49 ごめんなさい、和哉君
日曜日の今日、俺は家のリビングに1人でいた。家にいるというのに、全く落ち着かない。人生でかつてないほど緊張しているのが分かる。
けれども、今から起きることを考えれば当然のことだ。自分は今滅多にない重要な岐路に立たされていることを実感している。
ふと玄関のチャイムが鳴った。俺は弾かれるようにソファから立ち上がると、リビングを出て、玄関へと向かう。
玄関のドアを開けると、明るいベージュ色の髪をした女子が立っていた。
「ただいま、和哉君」
結梨は嬉しそうな笑みを浮かべていた。その顔を見ると、余計に緊張を増したようにも、心が落ち着いたようにも感じる。
「おかえり、結梨姉さん」
俺の口から自然とそんな言葉が飛び出していた。そうしてみると、違和感を感じない自分がいることに気づいた。俺の言葉を聞いた結梨は笑みを深めた。
「休みの日に来てくれて、ありがとうな。上がってくれ」
「和哉君に呼ばれたからね。弟から呼ばれたら、いつでも駆けつけるのがお姉ちゃんよ」
どこぞのヒーローのセリフを言いながら、結梨は家に上がった。姉の言う通り、今日、彼女を呼んだのは俺だ。昨日の夜、SNSアプリで連絡したのだった。
「結梨姉さんの家でも良かったんだけどな」
「私が呼ばれたのだから、貴方の家に行くのが当然よ」
妙に真剣な眼差しで同い年である姉はそう言った。どう見ても俺の家に来たかったに違いない。相変わらずの姉の様子を微笑ましく感じた。
「まあ、いつもの通り両親はいないけどな」
「それはしょうがないわ。私としてはいつかご挨拶をしたいのだけれど」
「まだ諦めていなかったか」
俺の言葉に結梨は胸に手を当てて、誇らしそうにしていた。
「当然よ。私は和哉君のお姉ちゃんなのだから」
「分かっているよ。まあ、また今度な」
そんなやり取りを交わしながら、リビングへとたどり着いた。
「好きに座ってくれ」
「ええ、分かったわ」
結梨はリビングのソファに腰掛けた。彼女が座ったのはソファの真ん中よりも少し横にずれた位置だ。
結梨の隣はちょうど1人座れるスペースがある。彼女は俺に視線を向けている。
姉の意図を察した俺は彼女の隣に座った。そうすると、結梨は満足そうな笑みを浮かべる。
「和哉君は昼ご飯を食べたの?」
「いや、まだだ。結梨姉さんもか?」
「ええ、そうよ。それだったら、私が昼ご飯を作るわね」
結梨は真っ直ぐに俺を見つめてそう告げた。とても固い意志を感じる眼差しである。この様子だったら、俺がいくら断っても譲らない気だろう。
「分かった、お願いするぞ。俺も一緒にやるよ」
こんなことを見越して、両親から台所と冷蔵庫の中身を使う許可は取ってある。
「それなら、お姉ちゃんが教えるわね」
「ああ、ありがとう」
俺がお礼を言うと、姉は満足そうに頷いた。やがて彼女は姿勢を変えて、俺に体ごと向ける。
「それで一体どんな用事なのかしら? 和哉君が私を呼んだのだから、話でもあるの?」
「流石結梨姉さんだ。お見通しか」
姉の言葉に俺は指で頬を掻いた。どうやら思惑は姉にバッチリ見抜かれていたようだ。
「私としては和哉君のご飯を作りにきただけでも構わないわ。でも、それにしては貴方が妙に強張ってみたいに見えたの」
「いや、本当にすごいな。そこまで分かるなんて」
同級生である姉は俺の緊張までお見通しらしい。そこまでされては隠すわけにはいかない。いや、元々隠すつもりなんてなかったけど。
「ちょっと待っててくれないか?」
「分かったわ」
結梨からの了解を得ると、俺はソファから立ち上がった。いよいよ本番の時である。
リビングを出て、2階にある自分の部屋に向かった。部屋の"あるもの"を手に取ると、再びリビングへと戻る。その間、俺の心臓は激しく鼓動していた。
「お待たせ、結梨姉さん」
「別に待ってないわ。あら? それは何かしら?」
結梨は俺の手の中にあるものを不思議そうに眺めていた。俺が持っているのは、ラッピング袋だ。袋の上部は赤のリボンを巻いている。
「結梨姉さん」
あえて姉の質問に答えず、俺はソファへと座る。結梨と同じように体ごと目の前にいる姉に向けた。
「今日はこれを渡したかったんだ」
「え?」
