31 お姉ちゃんは可愛い弟が心配なの
お待たせしました。
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「そういえば、和哉君に聞きたいのだけれど」
それは連休を目前に控えたある日の昼休みだった。隣の席に座っている結梨が唐突に話しかけてきた。
俺と結梨はいつも通り視聴覚室で昼ご飯を食べていた。もちろんクラスメイトである姉お手製の弁当だ。
「どうした?」
「和哉君は昨日の放課後この教室にいたかしら?」
「いや、昨日はそのまま家に帰ったぞ」
記憶を探っても教室から昇降口まで直行した覚えしかない。
「そうなのね……」
そう言って、同い年である姉は顎に手を当てて何やら考え込んでいるようだった。その仕草がどうにも気になってしまう。
「何かあったのか?」
思わず問いかけたところ、結梨はこちらを振り向いた。
「友達から聞いたのよ。昨日の放課後の視聴覚室に誰かがいたって」
「そんなことがあったのか」
「ええ。彼女が言うには室内から男の子の声が聞こえてきたそうよ」
「へー、誰だったんだろうな。って、まさか、お前……」
ある疑惑を抱いた俺が結梨に目を向けると、彼女は明るいベージュ色の髪をいじっていた。
「視聴覚室にいた男子が俺だと思っていたのか?」
俺の質問に同級生である姉は答えようとしなかった。その態度が何よりの証拠だ。
「だって、ここの教室を使うのは私たちぐらいでしょ?」
「まあ、少なくとも俺の周りではそうだな」
「だから、和哉君が放課後の視聴覚室にいたのだと思ったの」
結梨は推理を語る探偵のような顔で告げていた。だが、その推理は的外れだ。
「残念だが、俺は真っ直ぐに家に帰ったよ」
「ふむ。証拠は?」
結梨はなおも俺への疑いを向けているようだ。これは下手に答えると長丁場になるかもしれない。
俺は頭を働かせて、昨日のことを思い返す。
「学が証人だ。あいつと昇降口で会ったからな」
学と少し話をした後、俺は校門へと向かった。その姿は彼も見ているはずだ。
「なるほど。田口君に聞いてみる必要があるわね」
「いや、ちょっと待ってくれ。本当に俺は視聴覚室にいなかったぞ。信じてくれ」
本格的に調査へ乗り出そうとする姉を俺は制止した。この姉が動くのは非常に目立つ。そこから芋づる式に俺との関係が学校の奴らにバレてしまう恐れがある。
「和哉君がそこまで言うならやめておくわね」
「本当に疑り深いな」
「仕方ないじゃない。お姉ちゃんは可愛い弟が心配なの」
「……男に可愛いって言うなよ」
女子からそんなことを言われても、男子としては微妙な気持ちになってしまう。
「なんにせよ、和哉君も放課後になったらあまり寄り道しないで帰ってね」
「はいはい、分かったよ」
「はいは1回でいいわ」
そう言って、結梨は楽しそうに微笑んだ。
***
その日の放課後、部活に行く学を見送った後、昇降口に向かおうとした時だ。ふと魔が差した俺はくるりと体の向きを変えて、昇降口とは別方向に歩き出した。行き先は視聴覚室だ。
昼間結梨から聞いた話の真相を確かめるためだ。別に探偵気取りのつもりない。
ただクラスメイトである姉の心配している様子が妙に脳裏にチラつくからだ。俺としては結梨に心配をかけるのは不本意なことだ。
「まあ、ただのついでだからな」
誰に聞かせるものでもない言い訳が放課後の廊下に沈んでゆく。この時間の学校は夕日が差し込み、人の気配を感じない。
いつものように道を辿り、視聴覚室へと辿り着く。結梨から聞いた通り、声が聞こえるかどうか耳をすませる。
「……ちくしょう。絶対に許さないからな……」
教室から微かに声が聞こえる。それは聞いていた通り男の声だった。と同時に俺はある違和感を覚える。
「この声はどこかで聞いたような……?」
頭を捻って考えたところ、ある1人の顔が俺の頭の中に浮かんだ。俺は意を決して視聴覚室のドアを開けた。
そこにはメガネをかけた男子生徒が椅子に座っていた。
「やっぱり淳史じゃないか」
「ん? 和哉か。一体どうした?」
俺が室内に入ってきたのに気づいたのか彼はこちらを振り向いた。彼の名前は惣島淳史。俺の友達で、クラスメイトだ。
「どうしたは俺のセリフだよ。こんなところで何をしているんだ?」
「僕にも色々あるんだ」
そう言った淳史は窓の外を見ていた。この様子だとあまり踏み込んではいけない事情があるのだろうか。
「そうか。それじゃあ俺はこれで」
謎の声の正体が判明した以上、俺がここにいる意味はない。家に帰ったら、結梨に報告すればいいだろう。そう考え、踵を返して視聴覚室を後にしようとした時だ。
「和哉! 待ってくれ!」
「なんだよ?」
淳史から呼びかけられた俺は背後を振り返った。そこには思いの外真剣な顔をした友達がいた。
「僕の話を聞いてくれないか?」
「どうして、俺が?」
「これも何かの縁だ。お前に聞いてほしいんだ」
