に自分の内心を悟られて、動揺した。
本当にこんな気持ちになるなんて以前だったら考えられなかった。結梨ともう少しいたいだなんて。この時間が続けばいいと考えてしまうなんて。
「俺は大丈夫だ。ちょっと家に帰ったら何をしようか考えていただけだよ」
「そうなの。分かったわ」
そう言って、結梨は俺から手を離した。自分から言い出したことなのに、彼女の手が離れた瞬間、胸の奥が痛んだ。
「じゃあ、また明日ね」
結梨は優しい笑みを浮かべた。そして、俺に背を向けて歩き出す。俺とは逆の方向に。彼女が離れていく。
「結梨姉さん」
無意識に俺の口から言葉が飛び出していた。俺の声が聞こえたのか、結梨はこちらを振り向いた。
「どうしたの?」
結梨は不思議そうな顔でこちらを見ていた。俺は拳をぎゅっと握りしめた。
「明日の朝、一緒に登校しよう」
俺の言葉を聞いて、結梨は一瞬だけ目を見開き、やがて微笑んだ。
「ええ、分かったわ」
その言葉を聞いた途端、俺の心は心地よい温かさに包まれた。