俺は袋を結梨へと渡す。俺から袋を受け取った姉は目を丸くしていた。もちろん袋自体はただの入れ物だ。渡したいプレゼントはその中にある。
「ありがとう、和哉君。けれど、誕生日はまだ先よ。それに今日は姉の日でもないわ」
「姉の日は知らないけど、結梨姉さんの誕生日じゃないことは分かっているぞ。俺が渡したかったんだ。ほら、日頃の感謝を込めてさ」
恥ずかしさのあまり顔から火が出そうである。それでも正面にいる姉から目を逸らさなかった。
「そういうことね。お姉ちゃんはとても嬉しいわ」
プレゼントを受け取った結梨はぎゅっと大事そうに袋を抱えていた。その瞳はどこか潤んでいるように見えた。そんな姉は世界中の誰よりも綺麗だった。
「早速だけど、開けてもいいかしら?」
「ああ、もちろん」
俺の言葉を聞いて、結梨は目を輝かせた。まるでプレゼントを前にした子供のようである。
結梨はリボンを解いて、袋の中にあるものを取り出した。
「これは帽子かしら?」
結梨が手に持っているのは麦わら帽子風のサマーハットだ。コットンの糸で編まれたハットは見た目はもちろん通気性と吸湿性に優れて、実際に被っても涼しいだろう。
「そうだ。これから暑くなるからちょうどいいと思ってな」
照れ臭さを感じながら、俺は答える。両親以外で俺の手作りを贈ったのは結梨が初めてである。
「ありがとう。大切に使うわね」
そう言って、結梨は俺に向かって優しく微笑んだ。その顔を見た途端、俺は報われた気持ちになった。しかし、最大の山場はまだだ。
「それにしても、どこのお店でこれを買ったかしら?」
その言葉が耳に届いた瞬間、俺の心臓はどきりと跳ね上がった。予想通りの質問だが、実際に尋ねられると、さらに緊張が高まった。ついにこの時が来た。
「和哉君?」
質問に答えない俺を見て、結梨はこちらを見ていた。彼女は先程とは一変して、心配そうな顔を浮かべていた。
その顔を見た途端、俺は拳をぎゅっと握りしめた。そして、結梨を真っ直ぐに見つめる。
「いや、買ってないぞ」
「え? それじゃあ、一体どういう……?」
「それは俺が作ったんだ。俺の手作りだよ」
困惑の顔をした結梨に向かって、俺は言葉を告げる。両親以外秘密にしておいたことを俺は明かした。他でもない信頼している姉に。
リビングでは静かさが満ちていた。まるで世界が止まってしまったようだ。
「か、和哉君が作ったの? これを?」
「ああ、その通りだ」
「すごいわね。よくできているわ」
結梨は呆気に取られた表情のまま、俺が作ったサマーハットを眺めていた。その様子だともしかしたら、まだ俺の言葉を信じていないかもしれない。
「それだったら、俺の部屋に上がるか?」
「え? いいのかしら?」
「ああ、結梨姉さんに見せたいものがあるんだ」
「分かったわ」
俺と結梨はリビングを出て、2階にある俺の部屋に向かった。
俺は部屋のドアを開けた。そこには結梨にとっては見慣れないものがある。俺の机の上に広がっている手芸道具だ。
いつもはクローゼットの中に隠してあるが、今日は隠さないで、いつも使っているそのままにしておいた。
「これはなにかしら?」
結梨は机の上にある手芸道具を指し示した。これを見せれば、もうどんな言い逃れもできない。けれど、今は微塵も後悔を感じていない。
「もちろん俺のだよ。これを使ってそのハットを作ったんだ。俺は手芸が趣味なんだ」
俺ははっきりと言葉にして、結梨へと告げた。心臓は相変わらずうるさかったが、思ったよりも声は震えていなかった。
俺の言葉は間違いなく結梨へ届いたはずだ。俺は姉がどんな反応をするか待っていた。
かつて向けられた言葉と同じものか、それとも、俺が期待した通りの反応なのか。俺は姉が口を開くのを待った。
「ごめんなさい、和哉君」
けれど、結梨の反応は俺の予想とは違ったものだった。
「えっと、『ごめんなさい』ってどういう意味だ?」
思わずそんなことを尋ねてしまった。そうすると、結梨は困ったような、申し訳なさそうな笑みを浮かべていた。
「実は貴方が手芸をやっているって知っていたの」
姉から告げられた内容に俺は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。