淳史は縋るような目で俺を見ていた。その目で見つめられた俺は帰るのを躊躇する。
淳史の様子と言い視聴覚室に入る前に聞いた言葉と言い、どうやら彼は何やら悩みを抱えているようだ。
ということは、その悩みとやらを解決しないと放課後の視聴覚室にい続けることになる。それはなんだかまずい気がした。
「分かった。あまり遅くなるのは勘弁だぞ」
俺は淳史の前の席に腰掛けた。体を彼の方へと向けて、話を聞く体勢を整える。
「ありがとう、和哉」
淳史はホッとしたような顔を浮かべていた。けれど、また神妙な顔つきに戻ってしまった。
「実はね」
「おう」
目の前の友達が一体どのような話を打ち明けるのか。俺は内心ドキドキしていた。
「僕には姉さんがいるんだけどさ」
「ああ、そういえばそうだったな」
以前淳史からそんな話を聞いたことがある。確か大学生のお姉さんだという。彼から姉という生き物の生態について何度も聞かされた覚えがある。
「そのお姉さんがどうかしたのか?」
「うん、そうなんだよ」
俺が先を促すと淳史は拳をぎゅっと握りしめた。そして、拳を天高く突き上げると、勢いよく振り下ろす。拳がテーブルに当たりダンと大きな音が室内に響き渡る。
「僕の姉さんは暴君なんだよ!」
「は?」
友達からそんな悩みを打ち明けられた俺は素っ頓狂な声を出してしまった。
***
「そう言えば、急な用事を思い出したわ。悪いけど、俺はこれで」
「待ってくれよ! まだ話し始めたばかりじゃないか」
椅子から立ち上がりかけた俺を淳史は強く引き留めた。
「人の家庭の事情に踏み込むのは良くないだろ? だから、俺は帰るよ」
「ちょっ、さっきは話を聞いてくれるって言ったじゃないか!?」
淳史は裏切られたと言いたげな顔をしていた。
「だって、どんな深刻な悩みだと思えばそんなことだなんて思わないだろ」
「『そんなこと』なんかじゃないよ! 僕にとっては大事なんだ!」
淳史はまたしても拳をテーブルに叩きつけた。そう何度も叩きつけて手は痛くないのだろうか。
「和哉は知らないからそう言えるんだ。姉さんはとても凶暴なんだよ」
「そうなのか? 例えばどんなことをされたんだ?」
淳史のお姉さんのことはよく知らないが、ここまで憤るもの酷いのだろうか。
とりあえず話を聞くため、俺は席に着いた。そうすると、淳史はホッとしたような顔を浮かべた。
「この前の日曜日なんだけどね、家にいて暇だろとか言って、僕に買い物へ行かせたんだ!」
「あー、それは大変だな」
「そうだろう!」
俺が同意を示すと、淳史は力強い顔つきになった。
「これだけじゃないよ! 僕の部屋にある漫画やゲームを勝手に借りて、挙げ句の果てに、僕が言うまで返さないんだ!」
「……なんというか色々あったんだな」
「本当だよ! 代わってくれるなら、代わってほしいよ」
そう言って、淳史はテーブルの上に突っ伏した。そんな友達の様子を見て思わず同い年である姉の顔が思い浮かんだ。
「俺のところとは違うんだな」
「えっ? 『俺のところ』ってどういうこと?」
俺の言葉に反応したのか淳史は顔を上げて不思議そうな顔をしていた。どうやら無意識のうちに口に出してしまったらしい。
「もしかして、和哉にもお姉さんがいるの?」
「えっと、まあ、そうだ」
今更適当な言い訳が思い浮かばなかったため、素直に白状した。その途端淳史の顔が輝いて見えた。
「そうだったんだ。知らなかったなあ。和哉のお姉さんってどういう人なんだ?」
「ええと、だな」
俺はどう答えるべきか迷った。下手に話してしまうと、結梨との関係がバレてしまうかもしれないからだ。
「まあ、こっちも色々と振り回されているよ」
「そうなんだ。お互い大変だな」
淳史はまるで仲間を見つけたように嬉しそうな顔をしていた。
「具体的にどんなことをされたの?」
「色々なところに連れてもらったり、弁当を作ってもらったりしているな」
「は?」
俺が答えたその瞬間友達の声が一段と低くなったように聞こえた。思わず淳史の顔を見ると今度は裏切られたと言いたげな表情を浮かべていた。
「何それ羨ましいんだけど」
「え?」
「和哉のお姉さんって、すごく優しそうじゃん! 羨ましいよ!」
淳史は羨望の眼差しで俺を見つめていた。
「そ、そうか?」
「そうだよ。いいなあ、和哉のお姉さんは。僕の姉と交換する?」
「いや、それは遠慮しておく」
友達の提案を俺は反射的に断った。自分でも何故こう答えたのか分からない。
「まあ、そうだよね。あっ、それならさ」
何か名案を思いついたと言わんばかりに淳史は目を輝かせていた。
「また、僕の話を聞いてくれないか? 同じ姉を持つ弟として色々話したいこともあるし」
「……まあ、たまにならいいぞ」
期待外れさせてしまった罪悪感から俺はつい頷いてしまった。
「ありがとう! じゃあ、これからよろしくね!」
こうして姉を持つ弟仲間が新たにできた。




